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第5話 現実という名の壁と、泥にまみれた決意

 それからの私の毎日は、魔法の練習に明け暮れることになった。


 学園に入学するお金がない以上、まずは独学でやれることをやるしかない。

 

 幸い、このお屋敷の庭は無駄に広く、誰にも邪魔されずに練習するにはうってつけの場所だった。


「――灯せ、小さき炎よ」


 私は右の人差し指の先に意識を集中し、古文書にあった詠唱を可愛らしく、けれど真剣に呟く。

 

 体内の魔力を練り上げ、指先へと送り込むイメージ。

 

 すると、ぽっ、と音を立てて、指先に蝋燭の炎ほどの小さな火の玉が灯った。


「わぁ……!」


 初めて成功した攻撃魔法に、思わず声が漏れる。

 

 これが、この世界の最も基本的な魔法の一つ、初級魔法ファイアボール

 

 まあ、ボールというよりは、ただの火種に近いけど。


 私はこの世界の魔法の仕組みを、前世の知識で補完しながら理解していった。

 

 魔法は、その威力や複雑さによって、明確に階級分けされている。


 初級――生活用。ちょっとした火や灯り程度。

 中級――実戦向け。攻撃も回復も一人前。

 上級――戦術級。宮廷魔術師レベルが扱う広範囲魔法。

 王級――伝説級。ひとりで戦況を変える破格の力。

 聖級――神話の領域。歴史にしか出てこない、神様の魔法。


 そして、私が目指す錬金術は、この魔法体系とは全く異なる、いわば特殊な技術ツリーだ。

 

 魔力を炎や氷に変えるのではなく、物質そのものに働きかけて再構築する。

 

 その専門性の高さから、使い手は少なく、熟練度に応じて「錬金術師」「上級錬金術師」、そして頂点である「錬金術のマイスター」といった称号で呼ばれるらしい。


 私の魔力量は、八歳の子供として見れば平均か、それより少し下といったところだろう。

 

 だけど、魔力のコントロール精度は自分でも驚くほど高かった。


「次は、お水」


 手のひらを上に向け、今度は水の生成をイメージする。

 

 大気中の水分を集め、魔力で束縛する。

 

 じわり、と手のひらが冷たくなり、やて球状の水の塊がぷるんと生まれた。


 この力があれば、何かできるかもしれない。


 単純な力仕事でも、魔法があれば効率が上がるだろう。

 

 もしかしたら、お使いみたいな仕事くらいなら見つかるかもしれない。

 

 そんな淡い期待を胸に、私は再び自室の本棚を漁る。

 

 もっと具体的な、お金を稼ぐための情報が欲しかった。


 埃っぽい本棚を漁っていると、一冊のひときわ豪華な装丁の本が目に留まった。

 

 金の箔押しで刻まれたタイトルは、『王立ラピスフォード学園 入学案内』。


「これは……」


 数日前に私の希望を打ち砕いた、元凶。

 

 だけど、もう一度、何か見落としがないか確認しておきたかった。

 

 ページをめくると、美しい挿絵と共に、学園の輝かしい紹介文が並んでいる。

 

 未来の王国を担う若者たちが集う、最高の学び舎。


 騎士科、魔法科、教養科……。

 

 そして、その中に、私の心を捉えて離さない文字があった。


「――錬金術科」


 そこには、最新の設備が整った研究室の写真や、高名な教授陣の紹介が載っていた。

 

 この世界の法則を解き明かし、未知の物質を創造する。

 

 考えただけで、胸が高鳴る。


 だけど、その興奮は、最後のページで冷水を浴びせられたように消え去った。


【入学金:金貨50枚】

【年間学費:金貨100枚】


 絶望的な数字だった。

 

 この世界の通貨価値は、まだ正確には把握できていない。

 

 だけど、アーベント家のひと月の生活費が、銀貨数枚であることを考えれば、金貨一枚がどれほどの価値を持つかは想像に難くない。

 

 今の我が家に、銅貨一枚すら余分にないというのに。


「……そう、よね。貴族の学園なんて、夢のまた夢、か」


 特待生制度の項目もあったが、その条件は「聖剣に選ばれし者」や「宮廷魔術師団長の推薦を受けし者」など、現実離れしたものばかり。

 

 私は静かにパンフレットを閉じ、部屋で一人、天を仰いだ。


 諦める?

