冷徹なヴァンパイアの婚約者が、私を溺愛するようになるまで
「炎よ、現れよ」
ドレイヴンの落ち着いた低い声が教室に響き、私は息を呑んだ。
私の目の前で、ドレイヴンが軽々と杖で魔方陣を描き出す。
その優雅な手つきから繰り出された炎は、大きな翼を持つ鳥の姿と変わり、窓から飛び去っていく。
しんと静まり返った教室の中、私は畏怖の念を隠せずにいた。
「すごい……」
思わず呟いてしまうと、ドレイヴンの鋭い眼差しが一瞬、私に向けられた。美しい銀色の前髪からのぞく深紅の瞳が、私をまっすぐに射抜く。心臓がドクンと高鳴ったのを隠すように、私はへらっとした笑みを浮かべてみせた。
怖いのか、それとも別の何かなのか、自分でもよくわからない。
「サクラ、次はあなたの番よ」
先生の声に、はっと我に返る。
そうだった、今日は実技試験の日だった。
私はにっこりと笑って立つと、震える手で杖を掲げる。「大丈夫、落ち着いて」と自分に言い聞かせた。何度も練習をしてきたんだから。
「炎よ、現れよ」
私の呪文に反応して、杖の先端がかすかに赤く光る。でも、それだけで、炎は一向に現れない。
「炎よ、現れ……てください! お願いいたします!」
ほんとにお願いします、現れてください、炎さん。
「サクラ、がんばれ!」
「いける! いけるってサクラ!」
みんなの応援もむなしく、私の魔法の杖はまったくうんともすんとも言わなくなってしまった。
「……ひとえに私の不徳の致すところであり、面目次第もございません」
私がぺこりと頭を下げると、「次、次がんばろ、サクラ!」「大丈夫、俺も最初はそうだったって!」とクラスメイトのみんながそれぞれに励ましの言葉をかけてくれる。
「そうよ、大丈夫! サクラ、あなたは記憶喪失という困難に見舞われながら、ここまでよく頑張ってきたわ! 気を落とさず、またがんばりましょうね!」
先生の優しい慰めの言葉に感動しながら、こくりとうなずいた。記憶はばっちりあるのだが、それを彼女たちに知らせることは一生ないだろう。
そんな中、ふとドレイヴンが冷たい眼差しで私をじっと見つめているのに気づいた。
ドレイヴンはきっと自分の婚約者が、魔法学校一の落ちこぼれだという事実に、ひどく失望しているに違いない。
――……君はこんな初級魔法もできないのか、フンッ。
実際に言われたわけではないけれど、あまりに彼のキャラクターにしっくりくるセリフだ。
とても婚約者を見る目とは思えない彼の冷たい視線に晒されながら、私はこの世界にきた五年前のことを思い出していた。
あの日突然、事故に遭ってしまった私は、12歳という若さで生涯を終えてしまった。
しかもそれは神様の手違いだったらしい。
天国で「あ、間違えた」と青ざめた神様の顔を、今でもリアルに思い出すことができる。
いくら神様でも死んでしまった人生を元に戻すことはできないらしい。
まあ、終わってしまったことはしょうがない。
神様はお詫びとして、私を魔法がある異世界に転移させてくれた。そして、幸運なことに、優しくて良心的なブルノン家の夫婦が、私を養子にしてくれたのだ。
前世では、ずっと天涯孤独だった。
だから、優しいママとパパ、そして愛らしい弟のマイクや妹のレティに慕われ、私はとても幸せな人生を送り直していた――はずだった……。
私が14歳になった春。公爵であるイクリプス卿が、息子のドレイヴンを連れて我が家へやって来たのだ。
多額の寄付をするかわりに、私を婚約者に差し出せと。
初めて見るドレイヴンの瞳は凍てついた氷のように冷たく、他の者を寄せつけない怖いくらいの美しさを誇っていた。
パパとママは私が嫌なら一切応じなくていいと言ったけれど、私はわかっていた。
貴族と言っても弱小な私たちにはお金が必要だった。弟妹たちの学費だって、領土の人たちのより良い生活のためだってそうだ。
パパとママは贅沢をしない性質で、いつも人に施しを与える優しい人間だ。
そんな彼らの生活を守るためなら、私の体ひとつヴァンパイアに捧げるのは大したことじゃない。
――サ、サクラ、だめよ! あなたちゃんとわかっているの!?
