ただの男は勇者に出会う
09
「はあ、それにしても……絵に描いたような牢獄だな」
ベッドに腰掛け室内を見回しながら独り言ちる。レンガ造りの牢獄内は木で作った簡素なベッドと、いつ掃除されたのかもわからないトイレが一つあるのみの狭いものだった。
入口は分厚い木製の扉で、目の高さにのぞき窓が設置されている。
室内は非常に暗く、唯一の光源は天井付近に設けられたレンガ一つ分あるかないかの換気口からわずかに差し込んでくる月明りだけだった。
いつだったか、冤罪で投獄されたパン職人が罪人仲間と一緒に脱獄するという物語を姉が読み聞かせしてくれたことがある。脱獄仲間と作戦を練っているシーンを描いた挿絵があって、今まさに僕がいる場所と酷似した牢獄の描写があった。
その物語は全体的に喜劇要素が強く、囚人生活や脱獄、その後の生活も面白かしく書かれていて、冷たくて暗い牢屋も仲間とすごす楽しい空間だった。それがとても好きだった幼い僕は何度も姉に強請って読んでもらった。姉も嫌がらずに付き合ってくれて、今でもいい思いでの内の一つだ。
ただ実際に牢獄と言う場所に入ってみると、当たり前だがそんな楽しさなど微塵もない。
ベッドのシーツには染みがいくつもあるし、牢屋のある場所が地下なのか湿気が強く、そのせいで気持ち悪い汗が肌に浮かぶ。
唯一よかったと言えるのは、床や壁に薄っすらと見える血の乾いた痕のような染みの存在を薄暗さが和らげてくれることぐらいかもしれない。
「……なんで折れちゃったんだろ」
昼間の出来事を反芻して、深いため息が出た。
よく考えてみても自分の行いが聖剣の破壊に繋がったとは思えない。武具店で売っている大量生産の剣だって根本から折れるなんてことはまずありえないのだ。聖剣ともなれば、それこそこの世に存在しているどんな剣よりも強靭であるはずだ。
仮に聖剣に錆びなどで目に見えない破損が進行していたとしたら、折れてしまうということも考えられなくはないが、それなら僕の前にいた男が折っていてもおかしくはない。彼は引き抜こうとしただけではなく、左右に動かしたり前後にこじっていたりした。あれで折れなかったのに、僕が少し力を込めただけで折れるというのは納得がいかない。他になにか原因があるとしか思えないが、懸命に頭を巡らせてみても妥当な案は思い浮かばない。
それにそもそも聖剣は勇者と聖女の加護を受けているという話だった。そんな聖剣が外的要因に晒されてどうにかなるとは考えられない。だからこそ、リーダスも困惑していると言っていたのだ。
最後のリーダスの言葉を思い出す。あれは僕がなにか隠し事をしていると確信している口ぶりだった。
しかし、僕には思い当たる節は一切ない。そもそも聖都から聖剣の儀への参加を認めるという書簡が届かなければ、聖都の存在すら忘れているくらいだったのだ。
そんな僕がルカス教を脅かすために送られた刺客だと思われているのは心外だ。ただ疑惑を否定できる材料を持っていないは事実だった。
「これからどうなるんだ。本当に死刑になるのか……?」
自分で言って背筋に冷たいものが走る。なったりしないわけがない。ユードラルが言っていた通り、聖剣の破壊とはすなわちルカス教に対する敵対行為に他ならない。いや、そんな甘いものじゃない。
これは宣戦布告に他ならない。なにせルカス教が始まってから約五百年の間、教徒の精神的な支えとなり、敵対する宗教団体への抑止力となってきた聖剣と聖女の威光を否定することになってしまったのだ。
今回の事件が新たな戦争の火種にならないとも限らない。仮にそうなれば、そのきっかけを作った一族はどのような扱いを受けることになるのかなど、考えるまでもない。
「一族郎党皆殺しもあり得るの」
「嘘だろ……。妹はまだ三つになったばかりなんだぞ」
「見せしめにするというのは昔からよく使われる手段じゃ。正義のためならば幼子であっても容赦はしないという強いメッセージになる」
見せしめという言葉に妹が処刑される瞬間を想像して、一気に頭に血が昇った。
「ふざけんなっ! ルーディを殺させるなんて絶対……に」
怒りのままに聞こえてきた声の主に反論しようとして、僕は開いた口が塞がらなくなった。
何故なら視線の先には見覚えのない初老の男性がいたのだから。
「やあ少年。ようやく落ち着いて話ができそうだな」
「は……? え……は?」
白い歯を見せて快活に笑ってみせる初老の男性とは対照的に、僕の頭のなかは混乱で埋め尽くされていた。
「あの……部屋間違ってませんか」
そして、出てきたのがこんな言葉だった。いや、宿じゃないんだから部屋を間違えるというのは変な表現だろうという指摘は承知のうえだが、この状況ではそう言わざるを得ない。
僕がここへ連れてこられたときは誰もいなかった。隠れられるようば場所はどこにもないし、そもそも狭い室内なのだから、自分以外に人の気配があればすぐにわかる。
となると、他の部屋と間違っているのではと思うのは自然の流れだろう?
