1_70.阿鼻叫喚の三角地帯
ノーデン大尉はテネファとムーラの境の森で森から引き戻した部隊を受け入れていた。元々ノーデン大尉が居るこの場所は、脱出指揮所だったが、バリンストフ少佐からの緊急命令で魔獣の森から全員を引き上げ、魔獣の氾濫にコルダビア軍と共同で備えよと命ぜられたのだ。その為、これから森に突入しようとしていたドムヴァルの第三歩兵師団を引き上げさせた迄は良かったのだが、既に森に入った第二歩兵師団との連絡が一向に回復しない。彼等と連絡が回復しない事には第二歩兵師団は魔獣の森を当初の命令に従って進み続けるだろう。バリンストフ少佐の情報によれば、大量の人間が魔獣の森に立ち入る事によって魔獣が森から溢れ出すのだという。そして既に、この脱出指揮所近辺でも魔獣の影がちらほらと散見され始めていたのだ。
「未だ、第二歩兵師団との連絡は回復しないか?」
「はっ……こちらの呼びかけには依然として応答しません!」
「本格的に魔獣が出始めたら、ここもそれ程持たん。……明日の朝までに連絡が回復しない場合は、ここを放棄して後退、本隊に合流する。良いな? それと引き続き、第二歩兵師団への呼びかけは続けろ」
「了解しました」
ノーデン大尉の判断で明日の朝までと区切ったが、果たしてそれ程の時間的余裕があるのか。魔獣の中には陽光を嫌う類もいる。逆に言うなら、夜にその制約は無い。そして辺りはとっぷりと暮れており、今は魔獣の時間なのだ。この前面で見かける緑色の魔獣と共に、何やら女の叫び声のような物が先程から辺りに響いている。
脱出指揮所の周辺陣地では、ノーデン大尉が指揮するドムヴァル第三軍第八歩兵師団の第28連隊が守備を固めていた。だが、ちらほら聞こえていた魔導銃が効かないという話、それはつまり我々が持っている手持ちの武装では魔獣に効果が無いという事だ。例え守備陣地を固めていようとも、魔導銃が効かぬ相手に対して何をどう防御せよと言うのか。このノーデン大尉の疑問は、周辺陣地を守る兵達にも共通の疑問となっていた。
ノーデン大尉は改めて思った。
これは朝までも持たんだろう、と。
・・・
ムーラの森近隣のコルダビア軍が設定した第三防衛線近くでは、魔獣ニェレムがゆっくりと周辺の炎を喰らいながら前身していた。コルダビア軍が持ち出した魔導自走砲数両によるニェレムへの砲撃は、一見効果があったかのように見えたが結果として砲撃されたニェレムは直撃を受け、辺りに飛び散った後で生き残ったニェレム達がそれらを吸収し、更に巨大化していったのだ。そしてコルダビア軍とドムヴァル軍が見守る中、ニェレムが防衛線にゆっくりと浸透し始めた頃、それが始まった。
「新手だ! 別口だ!! 四足の化け物が来た!!」
この新手の四足の化け物、ヴァオラは、森の外周に設置した焚火の残りかすの上に立ち上がって辺りを見渡していた。そして、繁殖の苗床となるに十分な数の二本足の存在を確認し、歓喜の咆哮を上げた。この声を皮切りに、新手の四足の化け物が次々と森を掻き分けて防衛陣地の前に出現した。
「あ……あんな数……どうしろってんだ……」
「怯むな、撃て! 緑には効かんかもしれんが、四足には効くかもしれん!」
「自走魔導砲、砲撃開始せよ! ここを守り抜くんだ!!」
直ぐにコルダビア軍は砲撃を開始し、緑の魔物は一旦放置された。ヴァオラに砲撃や銃撃を行った結果、この四足には銃も砲も効果がある事が判明し、両軍は銃が効く事に安堵つつヴァオラに攻撃を続けたが、魔獣の数が圧倒的に多い為、徐々に押され始めた。そして陣地内に入られたあちこちでは、ヴァオラによって産卵菅を刺し込まれた兵達が絶望と歓喜の悲鳴を上げ始めた。
「あの化け物、刺すぞ!」
「あんなモノ腹にぶっ刺されてんだ、助からん! 奴ごと撃て!」
「……すまん、エイリーク! レフールの神様に会ったら取り成しといてくれ!」
ヴァオラに腹を刺されて歓喜の叫びを上げ続ける兵に向かって銃撃が集中した。戦場のそこかしこからヴァオラが上げた物なのか、刺された兵が上げた物なのか悲鳴が響き渡る。この異常とも言える戦場の光景に若い兵達は戦慄し、次第に精神が正常に保てなくなってきたのだ。動きの素早いヴァオラが唯一足を止める瞬間、それは人間に産卵管を差し込む瞬間だった。既に普通に射撃しても当たらないコルダビアの新兵達は、わざわざドムヴァル兵や、見知らぬコルダビア兵が刺し込んだ瞬間を狙って、犠牲者共々最高出力の魔導銃で共に焼き払った。だが、そんな新兵達も足元に忍び寄ったニェレムによって次々と捕食され、中身を喰い尽くされてただの革袋となって果てた。
