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第1話 どうやら私は、ガラクタとして異世界に放り込まれたらしい

 コンクリートの無機質な匂いが、湿った夜気と混じり合って鼻をつく。

 

 終電をとっくに逃した深夜のアスファルトは、私という存在に何の興味も示さないかのように、ただ黙って足音を吸い込んでいた。


「……はぁ」


 思わず漏れたため息が、白い煙となって虚空に消える。

 

 コンビニの深夜バイトを終え、大学から支給された、返済義務という名の首輪――奨学金案内の封筒を握りしめながら、私はトボトボと安アパートへの道を歩いていた。


 親はいない。


 物心ついた頃から施設で育ち、なけなしの金とバイトで稼いだ生活費、そして未来への借金で、どうにかこうにか大学生という身分にしがみついている。


 周りの子たちはサークルだの、恋バナだのと青春を謳歌しているが、私にはそんな余裕はどこにもなかった。


 講義、バイト、睡眠。時々、課題。

 

 その無限ループ。


 まるで、出口のない回し車を走るハムスターだ。


 お金さえあればな……


 万能ではないと誰もが言う。


 だが、世の中の問題の九割は、お金の力でねじ伏せられるのもまた事実だ。

 

 お金があれば、こんな深夜にふらふら歩くこともない。


 暖かいベッドで眠り、たまには友達とカフェでお喋りを楽しめるのかもしれない。


 そんな、ありふれた夢。

 

 あまりにも現実離れしたその願望に、自嘲の笑みが浮かぶ。

 

 ぼんやりと、そんなことを考えていたのがいけなかったのだろう。


「――ッ!?」


 路地裏から、けたたましいエンジン音と共に飛び出してきたトラック。

 

 網膜を焼き尽くすような、暴力的なヘッドライトの光。

 

 咄嗟に体が動かなかったのは、疲労のせいか、それとも人生への諦めだったのか。


 ブレーキの軋む音と、何かが砕ける鈍い音を最後に、私の意識はぷつりと途切れた。


 ◇ ◇ ◇


 意識が浮上する。


 目を開けると、そこは果てのない白だった。


 床も、壁も、天井もない。


 音も、匂いも、重力すら感じられない、完全な無の空間。


「……どこ……? 天国、なの?」


 死んだはずの私が呟くと、目の前の空間が淡く光り始めた。


 光の粒子が集まり、やがて一人の女性の姿を形作る。


 現実ではありえないほどの美貌。

 

 豊満な肢体を惜しげもなく晒した、純白の衣。

 

 そして、背中から広がる荘厳な光の翼。


 まさに、女神様。


「あら? 目が覚めたのね。予定よりずいぶん早いわ」


 鈴を転がすような声。

 

 だが、その響きにはどこか、事務的な冷たさが混じっていた。


「あの……あなたは?」


「私? 女神のレイアよ。あなたみたいな下界の魂を管理してる、いわば中間管理職みたいなものかしら」


 女神様が中間管理職……。

 

 私がその言葉に困惑していると、彼女は面倒くさそうに溜息をついた。


「単刀直入に言うわね。あなた、本来ならあの事故で魂ごと消滅するはずだったの。でも、こっちの転送システムのエラーで、間違って私の管轄領域に来ちゃったわけ。手違いよ、手違い」


「て、手違い……?」


「ええ。今、私の管理している異世界が魔王軍とかいうのでちょっとピンチでね。急いで勇者候補を何人か送り込んでる最中だったのよ。その流れ弾に当たったみたいなものね。あなた、ツイてないわ」


 ツイてない、じゃないでしょ! あなたのミスじゃない!


 喉まで出かかった罵倒を、必死に飲み込む。

 

 相手は、神様なのだから。


「じゃあ、私はこれからどうなるんですか? 消されたり……」


「それはないわ。こっちのミスだし、後処理が面倒だから。代わりに、温情でその世界に転生させてあげる。感謝なさい」


 その言葉に、一筋の光が見えた。

 

 そうか、転生! だったら、あの最後の願いが!


「お願いします! お金持ちの家に! できればご両親が優しくて、何不自由ない生活ができるお嬢様にしてください!」


「ああ、それ無理」


 私の希望は、一瞬で、木っ端微塵に砕かれた。


「ええっ!? なんでですか!」


「なんでって……空きがないんだもん。勇者適性のある優秀な魂は、みんなそういう良い家系に優先的に割り振られるの。常識でしょ?」


 知らないわよ、そんな常識!


「そ、そんな……」


「そもそも、あなたみたいな“適性ゼロ”の魂じゃ、仮に空きがあったとしても無理よ。平凡なステータスで生まれても、あの世界で生きていくのは困難だもの。優良物件は、優良な魂にしか回ってこないの。世の中そんなもんよ」


 ああ、そうか。

 

 神様の世界も、結局、私がいた世界と同じなのか。

 

 持っている者が、さらに良いものを手に入れる。

 

 持っていない者は、残りカスを押し付けられる。


 地獄のような気分だった。


 レイアが、つまらなそうに指を鳴らす。

 

 私の体が、ふわりと宙に浮いた。


「さあ、お喋りはここまで。せいぜい頑張って生き延びなさい。まあ、あなたじゃ一週間もたないでしょうけど」


「待って、レイア! あんた、それでも女神なの!? 少しはこう、応援の言葉とか……!」


「はあ?」


 レイアは、心底面倒くさそうに、ゴミでも見るかのような目で私を見下した。


「適性のないガラクタに掛ける優しい言葉なんて、持ち合わせてないわよ」


 その言葉を最後に、私の意識は急速に引きずり込まれていく。

 

 まるで、光のない海の底へと、沈んでいくように。


 この、性悪女神……!


 転生先がどんな地獄か知らない。

 

 だけど、絶対に生き延びてやる。

 

 そして、いつかあの女の鼻を明かしてやるんだから。


 そんな新たな決意を胸に、私の意識は、再び闇の中へと消えていった。


 ◇ ◇ ◇


「……リス様、エリス様」


 誰かが、私を呼んでいる。

 

 柔らかな、女性の声。


 ゆっくりと瞼を開くと、最初に目に飛び込んできたのは、見慣れない天井だった。


 彫刻の施された、やけに高い天井。

 

 そこから吊るされているのは、蛍光灯ではなく、きらきらと光を反射するシャンデリア。


「……ん……?」


 体を起こそうとして、その小ささに気づく。

 

 私の体じゃない。子供の体だ。

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