ただの男は驚愕する
21
空を見あげると茜色の残り香のような空にいくつかの星が顔を覗かせ始めていた。夜の帳が降りるのも後少しだろう。
「時間を見計らって朱人の元に帰らなないとな」
「うむ。じゃがその前に腹ごしらえをしていくじゃろ?」
「そうだな。あっちに戻ってからじゃあ食事なんてできないだろうし、今のうちにすませておくか」
情報を集めるために慣れない靴で歩き周ったせいで足が痛い。それに昼食を食べ損ねていたせいでひどく空腹だった。
大通りを歩きながら入れそうな店を探す。しかし、夕飯時だからかどこも人であふれていて、テーブルが用意されている露店は全滅だった。
「せっかくなら座って食べたいんだけど……」
もう少し早めに店探しをしていればと後悔しても後の祭り。わずかばかりの希望を抱いて軒先を覗くも、どこも客で溢れんばかりだった。
仕方がない。諦めて軽食でも買ってどこか適当な場所で腰をおろして食事をしようと覚悟を決めたとき。
どん、と背中に強い衝撃があった。
「うわっ」
咄嗟に体勢を立て直そうとするも、慣れないヒールの高いブーツのせいで足がもつれてそのまま前のめりに倒れ込んでしまった。
「いっ……たぁ」
幸い顔から地面にぶつかることはなかったものの、上手く受け身がとれなかったせいで腕と膝を打ってしまった。
鈍い痛みに顔をしかめていると、後ろから慌てた様子で駆け寄ってくる人の気配があった。
「申しわけありません!」
「い、いいえ。大丈夫ですよ」
どこ見て歩いてんだよ。目ついてんのか、と言いたい気持ちをぐっと堪えながら平然を装って答える。
僕が立ち立ちあがろうとすると、視界にさっと焼きたてのパンのような手が差し出された。僕は一瞬ためらったものの素直に好意に甘える。そして、立ちあがり服についた土埃を払うと、礼を言うために顔をあげ──。
「あ……」
僕は目の前の人物を見て固まってしまった。
◇◇◇
「ここの料理は聖都で一番……おっと、これはあくまでも私個人の評価ですがね。とにかく美味しいのですよ。特にマトンがいいのです。玉ねぎとトマトで作ったスープで肉がほろほろになるまで煮込むのですが、やわらかい酸味のあるスープが食欲をそそり、舌のうえで溶けるように解けていく肉が絶品なのです。マトン肉というと香りが独特なので嫌厭(けんえん)される方もいますが、ここの肉料理は事前に数種類のハーブを混ぜ合わせたものを肉にたっぷりとすり込んでいるので、香りのクセが苦手な方でも無理なく食べられるのです」
「は、はあ……」
「更に厳選された小麦から作られた白パンはスープに浸すでもよし、肉を乗せて挟んで食べるもよしなのですが、私としては香り高い小麦の風味や雑味のない柔らかで目を閉じれば麦畑が瞼の裏に浮かびあがってくるかのような鮮明な味わいのある素の状態で食べるのをおすすめします。正直一度ここの白パンを食べてしまえば、王都で貴族様がお召しあがりになっている白パンですら、不味いと感じてしまうほどなのです」
「へ、へえ……」
「そして、食事に欠かせないのはやはりワインでしょう。私は甘口の白が特に好みで、シータ産の葡萄を使ったシャジェールという銘柄が一押しですね。白ワインの特徴のフルーティな味わいはもちろん、舌で転がし飲み込んだ瞬間に鼻を抜ける香りは、産地の水源となるクァルツ山の清々しい森林の香りを思い起こさせるのです。まあ、実際に現地に赴いたことはないのですが」
はっはっはっはっ、と笑うイバーンは、普段僕といるよりも饒舌で知識を語る姿がうざったらしかった。
女の子(僕)を前に舞いあがっているのだろう。化粧をしているとはいえ、女装した僕にデレデレとしている姿は少し気持ち悪い。
……訂正。かなりキモイ。
「ああ、申しわけありません。私としたことが美しい女性を前にするとつい。さあ、ご遠慮なさらずに召しあがってください」
「そ、それじゃあ……」
引きつる笑顔のまま、テーブルに並べられたイバーンおすすめのマトン料理を口に運ぶ。
「うわ……柔らかい」
「そうでしょう、そうでしょう」
イバーンの言う通り肉は舌のうえで解けるように消えていくのだが、噛みしめてみると新雪を踏みしめたときのような独特の触感があり、じんわりと染み出してくるマトンの肉汁と玉ねぎとトマトのスープが口内で混ざり合い、それが絶妙な味わいをもたらしてくれる。
これは、めちゃくちゃう──おっと、今は女の子なのだ。もっとお淑やかな感想を述べなければ。
コホン……どちゃくそにうめぇ!
