1_72.銀色の目
ムーラの森はすっかり日が暮れて真っ暗となっていた。
真っ暗な森は想像以上に不気味で全く気が休まらない。
どこから獣が、そしてどこから魔獣が現れるか分からない。
やつらは気配も無く忍び寄って人を捕食してゆく。
ここは防衛陣地より東に17km地点のムーラの森中程であり、サライ国境までは平地であれば僅か数時間で踏破可能な距離だった筈だ。だが、この真っ暗な森の闇に閉ざされ、ドムヴァル第二歩兵師団 第七連隊 第29大隊、44大隊、38大隊の生き残りであるガリンストス少尉以下60名は、殆ど全ての装備を失いつつも森の中で未だ生きていた。
「少尉殿、こう暗くっちゃもう進めませんや……ここらで夜を明かしましょうや」
「……そうだな、バルベル軍曹。よし、ここで防御陣地を構築する。円陣を組むぞ、残りの武器と魔導結晶石を集めろ。フレイ伍長、周辺警戒の罠を張れ。二班に分けて交代で警戒にあたる、選別はオーヌ曹長、お前に任せる」
「了解です。それと少尉殿、銃と食料が心もと無いですね。銃は三人に1丁、食料は節約しても残り2日分です」
「今更、銃なんぞ有っても無くても俺達の状況は変わらん。どっちにしてもあの魔獣共には効かんのだからな。だが、だからと言って捨て行く事も出来ん。直ぐに撃てる様に手入れはしておけ。仮に魔獣からの攻撃を受け、銃を持つ者が倒れた場合は、手隙の者がその銃を使え」
「ははっ、少尉殿。こりゃ末期の敗走軍ですな」
「違いない。だがサライに着ければ俺達の勝ちだろうよ」
「……少尉殿、俺達は生きてサライに辿り着けますかね……?」
「分からん。だが俺達は未だ生きてる。生きてるうちは足掻くだけ足掻くぞ。サライに着いたら祝杯だ。朝まで大騒ぎをしてやるぞ。だが今日はこのまま黙って寝ろ。良いな?」
こうして数名の歩哨を残して、ガリンストス少尉の残存兵はムーラの魔獣の森の中で一夜を過ごした。朝を迎えた少尉は、幸いな事に魔獣による襲撃が無かったと胸をなでおろしていたが、その彼の元にオーヌ曹長が気になる事を言い出していた。
「少尉殿、どうやら我々の向かっている方向は間違っている感じがします」
「どういう事だ、曹長?」
「我々はサライ国境を目指しています。当初の場所はここ、そして我々が居ると思われる場所はここ、向かっている方向はこのサライの国境です。これは全てが上手く行った場合の予想ルートです」
オーヌ曹長は、ガリンストス少尉の元で地図を広げながら自分達が居る地点を確認していた。この地図と、想定している場所が正しければサライ国境までは残り15km未満であり、ものの数時間で踏破が可能な筈だ。
「ですが、この地図と見える地形が若干違う。今居る場所の傾斜は明らかにこの予想地点には無いのです」
「とすると、我々が今居る場所はどこになる?」
「恐らくは……より内陸側に3km程外れているかと。つまり森の中腹部に差し掛かっている状況です。この地図からすると、この辺りの傾斜がここに相当します」
ガリンストス少尉は地図と予想される現在位置を交互に眺めた後に改めて口を開いた。
「あの魔獣からの脱出時に方向が狂ったんだろか。だが何れにせよ、現地点からサライに向かうとして然程の距離の差はあるまい?何か気になる事があるのか、曹長?」
「そうですね、何とも言えませんが……ここがより森の深い場所である事が気になる事でしょうかね」
「まぁ昨晩も無事に過ごせた事だし悩んでいてもどうにもならん。今日中にサライに向けて移動するぞ。曹長、全員起こせ。出発するぞ!」
正にその台詞をガリンストス少尉が言ったのと同時に、陣地の中で叫び声が上がった。
皆が一斉にその方向に向くと腰を抜かしたかのような二等兵フースと、その二等兵の前にゆらゆらと立とうとしている、何か様子がおかしい二等兵エグスが居た。
「エグスが……エグスが、おかしくなっちまった!!」
フースの叫び声で、一斉にエグスの周りから皆が離れて警戒を始めた。
そしてバルベル軍曹がフースに向かって叫んだ。
「おいフース! どういう事だ? 化け物って何だ!?」
「エグスの目が……目が無い!! 目が銀色になってる!!」
「目が銀色だと? 何を馬鹿な……エグス、聞こえるか!? 何があった!?」
「あ……ぐんそう……お、おは……よう……ござい……ます……」
