3、変身(後編)
誰もいないところで、スライムの変身を解いてから学校のみんなのところへ合流した。襲われたミルア同様、帰ってきていないヒコルを捜索していた教師もいた。合流した途端真っ先に怒られてしまったが、致し方無いことなのでヒコルは難なく受け入れた。
(ふう……、何とかなったな。あれ……?)
家に帰ってきた途端、急に力が抜けてしまった。いや、力だけならまだ良いが意識まで遠のいていくようだ。
「ヒコル大丈夫!? シュンロー先生のところに行きましょう!」
母の肩を借りて、シュンロー・クリミナルという医者のところへゆっくりと行くことになった。まさかスライムになったことの副作用か……、と思ったが、
「ただの魔力切れですね。今日は実技演習があったらしいので、思ったより魔力も精神も削られてしまったんじゃないですかね」
こんなことだろうな、とヒコルは思っていた。魔導士をやっているくらいだから、軽はずみな行動で魔力切れを起こしてしまうのは誰もが通る道だ。さらにヒコルは小さい時から魔法を酷使して自分の魔力量を増やす特訓をしていたので魔力切れの脱力感に慣れていた。しかし問題は、ヒコルはそれなりに魔力を制限していたから問題ないと思っていたが……、まさかスライムになったことで消費が激しくなったのか。
「あとは何も問題ないですね、今日はぐっすり寝てください」
「……!? 本当に何も問題ないんですか?」
「あぁ、何か気になるところでもあるのかい?」
「いえ……」
スライムの身体であることが、バレていない?
バレていないのは都合が良いが、これでは自分の身体を調べられる人がいない。いないなら、自分で調べるしかない。科学者に客観視は重要な要素だ。
自分の部屋に戻り、実験を行う。まずはスライムになった身体の一部をちぎるように取る。思ったより簡単に、そしてその行動に対して痛覚はない。
やはりどう考えても異常な状態だ。見た目も感触も前世で触ったスライムそのものなのに、人間の身体がスライムになるという突拍子もない現象が起きているんだ。
魔力が関係している、やはり未知の存在だ。この身体も、魔力が宿っている。これこそがファンタジーの世界、解明が難しいほどご都合の良い代物になっている。
今は難しいが、いつか必ず解明したいと、ヒコルはそう決意した。
ヒコルはスライムになった原因も大事だが、今はスライム人間になってできることを考えている。
まずはこの身体から取ったスライムを徹底的に調べ上げる。これなら客観的に調べやすい。
魔法を使うことにおいて、魔力感知はとても必要なことだ。身体に魔力が宿っている、その魔力にはその人特有の魔力があって、慣れれば相手がどこにいるか探ることも可能である。仲間や敵、索敵においてとても便利な能力だ。
その魔力感知でこのスライムをじっくり視てみると……、見た目より密度の濃い魔力が宿っていた。パッと見では気付かないくらい、深淵の領域にまで魔力が備わっている。
これは魔力切れになって当然だ。スライム人間になるのに魔力のコストが思ったよりかかっていたのだ。スライム人間の状態でさらに魔法なんか使ってしまったら、持久力が大きく下がる。
スライムをもっと知るためには、魔法を使うのは控えていたほうが良いかもしれない。今後の実験のために魔力はできるだけ温存しておこう。
「ヒコル、実験のため魔力が思ったより必要なんだ。少し手伝ってくれないか?」
「ヒコル~~、あれ取ってくれない? お得意の物体浮遊術で!」
「お兄ちゃんまた見せてよ~! あの綺麗な『ハナビ』っていう魔法!!」
「今日の生物の授業は、実際に使い魔を鎮静するための魔力操作、いわゆる『躾』について教えていこう。基本的に縦社会で生きてきた魔物たちは、自分より魔力操作が上だと判断した者には服従、逆に下手だと下に見てしまう傾向がある。それじゃあヒコルくん、実際にやってみてくれ」