――そうだ、私たちのかわいいサクラ! イクリプス家はただの公爵家じゃない……あの一族はヴァンパイアなんだぞ!?
屋敷の廊下でこそこそと話し合う中、私は自信を持って彼らに大丈夫だと告げた。きっと今から少しずつ信頼関係を築き上げていけば、あの冷たい目をしているドレイヴンとも打ち解けることができるだろう。
もしかしたら素晴らしい奇跡が起こって、温かい家族を作り上げられるかもしれない。
そう思っていたのだけれど――。
――君が私の婚約者か。安心しろ、私は君を愛さない。
あの日、初対面のドレイヴンに言われた言葉が蘇り、私の胸はツキリと痛んだ。
そんな風に言わなくたっていいじゃん、ドレイヴンのばーか。
せっかく婚約者になったのだから、もっと距離を縮めたいと色々試行錯誤をしてみたけれど、今のところ大きな成果はない。
私は真顔でこちらを睨みつけてくるドレイヴンに、『ぷうっと頬を膨らませながら、白目になる』というレティたちには大ウケの変顔をプレゼントした。
もちろん、あの天下のドレイヴン様に笑ってもらえるわけがない。
◇
「炎よ、現れよ。現れてください。……あの、現れてもいいんだよ? てか、現れようよ、いい加減さぁ! ごめんなさい、現れて……もらえます?」
みんなが出て行った教室で、私は何度も呪文を唱えていた。一向に炎の魔法はうまくいく気配がない。
筆記の魔法試験はなんとかなるけれども、実技だけは一筋縄ではいかないのだ。
「おい」
突然の声に飛び上がる。振り返ると、そこにはドレイヴンが立っていた。
「ド、ドレイヴン……びっくりさせないで。もっと陽気に声かけてよ。『やっほー、サクラ!』とか、『元気ー、おつかれー!』とか」
彼はため息をつくと、ゆっくりと私に近づいてきた。その瞳の圧に、思わず後ずさる。
「手を貸せ」
「え?」
戸惑う私を置き去りにして、彼は杖を持つ私の手に自分の手を重ねてきた。
「ここから魔力の流れが滞っている。体から力を抜け」
彼の手に導かれるまま、私はふうっと息を吐いて肩から力を抜く。すると、驚いたことに、杖の先から小さいながらもしっかりとした炎の鳥が現れ、私たちの周りをくるくると飛び回った。
「で、できた! ドレイヴン見た!? できたよ!」
初めてまともに炎の初級魔法を成功させた。
「さすが、ドレイヴン! ほんとにありがとう!」
思わず歓声を上げてドレイヴンを見ると、彼は小さく口角を上げて笑った。
「当たり前だ。君は――」
「え?」
その時、生徒たちのはしゃぐ声が、廊下を横切っていく。ドレイヴンは急いで私から手を離し、表情を引き締めた。
「忘れるな。私は決して……君を愛さない」
冷たい言葉を残し、彼はさっさと教室を出て行ってしまった。優しくしてくれたと思ったら、すぐに突き離される。
「そんなに何度も言わなくてても、わかってるってば……」
またひとりきりになってしまった教室で、文句を吐き出さずにはいられなかった。
私を決して愛さないのなら、愛せる婚約者を見つければいいのに……。そう思った矢先、やっぱりそれは嫌だなと強く思う。
ばかな私。
ドレイヴンと仲良くなろうと頑張り続けたことで、あっちよりも先にこっちのほうが絆されてしまったなんて。
「……はぁ」
ドレイヴンは本当に不思議な婚約者だ。
