好きな子がよそよそしかったので、「俺何かした?」と聞いてみたら、意味深な態度を取られた。本当に何もしていないというのに……
「それでは! 学園祭お疲れ様でした! かんぱーい!」
『かんぱーい!』
委員長の音頭で、俺たちは互いのジョッキを合わせる。
そしてジョッキの中の生ビールを、グイッと飲み干す。ひと仕事終えた後のビールは、世界で一番美味しかった。
俺・比留間実継は現在大学2年生。そして学園祭実行委員会なる組織に所属している。
この日は我々学園祭実行委員会(通称は「学祭委員会」である)における最大のイベント、学園祭が催された。
前日は泊まり込みで準備を行ない、当日は学生や来場者が楽しめるよう裏方に徹し、そして学園祭が終わった後は、夜遅くまで片付けをする。
ようやく学園祭の片付けもひと段落したというところで、俺たちはこうして夕食を兼ねた打ち上げをしていた。
委員会の仲間たちと今日までの苦労を語り合いたい、同時に反省点を振り返る。
反省すべき箇所は、来年に活かせば良い。俺たちの気持ちは、既に来年の学園祭に向いていた。
しかし気持ちが学園祭に向いている一方で、俺の視線は別のところを向いていた。
隣のテーブルで、お洒落なカクテルを嗜む美少女。学祭委員会のマドンナ・志摩弥生だ。
冴えない俺が志摩みたいな美少女の目に映るわけがない。そう思っていたわけだけど。
実は志摩とは出身高校が一緒で、学部も一緒で、ゼミも一緒で、ついでに言えば借りているアパートの部屋も隣同士。ここまで偶然が重なれば、寧ろ何の接点もない方がおかしかった。
「比留間くん、楽しんでる?」
向こうのテーブルでの会話を終えてから、志摩は俺に話しかけてくる。
「まあな。仕事終わりに飲むお酒ほど、格別なものはない」
「人の奢りだと、余計にそうだよね。……あっ、ビールなくなってるじゃん。すみませーん! 生おかわりお願いしまーす!」
俺のジョッキが空になっていることに気が付き、代わりに注文する志摩。こういうさり気ない気遣いが出来るところも、マドンナと呼ばれる所以なんだよな。
「トイレ掃除とか構内のゴミ拾いとか、今日の比留間くんは大活躍だったよね」
「……見ていてくれたのか?」
「当然! 人がやりたがらない仕事を率先する比留間くんは、本当にカッコ良いと思うよ!」
……不意打ちでカッコ良いとか言うなよ。他意なんてないとわかっていても、恥ずかしいじゃないか。
俺は運ばれてきたビールを飲んで、照れを誤魔化す。
「俺は目立ったことが苦手だからさ。適材適所ってやつだよ。……そういう志摩だって、大活躍だったじゃないか。よっ、可愛すぎる受付嬢!」
「やだな〜。そんな風に誉められたら、恥ずかしくなっちゃうじゃん」
志摩もまた照れを誤魔化す為に、お酒を飲む。自身の持つカクテルではなく、俺が既に口をつけた生ビールを。
「あっ……」
「ん? どうかした?」
間接キス……なんて、多分志摩は気にしていないんだろうな。
彼女と仲良いのは嬉しいことだけど、なんていうか、その感情は恋愛というより親愛に近い気がする。
これ以上近づけないとわかっているからこそ、志摩とのこの距離感が無性に虚しかった。
志摩が腕時計を見る。
「これ、何時まで続くんだろうね」
「さあ。0時を過ぎるのは、確実だな」
「だよね。……夜遅くなっちゃうからさ、嫌じゃなかったらで良いんだけど……送ってってくれない? ほら、比留間くん、帰る方向一緒じゃん?」
「方向が一緒っていうか、隣だからな。……構わないよ」
素っ気なく返すも、志摩と一緒に帰れるという事実に、俺は内心ガッツポーズをしていた。
◇
翌日。この日の講義は三限目からだったので、俺は昼過ぎに大学に向かった。
教室に行く前に委員会室に顔を出すと、室内には志摩しかいなかった。
「あれ、志摩? お前一人だけなのか?」
「……うん」
「そうか。……昨日はお疲れ様。まさか打ち上げが2時まで続くとは思わなかったよな。終電なんて当然ないし、居酒屋が徒歩圏内にあって、本当助かったぜ」
「……うん」
軽い会話をしながら、俺はふと違和感を覚えた。
志摩のやつ、なんだかよそよそしくないか?
