1_53.包囲された同盟軍
ドムヴァル東部イメド回廊の東側では、防衛線を放棄した同盟軍がサライへの脱出を目指して長い列を作っていた。だが、同盟軍が逃げ込むサライは110kmの彼方であり、途中には中央戦線を突破して同盟軍を包囲しようとするヴァルネク第二軍が逃げる同盟軍の頭を抑えた上でドムヴァル東部三角地帯、すなわち中立国テネファと中立国ムーラの国境に挟まれたポケットに押し込んだ上で包囲戦を画策していたのだ。
ヴァルネク第二軍の進行は思いの外遅く同盟軍陸軍の精鋭ドムヴァル第三軍機甲部隊を中核とした一部は既にサライへの脱出に成功していた。だが、この脱出行の最後列に居たのはイメド防衛線を放棄して後退中の守備部隊であり、彼らは機動力を持たず徒歩での移動を強いられていた。何故なら同盟軍首脳部は攻撃主力だった機甲部隊の脱出を全てに優先した為、自走能力を持つ魔導車両の全てをイメド回廊脱出に振り分けられていた。その為、持っていけない兵器の類を全て破壊し、最低限の装備のみで脱出を言い渡された守備部隊の士気は下がりに下がった。そしてこの最後列の守備部隊の塊と、その前方を進む同盟軍輜重部隊にヴァルネク第二軍は遂に追い付いたのだ。
「一体全体友軍の浮遊機はどこを飛んでいるんだ!?」
「知らねえよ。敵の浮遊機が出たらやって来るけど、どっちも戦闘せずに引き上げてるぞ」
「地上支援も何もせずに偶に飛んで来ちゃ、直ぐ去って行くよな」
「一体こっちの浮遊機部隊は何やってんだよ。脱出用の浮遊機でも寄越せや!」
「仕方ネエや。こっちの輸送用浮遊機なんぞヴァルネクにとっちゃ良いカモだ。迂闊にそんなモンに乗せられた挙句に何も出来ずに撃ち落とされる位なら、まだ歩きの方が未だマシってモンだ」
「とは言えなぁ……サライまで歩きは遠いよなぁ……」
「前方より閃光! 輜重部隊が攻撃されいる! 各員、戦闘準備!!」
「戦闘準備ったって……ロクな武器無いぞ!?」
既にヴァルネク第二軍の第一級目標である敵機甲部隊主力を逃しつつあるのが判明したが、第二級目標である補給部隊の捕捉に成功し、その長い脱出の列に切り込んだ。そして退路が断たれたと判明したイメド防衛部隊のパニックは次第に広がっていった。そして頼みの綱の同盟軍浮遊機部隊は足の短い新型ばかりで対空戦闘特化の為、地上攻撃には全く役に立たない事を防衛部隊の兵達は知らなかった。彼等同盟軍の装備は殆どが軽武装であり、襲い掛かったヴァルネク第二軍は自走魔導砲を主力とする機甲部隊であり、防衛部隊の逃げ道はドムヴァル東部三角地帯しか無かったのだ。
こうしてドムヴァル軍を中核とした同盟軍守備部隊8万少々と輜重部隊の4,000合わせて85,000に上る同盟軍地上部隊はドムヴァル東部三角地帯に押し込められ、ヴァルネク第二軍がその蓋を閉じた。
ドムヴァルの領土全体として見ると中央部の盆地を超えてサライ国境付近まで、そして南部は東部三角地帯を残したサライ回廊の全てをヴァルネク連合軍によって制圧され、僅かに海岸線付近を確保するだけの状況に追い込まれた。だが海岸線付近を確保していても、用意に内陸から包囲されるだろう事から海岸線も放棄の上でサライまで同盟軍はサライ王国の防壁の内側に後退した。
・・・
「グジェゴシェク将軍、ボルダーチュク法王猊下より通信が入っております」
「法王猊下? よし代わる」
『グジェゴシェクか? 此度はイメド回廊攻略戦、見事であった』
「ありがとうございます、猊下。現在我々第二軍はサライ国境手前にて全軍が動ける状況となっております」
『例の三角地帯の蓋はどこの軍を当てたのだ?』
「再編が終了したコルダビア第二打撃軍を当てております。ちょうど再編後にはちょうど良い程度の相手かと」