心の奥底で何を思っているのか、まったくわからない。ドレイヴンのことをもっと知りたくて、私は大きなため息を吐いたのだった。
◇
その日のドレイヴンは、朝からいつもと違っていた。
他のクラスメイトたちは「気のせいじゃない?」と言っていたけれど、私だって、だてに三年も彼の婚約者でいたわけじゃない。彼の様子の変化を見逃すはずがなかった。
放課後、誰もいない時間を見計らって、私は廊下でドレイヴンに声をかけた。彼の姿を見つけた瞬間、胸が締め付けられる思いがした。
「……なんの用だ」
背の高い彼に、じっと見下ろされる。
ドレイヴンの美しい顔は、血の気がなく、青ざめていた。まるで月光を浴びた大理石の像みたいだ。数時間前よりもさらにひどくなっている。
私は悲鳴を上げるのをこらえ、ドレイヴンの右手を掴んだ。身震いするくらい冷たい彼の体温に、躊躇する暇なんかない。
彼の手をぐいぐいと引っ張り、誰もいない空き教室へと押し込める。
「おい、なんなんだ! サクラ!」
がらんどうな教室に響く彼の声に、私の心臓は早鐘を打った。でも、今さら止まるわけにはいかない。
わけがわからないと言いたげな彼に、さっと左手を差し出した。
「そろそろ血が欲しいかなって……思いまして」
「……いらない」
彼の声は低く、感情は抑えられていた。まるで何かと戦っているみたいだ。
「一ヶ月に一度でいいと言っただろう」
ドレイヴンの言うとおり、確かに二週間前、血を上げたばかりだ。
でも、今の彼の様子を見ていると、それでは足りないことは明らかだった。
「ヴァンパイア族の講義を受けた時、先生が言ってた……。成人に近づくほど、欲する血の量は増えていくって。だから、飲んで」
私の言葉に、ドレイヴンの瞳が一瞬、驚きの色を宿した。
「講義を受けたのなら、ヴァンパイア族のこともよく理解しただろう。我々は時に伴侶を死に至らしめる。余計な接触は無意味だ」
ヴァンパイア族は魔力がずば抜けて高いが、感情の制御が難しい種族らしい。習った講義でもたしかにこう言っていた。
――強い感情を抑えきれなくなると、彼らは妻の血を大量に吸い、死に至らしめる。
「ヴァンパイアの強い感情ってなんなの? 怒りとか、恨み……?」
私の質問に、彼の表情が一瞬、乱れた。
「君が知る必要のないことだ。……ただ、むやみに近づかなければいい」
彼の言葉は相変わらず冷たかったけれど、その瞳には悲しみが滲んでいるようで、胸がぎゅっと痛くなる。
「……やだよ、むり、断固拒否いたします」
「なっ!」
むっとしたように、ドレイヴンが瞳を細める。その表情は、怒りというより困惑に近かった。
「だって、私はドレイヴンのかわいいかわいい婚約者ですので」
ぐいっと手首をドレイヴンに近づけた。彼の瞳が、私の手首に釘付けになる。
「吸って、お願い。そんな顔色してるのに、放っておけない。うるさい私を黙らせると思って、早く」
私の言葉に、ドレイヴンの体が微かに震えた。彼の瞳に、葛藤の色が浮かぶ。
「……クソッ」
ドレイヴンの低い呟きが、静寂を破った。次の瞬間、彼は私の手首を掴むと、首筋に顔を埋めた。
「えっ……」
彼の銀髪が、私の頬をくすぐる。
(いつもは手首から血を飲むのに……ど、どうして!?)
