1_67.それぞれの思惑
コルダビア軍のゼーダーにグジェゴシェクが連絡を入れる数時間前……
「状況はどうなっておる、グジェゴシェク」
「はっ、現在ドムヴァル東部イメド回廊奥の三角地帯に押し込めたドムヴァル軍は、コルダビア第二打撃軍によってサライへの脱出勧告を行っております」
「……そこから溢れるという情報は確かだな?」
「我がヴァルネク第二軍の魔導探知で、ムーラ国境とテネファ国境の境目を目指して多数の魔導反応の移動を確認しております。恐らくは先ずこの地点から溢れ出すと判断しておりますが……。他の地域に関しては情報が無い故に我々では判断出来ません」
「うむ、その事だ。貴軍の兵站路を防衛しておるソルノク駐屯のエストーノ軍は、恐らく即座に魔獣が溢れた瞬間に瓦解するであろうな。そうなれば貴軍の脱出路は北方まで後退せねばなるまい。だが、溢れ出した瞬間にそれだけの時間があるかどうかだろう」
「自分も同様の想定をしておりました」
「グジェゴシェク。貴様の第二軍は貴重だ。今直ぐサライの戦線を放棄、サライ軍にこの状況をあからさまにした上で早急に北方に脱出せよ」
「ですが閣下……そうするとコルダビア軍はこの回廊で孤立する事となりますが?」
「コルダビア第二軍は魔導の森への偵察侵入を既に行っておる。テネファとムーラにそれぞれな。そしてムーラに侵入した部隊は魔獣によって既に壊滅しておる。にも関わらず、素知らぬ顔をしてドムヴァルの脱出によって魔獣の森が氾濫したかのように偽装を行っておるのだ、グジェゴシェク」
「そ、それは……信頼ある情報でありますか?」
「その情報であるが、我が親衛軍はコルダビアにも潜んでいる。当然ゼーダーの第二打撃軍にもな。有効に活用せよ、グジェゴシェク」
「……承知致しました。ゼーダーにはその様に。その後、我等は北方に向けて移動を行います」
「うむ、交戦を避けよ。恐らくゼーダーめはコルダビア第一打撃軍のアンゼルムに救援の手を求めるであろうが、それに関しては多少の便宜を図ってやっても良い。彼等コルダビア軍が盾となるならば、多少魔獣の進出速度も落ちるだろう。それとドムヴァル北部の占領地に輸送船を用意してある故、早急に貴軍はそれによってヴァルネクへの脱出を海路にて果たせ。余としてはこの戦争終結時に於いてのコルダビアの発言権拡大は望ましく思わぬ。この魔獣氾濫の責とコルダビア軍を削いで置く事によって、戦後を睨んだ状況を考えておかぬとな」
「成程……承知致しました、猊下。我等第二軍は先ずサライと交渉し、この戦域から離脱を行いつつコルダビア第二軍に死守命令を出しましょう。その上でドムヴァル北部への脱出を行います」
「うむ、サライとの休戦協定の際には魔獣の森氾濫の情報を流せ。恐らくはテネファ辺りが既に同盟諸国に警告を出しているであろうが、我々からもこの情報を出せば直ぐにそれの対応に入らざるを得まい。あとは貴様の抜けた穴を勝手に同盟が埋めるだろう。魔獣の氾濫は何れ必ず引く。その時に我々がどれ程の戦力を保持し、同盟がどれ程の戦力を喪失しているかによって戦争終結の時期は変わる。兵を失うなよ、グジェゴシェク」
「はい、心得ました」
この大戦争を開始して以降、予想だにしなかった魔獣の氾濫の可能性。だがその魔獣の氾濫さえも、大陸統一の手段の一つとして考え始めた法王ボルダーチュクは、最終的にヴァルネクの支配体制が盤石となるには同じ連合諸国でさえも戦後体制を構築する上で弱体化を図る事を厭わなかった。そして連合内の隣国コルダビアの地上戦力が大きくなる事を望んでは居なかった。それ故にボルダーチュクはコルダビアの第二打撃軍をその生贄として前線に残置し、魔獣の対応に当たるようにグジェゴシェクに指示を出していた。当然、死守命令など抗命される事は必至であろう事から、ムーラの森侵入の件を盾にする様に指示を出したのだ。
