11.皇帝
エルヴィナは、踵を鳴らして城内の回廊を駆けていた。
向かう先は――謁見の間。
今の時刻、皇帝陛下はそこにいるはずだ。すでに近衛第一騎士団に伝令を出している。事態は伝わっているはずだった。だが、それでも彼女は急ぐ。
危機の本質を、まだ誰も理解していない。今の城は、あまりにも無防備すぎた。
重厚な扉の前に差しかかると、衛兵が一歩前に出てきた。
「止まれ!」
鋭い声とともに、槍の切っ先がエルヴィナに向けられる。
「何者だ! ここは謁見の間だぞ、騒々しい!」
時間が惜しい。
エルヴィナは顔をしかめ、鋭く怒鳴り返した。
「どきなさい! 緊急事態よ! 陛下も許してくださるわ!」
その声で、衛兵はようやく彼女の顔に気づく。
近衛第二騎士団――団長、エルヴィナ・グレイスヴェル。
「グレイスヴェル様っ! し、失礼いたしました!」
槍は引かれたが、衛兵の顔には困惑の色が残っていた。
「しかし、いったい何が……なぜそのように急がれているのですか?」
足を止めず、エルヴィナはすれ違いざまに短く告げる。
「いいから、どきなさい! あなたに説明してる暇はないわ!」
彼女は扉の先――帝都の心臓部へと駆けていく。
「し、しかし……失礼ながら、今は謁見の間で政務会議の最中にございます!」
衛兵の声は震えていたが、職務を全うしようとする意思が感じられた。
「何人たりとも、中へお通しするわけには……っ!」
その言葉に、エルヴィナの眉がぴくりと跳ねる。
(政務会議ですって……? こんな非常時に……!)
状況の把握が追いついていないことへの苛立ちと、目の前を塞がれていることへの焦りが、彼女の内に火花を散らす。
一歩踏み出し、怒気を込めて声を放つ。
「黙りなさい! これは緊急事態だと何度言わせるの!」
白銀の甲冑が鳴った。
「開けないというのなら、扉ごと叩き壊して入るわよ!」
その気迫に、衛兵はたじろいだ。目の前の女が、ただの高官ではなく、戦場を知る女騎士であることをようやく理解する。
「わ、わかりましたっ……! す、すぐに取り次ぎいたしますので……っ!」
衛兵は慌てて振り返り、扉の奥へと駆け込んでいく。
その背を睨みながら、エルヴィナは深く息を吸った。
――時間が惜しい。
扉が重々しく開く。
エルヴィナは、一歩踏み出して謁見の間へと足を踏み入れた。
高い天井には、歴代皇帝の偉業を描いた壁画が広がり、中央には玉座を戴く太陽神の姿が金箔で輝いていた。
柱は白金の大理石でできており、その基部には双頭の鷲――帝国の象徴が彫り込まれている。黒曜石と翡翠が交互に敷き詰められた幾何学模様の床は、踏みしめるたびに靴音を深く響かせた。
赤紫の絨毯は、入口から玉座へと真っ直ぐに伸び、その両脇には威厳に満ちた礼装の大臣たちが並んでいる。天井から吊るされた魔導水晶のシャンデリアが、淡い光を広間全体に降らせていた。
整然、静謐、そして威圧。完璧に計算された空間。
ここは、帝国の“頂”に最も近い場所――。
エルヴィナは、わずかに息を吐く。
その静けさを打ち破るように、怒声が響いた。
「いったいどういうつもりだ! 今は大事な会議中だぞ!」
財務卿の声に続いて、軍務大臣が吠える。
「エルヴィナ・グレイスヴェル! 貴様、陛下への不敬行為だぞ!」
だが、彼女は怯まない。
白銀の鎧が光を反射し、静かなる怒りをまとうように見えた。
彼女は言い返さない。ただ、まっすぐに玉座を見据えていた。
そこに鎮座する人物――ヴェルゼン帝国の皇帝、ドライゼン・ヴァルゼン。
長身にして細身。その体躯には一分の隙もなく、まるで研ぎ澄まされた刃のようだった。黒曜石のような髪は背に届き、額から流れる一筋が印象的だ。
瞳は氷のように澄み、鋼のように冷たい。見る者を射抜き、逆らう者には一切の慈悲を許さぬ意志を宿す。だが、それは暴君的な威圧ではなかった。揺るがぬ“在り方”として、そこにある。圧倒的な存在――王の姿。
深紅と漆黒の礼装には、魔導と軍権の象徴が刺繍され、胸元には金細工の双頭鷲が輝いている。
近衛第一騎士団の団長が耳打ちしていた。どうやら、ようやく今、事態を知らされたようだった。
皇帝は片手をゆるやかに掲げる。
「――静まれ」
たった一言。
だが、その瞬間、大臣たちは一斉に口をつぐんだ。
強制ではない。恫喝でもない。
絶対の威厳――それが、皇帝という存在だった。
ドライゼン・ヴァルゼンは、氷のような瞳でエルヴィナを見据える。
「……エルヴィナ・グレイスヴェルよ」
低く、よく通る声音。
厳格で、感情を抑えた言葉。その一語一語が、場を支配していた。
「今しがた、事態の一端を聞いた。賊が侵入した可能性があるらしいな。詳しく話せ」
命令ではない。詰問でもない。
だが、逆らうという選択肢は存在しなかった。
沈黙の中、エルヴィナは一歩、玉座の前に進み出た。
そして軍人らしく直立したまま、低く、はっきりと告げた。
「ハッ。先ほど召喚の間にて破裂音がし、急行したところ、中は瓦礫に覆われ、戦闘の痕跡が確認されました。そして……」
わずかに言葉を切る。
「……ヴァルツァー様が、殺されておりました」
その報告は、静かな湖に投げられた一石だった。
だが、その波紋は重く、広く、場を揺るがした。
最初に崩れたのは、大臣たちの理性だった。
「……ば、馬鹿な……!」
老臣が顔を青ざめさせる。
「ヴァルツァー様だぞ!? あの大魔導師が討たれるなど……!」
「ありえぬ、ありえぬぞ……これは何かの間違いだ!」
「そもそも誰が? 神殿は封鎖されていたはずではないのか……!」
ざわめきが広がる。
そのどれもが、「理解の外」にある事態への必死な拒絶だった。
だが、玉座の上――皇帝だけは、表情ひとつ変えない。
その静謐に、エルヴィナは確信を得る。
(――やはり、この御方だ)
動揺する老臣たちとは異なり、もっとも怒りの中心にあるはずのこの男が、誰よりも冷静だった。
さすがは、ヴァルゼン帝国を覇道へと導いた男――ドライゼン陛下。
皇帝は再び、片手をわずかに掲げた。
瞬間、謁見の間は水を打ったように静まり返る。
そして、玉座から放たれた声は、低く、鋼のように響いた。
「――何が起こった?」
苛立ちも、威圧もない。
だが、内奥に秘められた怒りの熱は、空気をも震わせるほどだった。
「なぜ、ヴァルツァーが殺された。
我が帝国において、それを為せる者など……」
言葉は途中で途切れた。
だが、その続きを誰もが胸中で理解していた。
(いないはずだ)
静かな声が、怒声よりも重く響く。
それは尋問ではない。“断罪を前提とした確認”だった。
一瞬、言葉を選ぶための間が空く。
それでも、エルヴィナはひるまず、まっすぐに皇帝の瞳を見据えていた。
なんだか展開が昔読んだ作品にかなり似てるような
捻りを加えて改稿すべきか迷ってます