首筋にかかる彼の銀色の髪。荒々しい息づかい。
相変わらず彼の吸血行為は全然痛くないけれど、恥ずかしくて心臓が飛んでいってしまいそうだ。
私の体は、まるで電流が走ったかのように小さく震えている。
「……ん」
思わず漏れる小さな声。その瞬間、ドレイヴンの体が強張るのを感じた。
「君は、なんて甘い……」
彼の声のほうこそ、今までに聞いたことのないほど切なく、そして甘美だった。
彼にもっと深く噛みつかれると、心は喜びにあふれた。私の体を流れるすべての血が、まるでドレイヴンを求めているかのように。
「ド、ドレイヴン……あの……私……」
言葉の先が見つからない。頭の中が真っ白になる。
ドレイヴンはしばらくそうして私の首筋から血を吸った後、「すまない」と小さくつぶやいて体を離した。
その瞳に宿る感情は、罪悪感か、それとも別の何かか、私にはよく分からない。
私は高鳴る心臓を誤魔化すように、やけに明るく言い放った。
「か、顔色よくなったね、よかったぁ……! ていうか、なんか、眠い……かも……。……ドレイヴン、ごめん、先に……帰ってて……」
そう言ったきり、私の意識はぱったりと途切れた。まるで深い海に沈んでいくような感覚。
最後に見たのは、心配そうに私を見つめるドレイヴンの赤い瞳だけだ。
再び目を開けると、見慣れた天井が見えた。そして、
「よかった、起きたわね、サクラ」
優しいママの笑顔がそこにあった。安心感と共に、少しずつ状況を理解し始める。
「ドレイヴンがお屋敷まで連れてきてくれたのよ」
「ほ、ほんとに……!?」
まさか、ドレイヴンがこの重い体を担いで、家まで運んでくれるなんて思ってもみなかった。
あの冷たいドレイヴンが?
私の心臓が、また激しく鼓動を始める。いったいどういう風の吹き回しだろうか?
「ドレイヴンには内緒って言われたけど、別にいいわよね。婚約者なんだから。ほら、これ。あなたに食べさせてほしいって」
差し出されたのは、ラズベリーパイだった。パイから香る甘酸っぱい匂いが、胸をキュンと締めつける。
「治癒魔法がかかっているわね。ふふ、とびきり上級な魔法よ」
ママはふっと窓の外を見て微笑む。ドレイヴンがいるのかと思ったけれど、彼の姿は今やどこにもなかった。
「……私たちが思ってる以上に、ドレイヴンはあなたのことを大事にしてくれているみたいね、サクラ」
頬が熱くなる。でも、同時に彼の言葉が蘇ってくる。
――安心しろ、私は君を愛さない。
拒絶するようなドレイヴンの低い声が、ずっと頭の中に木霊している。
ラズベリーパイを口に運ぶ。私は甘くておいしいパイを噛みしめながら、ドレイヴンの本当の気持ちをずっと探していた。
◇
「氷よ、現れよ」
魔法学園の教室で、私は再び自分の無能さを痛感していた。
空気を切り裂くように杖を振るっても、氷の魔法は全く姿を現さない。炎の魔法こそ習得できたものの、それ以外の要素魔法は相変わらず私の手には余るようだ。
「氷よ、現れよ」
私の懸命な呼びかけも空しく、杖の先端には何の変化も起こらなかった。落胆のため息が漏れる。
「……あー、だめ。ほんとに魔法の実技が苦手すぎる……」
自己嫌悪に浸る私の頭に、突然温かい手が触れた。
「まあまあ、サクラ。そんな落ち込むなって!」
振り返ると、同級生の男子生徒が優しく微笑んでいた。どちらかというと、心配するというよりは、からかうように。
この状況がどれほど深刻か、炎の魔法ランキング上位の彼には分かるまい。私にとってこれは、婚約者ドレイヴンに認められるか否かの死活問題なのだ。
じっと彼を睨みつける。
「んな顔すんな、ばか。俺が教えてやるって。放課後、特別に」
その言葉に、私の目は希望で輝いた。
「え、ほんとに? じゃあ、お願いし――」
しかし、その言葉を最後まで言い終えることはできなかった。突如、背後から現れた影が私を包み込んだのだ。
