1話
「えっ・・・・・は?」
たった今起きた非日常な出来事に北条月彦は、二言しか発することができなかった。
目の前で男が死んだ。顔に付いた生ぬるい水滴は雨ではなかった。
理解ができない。この男は、駅前でからまれた酔っ払いだ。執拗に絡んでくるので
仕方なく人気のない路地に連れてきたのだが、突然頭から血を噴き出して倒れたのだ。
倒れゆく男の背後から覗いたビル。その屋上に月光の反射を見た。
人?まさかな・・・。月彦は、遠く離れたビルの屋上に狙撃銃を構えた人間が見えた気がした。
いや勘違いだ。最近ハマっているFPSの銃撃戦ゲームのやりすぎだろう。
急いでスマホを取り出し、警察に電話をしようとしたが震えと手汗でうまく電話のアイコン
が押せない。足元まで迫る血だまりと鼻奥にこびりつく鉄の匂いが焦りに拍車をかける。
「そこで何をしているんですか。」
背後から聞こえた女の声に全身の毛が逆立つ。月彦は思わずスマホを落としてしまった。
後ろを振り返るが暗くて姿が見えない。カツカツと靴の音が近づいてくる。
よかった。この状況は身に余る。説明して警察に連絡しよう。
暗がりからはっきりと表れた女の全身を捉えた瞬間、身体が固まった。
理解不能な状況に助け船が来たような安心感は、女の右手に握られた拳銃に殺されてしまった。
殺される? 実際に間近で見る銃口はずっと大きく重く見えた。
「あなたは見たのですか?」
「え?」
「この男が死んだ瞬間を見たのかと聞いています。」
女は表情を変えることなく月彦を睨んでいる。思わず後ずさりしてしまうほどの圧だ。
こんな状況で頭が回るはずがなく、なんと返答すればいいのかわからない。自分の命を守る術が思い浮かばない。
「この男に絡まれたからここに連れてきたんです。そしたらいきなり頭を撃たれて倒れるから・・・」
「・・・・・」
見たままを答えるしかなかった。銃殺されたなど確証もないが。
月彦とは逆に落ち着き払っていた女は、少し動揺したように目が揺れ、黙ったまま目線を下におろした。
どうしてこんな羽目になるんだ・・・!仕事がうまくいかずに落ち込みながら帰る途中に酔っ払いに絡まれたかと思えば、
人が死ぬ瞬間を見させられ、挙句の果てに自分自身も殺されようとしている。運が悪い。思えば昔からツイてないなぁ。
呪われてるんじゃないかと思うほどに。
流れる沈黙の中、もはや悟ったような感情になってしまう。
ブーブーブー
スマホのバイブレーション音が沈黙を破った。女がスマホを取り出し三言ほど言葉を交わす。
「正気ですか!?・・・・・ええ、わかりました。」
女が少し声を荒げ通話を切ると銃を下ろし、こちらに近づいてきた。
思わず二歩ほど後ずさりするも、それよりも早くずいっと身を寄せた。
「所長からの命令です。あなたを事務所まで連れて来いと。」
「はぃ?」
未だ状況が理解できず混乱する頭の中、とりあえず今は死から逃れたという微かな安心感から
気の抜けた返事しか出てこない。
「聞こえませんでしたか?私たちの事務所に来てもらいます。付いてきてください。」
月彦を見上げる女は、端整な顔立ちでとてもさっきまで銃を向けていたとはまるで思えない。
綺麗な黒髪を夜風になびかせ、背中を向け大きな通りへと歩き出した。
訳が分からないが、ひとまずついていくしかないと、一歩を踏み出そうとした瞬間、普段見ることのない裏側に触れてしまうような
錯覚を覚えた気がした。
「着きました」
目隠しを付けられ、車に揺られること30分ほどだろうか。窓を閉め切った車内。走行音しか聞こえてこない。どこに連れていかれるのか、
無事に帰ることはできるのか、そんな不安が心臓を締め付けている。
漫画や映画で車に詰め込まれ誘拐されるシーンがあるが、被害者はみんなこんな心境だったのだろう。
視界が暗いまま車を降り、誘導されながらしばらく歩いた後、目隠しをはぎ取られた。
「どこですかここは」
「教えません。目隠しをさせた意味を考えてください」
無表情で淡々と正論をぶつけてくる。
思わず怖気づきそうになりながら周りを見渡すと、マンション?もしくは雑居ビル?のなかだろうか、
