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失恋図書館  作者: N.H
9/13

蔵書009『家族みたいに大切』

 夏の終わりに、私は死のうと思った。


 教室の窓から見える青空が憎らしくて、カーテンを閉めた。それでも聞こえてくる蝉の声。世界は相変わらず回っているのに、私だけが取り残されている。


 私、佐藤千夏は高校二年生。三日前、幼馴染の健人に振られた。


「ごめん、千夏のことは妹みたいにしか思えない」


 十年間、ずっと一緒だった。小学校も中学校も同じで、高校まで一緒に通うことになった時は運命だと思った。でも健人にとって、私はただの幼馴染でしかなかった。


 スマートフォンが震える。健人からのLINE。


『千夏、学校来てる?心配だよ』


 心配?今更何を。私は既読をつけずにスマートフォンを裏返した。


 ノックの音がして、担任の先生が入ってきた。


「佐藤さん、大丈夫?」

「はい」


 嘘。全然大丈夫じゃない。


「無理しないでね。保健室で休む?」


 首を振る。保健室に行ったら、健人に会うかもしれない。彼は保健委員だから。


 私が学校を休まないのは、家にいる方が辛いから。健人との思い出が詰まった部屋で、一人でいると息ができなくなる。


 昼休み、屋上への階段に座り込んでいると、クラスメイトの遥香が来た。


「千夏、ご飯食べたの?」

「食欲ない」

「ダメだよ。ほら、半分あげる」


 おにぎりを差し出されたけど、喉を通る気がしない。


「健人君のこと?」


 ビクッとした。


「皆知ってるよ。千夏が健人君のこと好きだったって」

「そんなにバレバレだった?」

「うん。でも健人君は気づいてなかったみたい」


 鈍感な健人。でも、そんなところも好きだった。


 放課後、部活にも行かずに帰ろうとすると、昇降口で健人とばったり会った。


「千夏」


 逃げようとしたけど、腕を掴まれた。


「待って。話あるから」

「離して」

「千夏が俺を避けてるの、分かってる。でも、このままじゃ――」

「このままでいいの!」


 声を荒げてしまった。周りの生徒が振り返る。


「私はもう、健人と普通に話せない。友達にも戻れない。だから、お願いだから、もう私に関わらないで」


 健人の手から逃れて、走って帰った。


 家に着くと、母がリビングにいた。


「千夏、早いね」

「うん」

「健人君は?いつも一緒に帰ってくるのに」


 胸が締め付けられる。


「もう一緒に帰らない」

「あら、喧嘩でもした?」


 喧嘩だったら良かった。仲直りできるから。でも、これは違う。


 部屋に閉じこもって、健人との写真を見返した。小学校の運動会、中学の修学旅行、高校の入学式。どの写真でも、健人は私の隣で笑っている。


 でも、その笑顔は「友達」への笑顔だった。


 涙が止まらない。枕に顔を押し付けて、声を殺して泣いた。


 一週間が経った。私は機械的に学校に通い、授業を受け、家に帰る日々を送っていた。健人とは一度も目を合わせていない。


 ある日の放課後、下駄箱に手紙が入っていた。


『千夏へ。俺からの最後の手紙です。読んでくれたら、捨ててください』


 健人の字だった。震える手で封を開ける。


『千夏、本当にごめん。俺は千夏の気持ちに気づけなくて、傷つけてしまった。


でも、嘘はつきたくない。千夏のことを恋愛対象として見ることができない。これは千夏が悪いんじゃない。俺の気持ちの問題だ。


千夏は俺にとって、家族みたいな存在。大切すぎて、恋愛として考えられない。都合のいい言い訳に聞こえるかもしれないけど、本心だ。


俺たちはもう、昔みたいな関係には戻れないかもしれない。それでも、千夏が笑顔を取り戻してくれることを願ってる。


千夏の幸せを、遠くから祈ってる』


 手紙を読み終えて、私は泣き崩れた。


 健人の優しさが、辛かった。はっきりと「嫌い」と言ってくれた方が、諦めがついたかもしれない。


 でも、「家族みたいに大切」なんて言われたら、私はどうすればいいの?