さっきから「うん」しか返さないし、目線だって合わせようとしないし。
だけど気に留める程でもない些細な違和感だったので、俺は特に言及することをしなかった。
「あの後、ゆっくり眠れたか? しっかり疲れは取れたか?」
「……ゆっくりなんて、眠れるわけないじゃん」
ここでようやく、志摩は俺を見る。
その視線は、どこか俺を睨みつけているようだった。
……ん? 俺、何か変なこと言った?
「えーと……志摩? どうかしたのか?」
「「どうかしたのか」だって? もしかして、比留間くん……覚えていないの?」
志摩は一体何に対して「覚えていないの?」と尋ねているのだろうか?
俺が黙ったままでいると、それを先程の質問の答えだと判断したのか、急に涙を流し始めた。
「ひどい! 私にあんなことをしておいて、全部忘れるなんて!」
「バカ!」という捨てゼリフを残して、志摩は委員会室をあとにする。
「……いやいや。俺にどうしろって言うんだよ?」
志摩が泣き出した理由が、さっぱりわからない。だって……昨夜は本当に、何もなかったんだから。
いくら酒に酔っていたとはいえ、記憶を失う程じゃない。俺は昨夜の出来事を、はっきり覚えている。
昨日……正確には今日の2時頃打ち上げが終わり、その後志摩と一緒にアパートへ帰った。
志摩の方こそ悪酔いしていて肩を組んでくることもあったけど、それもほんの数秒足らずだ。勿論手を繋いだり腕を組んだりもしていない。
アパートに着いてからは、二人とも疲れ切っていたので「おやすみ」と言ってそのまま解散。だから本当に、何もなかった。
「あの感じだと俺が志摩に手を出したみたいになっているんだけど……そんなことしてないしなぁ」
もしかして、帰りの道中で無意識のうちに何かしてしまったのだろうか? それとも、肩を組んだことが手を出したにカウントされるとか? でも肩を組んできたのは、志摩の方だしな。
うーん。やっぱりわからん。
女心というのは、どんな研究テーマよりも難解だ。
◇
もうすぐ講義が始まるので、モヤモヤを残したまま三限目の教室に向かうと、偶然委員会仲間の林さんに会った。
林さんは志摩の親友なので、俺も知らない仲じゃない。
「おはよう」と「昨日はお疲れ」の挨拶をした後、わざわざ避けるのも不自然だったので、彼女の隣の席に座った。
「昨日はかなり遅くまで飲んだわよね。ねぇ、比留間くん。あの後きちんと弥生を送ってくれた?」
「相変わらず林さんは過保護だな。自宅までしっかり送っていきましたよ」
「……変なことしてないわよね?」
「してねーよ。してない、筈なんだよ……」
だけど志摩の態度から察するに、俺は彼女に何かしてしまったようで。
……そうだ。志摩の親友の林さんなら、もしかすると何か相談を受けているかもしれない。
淡い期待だけど、このまま悩んでいても埒があかないので、俺は思い切って林さんに尋ねてみることにした。
「なぁ、林さん。志摩から何か聞いてる?」
「聞いてるって、何を?」
そう返すってことは、本当に何も相談されていないみたいだな。
俺は「何でもない。忘れてくれ」とこの話題を早々に打ち切ろうとしたのだが、
「ちょっと待ちなさい。詳しく話してみなさいよ」
ガシッと、力強く肩を掴まれる。
俺を見つめる彼女の瞳は、さながら獲物を見つけた捕食者のようで。
……あぁ。これは逃げられないな。そう判断した俺は、先程委員会室であった出来事の一切を林さんに話した。
一連の話を聞いた林さんは、「成る程ね」と呟きながら、大きく頷く。
「何か心当たりがあるのか?」
「弥生に直接聞いたわけじゃないから、推測の域は出ないんだけど……比留間くんは本当に何もしていないと思うわよ」
「やっぱりか! 自分でもそうなんじゃないかと思っていたんだが、万が一ってこともあるからな。第三者に言われると、安心するよ」
胸を撫で下ろし、安堵している俺に、林さんはデコピンする。
「安心するのはまだ早いわよ。比留間くんが何もしなかったから、弥生は意味深な態度を取ったんだもの」
……何もしなかったから、意味深な態度を取った? それって、どういうことだ?