こうしてコルダビアが前面の盾となる間、ヴァルネク軍第一、第三軍は陸路でヴァルネク本国へ、第二軍は北方に逃れた後に海路にて脱出を予定していた。奇しくもボルダーチュクが想定したのは、ゼーダーが描いた脱出路とほぼ同一の経路だったのだ。だが、そのゼーダーはイメド回廊で魔獣からの防衛線に釘付けの状況となった。コルダビア軍は自分の左翼をヴァルネク第二軍が守る物と思っていたが、そのヴァルネク第二軍はコルダビア軍の後方を北の海岸に向けて脱出して行くのだ。
ボルダーチュクはこの戦争の行く末について一つ一つ問題を潰していった。
新たな局面と共に訪れる想定外の問題。だが、今の所はほとんど全ては対処が可能だった。ロドーリアの参戦と魔導士による攻撃、ベラーネから始まった北方海域での海戦、秘匿兵器が暴露された事による大規模空襲、その全ての結果はボルダーチュクの想定範囲に収まっていた。
だが、ここに来て魔獣の氾濫と、第三国である日本の登場。
恐らくは魔獣の氾濫に関しては、我等ヴァルネク連合が有利に働くだろう。同盟諸国が被る痛手は恐らくはどれ程の物になるか不明だが当然相当の打撃を被るに違いない。更には連合内の勢力削減に寄与するかもしれん。だが……未だ解決しない問題が一つ。
今後の日本の立ち位置と、この戦争における干渉範囲だ。
未だ、日本という国がどれ程の力を持ち、この戦争に、いやヴァルネクにどういう干渉を行って来るかが不明な点だ。奴等との交渉は魔獣の氾濫という事象によって棚上げされている。だが、これは日本が同盟諸国との対ヴァルネク戦争への関与の時間を与えてしまう事となる。恐らくはロドーニアへの一方的停戦宣言によって彼等は一時的に動きを止めたように見える。だが、この魔獣の氾濫が収まった時にどう動くか。
ボルダーチュクはその思考を極限まで振り絞り、日本への対策を考えていた。
・・・
「テレントン議員、これは一体どういう事かね?」
「はい、ファーネル議長。ラヴェンシア大陸東方のドムヴァルとテネファ、そしてムーラそれぞれの国境が接合する地域において、魔獣氾濫の傾向が見てとれます。恐らくこれはヴァルネク側からの攻撃によって追い詰められたドムヴァルと同盟軍が、当該地域に追い込まれた為に脱出路としてムーラの森を選んだ事により……」
「テレントン議員、そんな事は当然知っている。問題は魔獣の森の氾濫だ。何故にそれを許した?」
「ヴァルネク勢力による攻勢の結果であり、そこに我々が干渉する余地はありませんでした。尚、情報によると当該問題が発生した事によってヴァルネク連合と同盟は各戦線において一時的に休戦を結び、魔獣に対抗する流れになりつつあります」
「そうだ。戦争どころでは無いからな。だがそうなるとこの戦争に干渉する事によって様々な工作を行っていた我々の目的は達せられるのか?」
「現状で不明です。ですがヴァルネク側へは警告は出しております。それは我々がムーラに潜ませていた潜入工作員によって、魔獣氾濫の可能性をテネファと同盟、ヴァルネク諸国に出す事により一時的に戦闘が停止し……」
「そんな事を聞いているのではない! この戦争の結果、大陸がヴァルネクの支配下に落ちる時点で相当に疲弊している筈だ。そこに我等が真にラヴェンシア大陸を統べる者として君臨する筈では無かったのか? 我々が伝えた外法による人の魔導石化によって大陸の無駄な人員は大量に削減される筈だ。そして彼等自身の戦争によって彼等自身の国家は存続不能な程に疲弊する。そこに外法によって大量に人民を虐殺したヴァルネクを糾弾し、圧倒的な戦力を以てヴァルネクを倒し、ラヴェンシアを治めるのでは無かったのか? これでは魔獣によってラヴェンシアが溢れかえった場合、我々の相手は魔獣となるではないか?」