三角地帯に於けるコルダビアとドムヴァルの防衛は、ムーラの森から始まって徐々にその範囲を拡大させていった。今、両軍が行っている事は、両軍の人的資源を浪費しながら魔獣の侵攻速度を遅延しているに過ぎない。しかも装備している兵器群は、全く魔獣向きでは無く、効果の程も期待出来ない。そして魔導銃が効きそうな相手は、銃が当たらない程に移動速度が速く、唯一射撃の機会は誰かが犠牲になった後だ。戦場の報告を聞いたゼーダー将軍は既に絶望的な戦況にがっくりと肩を落とした。
「誰か、第一軍のアンゼルム将軍を呼び出してくれ」
「……アンゼルム将軍、出ました!」
「アンゼルム中将、第二打撃軍のゼーダーです」
『おお……ゼーダー中将、話は聞いた。どうだ、魔獣とやらは我々の装備で対処可能か?』
「アンゼルム閣下、未だ時間がある。第一打撃軍は可及的速やかに海岸線に沿って脱出してください。我々はここを死守する命令を受けている。だが我々の持つ武器は魔獣に対して殆ど効果がない。恐らく我々はここで壊滅するでしょう」
『武器が効かん、だと?』
「左様です。我々の武器が効かぬ魔獣や、動きが早すぎて捕捉出来ぬ魔獣が居ります。しかも夜になると魔獣の時間です。我々に対抗する術はありません」
『後退……は出来ぬのか。グジェゴシェク閣下からの死守命令だったな? 儂が自らヴァルネク軍に死守命令撤回に掛け合おう。それまで貴軍は耐えてくれ』
「お気持ちは感謝します、アンゼルム閣下。ですが恐らく我々は2日とは持たぬでしょう。我々はたった数時間で三種類程度の魔獣によって、既に前線の戦力を相当数喪失しています。ドムヴァル軍も同様に。……お願いがあります、アンゼルム閣下」
『……なんだ、ゼーダー。儂に出来る事であれば何でもするぞ』
「我等第二軍将兵は魔獣の氾濫に対し勇敢に戦った、と本国にお伝え下さい。恐らく我々はここで討ち死にです。ですが第一打撃軍が脱出可能な時間は稼ぎましょう。第一打撃軍は決して、我が第二打撃軍への救援を考えないで頂きたい。それと……我が家族にもそう伝えて頂ければ幸いです。コルダビアに栄光を! では!」
『待て、ゼーダー!』
ゼーダーの覚悟は出来た。
だが他の兵達には覚悟が出来ていなかった。
次第に戦場を支配するどこにも逃げ場の無い陣地、そして自分達の武器が効かないという事実による絶望感。更には、この夜には浮遊部隊による支援攻撃も行われないという事。これが意味する所は、魔獣達を前にして、自分達は単なる肉の壁に過ぎないという事だ。
そしてジリジリとムーラの森側の第三防衛線は魔獣達によって蚕食され、防衛線中央に迫っていた。この中央が魔獣に蹂躙された場合、脱出陣地とコルダビア軍陣地を繋ぐのはテネファの森側だけとなる。そして深夜の三時を過ぎる頃には中央陣地が陥落した。
・・・
「ノ、ノーデン大尉! 大変です、中央陣地が落ちました!!」
「そうか……早かったな。最早此処までか……」
ノーデン大尉は少し考え込むと、この陣地を守る兵力を考えて決断した。
「これより我々は当該陣地を放棄し、テネファの森近辺を経由してコルダビア軍陣地に後退する。バリンストフ少佐を呼び出せ!」
「大尉! そ、それでは第二歩兵師団は!?」
「どのみち此処に留まっていたら我々も魔獣に殲滅される。第二歩兵師団に連絡が着かんという事はそういう意味だろう。彼等が生きてサライに脱出している事を祈るだけだ。28連隊は後退準備を急がせろ! バリンストフ少佐は未だか!?」
「……バリンストフ少佐、出ました!」
『ノーデン大尉、第二歩兵師団との連絡は回復したか?』
「バリンストフ少佐! 依然として連絡着きません。中央陣地まで落ちました。我々は当該陣地を放棄し、コルダビア陣地に後退したく思います。後退の許可を願います!」
『そうか……第二歩兵師団は駄目か……了解した、後退を許可する』
「ありがとうございます、少佐。最後尾は第28連隊となります。テネファの森方向から脱出致しますので、支援願います」
