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失恋図書館  作者: N.H
5/13

蔵書005『幸せですか』


「お疲れ様でした」


 バイト先の控室で着替えながら、私は隣のロッカーから聞こえてくる彼の声に耳を傾けていた。


 大学二年の春から始めたカフェのバイト。そこで出会った一つ年上の先輩、康介さん。優しくて面白くて、いつも周りを笑顔にする人。私はすぐに恋に落ちた。


「今日も遅番?」


 康介さんが話しかけてきた。


「はい、十時までです」

「俺もだ。じゃあ、また後でね」


 その笑顔を見るためだけに、私はシフトを増やした。彼と同じ時間に入れるように、希望を出し続けた。


 三ヶ月が経った頃、私たちは自然と一緒に帰るようになっていた。


「今日も星がきれいだね」


 康介さんはいつも空を見上げながら歩く。私も釣られて見上げる。本当は星なんてよく見えないけど、2人で同じものを見ている時間が好きだった。


「真央ちゃんは、どんな音楽聴くの?」


 ある日の帰り道、彼が聞いてきた。


「えっと、J-POPとか…」

「へー、今度おすすめ教えてよ」


 そんな何気ない会話が嬉しくて、家に帰ってからプレイリストを作った。康介さんが好きそうな曲を選んで、順番も考えて。


 翌日、勇気を出してURLを送った。


『作ってみました!』


 すぐに返信が来た。


『ありがとう!帰りに聴くね』


 その日の帰り道、康介さんはイヤホンを片方外して差し出してきた。


「一緒に聴こう」


 並んで歩きながら、同じ音楽を聴いた。肩が触れそうな距離。心臓がうるさくて、音楽なんて頭に入らなかった。


「いい曲ばっかりだね。真央ちゃん、センスある」


 褒められて、顔が熱くなった。


 夏になって、バイト仲間でBBQをすることになった。康介さんも来るという。私は前日から何を着ていくか悩んだ。


 当日、河原でみんなでワイワイ準備をしていると、声をかけてきてくれた。


「真央ちゃん、今日可愛いね」

「え?」

「その服、似合ってる」


 初めて可愛いと言われた。舞い上がりそうだった。


 BBQの後、花火をした。線香花火を二人で見つめていた時、康介さんが言った。


「真央ちゃんといると、楽しい」

「私もです」

「これからもよろしくね」


 どういう意味だろう。期待していいのかな。


 その日の夜、グループLINEに写真が投稿された。いっぱいある中に、康介さんと私が並んで笑っている写真があった。カップルみたいに見えて、こっそり保存した。


 秋になって、学園祭の季節。康介さんの大学の学園祭に誘われた。


「良かったら来ない?友達も誘っていいよ」


 友達も、という言葉に少しがっかりしたけど、行くことにした。結局友達は都合が悪く、二人になった。


 これってデート?違う?分からないまま当日を迎えた。


「案内するよ」


 康介さんは優しくエスコートしてくれた。模擬店を回って、ステージを見て、お化け屋敷にも入った。


 怖がる私に、彼は「大丈夫、俺がいるから」と言ってくれた。


 帰り道、夕焼けの中を歩きながら、康介さんが立ち止まった。


「真央ちゃん」

「はい」

「今日、楽しかった」

「私も楽しかったです」

「あのさ……」


 告白?心臓が飛び出しそうだった。


「実は、相談があって」


 相談?


