第36話 試される眼、選ばれる静寂
翌朝、私はいつもより早く、夜の闇がまだ王都の街並みに色濃く残る時間にそっとベッドを抜け出した。
隣では、ポムがすやすやと穏やかな寝息を立てている。
私の心は、決まっていた。
ラスール公爵家のご令息、ルートス様を、私が救う。
それは、もはや単なる金儲けや、名誉のためではない。
この理不尽な世界で、私と同じように、運命に翻弄される少年がいる。
そして、私にはもしかしたら、その運命を覆すための、たった一つの鍵があるのかもしれない。
知ってしまった以上、もう、見て見ぬふりなど、できなかった。
それに、これはアーベント家の未来を賭けた、戦いでもあるのだ。
「……よし」
私は昨日ギルドで手に入れた銀貨の袋を、懐に大事にしまい込む。
今日の目的は、三つ。
暴走する魔力を鎮める「静寂茸」
乱れた魔力循環を整える「月光石の粉末」
そして、まだ見ぬ奇跡のフィルター効果を持つ、第三の素材。
その三つを、今日中に必ず手に入れる。
私が部屋を出ようとすると、ベッドの上で、ポムがむくりと体を起こした。
そのつぶらな黒い瞳が、じっと、私を見つめている。
「ふふ、分かってるわよ。あなたがいなくちゃ、始まらないんだから」
私はポムを抱き上げ、大きなフードの懐にそっとしまい込む。
温かくて、柔らかな感触。
最高の相棒が、私の胸の中で小さく「きゅるん」と鳴いた。
それだけで、私の心に不思議と勇気が湧いてくる。
私は、まだ誰もいない薄暗い屋敷を抜け出すと、朝靄に包まれた王都の街へと踏み出したのだった。
◇ ◇ ◇
まず向かったのは、商業区のはずれ少し怪しげな店が軒を連ねる、薬師ギルド通り。
この辺りは、普通の薬草だけでなく毒キノコや呪いの触媒のような、裏社会の人間が好む、曰く付きの品を扱う店も多い。
「静寂茸」は、強力な鎮静効果を持つ反面、扱いを間違えれば、永遠の眠りをもたらす劇薬にもなるキノコだ。
普通の薬屋では、まず取り扱っていない。
私は、その中でもひときわ古く、そして陰気な空気を漂わせる、一軒のキノコ専門問屋の軋む扉を開けた。
店内には様々なキノコの独特な土の匂いが充満している。
カウンターの奥で、片目に眼帯をした強面の店主が、私を一瞥し、面倒くさそうに口を開いた。
「……なんだ、嬢ちゃん。ここは、お前さんのような、子供が来る場所じゃねぇぞ。お帰り」
「『静寂茸』を、探しています。できるだけ、鮮度の良いものを」
私が、臆することなくそう言うと、店主は少しだけ目を見開いた。
「ほう……。『静寂茸』だと? 嬢ちゃん、それが、どんな代物か、分かって言ってるのか?」
「ええ。だからこそ、ここに来たんです。最高の品質のものが、手に入ると、伺いましたから」
私の言葉に、店主はにやりと口の端を吊り上げた。
その笑みは、子供をからかう大人のものではなく、同業者を試すような、鋭い光を宿していた。
「へっ、面白いことを言う。なら、嬢ちゃん。どれが、最高の『静寂茸』か、お前さん自身の目で、選んでみな。もし、当てることができたら、市場価格の半値で、売ってやらぁ」
「……望むところです」
私は店主が指し示した、店の奥の棚へと向かった。
そこには、ガラスケースの中に十数種類の『静寂茸』が、ずらりと並べられている。
見た目は、どれも、ほとんど同じ。
傘の大きさや、色艶がほんの少し、違うだけ。
素人目には、その違いなど到底分かるはずもない。
だけど、今の私なら、ポムがいなくても、ある程度のことは分かる。
錬金術の修練で、私の魔力感知能力は、飛躍的に向上していたのだ。
私は、目を閉じ、意識を集中させる。
それぞれのキノコが放つ、微弱な魔力のオーラを感じ取る。
ほとんどのキノコは、その魔力がどこか淀み、濁っている。
おそらく、収穫してから時間が経ちすぎているのだろう。
だが、その中でたった一つだけ。
ひときわ、清浄で、そして力強い、静謐な魔力を放っている個体があった。
棚の一番隅に、ひっそりと置かれた、小ぶりのキノコ。
「――これです」
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