「お主、誰に弁明しておるのじゃ」
「心を読まれた!?」
「それくらい儂くらいになると朝飯前どころか出産前じゃ」
「意味がわからない……。というか、本当に誰なんだ」
男性はベッドから立ちあがり僕の目の前にくると、腕を組んで鼻息荒く言った。
「この顔を見れば誰かなどと問うまでもあるまいよ!」
「いや……誰?」
「……ちっ」
舌打ちをした男性が、ずいと、顔を寄せてくる。短く刈り揃えた白髪に口髭と銀色の瞳が特徴的で、深くなったほうれい線が顔の厳めしさを更に引き立ている。
どこか既視感のある顔だなと考えていると、男性の頬が段々痙攣してきた。
「ぬ、う……まだわからんのか!」
「ああ! もしかして隣のファシルさん家のおじいちゃん!?」
「違うわい!」
初老の男性はこめかみに血管を浮かべながら否定する。
「じゃあ、誰ですか。僕に貴方のような知り合いは……」
そこまで言って僕ははっとして手で口を覆った。
「もしかして……」
「そうそう。そのもしかして──」
「向いのおばあちゃんの昔飼っていたバルンの生まれ変わり……?」
「誰だバルンって!」
「雑種の犬です」
「人じゃないだろうが! その犬がいくつで死んだか知らんが、どう考えても儂の方が昔に生まれてるじゃろう!」
「いや冗談ですよ。そんな怒んないで? 頭の血管切れて死んでも知りませんよ。あ、待ってください。死ぬならここじゃなくて他所で死んでください。じゃないと僕の罪状が増えちゃうんで」
「そんなことより心配することが他にあるし、儂が誰かということはどうでもいいのか!?」
よし、色々あって気が滅入りそうだったけど、なんとか持ち直してきたぞ。
「おふざけはここまでにしましょう。僕にはあまり時間が残されていない」
「なんか癇に障るのぉ」
納得がいっていない初老の男性を置いて僕は話しを続ける。
「僕が捕らえられたときずっと見ていた人ですよね」
「そうだ」
「……」
「……」
「え? それで?」
「それでとは?」
「いや、なにか罪を犯したからここにいるんでしょうけど、僕は今貴方に構っているほど余裕はないんですよね」
「あっ……ええっと、本当に儂が誰かわからぬ?」
「そうですね」
「こう、もしかしたらっていうのも?」
「全く」
「この展開的に思い当たる節も?」
「微塵も」
「あれぇ……。儂なんでこやつならって思っちゃったんじゃろ」
初老の男性は再び僕の隣に腰をおろすと頭を抱えてしまった。
なんだよ。そんなあからさまに困ったみたいな反応しなくてもいいだろう。僕がダメなやつみたいじゃないか。
うんうん、と唸る初老の男性に苛立ちを覚えていると、少し籠った声が聞こえてきた。
「勇者ルカス・ヴィンセントの名くらいは知っているだろう」
顔をあげた初老の男性は、弱々しい縋るような顔をしていた。
「そりゃあもちろん。知らない人なんていないでしょ」
「儂がそのルカス・ヴィンセントだ」
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