北斗劉家拳と北斗琉拳は別々の違う拳法
定説は覆ったww
天斗聖陰拳
自他その気の流れを自在に変動させ人体の操作、破壊、遺伝子にまで効果を及ぼし生命の再創生すらも可能な原初の拳法にして武の領域を超えた神秘の拳。その神技は、奪う、溜める、括り直す、解く、四つの柱を基本とし、それらを全て扱える完全純血たる祭祀ナギット家の血を受け継ぐ者に伝承されている。血族の中には、前述4つの柱を生まれながらに備えた者が稀だが存在する〔 遺伝的要素と切り離せない術技体系だから丸写しでの横取り不能 〕。北斗帝拳と北斗宗家の秘拳その源流。
北斗宗家の拳
天斗聖陰拳を源流に持つ北斗宗家の拳法。知らぬ者にとっては決して勝つ事の敵わぬ怖るべき秘拳だが、知る者同士では返し手が極まり必ず膠着してしまう問題点を抱えており、その打開策として行き着いた解が暗殺を目的としない戦場の拳法である西斗月拳に伝承されし経絡秘孔闘法の剽窃すなわち北斗神拳である。この宗家の秘拳は北斗神拳の開祖シュケン以前の拳法なので、経絡秘孔の術技は一切存在せず北斗劉家の中でも限られし【 開祖シュケン直系 】にのみ伝承され続けたが、リュウケンがラオウに殺されてしまい日本ではケンシロウへ伝承されず、実兄のヒョウから修羅の国(本稿では中国大陸)で伝承されカイオウとの再戦をケンシロウ〔 第64代伝承者 〕の勝利へと結び着けた。仮にリュウケンから伝承されていたらシンやラオウを一捻りだったかもしれない。重要な点として、
【 北斗神拳を開祖した時期のシュケンは北斗宗家の拳を伝承されてない 】
と云う点。全ての時代、如何なる条件であろうとも宗家の秘拳を持つ者と持たざる者との間には埋めがたい強弱の格差が有る = 決定的かつ絶対的な決め手。
北斗帝拳 [ホクトテイケン]
北斗神拳が編み出される前の時代〔 紀元前206年 〕に北斗門派が創始した暗殺拳法。発祥地は北斗宗家および後の北斗劉家が存在する地域である一方、当時【 修験の拳 】の上位互換として北斗門派の軸を為しつつも北斗宗家の拳は伝承の構成に含まれていない。天斗聖陰拳を源流とし経絡秘孔の術技も存在せず、北斗三家に分岐し経絡秘孔術を解禁して以降は、北斗劉家拳、北斗曹家拳、北斗孫家拳へと強化(西斗月拳からの影響が色濃く)され「 北斗帝拳とは別物 」故に【 作為的な終焉 】を迎えた。以降【 秘孔拳 】の全盛たる時代その幕開けと為る。
北斗劉家拳 [ホクトリュウカケン]
西暦185年の三國時代に北斗三家へと分派化(宗家は劉家に含める掟)及び経絡秘孔の術技を部分的に解禁し西斗月拳の特徴をも色濃く残しつつ最適化が図られた暗殺拳法。つまり、
北斗曹家拳
北斗孫家拳
後期の北斗琉拳(経絡破孔を扱える最新の体系)
極十字聖拳
上記4つの拳法の源流〔 分派化する以前は1つの拳法しか存在せず其の発祥地が北斗劉家であるから 〕故に下記と云える。
【 北斗劉家拳とは、北斗宗家の秘拳や北斗神拳から奥義や極意を意図的に削り落とした「完全なる北斗神拳の下位互換」に該当する暗殺拳法 】
【 北斗劉家拳とは、北斗宗家の秘拳を持たない「平常時を含む暗殺の拳法」として「戦時下および戦場の拳法」である西斗月拳から派生した 】
【 北斗劉家拳とは、最初期の北斗孫家拳および北斗曹家拳と全く同じ内容の暗殺拳法 】
そして、北斗三家拳が核戦争後の中国大陸すなわち修羅の国で健在なのかは不明。本稿では、
西暦1999X年以降も北斗三家拳の全てが健在であり、中国大陸中央部の長安すなわち西安を首都に定めて外敵との戦いを展開している。故に、
【 北斗劉家拳は201X年以降も存続している 】
点が通説とは異なっている。また、
【 北斗劉家拳と北斗琉拳とは同じ拳法を意味しない 】
点も通説やWikipedia記事とは異なっている。
北斗神拳〔 北斗劉家拳から分離 〕
より正しい名称は、劉家北斗神拳。その下位互換として北斗劉家拳、北斗曹家拳、北斗孫家拳の北斗三家拳が存在する暗殺拳法。北斗宗家の秘拳を使う者同士での優劣を求める目的で編み出された。
無敗および不敗とは、再戦や別の伝承者の手でリベンジを達成すれば負けた事には為らない下記の論旨を根拠とする。
【 最後に勝った者だけが唯一無二の勝者 】
