1_87.包囲陣地脱出作戦開始
翌朝、つまり包囲陣地脱出当日に全部隊がそれぞれ集められ、その中にコールガスとエルネスキの姿もあった。既に先行する日本の自衛隊部隊が展開を終えており、これから行われる脱出作戦の計画が包囲陣地のコルダビア軍及びドムヴァル軍全てに通達された。大まかな作戦内容としては陣地内に展開している自衛隊部隊が包囲陣地内から魔獣誘引の為の攻撃を行い、同時にサライから出撃した対戦車ヘリコプター部隊がその支援を行う。その上で魔獣が誘引されてサライに向かう退路上の魔獣密度が低下した段階でロドーニア特別調査隊のヴォートラン部隊を先頭にサライまでの退路を切り開く。その為、脱出作戦初日は魔獣への攻撃と誘引に集中する事から、その日のうちに脱出が出来るとすっかり思い込んでいたコルダビアとドムヴァルの兵は、やや落胆していた。
頻繁に日本のヘリコプターがサライから包囲陣地内にやって来ては救援と攻撃の為の物資を降ろし、帰りには負傷兵をサライに運んで行くその姿を見ていたバリンストフ少佐は、魔獣の森によって行動の制限を受けないヘリコプターに感銘を受けていた。
「サトウ隊長、あの浮遊機…ああ、ヘリコプターと言うのでしたな。あれは実に良いモノですな。貴軍のヘリコプターはあれを運搬用途にのみ使用しているのですか?」
「おはようございます、バリンストフ少佐。ヘリコプターの類は様々な用途で使用しておりますよ。例えば、そうですな…海難救助であるとか、報道関係による上空からの状況確認とか、軍事以外の用途も様々ありますね」
佐藤はヘリの用途を詳細に語ると問題があると考え適当に誤魔化していたが、バリンストフ少佐はそもそも軍事以外に使用するという事に驚き、その仕組みを知り違った。だが、当然の事ながら佐藤はその仕組みを詳細に教える事も出来ず、ざっくりとした説明はバリンストフ少佐が聞いても分からなかった。
「成程、私が聞いても分からないという事は理解しましたよ、サトウ隊長」
分からない事は後で専門の技術士官でも呼んだら良いのだろうが、何れここから脱出してからの話だ。それにしてもあのヘリコプターという物は結構な重量物も運べるし、何より浮遊機と同等の移動速度を持つのも魅力だ。ただ、唯一気になるのは操縦席が丸見えで前面装甲が全く無い所だが、あれは運搬用途に特化していて前線での使用を行わない類の物なのだろうか…まぁ恐らくは様々な用途の中には攻撃を行う類の物もあるのだろうが、そういう類には前面の装甲化が為されているんだろうな。
バリンストフ少佐が自らの知識の範疇で色々推測を立てながら想像していると、逆に佐藤から質問を受けた。
「少佐。あの大きな砲を持つ車両は何ですか?」
「ああ、あれはコルダビア軍の自走魔導砲ですよ。大口径の魔導砲を装備し、前線をあの砲で突破して前線を押し上げてゆく類の兵器ですな。貴国ではあの類の戦闘車両はお持ちでは無いのですか?」
佐藤が見ていたコルダビア軍の自走魔導砲は、8輪のタイヤの様な車輪を持つがそのタイヤそれぞれがキャタピラの様なパターンを持ち、装甲を思われる部分が前面に集中している涙滴型に近い形状を持った装輪装甲車だった。だが、そのタイヤの一つがとても大きく、砲さえ無ければ月面走行車に良く似ているなと思いつつ答えた。
「我々も同様の車両を持ってはおりますね。何れ見せる機会もあるかもしれませんが、その類は見る事が無い方が平和で宜しいかと思いますね。ところでその魔導自走砲は稼働可能なんでしょうか?」
「ああ、勿論稼働可能だし、射撃用魔導結晶石も潤沢にありますよ。無いのは食料位ですかね」
「そうですか…自走魔導砲は使えるんですね。成程…」
佐藤は、並べられた自走魔導砲を眺めつつ何かを考えていた。バリンストフ少佐は更に何かを質問しようとした瞬間に、慌ててやってきたドムヴァル兵が南方から魔獣接近中との報告を受け、司令部に戻っていった。
佐藤は他の隊員を呼び寄せて指示を始めた。
・・・
コールガスとエルネスキは通達された内容から、日本という国の軍隊が魔獣を引き付ける支援攻撃を行って、それにより脱出路をロドーニアとヴォートランの部隊が切り開くという内容を聞いて疑問に思っていた。この包囲陣地にやってきた日本の国の軍は見慣れない浮遊機3機と少数の砲、そして小隊に満たない人員しか来ていない。こんな人数でこの包囲陣地を取り囲む魔獣達を牽制しながら、16万もの集団を脱出させるだと?