「ヒコル頼む! ホウキ乗りのテストの成績が悪いんだ、教えてくれ! 一緒に飛んでくれるだけで良い、見てバランス感覚を掴むからさ!」
魔力の温存ができない日々が続く。思えばヒコルは、普段から魔力を半分以上使用してしまう生活を送っている。魔力は体力そのもの、疲れて帰ってこない人なんかいないくらい、魔法は今引っ張りだこな時代なんだ。
(まあ半分ってとこかな、このまま帰って実験を進めてみようかな……。あ、でもその前に、)
授業が終わった、いわゆる放課後にヒコルは教室から出てある場所へ向かう。
フリッシュ学園の隣には、大きな図書館が備わっている。そこは学生以外の人たちも入館が可能で、それでいて学園側が管理を行っている。掃除の時間に学生から派遣して清掃してもらうことも、授業の場所がこの図書館になることもある。
しかし学生の間ではここをまともに使う勤勉者はそういない。知識の亡者であるヒコルくらいだった。
「あらこんにちはヒコルさん、もう授業が終わる時間でしたか」
あまりの常連さに、受付の人から名前を覚えられているくらいだ。ヒコルは全然受付の人の名前を知らないが。
「はい、今日は父の論文、エディートについてと、生物図鑑を借りたいんです」
「どれも貸し出しはできないから、ここで読んでくださいね。でもそれくらい父親から教えてもらえるんじゃないんですか?」
「忙しい父は、研究ばっかで昔から何も教えてくれませんでしたよ。母も魔法に無頓着ですし、だから小さい時からここに毎日のように通ってるんですよ」
「そ、そうですか……」
気まずい雰囲気になるのもおかまいなくな言葉を交わすヒコルだった。
論文の置かれた場所を教えてもらい、さっそく座ってエデュートについて調べ上げる。論文はエデュートだけにあらず、他の魔道具も存在する。それほどまでにヒコルの父、シャイツ・クミンは天才発明家である。
それゆえに、目次という概念が存在しないせいでいくつもの論文の中からエデュートについての文を一つ一つ丁寧に読んで探さなければならない。
「くそっ、家だけじゃなく論文も整理が悪いのかよ……」
「何を探しているの?」
「うおっ!? 何だハルフ先生か……」
いつもなら魔力感知で大体の人の気配を見分けられるヒコルだったが、油断して後ろからミリアが来ていたことに気付かなかった。
「父の論文で、エデュートについて調べたいんですけど……、多すぎてどこにあるのか」
「じゃあ私はこっちを探すから、ヒコル君はそのままその部分を探してね」
「えっ?」
「ん?」
まさかこんなあっさりと手伝う形を彼女が取るとは思わなかったため、面喰らっていた。
「あ、ありがとうございます……」
「これくらいお安い御用よ、見つかったら適当にここの論文、私も読んで良いかしら?」
「それはもちろん……、そんなことで良いのなら」
じっくり文を読みながら整理して探し、そして論文の中盤辺りにお目当てのエデュートについて書いてある論文を見つけた。しかし書かれてあるのはいたってあのクモの糸の粘着力が凄いか、魔力の付加次第で強めることも弱めることも可能だと、少し面白そうな情報はそのくらいで、他には何も、スライムマンになぜなったかの手ががりになるようなものはなかった。
「その様子だと、お目当てのものは見つからなかった感じかしら?」
人の心を読むのが上手い、いやそれともヒコル自身が単純で顔に出ていたのか、ポーカーフェイス気味だと思っていたが......、などと考えている間にミリアがエディートの論文を手に取り読み進んでいた。
一読終えて、ミリアが発した言葉は、
「まあ、あなたのお父さんですら見つけられていない未知の存在があるのかもしれないですね。そう簡単に見つかるものじゃないと思いますよ、だからじっくり探していくと良いと思います」
