蔵書049『内緒の話』
「私なんかが生きててごめんなさい」
本気で、そう思っていた。
鏡を見るたび、ため息が出る。重たい一重まぶた、低くて丸い鼻、厚ぼったい唇。雑誌やSNSで輝いている女の子たちとは、あまりにもかけ離れた場所に私はいた。
学生時代、「ブス」という言葉が、どれだけ私という人間を殺してきただろう。
だから、私は誰よりも『内面』を磨こうと必死になった。優しくあれ。気が利く人間であれ。誰かの悪口は絶対に言うな。誰からも「いい子だね」と言われるように、心がけて生きてきた。
私の『外見』を見てがっかりする人たちに、せめて『内面』だけは認めてほしかったから。
そんな私に、祥平は、「外見なんどうでもいい」と言ってくれた。
「恋人は一生の付き合いになる。だったら一緒にいて気持ちが良い子がいいに決まってるじゃん」
彼は、ゼミでいつも一人で本を読んでいた私に、そう言って近づいてきた。
「……私、可愛くないよ?」
おずおずと尋ねる私に、彼は心の底から不思議そうな顔をして、言った。
「それ関係ある? 俺は里帆のそういう、卑屈だけど、誰よりも優しいところが好きだって言ってんの」
彼に告白された日、私は生まれて初めて、自分が『生きていていい』と許可された気がした。
私のこの醜い『器』ではなく、その中にある『中身』を、ちゃんと見つけてくれた人がいた。
彼といる時間は、すべてが夢のようだった。
私が今まで恐れてきた『世間の目』から、彼が守ってくれる。彼が隣にいれば、私は『ブスな私』ではなく、『祥平の彼女』として堂々と胸を張れた。
……そう、信じていた。
事件が起きたのは、日曜日の昼下がり。
彼と駅前のショッピングモールで、映画を観た帰りだった。
「あそこのクレープ、食べてかない? 俺、チョコバナナがいい」
「あ、いいね。私はイチゴミルクー」
手を繋ぎ、子供みたいにはしゃぎながら歩いていた、その時だった。
「あれ? 祥平じゃん!」
背後からの、快活な声。
振り返ると、いかにも『大学デビューしました』という感じの、明るい髪色の男の子が二人、ニヤニヤしながら立っていた。
「おー、武史! 久しぶりじゃん」
祥平が、パッと私の手を離した。
その、あまりにも自然で速い動作に、私の心臓がちくりと小さく痛んだ。
「お前、こんなとこで何してんの? 買い物?」
「まあ、そんなとこ」
祥平は私から一歩前に出て、気まずそうに頭を掻いた。
武史と呼ばれた彼の視線が、祥平から、私へとスライドする。
値踏みするような、無遠慮な視線。
私は反射的に俯いた。やめて、見ないで。
わかってる。あなたが今、何を考えているかなんて。
(え、こいつ? 祥平の彼女、このレベル?)
顔に書いてある。
武史は祥平の肩を肘で突き、わざとらしく大きな声で言った。
「なあ、祥平。こっちの子……」
彼は私をあごでしゃくりながら、笑いをこらえている。
「……まさかとは思うけど、お前の彼女、とか?」
心臓が、氷水に浸されたみたいに冷たくなる。
私は、祥平の顔が見れなかった。
大丈夫。大丈夫。だって祥平は内面を見てくれてる人だもん。
(そうだよ、俺の大事な彼女だ)って。そういうに決まってる。
あなたがいつも言ってくれていたように、私の「内面が好きなんだ」って、言ってよ。
数秒の沈黙。
それは私にとって、永遠よりも長く感じられた。
「……いやいや」
聞こえてきた彼の声は、乾いた笑いを含んでいた。
「そんなわけないじゃん!」
世界が砕け散る音がした。
祥平は武史の肩を叩きながら、話を合わせるように声を立てて笑っている。
「こっちは、ゼミが同じなだけで! 教授に頼まれた買い出し!」
彼はそう言って、初めて私の方を見た。
その目は「頼む、わかってくれ」と懇願するように、必死に揺れていた。
私は、どうすればよかったんだろう。
泣けばよかった?
怒ればよかった?
でも私にできたのは、愛想笑いだけだった。
「……うん。ゼミ、一緒だよね」
そう答えるので、精一杯だった。
「だよな! ビックリさせんなよー!」
武史たちは下品な笑い声を残して、去っていった。
後に残されたのは気まずい沈黙と、私と、私の『中身』を愛してくれたはずの彼。
「……ごめん、里帆」
「……」
「あいつら、ああいうノリの奴らでさ。なんか、ちゃんと言ったら、変な空気になるかなって……」
わかってるよ、祥平。
あなたが私を隣に置いて「彼女だ」と紹介することが、どれだけ『恥ずかしい』ことか。
あなたが『残念なやつ』と思われることが、どれだけ嫌だったか。
あなたが愛してくれた『内面』は結局、世間の『外見至上主義』には勝てなかった。
あなたは私の手を、もう一度握ろうとはしなかった。
私は、人には言えない彼女なんだな。
この醜い容姿を隠すための、あなたの『内緒話』だったんだ。
クレープの甘い味が、なんだかひどくしょっぱく感じた。