「君の申し出には感謝する」
ドレイヴンの低い声が耳元で響く。彼の強い腕に抱きしめられ、私の体は一瞬で硬直した。彼の存在感が、周囲の空気を一変させる。
「だが、私の婚約者だ。私が教えるから、君は自分のことに時間を使ってくれて構わない」
ドレイヴンの言葉に、同級生は唖然とした表情を浮かべた。その隙に、ドレイヴンは私の体を軽々と押し、誰もいない中庭へと連れ出した。
私の心臓は激しく鼓動を打っていた。ドレイヴンの突然の行動に戸惑いながらも、彼の腕の中にいることへの密かな喜びと、これから起こるであろうことへの不安が入り混じっている。
中庭の静寂の中、私たちだけが取り残されたように感じた。
ドレイヴンの深紅の瞳が、私を見つめている。その眼差しに秘められた感情を、私はまだ読み取ることができない。
「もしかして、何か怒ってる……? ドレイヴン」
彼の深紅の瞳にはやはり怒りが渦巻いていて、その視線に身震いした。
「……君は、へらへらと他の男に媚を売って、恥ずかしいとは思わないのか」
「ちょっ、はぁ!? 今、なんて言った!? 媚なんてまったく売ってないんですけど!?」
「では、なぜふたりきりで会う約束をしようとした! 私には頼りもしないくせに!」
ドレイヴンの声は低く、危険な響きを帯びていた。彼の迫力に押されそうになりながら、私は小さな声で答えた。
「だ、だって……また初級魔法ができないって言ったら軽蔑されるかもって思って……」
「そんな理由だとしたら、まったくの見当違いだ! 君に軽蔑だと……? ハッ! したことがないね! いつも魔法の練習を誰よりもしているだろう! どれだけ君を見てきたと思っている! 君のばかみたいな変顔も、私以外の人間に向けている天使みたいな笑顔も!」
彼の言葉の一つ一つが、私の胸に突き刺さった。ドレイヴンは奥歯を噛みしめて言葉を続ける。
「あの男、私の婚約者に許可もなく触れやがって……。いっそ君のすべてを私のものにしてしまいたいと、何度思ったことか……!」
私は顔が熱くなるのを感じた。
「な、なに、それ……告白みたいなこと言って……だって、私のこと愛さないって言ったのに……!」
「愛さない! 愛せるわけがない!」
冷静さを失ったドレイヴンの叫びが、中庭に響き渡る。
「この状況を見ればわかるだろう! 今だって、この程度のちっぽけな嫉妬心ですら制御できていない……! 私みたいなヴァンパイアが、君を愛してはいけないんだ!」
突然、彼が私から手を離し、一歩後ずさった。ドレイヴンの目に浮かぶ涙を、見逃すことなんてできない。
「そうだ。愛してはいけないんだ……」
どうしてそんな悲しいことを言うのだろう。ドレイヴンのつぶやきに、私は首を振った。
「私から逃げろ、サクラ」
彼の言葉に、私はただ首を振り続けた。
ドレイヴンは片手で顔を覆うと、力が抜けてしまったみたいに地面に座り込み、立て膝になった。
「行くな、君がほしい……いやだ、愛したくない……好きだ……好きなんかじゃない……私のそばにいてくれ……だめだ、近寄るな……」
彼の矛盾した言葉が、私の心を混乱させる。それでも、私は決意を固めた。
「に、逃げたりしないよ、ドレイヴン」
ドレイヴンの葛藤する姿を見つめながら、私は自分の気持ちを確かめていた。彼の側にいたいという思いだけは、はっきりしている。
中庭の静寂の中、私は勇気を振り絞ってドレイヴンに向き合った。彼の深紅の瞳に映る自分の姿を見つめながら、私は心臓の鼓動が耳まで響くのを感じた。
「私のこと……好きなの?」
私はしゃがみ込み、彼の顔を覗き込んだ。その瞬間、ドレイヴンの表情が僅かに揺らいだように見えたけれど、彼の返事は相変わらずそっけなかった。
「君を好きだなんて、ひとことも言っていないが?」
その言葉に、私は思わず噴き出しそうになってしまった。