「お召し物を汚してしまったお詫びです。遠慮なく堪能してください」
あまりの美味さに自然と笑みがこぼれる。イバーンは心底嬉しそうに何度も大きく頷いていた。
今いるのは聖剣祭前日にカリナに振られた僕を慰めるためにイバーンが連れてきてくれた店だ。ぶつかって服を汚してしまったお詫びに夕食をご馳走したいという申し出があり、特に断る理由もなかったのでついてきたわけだ。
一日ぶりに会ったイバーンは元気そうで、僕が捕まって迷惑をかけていやしないだろうかと心配していたのだが、とりあえずは大丈夫そうだった。というか全く気にしている様子がなく、昨日まではつけていなかったニリンソウを模ったペンダントを首から提げていて、こっちが大変な目に合っているのに色気づいているんじゃねぇよと思いました。
「素敵なお店ですね」
「そうでしょう。私がここへ案内するのは特別な方だけなんですよ」
そう言ってイバーンはウインクをしようとしたが完全に両目を瞑っていた。
本当にしょうもないおっさんだ、などと心のなかで毒づきながら、確かにセンスはあるのだろうなと感心もしていた。
店内のテーブルは全て半個室となっており、中央にある通路から左右に六つずつ、計十二室用意されており、今は僕らのテーブルを含めて五つが埋まっている。派手な装飾は一切ないが、通路の突き当りの壁にある祭壇には名のわからない騎士の肖像画が飾られており、剣を模した燭台に刺さった十二本の蝋燭の明かりが、ゆらゆらと絵のなかの人物を浮かびあがらせるように揺らめいている。
それ以外に店内を飾るものがないので一見すると薄気味悪さを覚えてしまうが、それがかえって人気らしく聖都では大人の隠れ家と呼ばれているらしい。
僕にはよくわからない奇妙な世界観だが、空腹の前ではそんなことも些細なこと。料理を口に運ぶことに忙しくて、そんなことはどうでもよくなってしまった。
イバーンは僕の様子を嬉しそうに眺め、お気に入りといっていたワインを楽しんでいる。
「聖都にはお一人で?」
料理をあらかた食べ終えると、イバーンが待っていましたというように口を開いた。
「え、ええ」
ナプキンで口元を拭ってから答える。
「それは大変だったでしょう。女性の一人旅は危険が常に伴いますから」
店へ向かう最中に互いの自己紹介と、設定上の身の上話はしてある。
「でも、聖剣祭目当ての旅人の方々と途中で合流できたので心強かったです。夜になれば皆で焚火を囲んで過去の聖剣祭での出来事や、歴代聖女様の有難いお話を聞かせて頂くことができて本当に勉強になりました」
もちろんこれは設定を補強するために即興で考えた真っ赤な嘘なわけだが、どうせバレはしないので問題はない。ただ、あまり話しすぎて後で矛盾が出てきてしまうと面倒なので、できるだけありふれた内容になるように気をつけている。
「しかし、それでは残念だったでしょうな」
「なにがでしょうか」
「聖剣破壊事件のことですよ。レンさんのように敬虔な教徒の方には身を割かれるような思いでしょう。なにせ聖剣フェフリンピオーダスは長い間、聖都とルカス教徒を守る盾であり道しるべであったのですから。全く困ったことになってしまいましたね」
面倒な人間のせいでという意味合いに聞こえて、僕はなんと答えればいいのかわからなくなってしまった。まさか本当はルカスのジジイが気を抜いたせいで折れたんですよね、などと言うわけにはいかない。
だからといって世間的にはレノン・ハルマイトは聖剣破壊の犯人という認識で、悪意を向けられる立場の人間なので、庇うようなことを言うわけにもいかない。
弁明したいのに許されない状況に、悶々とするしかなかった。
「だって今回の事件は聖女ノヴァ様の権威を失墜させるきっかけになってしまったんですから」
しかし、続いて出てきた言葉に僕は全くの見当違いをしていると知った。
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