07 獣人男爵領でワッ・カインダヴ・フーッ?
王城で魔法師団のみなさまと一緒に、転移魔法陣を使ってナナイモ領へやってきました。
ナナイモ領は、国の西にある大きな島の、本土側に位置しています
真っ青な大きな海です! 初めて見ました! 波の音がお腹に響きます!
私の暮らすウェインフリート領は、東部の内陸にあります。
領地の境に大きな湖がありますが、それと比べると開放感も、風の強さも、潮の匂いも、何もかもちがいますね!
ナナイモ領のロッジ風の家々の前には、不思議な彫刻の木の柱が建っています。いくつもの動物の顔が縦に並んでいて、独特の雰囲気です。
男爵さまのご説明によると、家の表札であり、祖先を示すものでもあるのだとか。なるほど、縦に並んでいる動物たちの顔は、家系図なのですね!
「あちらが我が侯爵家の領地、カルディマンド領だ」
見晴らしのいい丘の上で、ウィリアムさまが指差します。
対岸にうっすらと陸地が見えました。ですがこちら側の海に、何やら陰気な雰囲気が漂っています。魔力でしょうか?
「この街を基点に、物資が運ばれる。だが海の魔物セイレーンのせいで、海が封鎖されてしまった。何より、たくさんの人と船が犠牲になった。私は魔法師団長として、そしてナナイモ領と交流のある領地の貴族家として、セイレーンを退けたい」
ウィリアムさまの端正なお顔を見上げて真摯なお言葉を聞いていると、なんだかドキドキしてしまいます。
なぜかしら?
これは……、そうです! お父さまも似たようなことを仰っていました。
貴族として民草を守ることは、義務であり誇りであると。
私一人ではできないことも、ウィリアムさまやアッシュと一緒なら、できる気がします。がんばらなくては!
「がんばります!」
「……ああ。魔法師団も全力を尽くす」
まぶしいものを見るようなお顔で、ウィリアムさまが私を見下ろします。
ああ、そんなに見つめないでくださいまし!
「とは言え、まずは現地の人間の慰撫だな」
「イブ?」
「つまり炊き出しだ。腹が減っては治安が悪化する」
「はいっ」
私はアッシュと相談します。
「パンはあるけれど、他に何がいいかしら?」
「聞いてみたらどうだ?」
「ナナイモ男爵に? それともサニアさまに?」
先ほどナナイモ男爵さまにはお会いしましたが、そのご令嬢であるサニアさまとは会えませんでした。
今は領地の見回りと魔法師団が来たことを伝えているそうです。領主家の人間が直接声をかけることで、領民を安心させる狙いがあります。
サニアさまは領地が大変な状況なのに、学校でまじめにお勉強なさっていたのですね。
お兄さまが寝たきりになって、学校を休んでいた私とは大ちがいです。
「いや、大勢に聞いても収拾がつかないからな。精霊に聞くのが手っ取り早い」
アッシュは得意そうに言いました。
『What kind of food do Nanaimo people like? I'd like to eat them a lot of it.』
「ワッ・カインダヴ・フーッ・ドゥナナイモピーポル・ライッ? アィドライッ・トゥイーッ・ゼマロットオヴィッ」
「ええええ、何を言ってるのかぜんぜんわからないわっ!」
「落ち着け、エミリー! 泣かなくていい」
「泣いていませんっ! 泣きそうなだけよ!」
「それ、ほとんど一緒だろ?」
アッシュがちょっと呆れていますが、ぜんぜんちがいます! 伯爵令嬢は、人前で泣いたりしないのです!