「おいエルネスキ、聞いたか?」
「ああ。聞いたが…こりゃ期待薄だな。あの人数で? 一体なんの冗談なんだ?」
「多分だが…既にコルダビア軍の食料も無い。このまま士気が崩壊してゆっくりと全滅するよりも、少ない可能性に賭けたという事だろう。だが、そうなるとこの脱出作戦が成功する可能性は薄いな」
「ふーむ…そうすると俺達も身の振り方を考えた方が良いな。最低限、あのニッポンとやらの能力を確認した上で何とか脱出出来れば良いがな…」
「全くコルダビアも、もう少し頑張るかと思ったがなぁ…そもそも俺達潜入する必要あったか、これ?」
「お偉いさんの事は俺には分からんよ。直接指揮出来ない以上、御目付的な感じだったんじゃないか? 魔獣によって完全に通信も遮断されちまったし、上もこうなる事は考えていなかったんだろうさ。」
「そうだろうな。ドムヴァルに潜入した連中はどうなったんだろ…」
「さあな。居ても輜重部隊には恐らく居ないだろうよ。さて、開き直ってあのニッポンの部隊の調査に行こうぜ」
「あんま目立つなよ。つっても、この大混乱状態なら大丈夫か」
包囲陣地内は朝から脱出に関する作戦内容が周知され、皆がそれに向かって脱出準備に大わらわだった。この陣地内の騒動を嗅ぎつけたのか、魔獣の森もまた騒がしい気配を放っていた。その為、コルダビア軍が南方から来る魔獣に対抗する様に展開し始めた。その中核となったのは自走魔導砲部隊であり、接近する気配がある所に定期的に魔導砲を撃ち込んでいた。そしてそこに自衛隊の120mm迫撃砲の展開が終了し、早速砲撃を開始した。運よくコールガスとエルネスキは自衛隊が展開し始めた頃に近くに居た為、何の疑いも掛けられずにその場で自衛隊の攻撃風景を目撃していた。
「おい、なんか小さい浮遊機が飛び立ったぞ!? それにあのニッポンの砲撃陣地、たったの二門しか砲が無いけどアレで効果があるのか?」
「分からん…だが、噂によるとここより北の城壁で巨大魔獣を掃討したらしいぞ。それもあの2門だけでだ」
「皆も藁にも縋りたいんだ。何か誇張した話なんだろうが…ん? まだ砲は上を向いたままだぞ、アレで良いのか? …え、上から弾を砲の中に落としたぞ?」
弾を運んできた兵が砲の直上に弾を込める姿勢で待機し、合図と共に砲の中に弾を落とす。
120mm迫撃砲は発射と共に発射光と射撃音を辺りに響かせた。
「あれが正解なのか…魔導砲とは別の仕組みなんだろうな。あの発射音…それにしても発射間隔が早いな…」
「だが一体どこに向かって撃っているんだ…?」
数発撃った後に、砲撃陣地内では上空に居るドローンから情報を受け取り、砲撃座標の修正を行い始めた。一体何を行っているのか興味を持ったコールガスはそろそろと射撃陣地に近づいて行き、一番近い場所にいた自衛隊員に話しかけた。
「なあ。あんた達ニッポンの兵なんだろ? 一体、ドコを撃っているんだ?」
「ん?…ああ、あなたはコルダビア軍の方ですか? それともドムヴァル軍の?」
「ああ、俺はコルダビア第二打撃軍の第145歩兵大隊のコールガスってモンだ」
「成程、私は日本国自衛隊所属の者です。今行っているのは、南方方向からこちらに接近しつつある魔獣の掃討を行っています。上空から観察しつつ、砲撃地点の修正を行っているのですよ」
「南方方向だと? …あ、いや南方正面は魔導自走砲部隊が防衛線を構築していた筈だが…」
コールガスはあまり魔獣に対して成果が無くとも、自走魔導砲の前面装甲で魔獣を足止めして皆で寄ってたかって射撃を行い、何とか侵入を防いできた今迄の方法で対策をするものとばかり思っていたが、目に見える範囲で自走魔導砲は交戦している様には見えない。そして南方方向、つまり日本の軍隊が行っている射撃は自走魔導砲の上を飛び越した先に着弾しているのを確認した。
