第19話 ギルドマスターの鑑定と、森の賢者の影
ドルガンさんの低い声が、ホールに響く。
その声がした途端、さっきまでざわついていた冒険者たちが、水を打ったように静まり返った。
「ギルドマスター、こ、これが……エリスが、師匠から預かってきたというポーションで……」
ミミさんが、しどろもどろに説明する。
ドルガンさんは、彼女を手で制すると、ずしん、ずしんと重い足音を立ててカウンターまでやってきた。
そして、その大きな体で、小さな小瓶を覗き込む。
「……師匠、だと?」
岩のようにゴツゴツとした、巨大なドワーフの手が、繊細なガラスの小瓶を、そっと持ち上げた。
そのあまりの対比が、どこかシュールな光景だった。
「はい。森の中で出会った、錬金術師の方です」
この設定で押し通すしかない……!
私は、心の中で固く決意した。
正体を隠すには、この架空の「師匠」という存在は、好都合かもしれない。
ドルガンさんは、何も言わず、今度は懐から、片眼鏡を取り出した。
それは、ただの片眼鏡ではない。
魔力を帯びたアイテムの性質を、詳細に分析するための、高価な鑑定用の魔道具だ。
彼は、そのモノクルを目に装着すると、改めて、小瓶の中の液体を、食い入るように見つめ始めた。
そして――。
「……馬鹿な」
ドルガンさんの口から、呻き声とも、驚嘆ともつかない声が漏れた。
その表情は、普段の豪快な彼からは想像もつかないほど、真剣で、そして、信じられないものを見たかのように、わずかに歪んでいる。
「……なんだ、これは。なんだ、このポーションは……!」
彼の独り言が、静まり返ったホールに、不気味に響き渡った。
「不純物が、全くない……だと? 薬草から成分を抽出した際に、必ず混じるはずの、微細な不純物が、ゼロ……? ありえん。神々の霊薬でも、こうはいかんぞ……」
彼の言葉に、周囲の冒険者たちから、どよめきが起こる。
「おい、聞いたか? 不純物がゼロだってよ……」
「そんなポーション、聞いたことねぇぞ……!」
だが、ドルガンさんの驚きは、それだけでは終わらなかった。
「治癒効果の魔力構成が、全く違う……。なんだ、この滑らかな魔力循環は……まるで、それ自体が、一つの生命体のように、完璧な調和を保っている……!」
彼は、モノクルを外し、今度は私の顔を、射抜くような鋭い眼光で、まっすぐに見つめた。
「小娘。貴様の師匠は、一体何者だ? 王都に、これほどの錬金術師がいたなど、聞いたことがない。宮廷に仕える筆頭錬金術師か? あるいは、人知れず塔にこもる、大賢者の類か?」
「さあ……。私は、森の中で、気まぐれに出会っただけなので……」
私は感情を込めずに、淡々と告げると、ドルガンさんは、「ふむ……」と深く頷いた。
そして、何やら一人で納得したように、ぶつぶつと呟き始める。
「森の賢者……。そうか、そういうことか。俗世を捨て、ただひたすらに、錬金の道を極めんとする、孤高の求道者……。なるほど、それならば、この奇跡のようなポーションを生み出したとしても、不思議ではない……!」
なんだか、私の師匠がとんでもなくすごい人物ということになっている。
「それで、ギルドマスター。このポーションは……おいくらで、買い取っていただけますか?」
私が、本題を切り出すと、ドルガンさんは、ハッとしたように我に返った。
そして、彼は値踏みするように、私の顔と、手のひらのポーションを、交互に見比べる。
長い、長い沈黙。
ホールにいる全員が、固唾を飲んで、彼の言葉を待っていた。
やがて、ドルガンさんは、重々しく口を開く。
「……本来であれば、この一瓶で、金貨が何枚にもなるだろう。オークションに出せば、貴族どもが、家の一つや二つ、喜んで差し出すほどの逸品だ」
その言葉に、ホールが、今日一番のどよめきに包まれる。
私自身も、心臓が跳ね上がるのを感じた。
「だが」
ドルガンさんは、言葉を続ける。
「これは、まだ試作品。今後、安定して、この品質のものが供給できるという保証はない。それに、貴様のような小娘に、いきなり大金を持たせれば、ろくなことにならん。ハイエナのような悪党どもが、寄ってたかって、骨の髄までしゃぶり尽くすのがオチだ」
彼の言葉は、厳しいが、その奥には、私の身を案じる響きがあった。
「――よって、ギルドからの最初の提示額は、これだ」
ドンッ!