「まぁ、いいや。とにかく意味は、ナナイモの人たちはどんな料理がすきですか? 私はたくさんの料理を彼らにあげたいんですって感じだな。後半は i wanna でもいいと思うけど、エミリーの言葉遣いはていねいだから、そっちに合わせたぜ」
「ありがとう、アッシュ」
アイワナ、という音の響きがおもしろそうでしたが、薦められた通りの言葉を練習します。
アッシュが「v」や「L」「them」の発音の仕方を教えてくれました。
私はいつお料理が出現してもいいように、食堂の大きなテーブルの前で何度も何度も呪文を唱えます。
その時、サニアさまが食堂に入って来られました。見回りから戻られたのです。
「サニアさま」
「エミリアーナさま……。あの、来てくれて、ありがとう、ございましゅンッ」
しゅん……? ちがいます、噛んだのです!
サニアさまはパッと顔を赤らめ、くるりと回れ右しました。もふもふのしっぽが舵を取り、機敏な動きです。
もしかしてお話するのが苦手で、クラスのみんなの輪に入らなかったのでしょうか?
「サニアさま! お待ちになって!」
私の叫びに、サニアさまが止まってくださいました。
「あの、ナナイモ領の方々にお食事をお出ししますの。今からここにお出ししますから、見ていてくださいませんか?」
「何を出してくれるん、くださるの?」
「わかりません。いえ、わからないの。精霊さまがみなさんのお好きなものを出してくれるんですって」
「精霊さまが!?」
サニアさまのお顔がパッと明るくなりました。狐のお耳もピクピクしています。かわいらしいわ!
「ええと、呪文を練習中なんだけど……」
「おいおい、本番はいつになるんだ~?」
横からアッシュが茶化します。そんなアッシュを、サニアさまが満面の笑みで見つめます。いつも一歩引いたサニアさまが、積極的ですね!
確かにアッシュの言う通りです。いつまでも練習しているわけにはいきません。もう夕暮れ時です。セイレーンの調査に向かった魔法師団の方々も、そろそろお戻りになるでしょう。
「じゃあ、いきます! ワッ・カインダヴ・フーッ・ドゥナナイモピーポル・ライッ? アィドライッ・トゥイーッ・ゼマロットオヴィッ」
『What kind of food do Nanaimo people like? I'd like to eat them a lot of it.』
精霊さま方、どうか私の問いかけに答えてください!
その時、まぶしい光と共に、大きなお鍋がドン、ドン、ドン、ドン、ドン……。たくさん現れました!
しかも熱々です!
『These are beef stews!』
こだまのような声が響きます。
「ビーフ・ステューズって何かしら」
私とサニアさまは、お鍋の中を覗き込みます。
「あら、ビーフシチューだわ!」
「おいしそぉ!」
「うん、うまそうだな!」
アッシュがくんくんと匂いをかぎます。確かに茶色いソースの、酸味とコクのある香りが食欲をそそります!
「エミリー、進捗はどうだ?」
ウィリアムさまが入っていらっしゃって、テーブルの上のお鍋の数に驚いています。
「ほう。この量なら充分足りるだな。よくやった! よしローランド、運び出せ!」
「了解でありまーす!」
黒髪の秘書官さんが、軽い調子で言いました。ローランド・オーウェンさまは、カルディマンド侯爵領のご出身だそうです。気心の知れた仲、という感じです。
「あの、熱いのでお気をつけください!」
「合点! おーい、みんな。手伝ってくれ!」
「承知しました!」
魔法師団のみなさんが、元気よく運んで行きます。ウィリアムさまがうなずいて、私とアッシュをねぎらってくださいます。ささいな行為も、うれしいわ!
あとは魔法師団の方々とナナイモ男爵夫妻にお任せしましょう。私はサニアさまの手を取って、食堂を抜け出しました。
お庭に出て、ベンチに並んで座ります。広々とした大地の先に、夕日に照らされた海が広がっています。
「サニアさま、血の谷の戦いをご存知……知ってる?」
「うん、知っとぉ!」
私が言葉遣いを変えたせいか、サニアさまがにっこりしたお顔で答えてくださいます。もう緊張したご様子もありません。よかった!
