第四話 『純潔の街』
「さて、我々を始末しに来た……って訳じゃなさそうだけど」
レグナがベッドの上で足を組み、椅子に座っている男を、試すような視線で見つめていた。
私はその背後で彼の動向を伺いつつ、何が起きても良いように銃は握る。
彼はそんな私をチラと見ると、そのままレグナへと視線を向けた。
「……リズはいないか」
「ああ。同じ部屋で一緒に仲良くスヤスヤというわけでもないのでね」
彼は「そうか」とだけ呟く。
はっきり言って、私には彼の思惑がわからなかった。
先ほどやり合った存在と同室に飛び込み、暴れるでもなければ話を切り出す様子もない。
「あなたは一体、何しにここに来たの?」
つい、言葉が出てしまう。
このような不用意な発言はあまり誉められたものではないのは分かってはいるが、このまま居座られ続けるのも不気味だ。
しかし、彼は臆面もなく私の質問に答えた。
「まず、お前たちに聞きたいことがある。お前たちは何者で、リズと何の関係がある」
「おっと。まずキミはどういう立場か知ることから始めた方が良さそうだ」
「何を……」
「名前も名乗らず、顔も見せず、聞きたいことだけ聞いて去っていく。そんなのはあんまりだろう?」
「……『グレイグ』だ」
グレイグ、と名乗った彼はその手で自身の仮面を外す。
そこには黒い髪と切長の目。眉目秀麗な若者がいた。
彼は目にかかる髪を振り払った後、睨むように正面にいるレグナを見る。
「全て答えた。こちらの質問にも答えてもらいたい」
「慌てるなよ。我々の質問はまだ二つほどあるんだ」
「……何が聞きたい」
「そう身構えなくても良い。一つは調べれば知り得るような常識的なことであろうと予測される。もう一つは、キミについてだ」
キミについて、という単語を聞いた途端に彼の眉間の皺が深くなっていく。
あまり知られたくないのか、それともどの程度腹を探られるのかを身構えているのか。それとも、両方か。
だが、レグナはそんな彼の目を見続け、言葉を続けた。
「良いか? これは我々にとっても、キミにとっても有益な取引だ。我々は枯渇していた情報を時間を浪費せず集められ、かつキミのことについても知れる。キミも、我々が敵か味方かくらいは判別がつくようになる、だろ?」
「……一つ目の質問に答えてやる。何が知りたい」
「まず、この街についての全てを聞こう。御神木様について、この街の立ち位置、住民、そしてキミたち黒服の正体」
「良いだろう。だが、長くなるぞ」
彼は姿勢を崩し、膝に肘を置く。
レグナは耐性はそのままで、真剣な表情を彼に向けた。
「まず、この純潔の街は我々人間の手によって作られたものではない。突然都市が白に染まり、同じく突然桜が現れた」
「現れた……ってなると、凄まじい成長速度とかではないと?」
「ああ。まるでそこに元からあったかのように。そして何より、この桜には一つの特徴があった。それは、長い時間桜の下にいると、記憶、そして感情が消えていく、という報告があった」
記憶と、感情が消えていく。
あまりゾッとしない話ではあるが、私たちの記憶や感情が消えていないことを鑑みるに、その長い間は一日中くらいなら問題ないのだろう。
だが、レグナはその発言に眉をひそめた。
「我々は彼らの案内でこの宿を見つけたのだが、それでも彼らに記憶と感情がないと?」
「記憶のない人間に新たな記憶や感情を植え付けるのはそう難しい話ではない。そのために俺たち……『花見』がいる」
花見。
俺たちというのだから、それが黒服の男たちの呼称なのだろう。
だが、彼らの善意が全て花見によって作られたものなら――、
「随分といびつだね。この街は」
レグナが皮肉を込め、零した。
私も同意の意を込め、頷く。しかし、彼はそれに反論するでもなく、目を瞑ってその言葉を受け止めた。
「それは否定しない。しかし、お前たちも奴らの素性については知っているのだろう?」