「好きな人ができたんだ」


 一瞬、私のこと?と思った。でも、康介さんの表情を見て、違うと分かった。


「そう…なんですか」


 声が震えないように必死だった。


「同じゼミの子なんだけど、どうアプローチしたらいいか分からなくて」


 ゼミ。私とは違う世界の人。


「私、そういうの詳しくないです」

「そっか…ごめん、変なこと聞いて」


ある日聞かれた。


「真央ちゃんは、恋人いないの?」

「いないです」

「え、意外。可愛いのに」


 その言葉が嬉しくて、でも悲しかった。可愛いと思ってくれてるのに、恋愛対象じゃない。


 クリスマスが近づいてきた。バイト先でもクリスマスシフトの話が出た。


「真央ちゃん、24日入れる?」

「入れます」

「俺も入るよ。一緒だね」


 嬉しかった。クリスマスを康介さんと過ごせる。バイトだけど。


 でも、一週間前になって彼はシフトを変更した。


「ごめん、24日入れなくなった」

「そうなんですか」

「実は…彼女ができて」


 心臓が止まりそうだった。


「例のゼミの子」

「おめでとうございます」


 笑顔を作るのに必死だった。


「ありがとう。真央ちゃんのアドバイスのおかげだよ」


 私は何もアドバイスなんてしてない。ただ聞いていただけ。でも、それで康介さんが幸せになったなら…


 いや、嘘。全然嬉しくない。


 クリスマスイブ、私は一人でバイトをした。カップルで溢れる店内で、注文を取り続けた。


 休憩中、康介さんのインスタを見てしまった。彼女との写真。イルミネーションをバックに、幸せそうな二人。


 涙が止まらなくなって、トイレに駆け込んだ。


 年が明けて、康介さんとのシフトが被ることが減った。彼女との時間を優先してるんだろう。


 たまに会っても、以前のような親密さはなかった。一緒に帰ることもなくなった。


「最近、真央ちゃん元気ない?」


 ある日、康介さんに言われた。


「そんなことないです」

「ならいいけど。真央ちゃんは大切な後輩だから」


 後輩。その言葉が、私の立場を明確にした。


 春、康介さんが就活で忙しくなり、バイトに来る回数が減った。


「内定もらったら、バイト辞めるかも」


 寂しかった。でも、おめでとうと言った。


 そして、康介さんが内定をもらった日。


「真央ちゃん、ちょっと話がある」


 二人で店の外に出た。


「来月でバイト辞めることにした」


 分かってた。でも、実際に聞くと胸が痛い。


「そうですか」

「一年間、ありがとう。真央ちゃんと働けて楽しかった」

「私も楽しかったです」


 本当は、楽しいだけじゃなかった。苦しいことの方が多かった。


「真央ちゃん」

「はい」

「俺、気づいてた」


 え?


「真央ちゃんの気持ち」


 時間が止まった。


「ごめん。応えられなくて、本当にごめん」


 謝らないで。謝られるのが一番辛い。


「気づいてたなら、なんで…」

「距離を置くべきだったよね。でも、真央ちゃんといる時間が心地よくて」


 都合が良かったんだ。私の気持ちを知りながら、そばに置いていた。


「ひどいです」


 初めて本音を言った。


「本当にごめん」


 康介さんは深く頭を下げた。


 それが、私たちの最後の会話だった。


 康介さんが辞めた後も、私はバイトを続けた。でも、もう楽しくなかった。康介さんがいない店は、ただの職場でしかなかった。


 ある日、偶然街で康介さんを見かけた。彼女と手を繋いで歩いていた。スーツ姿の康介さんは、大人っぽく見えた。


 目が合った。康介さんは少し驚いた顔をして、小さく会釈をした。私も会釈を返した。それだけ。


 彼女が「知り合い?」と聞いているのが見えた。康介さんが何と答えたかは分からない。


 バイト仲間?後輩?妹みたいな存在?


 どれも正解で、どれも違う。


 私にとって康介さんは、初めて本気で好きになった人。毎日会えるだけで幸せだった人。声を聞くだけで笑顔になれた人。


 でも、康介さんにとって私は、都合のいい後輩でしかなかった。


 一年経った今でも、あの頃の自分を思い出すと泣けてくる。


 純粋に人を好きになることが、こんなに苦しいなんて知らなかった。相手の幸せを願うことが、こんなに自分を傷つけるなんて思わなかった。


 今もカフェでバイトしてる時、ふと康介さんの癖を思い出す。カップを片付ける時の手つき、レジでの声のかけ方、休憩中の座り方。


 全部覚えてる。忘れられない。


 でも、あの恋がなければ、人を好きになる喜びも、苦しみも知らなかった。


 康介さん、今も幸せですか。


 私はまだ、あなたを忘れられません。

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