ドルガンさんは、カウンターの上に、ずしりと重い革袋を置いた。
中から、銀色の輝きが、ちらりと見える。
「――銀貨、十枚」
「……じゅ、じゅうま……!?」
思わず、私の口から、素っ頓狂な声が漏れた。
銀貨、十枚。
私が、今まで、来る日も来る日も、泥だらけになって働いてきた、あの稼ぎが、まるで子供のお遊びのように思えてくるほどの、大金。
お父様が、一年かけて、内職で稼ぐ金額よりも、ずっと、ずっと多い。
「不服か?」
「い、いえ! 滅相もございません! ありがとうございます!」
私は、慌てて、何度も、何度も頭を下げた。
心臓が、ばくばくと、うるさいくらいに鳴っている。
手が、震える。
ドルガンさんは、そんな私の様子を見て、満足そうに頷いた。
「いいか、小娘。このポーションのことは、決して他言無用だ。ギルドから買った、ということ以外、誰にも話すな。厄介ごとに巻き込まれるぞ」
「は、はい……!」
「……だが」
ドルガンさんは、にやり、と笑った。
「もし、貴様の師匠が、また何か“試作品”を作ることがあれば、必ず、このギルドに持ってこい。他のどこにも売るな。このドルガン・ブラストハンマーが、必ず、最高値で買い取ってやる、と、そう伝えておけ」
「……分かりました。必ず、伝えます」
こうして、私の初めてのポーション販売は、想像を遥かに超える形で、幕を閉じた。
◇ ◇ ◇
ずしりと重い、銀貨十枚が入った革袋を、懐に大事にしまい込み、私は、ギルドを後にした。
背中に突き刺さる、冒険者たちの、畏敬と、嫉妬が混じり合った視線を感じながら。
ミミさんが、呆れたような、それでいて、どこか感心したような、複雑な顔で私を見送っていたのが、印象的だった。
「……あんた、本当に、何者なのよ……」
そんな彼女の呟きが、聞こえた気がした。
ギルドの外に出ると、夕暮れの冷たい風が、火照った私の頬に、心地よかった。
私は、震える手で、懐の革袋を、もう一度、握りしめる。
ひんやりとした、銀貨の感触。
その重みが、私の未来の重みのように感じられた。
これなら、学園に行ける……!
このポーションを、多く作ることができれば。
来年の春、私は夢だった、王立ラピスフォード学園の門を、くぐることができる。
希望が、現実の輪郭を帯びて、私の目の前に、はっきりと見えてきた。
だが、同時に、ドルガンさんの忠告が、私の脳裏をよぎる。
――厄介ごとに、巻き込まれるぞ
そうだ。
私の作ったこのポーションは、ただ人を癒すだけの、奇跡の薬ではない。
それは、人の欲望を際限なく掻き立てる、危険な「富」そのものでもあるのだ。
その価値に、今日、このギルドにいた多くの人間が気づいてしまった。
私は、フードを、さらに深く、目深にかぶる。
私の力が、良くも悪くも、もう「子供の遊び」の範疇を、完全に越えてしまったこと。
そんな、漠然とした予感を、私は、銀貨の重みと共に、強く、強く、感じている。
私の逆転劇は、まだ、始まったばかりだ。
平坦な道のりではないことも、私はこの時、初めて漠然と、理解したのだった。
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