1_65.ゼーダー中将の提案
護衛数人を伴って休戦旗を掲げながらゼーダーはドムヴァルの第三防衛線に近づいた。
ドムヴァル軍とコルダビア軍は一応の休戦状態にあったが、その中で再びコルダビア軍のしかも第二打撃軍司令官であるゼーダーの来訪はドムヴァル軍に様々な憶測を呼んだ。防衛線を守備するバリンストフ少佐は、第三防衛線に構築した急ごしらえの塹壕に屋根を付けた陣地に案内した。だが、訪れたゼーダー将軍が語った内容はドムヴァル軍に相当の衝撃を与えた。
「ドムヴァル イメド防衛 第二軍総司令代理のバリンストフ少佐です」
「受け入れ感謝する。コルダビア第二打撃軍 総司令のゼーダー中将だ。また、貴軍のこれまで勇戦に敬意を表する。早速だが、我々は以下の事を提案したく思うが是非受け入れて欲しい。これは貴軍にとっても良い事だと思う」
バリンストフ少佐は当初降伏勧告であると想定していた。だが、ゼーダー中将が語る内容と提案は思いも寄らない内容だった為に、直ぐにバリンストフ少佐は罠を疑った。
「我々コルダビア第二軍、いやヴァルネク連合軍として貴軍の当該地域からの脱出を看過する。一切の攻撃を行わない故にイメド回廊を経由してサライに脱出するがいい」
「……どういう意味でしょうか、ゼーダー中将?」
「言葉の通りだ。貴軍の脱出に我々は一切の攻撃も妨害も行わない。確かにこんな提案は奇異に感じるだろう。だが、これから話す内容をよく考えて決断してくれ。決して罠では無いのだ。これは我が軍の東部方面作戦司令グジェゴシェク閣下、更には我がヴァルネク連合総帥のボルダーチュク猊下の裁可も得ている正式な提案だ」
「お続け下さい」
「貴軍が現在、ムーラの森を脱出路に選んでいる事は我々も把握している。そしてその結果、我々とは別の敵と遭遇して戦闘にもなっているのだろう。その結果引き起こされる事体がどういった物かを貴殿は理解しているのだろうか。それは以前テネファで起きた魔獣の氾濫、ダーレントの惨劇をこのラヴェンシア大陸北側の地で引き起こす可能性が非常に高いと推測している」
「ダーレントの惨劇、ですと? いや、まさか……あのテネファを壊滅に追い込んだ?」
「そうだ。魔獣氾濫のきっかけとなったのは、森の中に大量の開拓者や調査隊を送り込んだ事だった。そして森の魔獣共は尽きぬ餌を与えられ、遂には森から溢れ出し人里に雪崩れ込んだ。結果はテネファの壊滅だ。そして再びそれは起きようとしているのだ。貴軍が脱出を選んだムーラの森からそれは始まる」
「そんな……まさか……では、では我々の脱出がそれを引き起こすと!?」
「テネファとムーラから我々はそう警告を受けた。テネファでは北側でそれが起きた場合は、恐らくヴァルネク本国に迄も魔獣は到達するだろうと。恐らくオストルスキまでも距離的には魔獣の氾濫がやってくるに違いない。この戦争は魔獣の氾濫で全てが終わる可能性がある。ラヴェンシア大陸北側の壊滅によってな。こうなれば敵も味方も無い」
バリンストフ少佐は、自分達の後背であるテネファとムーラの森から魔獣が溢れ出した状況を想像した。恐らく、この三角地帯に押し込められた我々はろくな武器も持たずに、魔獣達に蹂躙されるだろう。だが我々を包囲するコルダビア第二軍は相当の重装備を固めており、あるいはこの魔獣の氾濫を抑え込めるのではないか、とも考えた。だが、ゼーダーが続けた言葉にバリンストフは言葉を失った。
「既にテネファから連絡を受けたが、この浅い森の周辺に居る魔獣だけでも我々の軍でも手に余る。なにせ魔導兵器が一切通用しない可能性がある上に、別の種類の魔獣は体長が100mにも及ぶ物や、人間の精神に何等かの影響を与える類の魔獣等が居るらしい。これらが、ここから溢れ出してそれぞれの国を襲った場合を考えただけでも身震いがする」
「魔導兵器が一切通用しない、と? それはテネファからの警告の中に含まれていたのですか?」
「そうだ。テネファではダーレントの惨劇の際に様々な魔獣に関する情報を蓄積していたという。その中には比較的浅い森に居る森の中では最弱の魔獣であっても、現在も我々の装備では対抗出来ないと。貴軍に警告する。一刻も早く森から引き揚げろ。森を起こすな。我々は魔獣の氾濫が万が一起きた際に備えて、ここから後退する。貴軍は存分に脱出為されよ」
