1_60.一時的な休戦
ヴァルネクと日本との外交交渉の場は一旦休憩となっていたが、ヴァルネク側へテネファの外交官シュリニクから情報が齎された事から、ヴァルネク側は騒然となった。
「両国外交交渉の場にて大変申し訳無いのですが火急の件につきご容赦頂きたい。テネファ及びムーラを代表してツェザリ殿、一点確認したい事があります。貴軍は魔獣の森への侵入を許可しておりますか?」
「火急? 魔獣の森? 我々は一切中立国を犯す事をしては居りませんが?」
「なるほどツェザリ殿も御存じ無い状況で行われた可能性が御座いますね。我々の魔獣の森を監視する監視塔からの急ぎの報告が入っております。それによると、ドムヴァルとテネファ、ムーラ国境付近の魔獣の森にて大量の兵が森の中に侵入した反応があると」
「なんと? それは教えて頂き感謝する。早急に確認の上で是正したい。ステパン中将、急ぎ確認を行いたまえ。可及的速やかに、だ」
ツェザリは心なしか顔色が青ざめていた。
勿論、彼の頭の中ではダーレントの惨劇が頭に思い浮かんでいたのだ。
ステパン中将は、直ぐに自らの乗艦である戦艦オルシュテインに連絡を付けて状況の確認をさせた所、当該戦線はヴァルネク第二軍では無く、既にコルダビア第二打撃軍が代わって受け持っている事を確認した。そこで直ぐにグジェゴシェクに中継する様に要請した。
「第二軍のグジェゴシェク将軍に繋いでくれ」
「……グジェゴシェク中将です。ステパン中将ですか?」
「ああ、そうだ。第二軍とコルダビア軍に確認のため単刀直入に聞く。現在遂行中の作戦で魔獣の森に入ったか」
「魔獣の森? いや、その予定は有りませんが」
「我々は現在テネファにてニッポンと外交交渉中であるが、その場でテネファから抗議を受けておる。曰く、魔獣の森に大量の兵が侵入したと。彼らは魔導探知塔で森を監視しており、その塔からの報告だそうだ。詳しくは後で述べるが、もし作戦内容に魔獣の森に侵入するような事があれば、即刻森から兵を引いて欲しいのだ」
「いや待って頂きたい、ステパン中将。我々はそもそも魔獣の森に入る予定も計画も無い。……だが、コルダビア軍はその限りではないのは確かだ。直ぐに確認の上報告しよう」
「頼む。ムーラからの抗議も併せて受けているのだ。早急に確認の上で是正してくれ。ついでに聞くが、君はダーレントの惨劇を知っているか?」
「ダーレントの惨劇? 確か、レフール教がテネファからヴァルネクに移る原因となった魔獣によるテネファ壊滅事件の事か?」
「ああ、そうだ。こんにち我々のヴァルネクのレフール教では堕落したテネファの悪行によって悪鬼羅刹がテネファを壊滅させたという話として伝わっている事だと思う。それゆえに、正しい道を歩んでいたヴァルネクにレフール教が来た上で、現在の繁栄を築き上げたという話だ。それは教えの通りの話では無く、魔獣の森を開拓しようとした時の教皇ダーレントによって引き起こされたのだが……そのダーレントの惨劇が再び起きる可能性があるのだ」
「まさか……コルダビア軍とドムヴァル軍の戦闘によってそれが起きると?」
「正にそれがテネファとムーラからの指摘なのだ。既に一部の魔獣に活性化の動きがあると言う。これが森の最深部にまで波及したならば、魔獣が森から溢れ出ると。しかも前回のテネファに殺到するのではなく、恐らくはヴァルネクをも含む北方諸国となるだろう、ともな」
「北方諸国ですと!? それはここドムヴァルやソルノクにまでも……?」
「それで済めば御の字だ。恐らくはリェカやサダルをも超えてヴァルネクまでも到達する事だろう。どこで止まるかは分からん。だが、一度起きれば相当の被害が予想されるだろう。そもそもテネファの森から南部海岸までの距離は、魔獣の森からヴァルネクまでの距離よりも近い。当然、ヴァルネクまで到達するのは容易と考えるべきだ」
「もしや教皇ボルダーチェク猊下があれ程中立国を犯すな、と言っていたのは……」
「恐らくそういう事だろう。猊下もそこまで考えていたかどうかは分からん。だが可能性の一つとしてある場合、それが起きてしまえば致命的な事象を引き起こすとならば、絶対にそれを避けるだろう」
「了解した。直ぐに確認の上で結果を報告する、ステパン中将」
「頼む。急いで確認してくれ。もしコルダビア軍が魔獣の森を侵犯しているのであれば、ドムヴァル軍と休戦させてでも引かせてくれ。頼んだぞ、グジェゴシェク中将」
こうしてコルダビア軍は戦闘を停止し、休戦をドムヴァル軍に提案した。
ドムヴァル軍はこの急なコルダビアからの一時休戦要請の意味こそ分からなかったが、これをチャンスと捉えて脱出の動きを加速させた。そしてサライへの脱出に向けて魔獣の森に大量のドムヴァル軍の移動を遂行し続けた。
・・・
「ちょっと面白い事を考えたんですが……この方法はどう思います、山本さん?」
