第44話 最後の賭け、ラスール公爵家
ドルガンさんの足は、凄まじい速さだった。
馬車よりも、ずっと速い。
王都の石畳の上を、まるで一陣の風のように、駆け抜けていく。
そして、私がもっと驚いたのは、ポムだった。
あの小さな体で、ドルガンさんの猛スピードに少しも遅れることなく、ぴったりと、ついてきている。
時々、楽しそうに「きゃんきゃん!」と鳴きながら。
流石は、魔物……なのかしら?
身体能力が、異常すぎるわ……。
もしかして、いつも私に合わせて、ゆっくり走ってくれてたのね。
そんなことを考えているうちに、周りの景色は、見慣れた平民街や商業区から、明らかに違う、荘厳な雰囲気を帯び始めていた。
一つ一つの家が、まるで小さなお城のように、大きく、そして豪華になっていく。
ラスール公爵家が居を構える、本物の貴族街。
私の知らない、世界の道。
やがて、その中でもひときわ巨大で、そして美しい、白亜の壁に囲まれた壮麗な屋敷が、目の前に、姿を現した。
「着いたぞ、エリス」
ドルガンさんは、屋敷の巨大な正門の前で、ようやく足を止めると私を、そっと、地面に降ろしてくれた。
ポムは少しだけ疲れたのか、はぁはぁ、と可愛らしく、息を切らしている。
私は、目の前の光景に、息を呑んだ。
天まで届きそうなほど、高い壁。
金と黒で彩られた、威圧的な鉄の門。
その両脇には、ラスール公爵家の紋章が刻まれた盾を構え、微動だにしない屈強な門番たちが、何人も、立っている。
ここが、ラスール公爵邸。
私のような名ばかり伯爵令嬢が、本来であれば、一生足を踏み入れることすら、許されない場所。
「何者だ!」
門番の一人が、私たちに気づき、槍の穂先を、鋭く、こちらへと向けてきた。
「冒険者ギルドが、ギルドマスター、ドルガン・ブラストハンマーだ! 公爵閣下に、至急、お目通りを願いたい!」
ドルガンさんが、名乗りを上げる。
だが、門番たちは、少しも怯まなかった。
「ギルドマスター殿であったか。だが、アポイントメントのない者を、通すわけにはいかない。お引き取りを」
「緊急の要件だ! ご令息の、命に関わる!」
「いかなる理由があろうとも、規則は規則。通すことは、できん」
鉄壁の守り。
これが、公爵家の、威光。
ドルガンさんですら、突破できないのか……!
私は、思わず前に出た。
「お願いします! ルートス令息の薬が出来たんです! どうか、通してください!」
私の、必死の叫び。
だが、門番は冷たい目で私を一瞥しただけだった。
「お嬢ちゃん。ここは、遊び場ではない。早く、お帰りなさい」
くっ……!
子供だからと、まともに、取り合ってもらえない!
どうすれば……!
私が、唇を噛み締めた、その時だった。
「――騒がしいな。何事だ」
門の内側から、静かだが、よく通る、老人の声がした。
ゆっくりと、現れたのは、完璧な仕立ての、漆黒の燕尾服に身を包んだ、白髪の執事。
その隙のない佇まいと、冷徹で、理知的な灰色の瞳は、執事長のようだ。
彼がこの屋敷のただならぬ地位にいることを、物語っている。
「これは、ドルガン殿。朝早くから、一体、どのようなご用件で?」
執事長は、ドルガンさんには、丁寧な一礼をしつつも、その視線は、明らかに私を値踏みするように、見ている。
「セドリック殿。この小娘が、ご令息を救うための、薬を持ってきた。すぐに、閣下にお繋ぎいただきたい」
「……薬、ですと?」
執事長――セドリックさんは、私を見て、ふっ、と、鼻で笑った。
その目には、あからさまな、侮蔑の色が浮かんでいる。
「ギルドマスターともあろう方が、このような子供の、戯言にお付き合いになるとは。お戯れが、過ぎますぞ。医師団も、神官様方も、匙を投げられたのだ。この少女が、一体、何に……」
「戯言かどうかは、この薬が、証明します」
私は、彼の言葉を、遮った。
そして、一歩、前に出る。
「あなた様が、ここで、時間を無駄にしているほんの数秒の間にも、ご令息の、命の灯火は、消えかけているのですよ」
私の、子供らしからぬ、その言葉。
そして、私が差し出した小瓶から放たれる、尋常ではない魔力のオーラに、執事長の眉が、ぴくり、と動いた。
だが、彼はまだ信じようとはしない。
「……小生意気な。どこの馬の骨とも知れぬ、小娘が」
彼が私を追い払おうと、手を上げた、その時だった。
「――セドリック、もうよい」
屋敷の奥から聞こえてきたのは、威厳と、そして、深い、深い、疲労に満ちた男性の声だった。
現れたのは、ラスール公爵、オルダス様、ご本人。
その顔は、数日前の、ギルドの公示で見た、肖像画よりも、ずっとやつれ、その目には絶望の色が浮かんでいた。
「君は……見たことがあるな……」
公爵は、私の素性を、すでに、知っていた。
そして、私のことを、じっと、見つめている。
「して、嬢君。君は、息子の病を、治せると、申すか」
「はい。治せる、と、私の師匠は、申しておりました」
私は、臆することなく、公爵の目を、まっすぐに見つめ返した。
そして、一世一代のプレゼンテーションを、始める。
「ご令息の病の原因は、呪いでも、疫病でもありません。それは、この王都に満ちる、魔力の不純物――“魔力ノイズ”と、ご令息の、生まれ持った、繊細な魔力体質が引き起こす、魔力の不協和音にございます」
私の言葉に、公爵の後ろに控えていた、医師団の老人たちが、ざわめき立つ。
「馬鹿な! 魔力ノイズなど、聞いたこともない!」
「子供の、妄想だ!」
だが、私は一歩も引かなかった。
「皆様が、常識に囚われている間に、ご令息は、死に瀕しているのです! この薬は、暴走する魔力を鎮め、乱れた循環を整え、そして、体外からのノイズを遮断する三つの効果を併せ持つ、唯一の、治療薬! これを、信じてはいただけませんか!」
私の、魂の、叫び。
公爵は黙って、私の言葉を、聞いていた。
その顔には、深い、深い、葛藤の色が、浮かんでいる。
常識か。
それとも、目の前の小さな少女がもたらした、万に一つの、可能性か。
やがて、彼は苦しげに息子のいる屋敷の奥を見やり、そして、ゆっくりと、天を、仰いだ。
「……よかろう」
絞り出すような、その声。
「信じるには、あまりにも、荒唐無稽な話だ。だが……もはや、我々には、祈るか、あるいは、奇跡に賭けるかしか、残されてはおらん」
公爵は、決断した。
そして、氷のように、冷たい目で、私を、見据えた。
「この少女を、息子、ルートスの、元へと、案内する」
医師団の、反対の声を、その一言で、ねじ伏せて。
彼の、父親としての、最後の、賭け。
「……ただし、嬢君。もし、これが、偽りであった場合。君の命は、ないものと、覚悟するがいい」
その言葉のあまりの重さに、私の背中を、冷たい汗が、一筋、伝っていった。
これから、私が、足を踏み入れるのは、後戻りの許されない、運命の、舞台。
私は、ゴクリと、乾いた喉を、鳴らし、そして、大きく頷いた。
「――覚悟は、できております」
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