1_66.堰が切れた夜
コルダビア第二打撃軍の司令部ではドムヴァル防衛陣地に行ったゼーダー将軍を待ち続けていた。だが、突然にゼーダー将軍からの緊急電で早急に部隊を纏めて後退せよとの指令が入り、慌てて部隊を纏めて撤収準備に追われていた頃にゼーダー将軍の一行が司令部に戻って来た。戻ったゼーダー将軍は蒼白な顔をしながら各部隊の指揮官を急いで集めて状況を語った。
「一刻の猶予も無い。既に森は魔獣で溢れる寸前の状況だ。恐らくは数刻で魔獣は森から溢れ出し、この辺りにも来る筈だ。我々はこの戦線を放棄して可及的速やかに後退する。ヴァルネクのグジェゴシェク将軍を呼び出せ。我々の後退を告げよ」
「ゼーダー閣下、それは……既にドムヴァルは相当の数が森の中に入ったという事ですか?」
「ああ、そうだ。こうしている今も師団規模で森の中に居る。それらの部隊で相当の数が連絡不能となっている部隊が居る様だ。そして、ムーラの森からも既に何種類かの魔獣が出てきている。ドムヴァルの左翼側では魔獣と交戦中だ」
「なんと、既に師団規模が……それでは直ぐに後退を行います。既に後退の発令はしております」
「うむ。我々はドムヴァルを北上して海岸を目指す。その後、可能であればドムヴァル北部の港で輸送船を確保出来れば、海路で脱出する。グジェゴシェク将軍と連絡が着き次第、後退許可を得て実行する」
「閣下……海からの脱出ですか? まさか、それ程の規模で魔獣が溢れるという事でありますか?」
「史実に記載されているダーレントの惨劇に誇張が無ければ、だ。サルバシュ前面の森から溢れ出した魔獣は、容易にサルバシュを吞み込みベラーネやサダルを横断して北方海岸に到達するだろう。そうなった場合は我等の退路は無い。我々がドムヴァルの北方海岸に到達するよりも早く魔獣の群れはベラーネの北方海岸に到達する筈だ。そうなった場合、ヴァルネク本国の国境は閉ざされ、ヴァルネクの東側からは何人も入る事は出来ないだろう。となれば、海路を行くしかない」
実際に、ゼーダー中将のこの読みは正しかった。
それはゼーダー率いるコルダビア第二打撃軍が無傷でドムヴァル北方海岸に到達した場合の話であった。だが、ヴァルネクのグジェゴシェクと連絡が取れた際に、ゼーダーの希望は潰えた。
「グジェゴシェク閣下、ゼーダーです。魔獣の森が溢れる寸前です。我々がドムヴァルに再度の警告を行った際に、既にドムヴァル軍は師団規模で魔獣の森への脱出を行っておりました。急ぎ森に入った部隊を戻すように要請した上でサライへの脱出を勧告しましたが、その会合の途中で一部の魔獣が森から出てきた為、交戦状態となっています」
『な……なんだと!? いや、儂の方からも貴公に聞きたい事がある。貴様、一度目の休戦提案の際に意図的に魔獣の森に対する危険を警告せなんだな?』
「え? いえ、小職は当初から求められた内容に沿った形で、」
『言い訳は良い。報告書も確認した。貴様等、既にムーラとテネファの森に侵入しているな? それを隠蔽しようとしたであろう。もし魔獣の森が溢れたとした場合、貴様等の侵入を有耶無耶にしようと思ったか。まあ、それは良い。新たな命令を伝える。貴軍は現有戦力を以て当該地域を死守せよ。そこから後ろに魔獣を通すな。良いな?』
「閣下、なんですと!? それは……我々に援軍は……?」
『当然送る。後方の浮遊軍による空爆支援を行う予定だ。だが、陸戦力は貴様等のみで対処を行え。ああ、そうだ。貴様等の援軍にちょうど良い部隊がある。前面のドムヴァル軍と共同で対処せよ』
「そ、そんな……我がコルダビアと貴国ヴァルネクは協約によって各々の地位を保障されている筈だ。こんな死守命令は聞けませんぞ、グジェゴシェク中将!」
『何とでも抜かしておれ。貴軍がきっかけを作った事は後世の歴史が証明するであろう。我々にその歴史とやらが存在すればの話だがな。話は終わりだ』
「待たれよ! ……待て、グジェゴシェク中将!!」
『……』
「切れている……死守だと……ドムヴァル軍と協力してだと?!」
このやり取りを聞いていた各部隊の指揮官は蒼白な顔色のゼーダー中将と負けず劣らずの顔色となった。その中の一人、装甲魔導自走砲部隊の指揮官ネッテルは、この辺りの地図を再び見直していた。そしてゼーダー中将に聞いた。
「閣下、我々はこのイメド回廊で防衛線を引く事になるのは良いとして。恐らく魔獣の森が溢れた場合、正面を我がコルダビア第二打撃軍が、そして左翼側をサライ攻略中のヴァルネク第二軍が行うだろうと想定します。ですが……ソルノク前面の防衛は?」
「ソルノク……その地域には二線級の部隊しか居ない。確かエストーノの軍が入って後方の防衛部隊を形成し、兵站を守っている筈だ。だが、正直エストーノは海は強いが陸軍は弱兵だ。恐らくは直ぐに喰い破られるだろう」