「知っているよ。元死刑囚、だったかな。そんな彼らがここで自由に暮らせているなんて、さぞ品行方正な――」
「逆だ。奴らは死刑囚の中でも反省する素振りすら見せなかった」
「……ああ、そういう事か。残酷な事するんだね、キミたちも」
「……」
否定はしない、という素振りだった。
しかし、彼らの間でわかってはいても、私には彼らの反応の理由がわからない。
このまま放っておいても恐らくはわからないままになることは半ば予想がついたので、話を中断することを覚悟してレグナに聞いた。
「レグナ、どういうこと?」
「この国にいたら、記憶を失う。昼間の彼女のように、彼らを責める者は現れる。ここまではわかるだろ?」
「……えっと」
「彼らは知らない罪への叱責を永遠に受けなければならない。自身は御神木様の教えに従い品行方正に過ごしているというのに」
絶句。
それでは死刑と同等……いや、死刑よりもさらに恐ろしい罰にさえ感じられた。
それが罪を反省しない者の贖罪方法だというのなら、いびつだ。いびつすぎる。
だが、彼はこちらを睨むように吐き捨てた。
「不愉快なようだが、あえて聞こう。死を持って償うことにどれほどの価値がある? ましてや、自分が起こした罪の重さを理解しようともしていない者共の死で、何が償える?」
「いや、それがこの場所の在り方なら我々は何も言うつもりはない。我々はキミたちの価値観について議論しに来た訳でも、ましてや文句を付けに来た訳でもない。悪かったね、続けてくれ」
「……熱くなった。こちらこそすまない。続けさせてもらう」
「ああ、どうぞ」
レグナがにこやかに答える。
抜き身の刃のような鋭い殺意の前でも、変わらず。
まるで、あの夜私のナイフに目を向けなかった時のように。
「御神木様、この街の住民、そして我々については答えたな。そして最後にこの街の立ち位置だが……基本的に一般の人間は出入りを禁止されている。だから、知識としては知っている者はいても、深くこの街について知っている者は少ない」
「基本的に、ってことは例外もあるってことかな?」
「鋭いな。かなり厳しいルールはついているが、入れる者もいる。端的に言うと、この街の住民とかかわりのある者……昼間の、あの人がそうだ」
昼間、一人の男性が半狂乱の女性に糾弾されていた。
恐らくだが、あの人というのは女性の方だろう。
「だが、基本的に街にいる間は我々花見による護衛、という名目で見張りを付けられる。理由としては、住民と、その人物に危害が及ばないように、だ」
「なるほど。だから、あの女性を引きずってどこかへ消えたのか」
「……ああ」
グレイグの返答で、気付いたことがあった。
彼は、あの女性の話をするたびに、どこか悲しそうな表情をする。それも、彼女と彼に何かあったのだろう、と容易に想像できるほどに。
だが、私がこういう場で不用意に発言するのはあまり良い案とも思えない。結局のところ、レグナ任せである、というのが現実だった。
「以上で、一つ目の質問の返答は終わりだ。他に何か質問はあるか?」
「いいや、完璧だった。知りたいことをすべて知れたよ。――さて、二つ目の質問に移ろうか。キミついて……具体的に、リズとの関係、そしてなぜ我々の元に来たか、だ」
「リズ、か……リズとは……」
彼は一瞬だけ、逡巡したように視線を彷徨わせる。
しかし、何か諦めたかのようにため息をつくと、呟くように言った。
「リズは、俺の妹だ」
「へえ? そんな人が、彼女と関係がある人間を狙った、と? ここに来ての嘘はあまり感心しないな」
「それは、お前たちの立場を鑑みての発言か?」
私たちの、立場。
……改めて考えれば、確かに我々の立場は異常だ。
基本的に入れない街に、護衛なしで突然現れ、自分の妹と関わっている。
そんな存在を、兄であり、花見であるグレイグが敵対的な態度をとるのは、当然すぎる理屈だった。
