1_78.ヴァルネク北部国境
ムーラの森とテネファから始まった魔獣の暴走は、ドムヴァル中央を席捲しサライ国境城壁まで到達し一応はそこで食い止められている状況だった。だが、サライ南方のムーラとの国境部分からも魔獣の侵入が相次いでいた。辛うじてサライの国境城壁が全域に渡って魔獣の侵入を防いでいたが、今の所は森から更なる危険な魔獣が出てきていない事から、一時的な小康状態となっていた。
だが西方方面は大変危険な状況となっていたのだ。
それは、東方方面のサライ城壁で行き場を失った魔獣達がドムヴァルを横断し、サダル国・ベラーネ国と海岸沿いに沿ってヴァルネクのある西方法面へ突進していったのだ。
この突進に追いつかれぬ様にグジェゴシェク将軍率いるヴァルネク第二軍はドムヴァル北部国境への脱出を図り、間一髪で唯一残っていたドムヴァルの港に辿り着き、ほぼ全軍をドムヴァルから航路で脱出していったのだ。だが、この脱出に漏れた者達が居たのだ。それは船での第二軍脱出に間に合わなかった内陸に配置された兵達だった。
それらは小グループを作りながら各個に安全な場所を求めて逃げていたが、次第にそれは大きな集団となっていった。当初は現れる魔獣もそれほど対処に困る類では無かったが、そのうち危険な大型の魔獣が現れるにつれ、少ない人数のグループは直ぐに魔獣に対抗出来ない事から、安全の為により人数を集め、寄り添い、ヴァルネク国境に向けて脱出を図っていたのだ。
彼等の中核は、兵站部分を担当していたエストーノ陸軍を中心に、サライ国境からの引き上げで脱落したヴァルネク軍を始めとする連合各軍だった。ヴァルネク連合の残存兵は全ての魔導結晶石を消費する勢いでヴァルネク国境に全力で向かっていたが、ヴァルネク国境があと数キロという所まで辿り着いた彼等の元に届いたのは、ヴァルネク東方城壁の封鎖と開門拒否だった。
この時既に中立国中最大の面積を誇るエーネ北方の森から大量の魔獣が溢れ出し、ジリナ・サルバシュ、そしてセレ王国まで蹂躙しヴァルネク法国東南部国境城壁へと到達していたのだ。これらの魔獣は城壁に沿って北方方面に進み、脱出してきた残存兵とヴァルネク国境城壁との間に広がった。
この状況に城壁内のヴァルネク軍は動揺した。
恐らく城壁を開けて目前に展開する魔獣達を攻撃したならば、一部の兵力は救う事が出来るだろう。だがそれと引き換えに、ヴァルネク領域内に魔獣を引き込む可能性が高まる。ここを突破された場合、城壁内側から魔獣の蹂躙が始まった挙句に他の地域へも被害が波及し、恐らく留まる事は無いだろう。それが故に北部国境守備隊の責任者であるスワルコフ中尉は、悲鳴のような脱出残存兵の開門要請を全て黙殺した。
「スワルコフ中尉……本当に宜しいのですか?」
「勿論だ。応答するな。回線を切れ」
「ですが中尉……」
「貴様が言いたい事は理解している。だが門を開けたらどうなる。我々があの魔獣を容易に駆逐出来るなら兎も角、我々の銃さえ効かぬ魔獣も居るのだ。あれがこの城壁内に入り込まれた場合を考えろ」
「それは分かりますが……回線を切ります……」
「そうしろ。何も手を出せぬのに話を聞くなど余程残酷な事だ。我々にはどうにも成らんのだ」
スワルコフ中尉の判断は正しい物だった。
だが、残存兵達の中にそれなりに高位の将校が残っていたのだ。ちょうど回線を切る事に躊躇していたタイミングで、その高位の将校からの通信が割り込んで来た。
「北部国境守備隊の責任者は誰か? 私はエウゲニウシュ将軍旗下の第三軍トルロフ旅団のトルロフ大佐だ。責任者の応答を乞う!」
「はっ、北部国境守備隊のスワルコフ中尉であります!」
「スワルコフ中尉、君が責任者か? よし、君に話がある。君が国境守備の任という重責を負っている事は理解している。勿論、城門を開けれられない事もだ。だが我々は1,000kmもの逃避行を続け、漸く生きて此処まで辿り着いた。我々以外にも連合各国軍がここに残っている。何とか我々を助ける手段を考えて欲しい」
「ですが……大佐殿。門は……門は開けられません」
「君の守備隊の兵力はどれ程あるのだ。我々と共同で魔獣を挟撃したならば或いはその隙も出来るのではないか?」
「ここを守備する我々の現有兵力は中隊規模です。とても魔獣に対抗出来ません」
「なんだと? いや、声を荒げて済まない。君の部隊には浮遊機は無いのか? それとも港から船を派遣する事は出来ないか?」
「大変申し訳ありませんが、私には権限がありません」
「……それを判断出来る君の上官はどこに居るのだ? 可能であれば、君の上官と話がしたいのだが」
「ここから後方1kmの北部防衛要塞に回線を繋ぎますので、少々お待ち下さい」
一端回線を切って、北部防衛要塞に居る上官に通信を繋ごうとしたスワルコフ中尉は嫌な予感がした。
