第32話 未知の病と、規格外の可能性
ぽつり、と。
彼は、誰に言うでもなく、そう呟いた。
だが、その視線は、明らかに私に向けられていた。
「え……?」
私は、思わず、素っ頓狂な声を上げた。
「む、無理です! 無理に決まってます! だって、相手は、公爵家のご令息ですよ!? それに、国中のお医者様たちが、誰も治せないような病気を、私の師匠が、そんな……」
私が、慌てて首を横に振ると、ドルガンさんは、ふん、と鼻を鳴らした。
「分からんぞ」
彼の声は、静かだったが、不思議なほどの確信がこもっていた。
「常識で測れるような病なら、とうの昔に、解決しておるわ。だが、現実はどうだ?常識が、全く、通用しておらん。……ならば、その答えは、常識の外にしかないのかもしれん」
ドルガンさんは、そこで一度、言葉を切り今度は、私の懐で輝きを放つ、あの翠色のポーションを、じっと見つめた。
「貴様の師匠は、常識を、いとも容易く、超えてくる。このポーションが、何よりの証拠だ。儂は、そういう“規格外”の奇跡を。だから、もしや、と思っただけだ」
「……ですが」
「まあ、無理にとは言わん。師匠殿にも、考えがあろうしの」
ドルガンさんは、そう言うと、私に背を向けた。
だが、数歩、歩いたところで、ぴたり、と足を止める。
「……小娘。ちょっと、儂の部屋まで、ついてこい」
有無を言わせぬ、その口調。
私は、戸惑いながらも、その大きな背中の後をついていくしかなかった。
◇ ◇ ◇
ギルドマスターの執務室は、武骨な武器や、魔物の剥製が飾られた、男の仕事場といった雰囲気の部屋だった。
ドルガンさんは、私を客用のソファに座らせると、自分は机の上の、山積みになった書類をかき分け始める。
「一体、何が……」
私の問いに、彼は答えず、やがて、埃をかぶった分厚い羊皮紙の束を、机の上に、どさりと置いた。
「これは……?」
私が、訝しげに尋ねると、ドルガンさんは重々しく、口を開いた。
「――ラスール公爵家ご令息、ルートス様の、これまでの診察記録の、写しだ」
「なっ……!?」
私は、絶句した。
医師の診断書、神官による祈祷の記録、そして、宮廷魔術師が、ごく内密に記録したという、例の「魔力波形の異常」を示す、詳細な図。
それは、本来であれば、絶対に部外者である、私たちのような者が目にすることなど、許されないはずの、最高機密情報だった。
「ど、どうして、こんなものが、ギルドに……?」
「冒険者ギルドは、ただの荒くれ者の集まりではない」
ドルガンさんは、椅子に深く腰掛け、鋭い目で私を見据えた。
「王国の、光の当たらぬ場所の情報が、全て、ここに集まってくる。ラスール公爵も、公式のルートでは得られない、裏の情報を、我々に求めてこられたのだ。……もっとも、これだけの情報を集めても、我々にも、原因は、さっぱり、分からんかったがな」
彼は、自嘲するように、そう言った。
そして、机の上の、資料の束を顎でしゃくってみせる。
「小娘。この資料を、お前の師匠に、渡せ」
「え……?」
「無理にとは言わん。これは、ギルドマスターとしての、命令ではない。儂、ドルガン・ブラストハンマー個人としての、ただの、頼みだ」
ドルガンさんは、窓の外に広がる王都の景色を見つめた。
その目には、いつもの豪快さとは違う、静かな憂いの色が浮かんでいる。
「儂は、この国が、アルバ公爵の、好き勝手になるのを見たくはないのでな。そのためには、ラスール公爵家には、持ちこたえてもらわねば、ならんのだ。……師匠殿が、この資料を見て、『興味なし』と、一蹴するなら、それでも、構わん。儂も、諦めがつく」
「…………」
「だがな、小娘。もし、万に一つ、億に一つでも、可能性があるのなら……」
ドルガンさんは、祈るような目で私を見た。
その瞳に、私は、この国の未来を憂う一人の男の、切実な想いを見た気がした。
私は、しばらくの間、何も言えなかった。
目の前に置かれた、資料の束。
それは、もはや、ただの紙束ではない。
一人の少年の命と、この国の未来。
そして、ドルガンさんという、一人の男の、願い。
あまりにも、重い、重すぎるバトンだった。
やがて、私は、震える手で、その資料の束を、そっと、持ち上げた。
ずしり、とした重みが、私の小さな腕に、のしかかる。
「……分かり、ました。師匠に、渡してみます。でも、期待は、しないでください」
それが、私に言える、精一杯の言葉だった。
◇ ◇ ◇
ギルドを出ると、空はいつの間にか、鉛色の雲に覆われていた。
冷たい風が、私のフードを、はためかせる。
腕に抱えた、遥かに重い、資料の束。
希望と、絶望。
その二つを、同時に抱え、私はとぼとぼと、家路についた。
懐の中で、ポムが、心配そうに、私の顔を、見上げている。
「……どうしよう、ポム」
私は、誰に言うでもなく、呟いた。
「私たち、とんでもないことに、巻き込まれちゃったみたい……」
私に、できることなんて、あるのだろうか。
相手は、国中の天才たちが、匙を投げた、未知の病。
私なんて、まだ、錬金術の入門書をかじっただけの、ただの子供なのに。
関われば、破滅するかもしれない。
だけど、見過ごせば、後悔するかもしれない。
答えの出ない問いが、私の頭の中を、ぐるぐると、巡っていた。
私は、空を、仰ぐ。
分厚い雲の向こう側で、太陽は、もう、その姿を、隠してしまっていた。
まるで、この王都の、未来を、暗示するかのように。
私はただ、その重い資料を、強く、強く、抱きしめることしか、できなかった。
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