蔵書007『おみくじ』
「今日も大吉だ!」
朝の神社で、私はおみくじを振りかざした。これで三日連続。いいことありそう。
私は毎朝ここに寄ってから会社に行く。駅から五分遠回りになるけど、一日の運勢を知らないと落ち着かない。
「恋愛運、『思いが通じる』だって!」
スマホで彼氏の健介に写真を送った。
『また引いたの?笑』
『だって大吉だよ?いいことあるよ!』
『陽菜は単純だな』
でも、そんな私が好きって言ってくれたじゃん。
付き合って二年。健介は私の天真爛漫さに呆れながらも、優しく見守ってくれる。おみくじ信じすぎって笑われるけど、「陽菜らしい」って。
会社についても気分は上々。大吉パワーで今日も頑張れる。
昼休み、健介からLINEが来た。
『今夜話があるから、時間作って』
話?もしかしてプロポーズ?いやいや、まだ早いか。でも大吉だし、いいことに違いない。
『いいよ!何時にどこ?』
『仕事終わったら、いつもの公園で』
いつもの公園。初めて告白された場所。やっぱり何か特別な話かも。
仕事中もソワソワして、上司に「小川さん、落ち着きなさい」と注意された。でも止まらない。大吉の日に、大切な場所で、大切な話。
定時ダッシュで公園に向かった。
彼はベンチに座っていた。でも、表情が暗い。
「健介、お待たせ!」
「……陽菜」
「どうしたの?顔暗いよ?」
深呼吸をして、健介が口を開いた。
「別れよう」
は?
「え?」
「俺たち、別れよう」
意味が分からなかった。大吉なのに。
「なんで?私、何かした?」
「違う。陽菜は悪くない」
「じゃあなんで?」
健介は俯いた。
「他に好きな人ができた」
嘘でしょ。朝までいつも通りLINEしてたのに。
「誰?」
「……同じ部署の子」
知らない人。私の知らないところで、健介は恋をしていた。
「ごめん」
彼の「ごめん」が遠くに聞こえる。
「でも、今朝…大吉だったよ?」
自分でも何を言ってるか分からなかった。
「恋愛運も最高で、『思いが通じる』って」
「陽菜……」
「おみくじ、嘘つかないもん」
涙が溢れてきた。
健介は何も言わず、立ち上がった。
「本当にごめん」
そして去っていった。
一人残された私は、おみくじを握りしめて泣いた。
大吉なのに。最高の運勢なのに。何も良いことなんてなかった。
次の朝、また神社に行った。
もう一度引けば、違う結果が出るかもしれない。昨日のは間違いだったかもしれない。
ガラガラと鈴を鳴らして、おみくじを引いた。
凶。
「嘘……」
恋愛運:『諦めが肝心』
違う。もう一回。
末吉。
恋愛運:『過去にとらわれるな』
違う、違う。
「すみません、もう一つ」
巫女さんに百円を渡して、また引いた。
小吉。
恋愛運:『新しい出会いを大切に』
「違う!」
思わず声が出た。巫女さんが心配そうに見ている。
「あの、大丈夫ですか?」
「大吉が出るまで引きます」
「おみくじは一日一回が基本ですよ」
「お願いします」
結局、十回引いた。
大吉は一度も出なかった。
会社に遅刻した。上司に怒られたけど、どうでもよかった。
健介とのLINEを見返した。
『今日も大吉?』
『陽菜の運の良さ、分けてほしい』
『おみくじより、陽菜といる方が幸せ』
全部嘘だったの?
次の日も、その次の日も、神社に通った。
財布の中は百円玉でいっぱい。おみくじを引き続けた。
「お嬢さん、毎日来てるね」
神主さんに声をかけられた。
「大吉が出ないんです」
「おみくじはね、都合の良い結果を出す機械じゃないよ」
「でも、信じてたのに」
「信じることと、依存することは違う」
分かってる。でも、止められない。
一週間後、ついに大吉が出た。
恋愛運:『想い人との復縁あり』
「やった!」
すぐに健介にLINEを送った。
『大吉出た!復縁ありだって!』
既読はついたけど、返事は来なかった。
でも諦めない。おみくじが復縁ありって言ってる。
次の日、会社で噂を聞いた。
「営業の山田君、付き合い始めたんだって」
「相手、経理の子らしいよ」
山田健介。私の元彼。
その日、何度おみくじを引いても、凶しか出なかった。
「もう一回」
「もう一回」
「お願い、もう一回」
巫女さんが止めに入った。
「今日はもうお帰りください」
「でも――」
「おみくじで現実は変わりませんよ」
分かってる。分かってるけど。
帰り道、健介と新しい彼女が手を繋いで歩いているのを見た。
楽しそうに笑ってる。私といた時より幸せそう。
家に帰って、今まで引いたおみくじを全部出した。
大吉、中吉、小吉、末吉、凶。
どれも意味なかった。運勢なんて関係なかった。
健介は私を選ばなかった。それが現実。
翌朝、習慣で神社に向かいかけて、足を止めた。
もういい。
おみくじじゃ何も変わらない。健介は戻ってこない。
でも、素通りもできなくて、鳥居の前で立ち尽くした。
「おはようございます」
いつもの巫女さんが声をかけてきた。
「今日は引かないんですか?」
「もう…いいんです」
「そうですか」
巫女さんは優しく微笑んだ。
「でも、お参りだけでもしていかれたら?」
そうだった。おみくじばかりで、ちゃんとお参りしてなかった。
手を合わせた。
何を願えばいいか分からなくて、ただ泣いた。
健介のいない朝。大吉も凶も関係ない朝。
これが私の新しい日常。
おみくじは、もう引かない。
現実は、紙切れじゃ変えられないから。