ヴァルネク東方国境の最北端にある監視所から急遽連絡を受けたウーラ少佐は即座に激高しながら回答した。
「スワルコフ中尉! 何故に城外との回線を繋ごうとする!」
「大変申し訳ございません。城外には第三軍所属トルロフ旅団のトルロフ大佐が居り、ウーラ少佐との通話を求めております。当初下命されております指示の通りに返信してはおりますが、トルロフ大佐が納得せず……」
「第三軍だと!? ……エウゲニウシュ将軍の第三軍か。トルロフ大佐だな? よし、回線繋げ!」
ウーラ少佐はヴァルネク軍の中でも傍流の国境守備隊に配備され、既に10年もの間この国境守備という辺境任務に不満を抱えていたのだ。だが主流である軍団への配属は絶望的である事も理解していた。ヴァルネクが持つ陸軍も法王直轄の親衛軍もその選考基準は厳しく、何のコネも無いウーラ少佐がこれらの軍に転属する事は難しかった。だが、このトルロフ大佐からの通信はウーラ少佐にとっての僥倖かもしれないのだ。
「国境守備軍北部国境守備隊所属のウーラ少佐であります!」
「ウーラ少佐、君がここの責任者かな? 私は第三軍トルロフ旅団のトルロフ大佐だ。先程君の部下のスワルコフ中尉から門が開けられないとの連絡を受けた。言っている事は理解しているが、我々も何とかここから脱出をしたい。何か方法が無いか考えて欲しい」
「はっ、了解しました! 何とかしましょう!」
「頼む、我々の後方からも魔獣の群れがやってきている様だ。それと城壁周辺の魔獣を排除する能力は我々には無い。早急に何とかして欲しい。……我々が脱出に成功した暁には悪い様にはしないぞ、ウーラ少佐」
「可及的速やかに何とかしましょう、トルロフ大佐。お任せ下さい!」
窮地に追い込まれたトルロフ大佐他の様々な寄せ集めの集団は北方城壁を目の前にして足止めを喰らっていた。彼等は城壁周辺に群がる魔獣を排除しなければ城壁内には入れず、その魔獣を排除する戦力は持ってはいない。そして城壁は固く閉ざされていた。さらに、彼等の背後からはサライ城壁によって阻まれた魔獣達が海岸線に沿ってヴァルネク方面に押し寄せて来ているのだ。つまり、彼等に残された時間は非常に少なかったのだ。
まず、この北部国境城壁には戦力は中隊規模しか無かった。そして浮遊機の類も一切装備をしていなかった。にも関らずにそんな状況でトルロフ大佐からの要請を受諾したウーラ少佐は、先ずスワルコフ中尉に命じて城門周辺の魔獣排除を命じたが、そもそも中隊規模しか居ない事から排除は全く進まなかった。しかもトルロフ大佐の部隊も攻撃力が殆ど無かった為に、双方の攻撃によって魔獣の排除して道を切り開く手段を断念した。
次にウーラ少佐はヴァルネクの北方海岸にある近隣の漁村の漁船を徴発して海岸からの救出を企画したが、漁船の数自体が少な過ぎた上に、ベラーネ側の海岸は遠浅で船が近づけなかった事から漁船に乗り移る事が非常に難しい状況となっていたのだ。その為に海岸からの脱出も遅々として進まなかった。
「ウーラ少佐! トルロフ大佐から入電です!」
「分かっている! 代わる!!」
「そちらの状況はどうなっているかな、ウーラ少佐。我々の残り時間は少ないぞ」
「その……我々の戦力も火力もそれ程無いのです。そちら側から城門周辺の魔獣を排除出来ませんか?」
「君は任せてくれと言った筈だ。我々は脱出の際に重装備を全て放棄してきた。小口径の魔導銃しか持ってはいないが、こんな小口径の銃では魔獣には効かん。どうにかしたまえ!」
「いや確かにそうなんですが……分かりました、分かりましたよ、トルロフ大佐!」
こうして八方塞がりのウーラ少佐は兵力を城門に集めてイチかバチかで開門して、トルロフ大佐率いる部隊を入れようと画策した。その準備の段階でウーラ少佐の目的に気が付いたスワルコフ中尉は必至でウーラ少佐を止めた。
「お止めください少佐! 開門は許可出来ません。私は軍から与えられた権限に基づき開門を拒否します!」
「そこをどけ、スワルコフ中尉! おい、誰かこいつを拘束しろ!」
「少佐! いけません、外は魔獣で溢れています。ここを開けた瞬間に雪崩れ込んできます!」
「城壁上から攻撃を行い魔獣を牽制し、その隙に外の部隊を引き入れるのだ。確かに何匹かの侵入を許すかもしれん。だが、何匹かならここの部隊で排除が可能な筈だ。違うか、スワルコフ中尉!」
「駄目です。絶対にここは開けさせません!」
「いい加減にしろ、中尉。これが最後だ、開門しろ。上官の命令だ」
「拒否します。皆、少佐の命令は聞く、うぐっ……な、何故……少佐……?」
スワルコフ中尉は最後まで言い切る事が出来なかった。
最後まで命令を拒否するスワロフ中尉を、ウーラ少佐は射殺した。
直ぐにウーラ少佐は他の兵に開門を命じた上で、トルロフ大佐への回線を開いた。
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