「つまり、我々コルダビア軍はソルノク方面を破られた場合、前面と側面からの防衛を行わなくてはならない訳で、更にはソルノクを突破した魔獣が後方に回った場合、完全に退路を断たれて包囲される危険性があります」
「海岸線まで出た場合は、ドムヴァル東方攻略中のヴァルネク第一軍と第三軍、そしてコルダビア第一打撃軍が居ます。彼らは?」
「恐らくだが……既に他の戦域でも同盟軍と休戦を結んだ上で後退を始めているに違いない。恐らく我々はその為の時間稼ぎだろう。急ぎ第一打撃軍のアンゼルム将軍に連絡しろ。現状の動きを確認するんだ。もし上手く行けば、第一打撃軍と共同で防衛と脱出が可能かもしれん。ともあれ、まずはここで防衛体制を整える。もう一度ドムヴァルに軍使を送れ。いや待て。時間が無いな。通信を開け。向こうの司令官はバリンストフ少佐だ。バリンストフ少佐を呼び出せ」
こうしてコルダビア軍は脱出の準備を取りやめて防御陣地を大急ぎで作り始めた頃、ドムヴァル軍はコルダビア軍ゼーダー中将の要請を受諾し、移動可能な部隊をコルダビア軍の構築した陣地に移動させ始めていた。昨日までの敵であったコルダビア軍の陣地に入り始めたドムヴァルの兵達は随分と奇妙な気持ちの状態で陣地に入り始めたが、そのうち防衛線で撃退した魔獣の話やら森の魔獣の話をドムヴァルの兵から聞き始め、お互いの交流が進むうちに共通の敵となった魔獣に対する士気が高まっていた。そして最初の夜を迎えた。
・・・
そして最初の異変は、日没直後から発生した。
陽光が無くなり周囲の明かりが森を照らす焚火だけになると、森のざわめきは消えた。
びっしりと森の際に張り付いていた緑の魔獣ニェレムは、その身体を地面に這わせ始めたのだ。一見するとそれは、ニェレムが溶け出したかのように見えたが、ニェレムは苦手な陽光が無くなった事によって森を照らしている焚火を喰らいに動き出したのだ。そして燃え盛る炎が次々とニェレムに喰われ、ニェレムの身体は取り込んだエネルギーを元に膨らんだ。それはあたかも突然に炎の上にニェレムが沸いて出たかの様だった。
「警報!! 森近辺に異変発生!!」
「なんだありゃ……緑の化け物が……炎を喰らってる!!」
「なんてことだ。炎が全く平気なのか? 撃て! あれを撃て!!」
陣地に居た射程内の兵士達は一斉にニェレムに向かって魔導銃を撃ちこんだ。だが、魔導銃を撃ちこまれたニェレムは、新しい魔力を伴うエネルギーをふんだんに浴び、更に膨れ上がったのだ。ある程度、銃を撃ち込んだあとで結果を見たコルダビア軍の兵士達は、あの化け物には銃が効かない事を悟った。
「銃が効かん……自走砲だ! 魔導自走砲大隊に連絡しろ!! 大口径の魔導自走砲であれば、効果があるかもしれん。
そして前線に駆け付けた魔導自走砲数両は、直射でニェレムに向かって射撃を開始した。最初の射撃で、一番手前に居た炎を喰らって肥大化したニェレムは、数発の射撃で爆散した。この様子を見たコルダビアの陣地の兵達は一斉に沸いた。
「やったぜ! どうだ、この化け物め!」
「ふむ……砲だと効く様ですね。この調子だと、ここの居る戦力でどうやら対処可能でしょうかね」
「相手は魔獣だ、油断するな。あれが全部じゃないぞ」
「ようし、どんどん撃ち込め。目標の重複に気を付けて良く狙え!」
だが、その飛び散ったニェレムの周囲に居たニェレム達は、飛び散ったニェレムを取り込んで肥大化を始めていた。次の射撃でも同様の事が起き、数回射撃した後には、ニェレム自体の数は減ったが、当初出てきたニェレムの倍以上の大きさに肥大化していたのだ。
「おいおい……なんかデカくなって無いか?」
「もしかして飛び散った仲間を取り込んでるのか?」
「おい、自走砲撃ち方止め! 射撃中止だ! 射撃中止!! 様子がおかしいぞ!!」
「どうなってんだ……どうなったんだ!?」
相当に肥大化したニェレムは、焚火部分を食い散らかしながらゆっくりと陣地に浸透し始めた。陣地に浸透したニェレムは塹壕の流れに従ってどんどん満ちてきた。そして陣地のニェレムの密度が高まった頃に、再びあの咆哮がムーラの森から響いてきた。
「なんだ! また別口か!?」
「分からん。だが、女の悲鳴のような声だった……声のデカさは普通じゃないが」
「気を付けろ、別口が来る! お前等、さっさと仕事しろ!」
「仕事つったってよ。どっから何が来るんだよ」
「……来た! ムーラの森だ!! 緑のバケモンの後ろに大量に居る!!」
チロチロと焚火の残り火が辺りの森を仄かに照らしていた。
そしてその森の奥から成獣のヴァォラの群れが現れた。そして群れの先頭に居た人型ヴァォラは、目の前の戦場を見渡してそこら中に繁殖の為の苗床がある事を確認し、再度の歓喜の咆哮を上げた。
UPしましたー
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昼は前半まで。夜に後半UPします。