目の前には扉がある。女がドアノブのすぐ上に付いたパネルに手を当て、なにやら数字を打ち込んだ後、ガチャという音が鳴った。
扉が開き、中に入るよう促される。入ると、ごく普通の事務所といった感じだ。二十坪ほどだろうか、左半分にはコの字のソファ、その中心に置かれた足の低いテーブル、
テレビや棚などごく普通な部屋のようだ。右半分にはデスクが4つに試料が積まれた棚など仕事感があふれている。
ソファには男が座っている。あの人が所長だろうか。厳つい入れ墨があってガタイの良いヤクザの"お頭"のような人を想像してビクビクしていたが、
一見はサラリーマンだ。スーツの着こなし、セットされた髪、自信あふれる佇まい、どう見ても敏腕営業マンのようだ。
「連れてきました」
「ありがとう。そこに座ってくれ」
そう促され、男の向かいに腰かける。
「帰してもらえませんか? 私は何もしてないんです。そこの女性には言いましたけど、突然あの男が撃たれただけで・・・」
「そうだ、その“撃たれた”ということを知っているからここに連れてきた」
「え?」
「単刀直入に言うが、その男を撃ち殺したのは私だ」
「なっ・・・」
目の前に殺人犯がいるじゃないか。
あの時、遠くのビルに見えた人影は勘違いではなかった。
言葉を失った月彦に、男は構わず続ける。
「我々は、国直属の特殊秘密組織だ。重犯罪者や国にとって脅威となる人物の抹殺を依頼され、それを遂行する。暗殺以外の仕事も多々あるが。あの男は今回のターゲットだった。
あの場に君が居合わせたことは想定外だった。こちらのミス・・・巻き込んでしまってすまなかったな。ただ、我々の仕事を見られてしまった以上、相応の対処をさせてもらうが」
「相応の対処って・・・」
「我々の組織に入ってもらう」
「・・・は?」
てっきり口封じのために殺されると思っていた月彦は、予想外の言葉に呆けた声が出た。
目の前の男はいたって真面目に月彦を見つめている。
「君、視力がずば抜けて良いでしょ。あの時、ビルの屋上にいた私に気付いただろう? 四百メートルは離れていたはずだ。あの距離でさらに夜間、そして明確に撃たれたと君は言った。常人にはありえないな」
「・・・・・」
「その力をここで使ってもらう。嫌だというのならば、口封じという形になるだろう。仕事を見られてしまった以上、そうせざる負えない。つまり君の選択肢は、他人を殺すか、自分が死ぬか、だ」
月彦は、幼いころから視力が良かった。五百メートル先のノートに書かれた文字を識別できるほどに。
ただ遠くの物が見えるというだけで特に役立つわけでもなく、周りの人は両親を除いて誰も知らない。
月彦自身、この目を持っていて自慢に思ったこともなければ、恩恵を受けたこともない。
今までごく普通に意味もなく生活してきた。たった今その普通が脅かされているわけだが・・・
「入れと言われても・・・」
「君は・・・、普通だな。毎日を無意味に過ごし、目標や向上心は特にない。他人にも自分にもたいして興味がない。中身のない人間の典型のようだな」
「はぁ・・・」
男は依然として月彦の目を見つめている。すべてを見透かしたような眼差しに思わず目をそらしてしまう。この男が言っていることは概ね合っている。空っぽなのだ。
大学受験や就職活動など、人生における数々の選択に理由を問われると言葉が詰まってしまう。
対人関係も希薄で、仲がいいと呼べる友人は極少数だ。生きる意味は特に思い浮かばない。かといって死のうにも漠然とした恐怖が内に潜む。ただ生きている。
「だからこそ、君には適性があると思っている。いづれ君は、自分の生きる意味を理解し、選択は間違っていなかったと確信する時が来るはずだ」
この男の言葉には不思議と納得してしまう。当たらずとも遠からずな事を言う胡散臭い占い師などとは程遠い。本当に自分の心の内を知っているかのような錯覚をしてしまう。
「わかりました」
「よし。これからよろしく。私は、桐生碧陽。こっちは杠葉加賀水」
こんなの実質一択じゃないか・・・。すぐそこに迫る自分の命を顧みず、見ず知らずの他人の命を優先する、そんな狂ったような善人はこの世にはいない。