「……ああ、なるほど。だからそれを確かめにこの場所に来た、ということで正しいかな?」
「それもあるが、それだけかといわれると肯定しかねる。……この男は、知っているな?」
彼は懐から一枚の紙を取り出し、レグナの前に突き付ける。
私の立ち位置だと見えないため、彼女の隣に来てその紙を見た途端、「あっ」と声を漏らしてしまった。
その正体は、昼間女性と騒ぎを起こしていた男性の写真だった。
「昼間、あの女性と引き離した男性が殺されていた。死因は絞殺で、建物の路地で捨てられるように死んでいた」
「なるほど、容疑者を捕えるためにここに来たか」
「いや、そこの子供がナイフを使ってきた際にその線は消えた。それに、お前だとしても、お前が自分から手を汚すようにも見えない」
「ご明察だが、あの子と私は2歳しか変わらない。子供という年でもないだろうし、身体的特徴で揶揄するのもあまり関心は出来ないな」
ウィンクをしてこちらを見るレグナ。
恐らく、純然たる優しさで私を庇ったのだろうが、そこまで庇われるとむしろ辛い。
しかし、この場で抗議して彼女の優しさを振り払うのもそれこそ子供である。
痛む心を噛み潰し、レグナが続ける言葉に耳を傾けることにした。
「だが、そうなると余計謎だ。我々は犯人ではないというのなら、何のために我々のところへ?」
「……俺は、とある理由でリズと接触が出来ない。だから、俺の代わりに彼女に接触し、この男を殺害した人間から守って欲しい」
「こちらに見返りは?」
「俺がお前たちを見張る花見になる。それならお前たちは花見に疑われることなくこの街を歩けるだろう」
「なるほど。それは魅力的だ」
彼女は口元をゆがめ、底意地の悪そうな瞳でグレイグを見る。
そして、突然立ち上がると片手をグレイグに差し出した。
「いいだろう。僕の名前はレグナ、そしてそこにいるのがルーナ。我々の正体としては、特に変哲のない商人で、ここに来たのは偶然と答えるほかないけれど、信用してほしい」
「協力、ということでいいんだな?」
「ああ。よろしく頼むよ」
◆
「結局、あの男性を殺したのって誰なの?」
グレイグが去った後、私はお風呂で温まった体を冷ましながら、ベッドで横になっているレグナに何となしに聞いた。
既にベッドに沈み、完全にリラックスしている彼女は顔を上げて、小首をかしげた。
「うん? あれはどう考えてもあの女性だと思う。というか違ったらビックリ」
「だろうね。でも、実はあのグレイグが犯人、とか犯人は別にいる、とかの可能性も……」
「ないない。推理小説の読みすぎだよ。犯人はあの女性で確定。決定。これ以上は推理の余地なし。というか、グレイグもこれはわかってると思うよ」
取り付く島もない様子のレグナ。
だが、気になる言葉もあった。
「グレイグもわかってるって、じゃあグレイグが動けば……」
「彼もそうしたいと思う。だけど、我々に頼んだということは恐らく何か彼女との間に確執のようなものがあるんだろう。だから、何も知らない部外者である僕たちに頼み込んだ。いや、押し付けられた? ってところだろうね」
彼女はそれだけ言うとぐるりと一回転し、そのままベッドに顔をうずめる。
そして顔だけ上げると、微笑んで言った。
「まあ、いざとなったらルーナだけが頼りだ。頼んだよ、相棒」
それだけ言うと、彼女はうつぶせのまま動かなくなり、小さな寝息を立て始める。
恐らくだが彼女もほとんど限界だったのだろう。
私もベッドに体を預け、意識を深淵へと手放した。
◆
朝。
朝食を食べ終え、宿から出て昨日の女性を探そうとしたとき。
「ようやく起きたか」
正面に、男性が立っていた。
ピンクと赤、そして白の水玉模様のシャツに、緑色のハーフパンツ。
そして、切れ長の細い瞳に、黒い髪。何より特徴的なのは眉目秀麗ともいえる整った顔立ち。
私は愚か、レグナさえその光景に絶句していた。
そこには、やけにラフな格好をしたグレイグが立っていた。