 その夜、私は初めて睡眠薬を飲んだ。母が昔処方されたものを、こっそり持ち出した。眠れない夜が続いていたから。


 でも、薬を飲んでも、健人の夢を見た。


 夢の中で、健人は私に告白してくれた。「千夏のことが好きだ」と。目が覚めた時の絶望感は、言葉にできない。


 学校で、健人に彼女ができたという噂を聞いた。


 隣のクラスの女子で、すごく可愛い子らしい。まだ付き合ってはいないけど、いい感じだとか。


 次の日の朝、布団から起き上がれなくなった。体が重くて、指一本動かせない。


 母が学校に連絡してくれた。


「しばらく休みなさい」


 でも、休んでも何も変わらない。健人への想いは消えないし、現実も変わらない。


 スマートフォンには、クラスメイトからの心配のメッセージが届く。でも、返信する気力がない。


 健人からのメッセージはない。それが当たり前なのに、期待してしまう自分が嫌だった。


 一週間学校を休んで、久しぶりに登校した日。


 健人が、例の女子と一緒にいるのを見てしまった。楽しそうに話していて、健人の顔は今まで見たことないくらい優しかった。


 ああ、これが恋をしている顔なんだ。


 私といる時とは、全然違う。


 放課後、屋上に上がった。フェンスの向こうに広がる空が、やけに近く見えた。


 ここから飛び降りたら、楽になれるかな。


 そんなことを考えていると、後ろから足音が聞こえた。


「千夏」


 健人だった。


「来ないで」

「何する気だ」

「別に。ただ、空を見てただけ」


 嘘。本当は、終わりにしたかった。


「千夏、俺のせいで――」

「健人のせいじゃない。私が勝手に好きになって、勝手に傷ついてるだけ」

「でも」

「彼女できたんでしょ?」


 健人が息を呑むのが分かった。


「まだ付き合ってない」

「でも好きなんでしょ?」


 無言が答えだった。


「いいな。健人は人を好きになれて」

「千夏……」

「私、もう誰も好きになれない気がする」


 風が吹いて、髪が舞った。


「健人のことが好きすぎて、他の人なんて考えられない。でも健人は私を選ばない。詰んでるよね」

「時間が解決してくれるだろ」

「しない」


 断言できた。この痛みは、一生消えない。


「千夏、頼むから……」

「何?」

「生きてくれ」


 健人の声が震えていた。


「俺は千夏を恋人にはできない。でも、千夏がいなくなったら、俺は一生後悔する」

「ずるい」

「分かってる。でも、千夏に死んでほしくない」


 私は振り返った。健人は泣いていた。


「なんで泣くの?」

「千夏が大事だから」

「恋人にはなれないけど、大事?」

「そう」

「最低」


 でも、健人の涙を見て、死ぬ気は失せた。この人を悲しませたくない。好きだから。


「千夏、幸せになってくれ」

「なれるかな」

「なれる。千夏は素敵な子だから」


 屋上から降りて、私たちは別々の道を歩いた。


 もう二度と、一緒に帰ることはない。


 それから、私は少しだけ変わった。健人たちを見ても、前ほど取り乱さなくなった。慣れたのか、諦めたのか、自分でも分からない。


 でも、好きな気持ちは変わりそうもない。


 卒業式が近づいてきた。健人は大学が決まり、彼女と同じ大学に行くらしい。


 私も受験したけど、第一志望は落ちた。健人と離れたくて選んだ遠い大学。でも、結局近くの大学に行くことになった。


卒業式の前日、私は健人に手紙を書いた。


『健人へ


これが最後の手紙です。


私は健人のことが大好きでした。今も好きです。きっとこれからも好きなままだと思います。


でも、もう健人の前では笑えません。友達にも戻れません。


だから、これでお別れです。


健人と過ごした十七年間は、私の宝物です。楽しい思い出をたくさんありがとう。


健人の未来が、明るいものでありますように。


千夏』


 手紙を健人の下駄箱に入れて、私は泣いた。


 これで本当に終わり。


 卒業式当日。健人とは一度も話さなかった。写真も撮らなかった。


 でも、最後に一度だけ目が合った。健人は何か言いたそうな顔をしていたけど、私は目を逸らした。


 もう、振り返らない。振り返ったら、また苦しくなるから。


 でも、心の中では分かっている。


 私はきっと、一生健人のことを好きなままだということを。


 初恋は実らなかった。そして、この傷は一生消えない。


 それでも生きていく。健人のいない世界で、健人を想いながら。


 現実、って感じ。


 初恋が実る人なんて、きっとほんの一握り。


 私は、その一握りには入れなかった。


 ただそれだけの、でも私にとっては全てだった。

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