「ゼーダー中将、警告に感謝します。我々も可及的速やかに森から軍を引き上げ、貴軍の提案通りにサライ方面に引き上げます」
「しょ、少佐! 待ってください、これは罠ではありませんか!?」
「君は何者だ、少尉。私は名誉あるコルダビア第二軍総司令官として話している。私の話に嘘は無い。繰り返そう、我々は当該地域の包囲を解き、この地域を放棄して後退する。この行動を以て貴軍はサライへのイメド回廊を経由しての脱出を推奨する。是非、この提案を受け入れて欲しい。互いの存続の為に」
「……承知しました。ゼーダー中将、それでは貴軍の」
バリンストフ少佐が言いかけたその時、ドムヴァル防衛陣地右翼側から突然の騒ぎが巻き起こった。防衛陣地右側、つまりムーラの森の方から悲鳴の様な叫び声が聞こえてきた。そしてその悲鳴の様な叫び声は、バリンストフ少佐とゼーダー中将の会談場所にまで届いてきたのだ。思わず、バリンストフはその悲鳴の聞こえてきた方向に顔を向け、周囲の兵に尋ねた。
「なんだっ、今の叫び声は!?」
「分かりません! 確認します!」
慌てて何人かの兵が急ごしらえの陣地を出て行って無線で確認を取っていたが、青い顔をした兵が報告に戻ってきた。
「報告します! ムーラの森より何等かの魔獣を確認! 森の境界線に沿って緑色のドロドロとした不定形の魔獣と思われる生物が大挙出現しております。また、別の多脚状の足を持つ魔獣も同様に出現、これらが現在ムーラの森側にて戦闘を行っておりますが……」
「戦闘を行っておりますが、なんだ?」
「多脚状の足を持つ魔獣側が劣勢で、森から逃げて、この陣地側に来ようとしております!」
「なんだと!? 直ぐに兵をムーラ側に集めろ。陣地の中に入れるな! 応戦しろ! それとあの悲鳴の様な叫び声の正体は判明したのか?」
「いえ、それは未だ確認出来ません!」
ふとバリンストフ少佐がゼーダー中将の顔を伺うと彼の顔にはありありと恐怖の表情が張り付いていた。そして直ぐにゼーダーは護衛の兵に命じて、コルダビア第二軍の後退命令を出し始めていた。バリンストフは脱出組のノーデン大尉に連絡をつける様に兵に命じた。だがそれは既に遅いかもしれないという薄っすらとした予感がしていた。
・・・
「ノーデン大尉、バリンストフ少佐からの緊急連絡です!!」
「何事だ! こんな時に!!」
既に脱出を指揮するノーデン大尉は第二梯団の出発準備に追われていた。今の所、第一梯団の第二歩兵師団は既にサライに向けて脱出行を出発しており、第三歩兵師団を中核とする第二梯団の出発が様に行われようとしていた所だったのだ。
「ノーデンです、これから第三歩兵師団の脱出を開始します。そちらの状況は如何ですか?」
『それどころではない! 私はたった今、コルダビア第二軍司令のゼーダー中将と会合を持った。結果を単刀直入に言う。今直ぐ、森の部隊を戻せ。引き戻させろ、大変な事になるのだ!』
「バリンストフ少佐、一体どうして……? いや、無理です。既に第二歩兵師団は森の中に入っております。今、まさに第三歩兵師団を中核とした第二梯団も出発します。今更、どういう事ですか、少佐!?」
『ゼーダー中将はテネファから警告を受けた。このまま森の中に人が入り続けた場合、ダーレントの惨劇が再び起こると。しかもそれはラヴェンシア大陸北側、つまり我等同盟軍とヴァルネク連合の諸国を魔獣が蹂躙する事を意味する』
「いや、ちょっと待って下さい。確かに我々の現在の装備では対抗も難しい。だが正式な装備を整えた軍であれば魔獣程度、何の問題も無いのではありませんか?」
『テネファからの警告は、魔導兵器の一切が通用しない類の魔獣も居るという。我々が持つ兵器が通用しない獣にどうやって対抗する積りなのだ、ノーデン大尉!』
「魔導兵器が通用しない、ですと?」
『そうだ。どこまで通用しないかは分からん。だが小火器程度では対抗不可能だろう。一刻も早く森への侵入を停止し、先行した部隊を引き戻せ。既に当該第三防衛線近辺にも魔獣の影がチラついているのだ。そちらは大丈夫なのか?』
「今の所は何も問題はありません。兎も角、急ぎ脱出組に連絡をつけます」