「はーあ。これ、私から教えるのは良くないんだけどね」と、林さんはそんな前置きをしてから、衝撃の事実を口にした。
「弥生、比留間くんのことが好きなのよ」
「……は?」
一瞬林さんが何を言っているのか、わからなかった。
志摩は俺のことが好き? そんなバカな。
「思い当たる節がないとは言わせないわよ。いくら家が隣だからって、好きでもない男に酔った自分を送らせないわよ。折角勇気を出したのに、比留間くんが何もしてこないから、あの子も意地になったんでしょ」
「いやいやいや、それはないって。だって志摩を送って行ったのは、今回が初めてってわけじゃないんだぞ? 今までは何もなかったのに、どうしていきなりあんな態度を取ったんだよ?」
「今までは我慢していたからでしょう。お酒も入っていたし、弥生も流石に痺れを切らしたのよ。……それくらい察しなさい、鈍感!」
説教ついでに、またもデコピンされてしまった。
「……俺はどうしたら良いんだよ?」
「そんなの、人に聞くものじゃないでしょう? 自分の気持ちに素直になりなさい。ただ一つ、あの子を泣かせたら許さないから」
素直になれるかどうかはわからないけど、志摩を泣かせるつもりはない。それだけは、約束出来る。
だって、俺も志摩のことを――
◇
その日の夜、志摩が帰宅したのを確認した俺は、彼女の家を訪れた。
「比留間くん……何か用?」
志摩の機嫌は、まだ直っていなかった。
「いや、なんだ? 昨日……じゃなくて、厳密に言えば――」
「厳密に言えば昨日じゃなくて今日だとか、そういうのはいいから。昨日の方がわかりやすいから、そのままで良いから」
「わかった。……昨日はその、悪かったな」
「謝るってことは、昨日何があったか思い出したの?」
俺は頷いて応える。
「あぁ。思い出した。……昨日は本当に何もなかった。そうなんだろ?」
「……うん」
「でも、今夜は何かある。そういうことじゃダメか?」
「……え?」
「今度も「うん」って言って欲しかったよ」
俺が優しく微笑むと、志摩は全てを理解したようで。だからこの後に続く言葉は、ほとんどおまけみたいなものだ。
「好きだ、志摩。俺と付き合って欲しい」
「うん!」
一瞬たりとも考えることなく、ほとんど反射で志摩は答える。
えーと、これは両思いってことで良いんだよな? 今この瞬間俺たちは恋人同士になったって認識で良いんだよな?
確かめるように俺が志摩を抱き締めると、彼女も抱き締め返してきた。
「明日になったら今夜のことも忘れているとか、そういうのはなしだよ?」
忘れるかよ。明日も明後日も、一生忘れてたまるもんか。
大切な記憶がどこかへ逃げて行ってしまわないように、俺と志摩は優しく唇を重ねるのだった。