「血の谷の戦い~? なんだか物騒な名前だな」
「あら、アッシュは知ってるはずよ? だってドラゴンと戦った谷ですもの」
「ああ、あれか! 今はそういう名前になってるのか」
「200年前は、どういう名前だったの?」
「知らねぇ。名前なんてあったのか?」
私とアッシュの会話を、サニアさまがお耳をピクピクさせて聞いています。
「なぁ、もしかしてナナイモ男爵って、オタワ・ナナイモか?」
「私の、先祖さん。知っとるん?」
オタワ・ナナイモさまは、私のご先祖さまの冒険者仲間です! 戦いの後も勇者の一人として国に留まり、当時の国王陛下に領地を与えられました。その子孫が、サニアさまなのです。
「そりゃー、オレもあの場にいたからな。そんで、オタワの息子と、マックスとリリィアンナの娘が、結婚したんだ」
そうなのです! 200年前、オタワ・ナナイモさまとマックス・ウェインフリートさまは、それぞれ息子と娘を結婚させました。だから血がすごーく薄いですけれど、私とサニアさまは親戚同士なのです。
でもなんだか、アッシュはさびしそうな気が?
「そう。それ知っとぉの、すごい。さすが精霊さまや」
「ヘヘン! だからって、オレに惚れるんじゃねーぞ?」
「惚れてまう……」
「なっ!? ダメダメ! オレには惚れた女がいるからな!」
「そうなの!?」
「そうなん?」
「あっ、内緒だったのに~!」
思わず私まで聞き返すと、アッシュは空中をジタバタして照れています。かわいいわ!
さっきのさびしげな様子もありません。よかった!
「うふふ、アッシュ大好きよ!」
「私もアッシュさま、めっちゃ好きや」
「ちぇっ、オレに惚れるとヤケドするぜ!?」
その時、ウィリアムさまが薄暗がりから現れました。
「エミリー、サニア殿。これを」
木のお椀に入ったビーフシチューとパンです。お礼を言って受け取ります。
アッシュが、今足音したか~? とつぶやいています。どうだったかしら?
「ウィリアムさまはもうお召し上がりになりました? お味はいかがでしたか?」
「ああ。男爵夫妻と一緒にいただいた。たくさんあったので、部下も領民に交じって食べている」
「よかったです!」
味の感想はありませんでしたが、なんだか満足そうなお顔にほっとしました。領民の慰撫は、うまくいったようです。
「精霊さまのお恵みに感謝して、この糧をいただきます。どうか私の血と肉になって、昨日よりも私を強ぅしてください」
サニアさまはお祈りをすませると、私の顔を見ました。
「ええと。神々と精霊に感謝して、本日の糧をいただきます。天上の楽園のように、この大地も平和でありますように」
唱え終わると、サニアさまと一緒に、ビーフシチューをいただきます。
「おいしい!」
「ええ!」
「けど、ちょっと待っとって」
サニアさまが立ち上がり、パタパタと走って行きます。
「まさか彼女も、アレを思いついたのか?」
「あれ、ですか?」
「いや、エミリーには悪いと思って言わなかったのだが……」
その時、サニアさまが小さな陶器の瓶を持ってお戻りになりました。
「これ! 入れるとええで! おいしいねん!」
「やっぱり……」
ウィリアムさまがうめくような声を上げます。
「はい! 使ぉてみて!」
「エミリー、それはここの香辛料だ。少し! 少しだけにしなさい! 舌がしびれるぞ!」
ウィリアムさまの剣幕に押されて、私は少しだけハンカチに取ってから指で摘まみ、ビーフシチューに入れます。
食べてみると、スパイシーな味と香りが、シチューをさらに美味しくしてくれました!
「おいしいわ!」
「せやろ!?」
サニアさまがうれしげに笑います。それからちょっとだけ、ウィリアム様をにらみました。
ウィリアムさまったら、勧められてたくさん入れてしまわれたのかしら。
いつも淡々としたお顔が表情豊かになっていて、私はまたドキドキしてしまったのでした。
いったん転移魔法陣で自宅に戻ったその翌日。
再びナナイモ男爵領に、魔法師団と私が集まりました。
いよいよセイレーン退治が始まります。