「魔獣に関しては、恐らくですが……氾濫も一時的な現象に過ぎない物と考えております。前回のテネファで発生した魔獣の氾濫は、テネファ南方の海岸線に到達した時点で魔獣達は勢いを失い、波が引くように徐々に後退していきました。つまり魔獣の氾濫は一時的に過ぎず、最終的には魔獣達は森に帰ると……」
「その波が引く迄はどの位の期間を考えておるのだ。1か月か? 1年か? 10年か?!」
「それは……前回の氾濫は凡そ1年程で波が引いた事から、それと同様の……」
「痴れ者が! 1年もの間に魔獣に好きにさせておったらどのような事になると思うのだ!? 魔獣の氾濫は確実に起こり得るのか? それを避ける手立ては無いのか?」
「ファーネル議長、発言宜しいでしょうか?」
「なんだ、ロートリンク議員?」
「その魔獣の氾濫の件なのですが……恐らくですが、カルネアの栄光と関連している可能性があります。正確に言うならば、何故あの森は魔獣の森と呼ばれているのか。それはあの森のどこかにカルネアの栄光が存在し、その影響によって森の生物が魔獣化している可能性があります。それ故に、この魔獣の森の氾濫によってラヴェンシア大陸全土に魔獣が散らばるという事は、つまり魔獣の森そのものの魔獣密度が低下する可能性が高まります」
「ほう……続けたまえ」
「我々の当初の計画では、ラヴェンシア大陸全土を掌握した上でカルネアの栄光を捜索するという物でした。ですが、結局の所当初計画のままでは魔獣の森は手付かずとなり、我々が魔獣の森でカルネアの栄光を捜索するにあたり恐らくは無視出来ぬ損害を被る事となるでしょう」
「であろうな。魔獣の森にカルネアの栄光があるならば、だが」
「ですが一度魔獣の氾濫が起きてしまえば魔獣の森における魔獣密度は必ず低下します。そうなれば、捜索を行うにあたり魔獣密度が低下した森を捜索するのは、通常の状態に比べて容易と言えるでしょう。我が方の損害も相当軽微になると想定します」
「ロートリンク議員、つまり当該計画において魔獣の氾濫という要素は好ましいという事か?」
「はい、私はそう考えます。所謂我々の兵器が効かぬ魔獣に関してですが。密度が減れば遭遇の機会も減ります。この機会減少こそが氾濫の利点であると」
「ふむ……了解した。引き続きラヴェンシアの監視を続けろ。魔獣の氾濫による影響は逐一監視し続けろ。それとだ、マローン議員。ニッポンの情報はどこまで把握出来たのだ?」
「そうですね。余り進捗はありません。何せ今の所はテネファの仕込みからの情報しか無いのですが、余りニッポンに動きが無いのです。一応、現状でヴァルネク側からの一方的なロドーニアへの停戦宣言を受けてニッポン側が返答に窮した状況で、魔獣の森氾濫の警告が入った状況です。その為にニッポン側の情報が一時的に停滞しております」
「そうか。何れにせよヴァルネクとの交渉を行うのであれば、その国家が可能な手段を各種提示してくるだろう。その手段から、国家の規模や能力を推し量る事が可能な筈だ。その辺りの情報は当然入手しておろうな?」
「勿論です、議長。ただ一点気になる部分があります。この魔獣の氾濫にニッポンが干渉してくる可能性があります。恐らく彼等の武器の類がどれ程通用するかを魔獣に対して試してみたいのではないかと」
「それは我等も知りたいな。我々の魔導兵器が通用しない類の魔獣も森には沢山居るからな。連中の兵器の類がどれほど通用するかを確認する好機だろう。それを以て我々も連中の戦力を図れる。だが本当にニッポンが干渉しそうなのか?」
「確定情報ではありませんが……引き続き情報収集を行います」
「分かった。何か進展があれば知らせて欲しい、マローン議員」
「勿論その積りです、議長」
こうしてドゥルグル評議会は、ラヴェンシアにおける今後の展開に魔獣の氾濫をいう要素を含めて考察した結果、魔獣の氾濫を容認して魔獣が暴れるに任せる事とした。