 

 いや、それだけは絶対に嫌。

 

 前世で、お金がないせいで諦めたことは、もう数え切れないほどある。

 

 この世界でまで、同じ思いを繰り返してたまるもんですか。


 錬金術師になる。そのために、学園に入る。

 

 独学では、いつか必ず限界が来る。

 

 基礎を学び、人脈を作り、情報を得る。

 

 ――そのためには、学園って場所がどうしても必要なんだ。


 そんなことを考えているうちに、気づけば日はすっかり傾いていた。


 ★  ★  ★


 そして夜。

 

 食卓で、湯気を立てるスープ皿を前にした私は、意を決して口を開いた。


「お父様、お母様。私、学園に行きたいです」


 しん、と食卓が静まり返る。

 

 お父様もお母様も、驚いたように私の顔を見た。

 

 やがて、お父様の顔に、娘の成長を喜ぶ父親としての笑みが浮かんだ。

 

 お母様も、嬉しそうに目を細めている。


「そうか、エリス。お前もそんなことを考える歳になったのだな。嬉しいぞ」

 

「ええ、本当に。あなたが将来のことを考えてくれるなんて……」


 だけど、その笑顔は、すぐに申し訳なさと、深い悔しさが入り混じった複雑な表情に変わった。


「エリス……その気持ちは、とても嬉しい。だが……」


 お父様は、それ以上言葉を続けることができなかった。

 

 ぎゅっと拳を握りしめ、深く、深く、頭を下げる。


「今の我が家には……すまない。本当に、すまない……」


 お父様の絞り出すような声が、静かな食堂に響く。

 

 その姿が、前世で奨学金の保証人欄に、親戚のおじさんに頭を下げてサインをしてもらった時の光景と、鮮明に重なった。

 

 あの時のおじさんも、こんな顔をしていた。

 

 助けてやりたいのに、どうすることもできない。

 

 そんな無力感と罪悪感に満ちた顔。


 選択肢が、未来が、目の前で閉ざされていく。

 

 胸の奥が、ギリギリと軋むような痛みに襲われる。


 違う。お父様が悪いわけじゃない。

 

 悪いのは、理不尽に私たちからすべてを奪った、この世界の仕組みそのものだ。


「……いいんです、お父様。分かっていますから」


 私はそう言って、無理やり笑顔を作った。

 

 これ以上、この人たちに辛い顔をさせたくなかった。


 ◇ ◇ ◇


 夕食後、私は自室のベッドの上で、静かに決意を固めていた。


 誰かが与えてくれるのを待つのは、もうやめた。

 

 女神も、貴族社会も、誰も私を助けてはくれない。

 

 ならば、私が、私の力で稼ぐしかない。


 学費も、生活費も、リアが欲しがってたペット代も――ぜんぶ必要だ。


 だけど、この世界で八歳の子供にできる稼ぎ方なんて、たかが知れてる。

 

 当然、アルバイトの募集なんてあるわけない。

 

 だから、答えは一つしかなかった。


 身分も年齢も問わない。ただ実力だけが物を言う世界。

 

 そして、常に死と隣り合わせの無法地帯。


「……冒険者、か」


 危険極まりない職業として有名な冒険者。

 

 だけど、私と同じくらいの歳の子供でも活動してる子はいるらしい。

 

 依頼も多く、稼ぎも早い。

 

 そう心に決めた私は、その夜ベッドに潜り込み、静かに目を閉じるのだった。


 ★  ★  ★


 翌朝。

 

 空が白み始めた薄明りの中、私は誰にも気づかれないように、そっと屋敷を抜け出した。

 

 古い扉の軋む音が、やけに大きく聞こえる。


 目指すは、王都の商業区にあるという、荒くれ者たちの巣窟、冒険者ギルド。

 

 八歳の、しかも「名ばかり伯爵家」の令嬢である私を、果たしてあの人たちは相手にしてくれるのか。

 

 正直、不安しかない。

 

 だけど、もう後戻りはできない。

 

 私は一度だけ我が家を振り返ると、固く唇を結び、王都の中心へと向かって歩き出した。

 

 泥にまみれてでも、必ず掴み取ってみせる。


 私と、私の家族の未来を。

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