『うむ、了解した。全員生きて連れて帰れよ』
「承りました。では、また後程! 通信終わります!」
こうしてテネファとムーラの間に設けられた脱出指揮所は放棄され、ドムヴァル軍の防衛線残存戦力は全てコルダビア軍陣地へと引いていった。それと入れ違いに、緑の魔獣ニェレム目当てに集まって来ていた繁殖期を迎えていない若いヴァオラが雪崩れ込んで来た。若いヴァオラは人間に目もくれずに、膨れ上がったニェレムに襲い掛かったのだ。
こうしてドムヴァル軍が構築した防衛陣地第三防衛線中央の陣地は、巨大なニェレムと若いヴァオラの殺し合いの場と化した。そこに人間が活躍する場は無かったのだ。その外周部にはテラテラとした産卵管を残り火に怪しく照らした繁殖期のニェレムが次々とコルダビア兵やドムヴァル兵達を襲っていた。そこにヴァルネクが崇めるレフールの神の救いは無かった。
既にドムヴァルが設定した防衛線に何の意味も無くなっていた。
コルダビア兵とドムヴァル兵はこの虐殺場所から我先にと逃げ出す様にイメド回廊側に殺到し、その後を追うようにヴァオラの群れが続いた。運悪くヴァオラに追い付かれた兵は、ヴァオラの産卵管に貫かれ恐怖と苦痛、その後に続く歓喜の悲鳴を上げ続けた。最早戦場のどこにも人間がイニシアチブを持っている場所は存在しなかったのだ。
「ゼーダー中将、バリンストフ少佐です。此度は我が軍の受け入れ感謝します。ですが……」
「そうだ。我々双方が協力をして防衛したとしても何の意味も無い。あれら魔獣は我々の築き上げた文明を蹂躙すべく、森から溢れ出た。最早我々がここで可能な事は、奴等の勢いを削ぐべく肉の壁となる事だけだ。バリンストフ少佐、貴軍も連絡をしたい場所や者が居たら早急に行うべきだろう」
「そんな……貴軍の装甲兵器でなんとか食い止める事は可能なのではありませんか!?」
「装甲兵器か……少佐、あれが見えるか?」
「なんですか? あ……中将、あれは一体なんですか!?」
「正体なんぞ分からん。先程から森の奥から出て来た。だが、未だ足しか見えん。普通に見たら人の様に見えるのだが、少なくとも50m程はあるだろうな。一体、あんなモノがこの森のどこに潜んでいたのであろうな」
「森の巨人……? 新しい魔獣?」
「先程、直射で魔導砲をあの巨人を撃ってみたが、傷一つ負わせる事も出来なんだ。当たった筈だが怯みもせず、こちらに向かって進んできておる。相当距離があった筈だが、もうこんな場所にまで来ておるのだ。ここの終わりも近い」
「それでは……それではサライに行きましょう! サライに逃げ込みましょう!」
「先程、それも検討した。だが、左翼を守っていたヴァルネク第二軍は既に後方に後退済だった。つまり守るべき軍はそこに居らず、魔獣共が我々の側面に何の抵抗も無く広がっているそうだ。つまり、ここからサライに逃げる為には、ドムヴァルを横断しようとしている魔獣共の只中に突っ込む事になる。それも、ここを無事に脱出出来ればの話だが」
「……それは……もしや貴軍は……」
「想像の通りだろう。我がコルダビア第二打撃軍はヴァルネク脱出の為の生贄だ。貴ドムヴァル軍には気の毒な事だが」
「なんと…それでもドムヴァル北方に向けて後退は可能ではありませんか?」
「奴等よりも早く動けるのであればな。儂はここで討ち死にするが、部下を散らしたくは無い。儂が死んだ後は、このリュートスキ大佐が部隊を纏める。補給に冠しては、このオヴァルトフ大佐が補給の全てを担当している。諸君らはドムヴァル軍と協力して生き残れ。バリンストフ少佐、貴殿の戦いは見事だった。敵であれ優秀な指揮官を失うのは惜しい物だよ。貴軍も可能であれば北方への脱出をしたまえ」
「中将……了解しました。我がドムヴァル軍は北方に脱出します。リュートスキ大佐、貴軍は如何しますか?」
「判断の為、少し時間を頂きたい。宜しいだろうか、バリンストフ少佐?」
「ふむ……生き残れよ。それでは諸君、少し一人にしてくれ」
ゼーダー中将は、一人ふらりと指揮所を抜け出した。
そして戦闘指揮所には二度と戻って来なかった。
完全版UPしましたー
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ああ、後半はまた夜に……ほんとスイマセン。