「ああ、そうか! そういう事か! これは上に向かって撃っていたが、その先を狙っていたんだな!」
今迄の射撃の常識を覆す日本の軍隊の砲撃は、大きな放物線を描いて魔獣がこちらに接近しようとするその出鼻を挫くように魔獣の群れの中に着弾し続けた。この様子をモニターしつつ、射撃座標を細かく修正して射撃を続け、僅か数分の間に南方方面に居た魔獣達は120mm重迫の攻撃を無防備のまま受け続け、自走魔導砲の陣地に辿り着けた魔獣は殆ど皆無に近かった。
コールガスは自衛隊員に礼を言うと、そのままエルネスキの場所まで引いた。
あのニッポンの軍隊は、上空から観察しつつ効果的に魔獣の群れを殲滅していた。あの上を向いた砲は魔獣達に誠に有効で危険な事を認識した。ヴァルネクの魔導砲は全てが直線的に進む。だが、あの砲は上に向けて撃ち、そして弾は前面の障害を超えて着弾する。魔獣達に有効なら、人間にももっと有効に働くに違いない。たったの二門しか無いのに、これだけの威力なのだ。あの発射速度もそうだが、砲の展開速度も早い。我々がこの砲を持つ者と敵対した場合、従来のような正面装甲に偏った兵器は危険かもしれない。何故なら、前方に障害を置いて魔導砲が直接攻撃出来ない状況を作られた場合、それらの障害を飛び越える攻撃を受ける可能性があるのだ。ニッポンという国の兵器は中々に厄介なのかもしれん…それに上空から砲撃場所を観測する、というのは我々には無い概念だ。常に見える範囲を直接照準で打つ魔導砲は、真っすぐに観測する方が理解しやすい。だが、ああいった直接照準しない、しかも遠方で目視出来ない場所に対する攻撃は確かに上空から観測した方が分かり易い。つまり、このニッポンの軍隊は兵器の特性を理解した上で運用している。ニッポンを敵に回すのは厄介だし、更には同盟軍にこの情報や兵器の類が回るのは更に厄介だ…
コールガスはエルネスキに砲撃陣地内で見た事を話し始めた。
「エネルスキ、俺達はどうしても生き残る必要が出て来たぞ」
「どういう事だ? あれはそれ程に危険な兵器なのか?」
「危険は危険だが、危険なのはあのニッポンという国の軍隊だ。そもそも俺達が常識と思っている事が、あの連中の兵器は全く違う動作原理の兵器を運用し、しかもその運用がこなれている。つまり連中は戦い方を知っているという事だ。あいつらの兵器は俺達とは全く違う。全ての兵器を全部見た訳では無いが、恐らくここに持ってきたのは極一部でしか無いだろう」
「ああ、まぁそうだろうな。自走魔導砲に近い類も持っている様だしな。あいつら自走魔導砲を見た時も特に驚いた様子も無かったし、今の南方の魔獣攻撃に関しても、直ぐに砲の前面に自走魔導砲部隊を配置させていたしな」
「そう、そういう事だ。類似兵器をどういう用途でどう使うかも連中は理解している。その上で魔獣への攻撃を行っていた」
「だが、それのどこが危険なんだ、コールガス?」
「連中は恐らくこっちの持つ兵器の殆どを類似した似たような能力の兵器を持っているだろう。だが、俺達は連中の持つ兵器に対抗可能な物が無い。あの放物線を描いて撃つ砲は簡単な例だ。他にどんなモノがあるか探らなければならん。そしてこの情報を生きてマキシミリアノ閣下に届けねばならん」
「そうか…うまく生き残って国に帰れば…ああ、レフールの御加護を」
「絶対に生き残る…最悪俺達のどちらかがこの情報を届けるんだ、エルネスキ」
「ああ、勿論だ」
二人は探る様な目線を自衛隊陣地に向けながら遠巻きに移動した。
そして昼頃には北方からロドーニア特別調査隊が包囲陣地との連絡を果たした。