第41話 錬金術師の神域
私は、静かな声で、工程開始を告げた。
錬成釜である、鉄の鍋に、あらかじめ汲んでおいた、清浄な水を、七分目まで、注ぐ。
そして、その鍋の下に、魔力で複雑な魔法陣を描き出した。
熱量を、精密にコントロールするための、加熱用の魔法陣だ。
鍋の中の水が、ゆっくりと温められていく。
決して、沸騰させてはならない。
素材の成分を、壊してしまうから。
私はすり鉢で、丁寧に、丁寧にすり潰した「静寂茸」を、鍋の中に、そっと、投入した。
瞬間、無色透明だった水が、まるで、夜の闇が溶け込んだかのように、深い、深い、藍色へと、その姿を変えた。
独特の、少しだけ、土臭い香りが、部屋に、満ちる。
ここからが、重要だ。
私は、鍋に、そっと手をかざした。
そして、体内の魔力を、できる限り、優しく糸のように、紡ぎ出す。
その魔力の糸で、藍色の液体をゆっくりと、かき混ぜていく。
静寂茸が持つ、強力な鎮静成分を、水の中へと完全に溶け出させるためだ。
この工程は、極めて繊細なコントロールを要求される。
魔力が強すぎれば、鎮静成分は、猛毒へと変質する。
弱すぎれば、ただのキノコの煮汁にしかならない。
じわり、と、私の額に、汗が、滲む。
指先が、わずかに震える。
だけど、私の心は驚くほどに、冷静だった。
大丈夫。
できる。いつもの、練習通り……。
数分後。
鍋の中の、藍色の液体から不純物である、キノコの繊維質が綺麗に、分離した。
液体はまるで夜空そのものを閉じ込めたかのように、どこまでも、深く、そして、透き通っている。
第一工程、成功だ。
「……第二工程、循環促進作用の融合、開始」
私は息つく間もなく、次の工程へと、移る。
用意しておいた、「月光石の粉末」を、鍋の中へと、パラパラと、振りかけた。
深い藍色の液体の中で、銀色に輝く月光石の粉末が、まるで、天の川のように、きらきらと、舞い踊る。
それは、息を呑むほどに、美しい光景だった。
だけど、その美しさとは、裏腹に。
鍋の中では、今、二つの、相反する力が、激しくぶつかり合おうとしている。
静寂茸が持つ、全てを眠らせ、鎮める、「静」の力。
月光石が持つ、全てを巡らせ、活性化させる、「動」の力。
水と、油。
光と、闇。
それらを、無理やり一つに融合させようというのだ。
ガタガタガタッ!
案の定、鍋が激しく揺れ始めた。
中の液体が、まるで、煮えたぎるマグマのように不気味に、波打っている。
「くっ……! 混ざらない……!」
魔力で、抑え込もうとしても二つの力は互いに激しく、反発しあうだけ。
このままでは、鍋が、爆発する!
どうすれば……どうすれば、この二つを、一つに……。
私の脳裏に、前世の化学の知識が、フラッシュバックする。
水と油。
それらを、混ぜ合わせるもの。
そうだ。
乳化剤。
二つの、異なる性質を持つ物質の、架け橋となる、存在。
この錬金術において、その役割を、果たすものは……!
そうだ。二つの力を、直接、混ぜ合わせようとするから、ダメなんだ。
もっと、微細な、私の魔力の粒子で。
それぞれの、成分の、一つ一つを、優しく、コーティングしてあげる。
そして、そのコーティングした粒子同士を、結びつければ……!
それは、もはや神業に近い魔力操作。
だけど、今の、私になら――!
「やってやれない、ことは、ない……!」
私は、一度、全ての魔力を鍋から引き離した。
そして、新たに、今度は自分の魔力を霧よりも、細かな無数の粒子へと分解する。
その魔力の霧を、鍋の中へとそっと送り込んだ。
魔力の粒子が、静寂茸の成分と、月光石の成分、その一つ一つを、まるで薄いヴェールのように、優しく、包み込んでいく。
激しかった、反発が、少しずつ収まってきた。
鍋の揺れが、止まる。
そして、私はその粒子同士を、ゆっくりと結びつけていった。
「静」と「動」が、私の魔力を介して、初めて、手を取り合う。
やがて、鍋の中の液体は、完全に、その荒々しさを、失った。
そこにあったのは、まるで、嵐が過ぎ去った後の、静かな、夜の海。
どこまでも、深く、そして穏やかな瑠璃色の液体が、銀河のように、月光石の粒子をその内にきらめかせていた。
「……はぁ、はぁ……」
第二工程、成功。
だけど、私の体力と魔力はこの時点で、すでに半分近く削り取られていた。
まだだ。
まだ、終われない。
本当の戦いは、ここからなのだから。
「……最終工程、フィルター効果の奇跡、融合、開始」
私は、震える手で革袋から、あの幻の「花」を、取り出した。
月の光を、そのまま固めたかのような、神秘的な、白い花。
それが、薄暗い部屋の中で、自ら発光しているかのように、ぼんやりと輝いている。
私はその花を、瑠璃色の液体の中に、そっと、沈めた。
――その、瞬間だった。
カッ!!
鍋が今までとは比べ物にならないほどの、まばゆい、純白の光を、放った。
部屋中がまるで真昼のように、光で、満たされる。
熱い。肌が、焼けるようだ。
花が持つあまりにも清浄で、そして、強大すぎる、浄化の力。
それが、鍋の中の、複雑に絡み合った二つの力と融合しようとして、凄まじいエネルギーの奔流を生み出しているのだ。
私は、最後の力を、振り絞った。
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