蔵書011『2番目』
結婚式の二次会で、新郎の友人代表としてスピーチをする彼を見上げていた。
「新郎の健吾とは大学時代からの親友で、彼の恋愛遍歴をずっと見てきました。その中でも、絵美子さんは特別な存在でした」
会場から温かい笑い声が起きる。私も笑顔を作りながら、胸の奥で何かが軋む音を聞いていた。
彼——直人は、私の恋人だ。付き合って二年になる。
でも、直人の本当の恋人は、今日結婚した絵美子さんだった。
大学時代、直人と絵美子は付き合っていた。五年間。誰もが認めるベストカップル。卒業したら結婚すると、みんな思っていた。
でも、絵美子は直人を捨てて、健吾を選んだ。
理由は知らない。直人も教えてくれない。
ただ、「終わったこと」とだけ言う。
私と直人が出会ったのは、絵美子と別れて一年後。合コンだった。
最初は全然タイプじゃなかった。暗くて、笑わなくて、どこか遠くを見ているような人。
でも、なぜか気になった。
「今日、つまらなそうですね」
「ああ、ごめん」
「無理して来たんですか?」
「友達に引っ張られて」
それが最初の会話。
連絡先を交換して、少しずつ距離を縮めていった。
直人は優しかった。でも、どこか一線を引いているような感じがあった。
付き合い始めて三ヶ月目に、友人から聞いた。
「直人、元カノのこと忘れられないんだって」
絵美子の存在を知ったのは、その時だった。
写真を見せてもらって、息を呑んだ。
綺麗な人だった。
清楚で、品があって、笑顔が眩しくて。
私とは正反対。
その日から、私は絵美子の影と戦い始めた。
直人のSNSを遡れば、絵美子との写真がたくさん出てくる。
海、山、桜、雪。どの写真も幸せそう。
私との写真は、まだ10枚もない。
直人は写真を撮りたがらない。「恥ずかしい」と言うけど、本当はふと比べてしまうからだと思う。
絵美子との思い出と。
ある日、直人の部屋で、隠すように置かれた写真立てを見つけた。
絵美子とのツーショット。
「なんでまだ持ってるの?」
思わず聞いてしまった。
「忘れてた。捨てるよ」
でも、捨てなかった。
引き出しの奥にしまっただけ。
見ていないふりをした。
直人の誕生日、サプライズパーティーを計画した。
友人たちを集めて、ケーキを用意して。
でも、直人は複雑な顔をした。
後で分かった。絵美子も同じことをしていたらしい。
毎年、盛大にサプライズをしていたと。
私は二番煎じだった。
何をしても、絵美子と比較される。
料理を作れば「絵美子はイタリアンが得意だった」
映画を選べば「これ、絵美子と見た」
プレゼントをあげれば「絵美子もくれた」
直接比較されるわけじゃない。
でも、直人の表情で分かる。
いつも、絵美子を重ねている。
一年経った頃、限界が来た。
「私のこと、本当に好き?」
直人は驚いた顔をした。
「当たり前だろ」
「絵美子さんより?」
沈黙。
長い、長い沈黙。
「比べるものじゃない」
それが答えだった。
比べたら、負けるから。
でも、別れられなかった。
直人のことが好きだったし、いつか私を一番にしてくれると信じていた。
そして今日、絵美子の結婚式。
直人は招待されて、私を同伴者として連れてきた。
「彼女です」と紹介された時の、絵美子の表情を忘れられない。
少し驚いて、でもすぐに優しく微笑んだ。
「直人の彼女さん?よろしくね」
完璧な対応。
美しくて、優しくて、幸せそうで。
新郎の健吾も、絵美子にぞっこんなのが分かる。
直人じゃなくて、健吾を選んで正解だったんだ。
披露宴の間中、直人の横顔を見ていた。
絵美子を見つめる目。
まだ好きなんだ。
二年経っても、まだ。
新婦の手紙の時間、絵美子が両親への感謝を述べた後、こう言った。
「そして、今日来てくれた友人の皆様。特に、大学時代の仲間たち。あなたたちとの時間が、今の私を作ってくれました」
絵美子の視線が、一瞬直人に向いた。
直人も見つめ返した。
一瞬の、でも永遠のような視線の交差。
私には入れない、二人だけの世界。
二次会が終わって、帰り道。
直人は無口だった。
「絵美子さん、綺麗だったね」
我ながら、なんで言ったんだろう。
「うん」
「幸せそうだった」
「うん」
「良かったね」
直人が立ち止まった。
「何が?」
「絵美子さんが幸せで」
直人の目に、涙が浮かんでいた。
「ごめん」
「何が?」
「みゆき、ごめん」
私の名前を呼ぶ声が、震えていた。
分かっていた。
この二年間、ずっと分かっていた。
私は絵美子の代わり。
二番目の女。
本当に愛されることはない。
「別れよう」
私から言った。
「みゆき?」
「もう無理。私、あなたの一番にはなれない」
「そんなことない」
「嘘つかないで。今日の絵美子さんを見る目、あれが本当の恋愛でしょ」
直人は否定しなかった。
できなかった。
「ごめん」
また謝罪。
「謝らないで。私が勝手に期待してただけ」
タクシーを止めて、一人で乗った。
振り返らなかった。
直人も追いかけてこなかった。
家に帰って、直人との写真を見返した。
どの写真も、直人の目が違う方を向いている。
カメラじゃなくて、過去を見ている。
絵美子との日々を。
全部削除した。
LINEも、電話番号も、全部。
でも、最後に一つだけ残した。
初めて会った合コンの集合写真。
まだ直人のことを何も知らなかった頃。
絵美子の存在も知らなかった頃。
あの時に戻れたら、私は直人を選ばない。
絶対に選ばない。
二番目の女になるくらいなら、一人の方がマシ。
でも、あの二年間も、全部が嘘じゃなかった。
直人は優しかった。
私といる時、時々本当に笑った。
ただ、一番にはなれなかった。
それだけ。
でも、恋愛において「それだけ」は、全てだ。
絵美子さん、お幸せに。
あなたは直人にも健吾にも、みんなから愛される人。
私は、誰からも一番に愛されない人。
その差は、きっと埋められない。
生まれ持ったものが違うから。
でも、次は。
次こそは、誰かの一番になりたい。
絵美子の影じゃない、私を見てくれる人を見つけたい。
そう思いながら、涙を拭いた。