のろのろとたどたどしい口調でエグスが口を開いた。
だが、その目は何か普通では無い。何故か銀色に鈍く光っていた。
そしてそうなっていたのはエグス二等兵だけでは無かった。辺りを見渡しお互いの隣人を確認し始めて、改めて何かが起きている事に気が付いたのだ。少なくともエグス二等兵を含む四人の兵が異変に犯されていた。
「これは一体何事だ……? おい、その四人の銃を取り上げて一か所に集めろ。何かの病気かもしれん。他の兵は近寄るな!」
集められた四人は、何も分からないかのようにのろのろと一か所に集められ虚ろな表情と銀色の目でゆらゆらと揺れていた。ガリンストス少尉は、恐らくこの地に居るなにかの疫病の類に罹った物として判断し、皆に近寄らないように指示すると脱出ルートの選定にオーヌ曹長とバルベル軍曹を呼んで協議を始めていた。
そして集められていた銀色の目の四名は勝手に動き出した。
周囲を遠巻きに兵達が監視していたが、動き出した四名は目にも止まらぬ速さで周囲の兵に飛び掛かった。当初、何か病気に犯されているものとばかりに判断していたガリンストス少尉は呆気にとられて茫然とその光景を見ていたが、直ぐに正気に戻ると直ぐに彼らから距離を置いて叫んだ。
「こいつらはもう元の人じゃない! 距離を取って射撃可能な者は撃て!!」
「えっ、少尉!? ……ですが仲間を??」
少尉は無言で、銀色の目を持つかつての部下を魔導銃で撃ちぬいた。撃たれた兵は胸と腹に大きな穴を空け、そこから銀色のどろどろとした得体の知れない液体を噴き出してひっくり返った。
「見ろ! こいつが人間か!?」
「なんてこった……なんて森だ……」
「ぼさっとしている暇は無いぞ、直ぐにこいつらを排除しろ!」
ひっくり返った兵は、そのまま起き上がろうとして周辺に居た兵から銃撃を何度も喰らった。そしてそのうち身体中から銀色のどろどろとした液体を流し切って動かなくなった。兵の周囲には銀色の水たまりと人の皮が残された。
「おい、こいつらには銃が効く。遠巻きにして銃を撃ちこめ。近寄るなよ!」
ガリンストス少尉とオーヌ曹長、バルベル軍曹が周囲に居た場所では容易に少尉によって銀色と化した元兵だったもの1名を排除した。だが、他の場所では撃つ事に躊躇した兵達に何ら迷いなく近づいた元エグス二等兵や、その他の二人によって次々と兵が襲われていた。この銀色の目をした元兵達は、兵に飛び掛かると口から吐しゃ物を吐くように、押さえつけた兵の口の中に銀色のどろどろとした物を流し込んだ。そして流し込まれた兵は、地面に倒れ込むとビクンビクンと痙攣を始め、再び起き上がった時には既に目は銀色へと変化していたのだ。
「フースが……フースも銀色の目に!?」
「おい、距離とれ! こいつらに捕まったらうつされるぞ!!」
「早く撃て! あいつはもう流し込まれた、あいつ諸共撃っちまえ!」
「ちっくしょう、誰か銃くれ! こっちに来る!!」
それでもガリンストスの残存兵達は人数で勝っていた。
次々と襲われ兵が銀色に犯されつつも、なんとか撃退に成功した。だが、全ての銀色の排除が終わった時には、20名もの兵を失っていたのだ。オーヌ曹長はあちこちに広がる銀色の水たまりと人だった物を、その場で全て焼き払った。
「少尉殿……ようやく片付きましたね」
「曹長、何人やられた?」
「ざっと……20って所ですかね……」
「20名か……全く何て森だ。オーヌ曹長、装備を確認後、直ぐに移動する。ここに留まっていると別の何かが襲ってきそうだ」
「了解です。生きてこの森から出られたら、俺達の冒険譚は末代まで語り継がれるでしょうな」
「ああ……生きて出られたらな。よし、準備出来たな? 出発する!」
こうして40名まで減ったガリンストス少尉の一行は、再びサライに向けて出発した。
サライ国境までは残り15,6km程度を残すばかりだ。今日の日が暮れる頃にはサライの国境付近、つまりこの森からは抜け出せている筈だ。だが、この恐るべき森では昼も夜も無く、正体不明の魔獣が襲ってくるのだ。果たして日没までに俺達は生きてサライに辿り着けるのだろうか?
ガリンストス少尉には、どうにも生きてサライに辿り着けない気がしてならなかった。
午前中、暇だったので更新しちゃいました(予定外)
でも夜更新出来るかなぁ…完全版じゃないんだよなぁ…
(夜はZOOM宴会予定)