「いや、言ってたし……」
この期に及んで往生際が悪すぎる。素直になれない彼の姿が愛おしく思える私は、もっと往生際が悪いのかもしれないけれど。
「素直になんないと、キスしちゃうよ、ドレイヴン」
私の大胆な言葉に、ドレイヴンは予想外の反応を寄越す。
「……な、に、……を、ばかなことを……」
彼の頬が真っ赤に染まるのを見て、私は驚きのあまり言葉を失った。いつも冷静沈着な彼がこんな表情を見せるなんて。
「き、君はわかっていない。本当に命の危険があるんだぞ!? 教科書には載っていない、隠されてきた事実だ。妻を殺してしまったヴァンパイアたちは、みんな嫉妬心のせいで理性を手放してしまった。代々ヴァンパイアが誰かを愛し、嫉妬すると、どこまでも相手を欲してしまうんだ。だから、妻を愛さないようにするヴァンパイアがほとんどで……私もそうすると決意していた……。愛するものをむさぼり食うヴァンパイアだけにはなりたくないと……」
彼の言葉に、ようやく全てを理解した。ドレイヴンの冷たい態度の裏に隠されていた真実を。
ヴァンパイアの習性に振り回されながら、彼もまた、私との絆を心の奥底では求めていたのだ、きっと。
「愛していいよ。もし嫉妬されたら、その時は『私はドレイヴンだけが好きだよ』って、ちゃんと伝えるから」
ドレイヴンドの目が大きく見開かれた。
「今、なんて……」
私は彼の目をまっすぐ見つめ返した。
「ドレイヴンが好きです」
その言葉を言った瞬間、ドレイヴンの手が私に伸びてきた。強く抱きしめられ、そのまま私たちは芝生の上に倒れ込んだ。柔らかな草の感触と、ドレイヴンの体温が私を包み込む。
私の耳元で、ドレイヴンが言った。
「……もう一度言ってくれ、サクラ」
芝生の上で、ドレイヴンの腕に包まれたまま、私は彼を見上げた。今までにない親密さに、私の心臓は早鐘を打っている。
「好きだよ、ドレイヴン。ドレイヴンは私を好き?」
ドレイヴンは観念したみたいに、まるで青年のように無邪気な顔でこくりとうなずいた。嬉しくて、嬉しくて、今なら空も飛べるし、氷も出せるし、ぜんぶの上級魔法を扱えるかもしれない。
にやにやとした笑みを浮かべながら、私は言った。
「やっと振り向いてくれたね、ドレイヴン」
その言葉に、ドレイヴンは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「何を言っているんだ、サクラ。それはこっちのセリフだ」
「え……?」
「君は私と出会ったのを14歳の春だと思っているだろうが、実際は12歳の冬だ」
その言葉に、私は驚きのあまり目を見開いた。ドレイヴンは続ける。
「君がブルノン家の養子になったと、お披露目パーティーがあった際、私は弟たちに変顔をしている君を見て、すぐに父上に伝えた。『あの子がいい』と」
私の頭の中で、記憶が走馬灯のように駆け巡る。あのパーティー。私の人生が大きく変わった日。
でも、そこにドレイヴンがいたなんて気づかなかった。
当時の私は、新しい環境に必死に適応しようとしていて、周りを見る余裕なんてなかった。ただ、変顔をする余裕だけはあったのだけれど。
赤面しながら、私は小さな声で言った。
「も、もっと違う理由ないの……笑顔が可愛かったとかさぁ……」
するとドレイヴンは、今まで見たことのないような意地悪な笑みを浮かべた。
「君の笑顔がかわいい……? そんなの口にするまでもないだろう」
そして次の瞬間、ドレイヴンは私の肩をぎゅっと抱き寄せた。再び縮まる距離に、私の思考は混乱し始める。
彼の綺麗な唇が近づいてくる。私は石になったみたいに、動けなくなっていた。
「私の婚約者が一番かわいいのは決まっている」
ドレイヴンはいったい何を言っているのか。
(どうしよう、私の婚約者の様子がやっぱりおかしすぎる)
おわり