バリンストフ少佐の居る第三防衛線と、ノーデン大尉が居る第四防衛線指揮所後背に位置する脱出指揮所は距離にして3km程度離れていた。しかもバリンストフから見ると小高い丘の向こう側に脱出指揮所がある為に直接見る事が出来ない。お互いが現状を確認出来ない状況で魔導無線と伝令だけが連絡手段だった。
だが、今の所は何も問題は無いと答えていたノーデン大尉の脱出指揮所にも徐々に魔獣は忍び寄っていたのだ。脱出指揮所はテネファとムーラの森の手前ちょうど中間地点に位置する。そして、緑怪と呼ばれたニェレムは第三防衛線近辺のムーラの森で確認された。ニェレムは幼生ディダンが大量に生まれた事により、森の中で擬態していたニェレム達が一斉に活性化し、このディダンの群れを追って森を移動した。森の中で大量の幼生ディダンと遭遇し、このディダンの群れがニェレムから逃れようとして森の外れまで逃げてきたのだ。その先はドムヴァルの第三防衛線だった。
だが、この第三防衛線近辺に集まるニェレムの群れを目指して進む別の群れがあったのだ。
それは繁殖期を迎えていない若いヴァォラ達だった。彼等は、第26大隊が戦った場所に到達したが、そこに居たのは成獣ヴァォラ達が生殖行為を行った結果、苗床として放置されていた麻痺して硬直した人間達だった。麻痺して硬直した人間は、独特の香りを発する様になる。それはヴァォラが生殖官を刺し込んだ後に口の中に押し込む物質から発せられる物だった。この物質は食道上部に張り付き、全身を麻痺させる物質を分泌しながら香りを放つのだ。この香りがついた人間を若いヴァォラは食事とは見なさず、苗床として放置した。それ以外の戦闘で怪我を負っていた人間達を喰らったが満足していない若いヴァォラ達は別の餌を求めた。そして脱出指揮所にあつまる人間の群れに近づきつつあったのだ。
そしてそれは第三防衛線右翼、ムーラの森がちょうど切れる辺りから始まった。ちょうど森がガサガサと揺れ始め、それと共に辺りの虫の音や鳥の鳴き声が一斉に聞こえなくなった。ムーラの森近くの第三防衛線を守備する第七歩兵師団の各連隊に緊張が走った。
「おい、あの森が揺れてるぞ!」
「バリンストフ少佐が言っていた魔獣とやらか。警戒しろ! 各員戦闘準備、ムーラの森から来るぞ!」
第七歩兵師団を指揮するプルトン大尉は各連隊長に激を飛ばした。だが防衛線とは言うものの対人間用の防衛線、しかも前方に対しては厚く側面に対しては防御力に欠け、貧弱な火力しか持たない彼等は、森から出てきた節足動物のような魔獣ディダンの幼生達を見た瞬間に途端に戦意を喪失した。
「うわっ、なんだこいつ気味悪りい! 撃て、撃て、撃ちまくれ! おい逃げるな!」
「俺はこんな所でこいつらに殺さたくない! 冗談じゃねえ!」
「馬鹿野郎、ここで踏みとどまらねえと俺達は壊滅だ。塹壕に戻れ!」
塹壕から抜け出して逃げようとする兵達は幼生ディダンの注意を引いた。自らニェレムから逃れつつも人間に襲い掛かろうとするディダンの群れに対して慌てて迎撃を開始した第七歩兵師団の各連隊は、多少の被害を出しつつも幼生ディダンに攻撃を行い、ある程度の撃退に成功していた。幼生ディダンに対しては魔導銃は有効だったからだ。
「なんだ、魔獣ってのも大した事がねえじゃねえか」
「おお、銃が効かないと聞いた時はどうしようかと思ったがな」
「おう、こんな連中なら森から溢れて出てきても全然大丈夫だな」
「多分昔の話だから昔の武器が通用しなかったんだろ。今俺達が持っているのは最新鋭の魔導銃だからな」
こうして兵達が幼生ディダンの大多数を駆逐し終えた頃に、ディダンを追っていたニェレムがやってきた。ニェレムは森から出る事無くゆっくりとこちらを伺う様に森の周辺にびっしりと集り、その緑の触手を小さく伸ばしていた。だが、陽光に照らされた触手は緑から青に変色して途端に縮んで以降、森から出る事は無かった。ニェレムを視認した第七歩兵師団の兵達は不気味な森の変化に戸惑いつつも、こちらに来る気配の無いニェレムを遠巻きにしながら警戒を続けていた。
このムーラの森に集まるニェレムを成獣のヴァォラが補足した。
続きUP。誤字脱字報告、何時も感謝です、ありがとうございます。
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またまた途中版。
夜に出も続きUPします。