【 当該勝者以外は全て負け犬 】
【 文句や大グチは全滅させてから叩け 】
↑
(・θ・)b < 悪いのは勝てない弱者。
それが【 殺し合いの絶対ルール 】であるww
紀元前10年 北斗神拳をシュケンが創始。
西暦0185年 北斗三家に分岐(宗家は劉家に含む)
西暦0806年 伝承者が空海の帰国に随行[※1]
西暦197X年 ケンシロウ達がリュウケンの下へ
西暦199X年 核戦争
※1 河南省洛陽の白馬寺から日本の関東に〔 他の宗家血縁を中国大陸に残したままで 〕拠点を移し北斗劉家拳から分離。
母親は不明だが、ラオウにはリュウという実子がおり、修羅の国(本稿では中国大陸)から戻ったケンシロウは、北斗神拳の真髄とラオウの生きざまを説いた後、拳王時代に最も信頼できたラオウの忠臣バルガにリュウを預けた。
ジュウケイ
推定1930年前後、中国に生まれる。日本軍の爆撃で死んだ妹に祈りを捧げて貰おうと飛燕が牧師の教会を訪れる。祈り後に自害しようとするが拳志郎から諭され、極十字聖拳を伝承者する流 飛燕に引き取られた。飛燕の死後に北斗劉家へ身を寄せ、核戦争前に中国(本稿では後の「修羅の国」)が軍事大国(本稿ではアメリカ)からの侵攻を受け、中国大陸の未来を危惧したジュウケイは北斗劉家の禁を破って北斗琉拳を複数の北斗劉家拳修験者に伝授した。
北斗琉拳〔 北斗劉家拳ではない拳法 〕
北斗宗家嫡流のリュウオウが紀元前10年前後に創始し、術技の体系や源流で前期と後期とに類別される。
前期琉拳は天斗聖陰拳を源流とする北斗帝拳に魔闘気を加えた技で、北斗宗家の秘拳や経絡を扱う闘法が含まれない皆殺しの邪拳すなわち魔道の拳。
後期琉拳は西斗月拳を源流とする北斗劉家拳に魔闘気を加えた技で、北斗宗家の秘拳こそ無いものの経絡破孔を扱う闘法が含まれた皆殺しの邪拳すなわち魔道の拳。
怖るべき事だが、魔界に至った開祖リュウオウは宗家の秘拳を持たぬシュケン開祖の北斗神拳を破り勝利を収め、シュケンを瀕死の状態にまで追い込んだ。その後シュケンは宗家の秘拳を伝承されて再戦しリュウオウを抹殺。リベンジを果たした。つまり、対カイオウ戦はこの過去の繰り返しだった。しかも当時の北斗琉拳に破孔を扱う術技は存在せず、遠距離からの魔闘気および其れら闘気の術技だけで北斗神拳に完勝している。この開祖同士の決闘以降、北斗琉拳は北斗三家拳への分派化まで封印されて来た。
分派化で経絡秘孔の術技を手にしたリュウオウ直系達は【 魔闘気に最適化した破孔の術技 】を編み出し、ここに土台そのものを天斗から西斗へと変更された後期琉拳の全容が仕上がる。掟で修験を禁じられているので宗家の目を盗んで密かに研鑽され続け、魔界に至った者を他の拳士が命懸けで戻す危険極まりない修行が繰り広げられた。
後期は、魔闘気 → 西斗 → 劉家 → 破孔術 との系譜なので、
現存する北斗琉拳の源流は北斗劉家拳であるとする解釈に間違いは無い。
間違いなく北斗琉拳の開祖はリュウオウであるが、三国時代以前と以後との其れでは原理に大きな違いがあり、前後で区別する解釈が一般的である。
故に後期の北斗琉拳は「 北斗劉家拳が源流 」と見做す諸説および
「 北斗劉家拳と北斗琉拳とはそれぞれ異なる拳法 」との説に矛盾は無い。
なお、伝承に必要なのは破孔の情報のみだが其れも北斗三家拳どれかの秘孔闘法を扱える者ならば自力で探り出せるので、実質的には修得する為の教えなど皆無と云ってよく、理論上は
曹家北斗琉拳
孫家北斗琉拳
自力出現〔 自家発生 〕も可能で、何かしら狙いが有っての事であろうが北斗孫家拳には北斗琉拳との類似性が見て取れ、孫家北斗琉拳が自力発生する日も遠くないものと予見される。
才に優れし羅刹達が生前のシャチから習い、カイオウ死後も全ての術技を伝承し、かつて北斗劉家の在った地にて今も存続。
(・θ・)b < 正確に云うならば
「宗家の拳は北斗神拳に含まれない」
故に北斗神拳だけで見れば―― 、
【 北斗神拳は北斗琉拳に1度も勝ててない 】
【 北斗宗家の拳 > 北斗琉拳 > 北斗神拳 > 北斗宗家の拳 】
【 優 > 劣 】
以上
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