そう思い返事した月彦に桐生碧陽と名乗る男は笑顔を向けた。
「じゃあ早速仕事に行こうか」
「え、いきなりですか?!」
「あぁ、はじめては早い方がいいからね。大丈夫、所定の時間帯に決まった位置から狙撃するだけだから」
「で・・・でも銃なんか扱ったことないですよ!」
「そこも心配はいらない。私が手取り足取り教えるから。もう行くよ。加賀水、車を頼む」
「承知しました」
月彦と碧陽は後部座席に乗り込み、加賀水はエンジンをかけた。来るときの車と同じだろうか。ごく普通の黒のセダンだ。
目隠しをしていて気づかなかったが、街並みに見覚えがある。月彦が住む街と近い。
窓の外を眺めていると、碧陽は顔を外に向けたまま尋ねた。
「月彦。君は、こんな都市伝説を聞いたことはあるかい? この世には超能力を持つ人間がいる」
「ありますよ。昔テレビで有名になった人が居ましたよね。最近では動画配信サイトでもそういったスピリチュアルなジャンルは人気ですよ」
「この都市伝説は半分くらいホントの話なんだ。君がそうだからね」
「はい? 俺が・・・?」
「君の眼だよ。この世には君のように常人離れした力を持っている人間が一定数存在するんだ。私たちはそれらを覚醒者と呼んでいる」
「いや、俺はただ視力が良いだけですよ? 超能力とは程遠いような・・・」
「そうだな、超能力とは少し違うかもしれない。覚醒者の力は、人間の持つ能力の範疇だ。いわば、潜在能力を百パーセント以上引き出せるというようなもんだ。手から火を出したり物を浮かしたりするような、フィクションのそれではないんだよ。例えば、君のような視力に優れた者、聴力に優れた者、記憶力に優れた者、とかね。それを超能力という誇張した括りで話を盛った・・・。都市伝説を信じる人は少数だからね」
「なるほど・・・」
今までなんとも思っていなかった物が実は優れていたと告げられ、月彦は少し複雑な表情になった。
木を隠すなら森の中ってことだろうか。たしかに、少数の主張がもし正しかったとしても、くだらないと非難されるのがこの世の常だ。都市伝説ならなおさらだろう。
数十分後、着いたのは廃ビル。加賀水を車に待たせ、二人で屋上へと上がる。
人などいるはずもなく、静寂の中に二人の足音だけが響く。
屋上は、柵で囲われているだけの何もない空間だった。風すらも吹いていない。
ここだ。と呟き、碧陽は荷物を下ろした。
「むこうのマンション、三階の右から四つ目の部屋。ターゲットはたいていこの時間にタバコを吸うためにベランダへ出てくる。そこを狙う。いいな?」
碧陽が指さす方には、大きな通りを挟んでマンションが三棟並んでいた。目標のマンションは真正面のものだ。
重厚感のあるケースから狙撃銃を取り出し、ほら、と言い月彦に渡した。
「利き手はどっちだ? 構え方から教える」
「視力が高いのは右目なので右手で引きます」
「なに?! 右目だけだと?」
「?? はい。そうですけど・・・」
目を見開いて驚く碧陽。常に冷静でスマートな印象だった碧陽の表情が一瞬だけ崩れたのを見逃さなかった。
なにやら小さな声で二言三言つぶやいていたが、月彦の耳には入らない。
まあいい、と言い月彦に指示を出す。膝ほどの高さの段差にバイポッドを置き、銃を固定した。
碧陽は、照準を合わせた後、スコープを取り外し、月彦の手を取り銃を構えさせる。
「構え方はこうだ。照準は合わせた。あとは引き金を引くだけ・・・、やってみろ」
月彦の右目の先には、煙草を指で挟む男がはっきりと見えていた。警戒心などあるはずがなく、しばらくは動かないだろう。
引き金を引くだけ・・・と言うが、銃を持つ手が自分の手ではないような感覚だ。引き金が重い。
人差し指を少し折り曲げる、たったそれだけがこんなにも難しいのか・・・
「撃て」
後ろから響いた碧陽の声が月彦の手から緊張を奪っていった。
瞬間、全身に銃からの衝撃が伝わった。ベランダを見ると窓が赤く染まり、血だまりができていた。
赤黒い視界、火薬の匂い。ターゲットの男と共に自分の中のなにかを殺した気がした。