何を察してくれたか、ミリアはヒコルにできる限りの励ましの言葉を与えた。
「現に私が悩んでいた魔法の伸びしろの悪さも、あるきっかけのおかげで良くなってきたの! だからそういう、何気ない出来事に出会えるかもしれないわよ?」
そのきっかけは、間違いなくスライムマンのことで、与えたのはヒコルだ。
しかしそれでも彼女の言う通り、この世界は謎が沢山あり解明もされていないのが多すぎる。少しずつ、絡まった糸を解くようにじっくり見つけていこう。
そう思った時、外で騒ぎが起きる。
「良かったここにいた、大変だヒコル!」
「図書館ではお静かに」
「あぁすみません、ヒコル来てくれ、騎士見習いたちが俺たちの広場を使っているぞ!!」
*
「何考えているの、お互いのテリトリーは犯さないのがルールでしょ!?」
「そっちが先に破ったんだろうが!!」
「はぁ何の話!?」
「まずい、昨日の俺たちのせいだ……」
「まだ根に持っていたとはな……」
首謀者はやはりヘルンだった。昨日の僅かな失敗に目を瞑ってくれない、どころか調子に乗って事を大きくしたいようだ。
「先にルールを破った側が謝るのが筋ってもんじゃねぇのかよこのトンチキ共が!」
「何よこのゴリラ!」「筋肉ダルマ!!」「シンプルにバカ!!」
(騎士側の悪口もあれだが、魔導士側もどっこいどっこいだよなぁ。しょうがない、事の原因である俺が何とかするしかないか……)
図書館から風魔法で素早く移動してきたヒコルたち、ラニエルを連れてそのまま揉め事が起こっている中心へ移動する。
「みんな落ち着いてくれ! 魔導士見習いの皆ごめん、俺が物体浮遊術でカバンを浮かすのに誤って騎士見習い側のところへ飛ばしてしまったんだ」
「まじなのかよ……」「あのヒコルが……?」「信じられない……」
ヒコルは魔導士見習いの中でも人気が高く、本人の意思とは無関係にリーダー扱いされている。そんな皆の憧れであるヒコルのミスに幻滅する者も一定数、いないわけがなかった。
「もちろんルールを破ってしまったことは謝りたい、というか謝ってる。実際は事故なんだ、でもそんな言い訳じゃ君たちは分かってくれない。現に腹の虫が治まらないから、君たちはこうやって仕返しをしているわけだ」
「それが何だって言うんだ!? 文句あんのか」
「仕返しは悪い、悪いと主張したい、だとしてもそれは今回の原因である俺がする立場じゃない。だから代わりに提案しに来た、お互いの不満をぶつけた、正々堂々の戦いをしよう!」
「戦いだと……?」
「魔導士見習いであるこっちの賭けは、謝罪の意味を込めて俺が君たちの部室を全部掃除してあげよう。それと、こっちの広場全部だ」
それにより両者がざわついた。騎士見習いが使う部室は汚い汗臭いで魔導士見習いが毛嫌いする場所だ。
「代わりにこっちが要求するのは、俺が犯した不祥事を忘れること、これ以上力に任せた横暴なことはしないということ、それと広場を半分もらう」
「広場ならちゃんと半分にしてるだろうが」
「いいや、正確には半分じゃないさ。魔導士見習いの広場は校舎沿い、君たち騎士見習いの意向で校舎の側に部室なんか設立したもんだからこっちの広場がかなり失ってる。こっちは前から不満を抱えていたんだ。ややこしいならお互いの広場を交換するっていうのでどうかな?」
「良いだろう。だが、お前だけで部室の掃除が終わると思えねぇなあ、だから魔導士見習い全員が掃除するってことにしておけ。優しいだろ?」
「それは皆と話し合って決める」
「それじゃあ問題の対戦方法はどうすんだよ? まさか盤上ゲームなんて言わないよなぁ?」
「いや、こっちが有利な盤上ゲームも、逆に君たちが有利な木毬競技も、結局はお互いが不満を持つ存在になると思うんだ。そこで俺は考えたんだ、この二つの競技を合わせた新しいゲームを……!」