外務省の山本は端正な顔を多少歪ませて歪にニヤついている柊の顔を見て、どんな悪だくみをしているのだろうと興味をそそられた。
「なんです、柊さん?」
「我が国には防衛装備移転三原則がありますね。これをロドーニアとの交渉の際に防衛装備品・技術移転協定の締結した上で、ロドーニアに対し防衛装備品や、様々な武器に関する概念の輸出を行うといった方法はどうですかね?」
「一体、ロドーニアに何を輸出するって言うんです?」
「そこですね……個人携帯対戦車弾と指向性散弾ですかね。とにかく陸戦に関しては現状で自衛隊の派遣も出来なければ協力も現段階では出来ない。であるならば、ロドーニアの防衛用兵器としてこれらの武器を輸出した上で、彼等に防衛を担って貰う方法で。見た所、彼等同盟もロドーニアも、そしてヴァルネクも、個人用の兵器としてはパンツァーファウスト程威力がある物が無いようなんでね」
そこに海自の寺岡が口を挟んできた。
「それは不味いよ、柊さん。もし仮に渡した兵器がヴァルネクに鹵獲された場合は? それにロドーニアも永遠に友好国という訳では無い。そういった兵器の類が我々に向いた場合、相当な脅威になる可能性が高い」
「ああ、アフガンと同じ状態になるという事ですかね。それは不味いか」
「それにヴァルネクの兵器の実態が掴めない為に、果たして渡した兵器が有効かどうかも分からない。恐らく写真を見る限りに於いては有効に思えるけれど、ここは魔導とやらの世界だけにどんな隠し玉があるか分かったモンじゃない。焦っちゃ駄目だよ、柊さん」
「確かに……思いも寄らない手で切り返して来たので確かに焦った部分がありました。じゃ、本命の提案なんですが。この戦いの経緯から見て恐らくヴァルネクはラヴェンシア大陸北側をほぼ制圧する事は間違いないでしょう。最終的にラヴェンシアを制圧したヴァルネク軍はロドーニアに難癖を付けた上で、何等かの開戦理由をでっち上げロドーニアを占領しようとするでしょう。これはロドーニアが大陸への反抗拠点となる事は明白だからです。それゆえにヴァルネクは絶対にロドーニアを看過しない」
「まあ、そうなるだろうな」
「ロドーニアが落ちれば、次にヴァルネクが狙うのはヴォートランです。ヴォートラン迄の海路は今迄例の魔導士によって塞がれていた。しかし現在その障害は取り除かれている。そうなれば日本としては、原油供給先であるヴォートランへの攻撃は死活問題となるでしょう」
「いや、柊さん。それは百も承知で俺達はここに派遣されてきた。ヴァルネクが現時点で矛を収めてくれるなら、我々も干渉しない。その為の交渉だ。一体本命とはどんな手なんだ? 流石に俺達は同盟に参加も何も出来ないぞ。国民のコンセンサスが得られない」
「いやホント、普通はここで予防戦争を行うべきなんですけどね。その手が使えないなら、我々が取りうる手は一つ。脅迫しかありません。あと実力行使の部分は、秘密裏に長期に渡って潜水艦によるヴァルネクへの無制限潜水艦攻撃です。それとコマンドを潜入させて補給路に対するゲリラ作戦を実行します。これは、現地同盟軍と共同で行わないと我々の仕業とバレてしまいますから、情報収集は我々が行い、実行は現地の同盟軍部隊、という形で秘密裏に侵入工作を行います」
「なんだ、ラングレー染みて来たな。破壊工作員か」
「他に現状で取りうる選択肢が無いんですよ。結局、こちらから表立って実力行使は出来ない訳ですし」
結局はガルディシアで高田が行った事に非常に似通った方法でしか、この戦争には関与出来ない。だが、ヴァルネクが脅迫で引いてくれるのであれば一番コストも人命も掛からない。当初はそれに懸けていた柊だったが、最初の接触時においてヴァルネクの艦隊を全て沈めてしまえば、この脅迫も通ったのかもしれない。だが、結局それが出来なかった事がこの流れを作ってしまった。ヴァルネクは日本との交渉を引き延ばす事によって現実的な実入りを確保しようとしている。それを知っていて、なおここで実力を行使しない事実が、日本国の底を親切にもヴァルネクに教えてやっている様な物なのだ。
「結局、ブラフと裏工作になる訳ですか……」
うんざりした様子で山本が一人呟いた。
「まぁ、そう言わないで下さい。そろそろ休憩を終えて参りましょうか」
こうして再び外交交渉の場に戻った所、既にツェザリ局長が青い顔をしながらステパン中将と話し込んでいた。そこに慌てた様子のシュリニクが蒼白な顔でステパン中将の元に駆け寄った。
「再程の件、ドムヴァル軍にも伝えましたか!? ドムヴァル軍は全く停止しておりません。むしろ森の中に入る部隊が増えてますよ! こ、このままだと非常に不味い事が起きますよ! どうするつもりなんですか、貴国は。このまま森が溢れても、今回は北側だ。我々の側では無い!!」
柊は、一体なんの事か分からず山本や寺岡と顔を見合わせた。