『成程そうだな。サライへの侵攻は中央第三軍のエウゲニウシュとフランチシェクと協議の上で貴様が判断せよ。ところで、グジェゴシェク。貴様の抱える目下の懸念事項は何だ?』
「既に聞き及んでいるかとは思いますが、敵の新型浮遊機が厄介です。これについては後程詳細な報告を浮遊機部隊から提出させますが、正面の装甲厚く速度は我が浮遊機よりも優速、現在の我々は敵浮遊機に対しては数で対抗している段階ですが、浮遊機自体の数も限られている為、サライ攻略を考えた場合は我が方の空は勇勢を保てません」
『同盟の新型浮遊機か。恐らくはオストルスキ辺りが突貫で作りあげたのであろう。順次、浮遊機部隊を送る。当面は新型の予定も無い故に、数で押すしか有るまい。それと、テネファの国境は犯しては居らんであろうな?』
「我々はテネファ国境周辺には近づいておりません。国境を侵すのであれば恐らくはドムヴァル守備部隊かと。ただ、テネファ国境付近の森は魔獣の巣であります。もし彼等がそこに近づけば、我々では無く魔獣が片づけてくれる事になりましょう。彼等は重装備を全てイメド防衛陣地にて破壊しての後退を行っております。それ故、軽装備のみの兵が野獣に対抗出来るかというと、些か可哀そうな結果になるのではないかと」
『うむ。テネファでは今ニッポンとの外交交渉を行っている頃だ。それ故にテネファに対してこちらから問題を起こしたくは無いのだ、グジェゴシェク』
「心得ました。ただ、先程も申し上げました通り、テネファの森は別名魔獣の森とも呼ばれております。間違っても我々は立ち入りませんし、同盟の連中も銃の前に倒れる事は受け入れても、魔獣に喰い殺されるのは望んではいないでしょう」
『うむ、であろうな。浮遊機部隊は近々送る。他に何か問題があれば直ぐに連絡せよ。では通信を終わる』
「了解しました、ボルダーチュク猊下」
通信を切った後、グジェゴシェクは以降のサライ王国攻略戦について考えていた。
ボルダーチュク法王にも告げた通り、同盟の新型浮遊機は厄介だ。こちらに対抗手段が無い限り、地上軍だけでの攻略は相当に被害が出るだろう。猊下は追加の浮遊部隊を送ると言っていたが、所詮性能に劣る我が軍の地上攻撃用浮遊機は何機あっても連中の良いカモにしかならん筈だ。
……だが、現状では同盟はあの浮遊機の数を未だ揃えてはおらんと見て良いだろう。もし数があれば、我々の側の浮遊機は全て落とされていた筈だが、ごく短時間の集中運用しか出来ていない。恐らく理想としては数を揃えて厚みをもった防空体制を整える事なのだろうが、それが事が出来ていないのは連中の浮遊機が未だ数が足りない証左であろう。とするならば攻めるなら今直ぐが良い。だが、追加の浮遊部隊を待った方が良いのか悩む所だ。
幸いな事に第二軍の損害はそれほどでも無く、補給も滞りない。兵の疲労も勝ち戦でそれほど感じている訳では無い。とするならば、やはりサライへの突入は連中が防御態勢を整える前である今という事になろうか。だが、サライ王国は城壁で防御されているのが魔導自走砲の進出を阻んでいる。これを無事に城壁の向こうに運ぶにあたり、浮遊部隊による侵攻方向への空爆が必要となる。だが、空爆を行えば、同盟の新型が必ず出てくる筈だ。そう、数の少ない同盟の虎の子浮遊部隊が、だ。
「通信兵! 中央第三軍エウゲニウシュ中将と浮遊軍のアロスワフ少将を呼び出せ!」
・・・
一方三角地帯に追い込まれた8万5千弱の同盟軍は、中でも階級最上位だったドムヴァルの輜重部隊長ゲーブルト大佐とイメド守備隊のバリンストフ少佐を中核に急ごしらえで防御陣地を構築し、ヴァルネク第二軍の包囲に抵抗した。幸いな事に輜重部隊が持つ資材や魔導結晶石、食料等は持久戦を可能にしたが、それでも重火器の類や装甲車両が無い事は包囲された同盟軍にとって辛い戦いを意味していた。
バリンストフ少佐と配下の守備部隊は、包囲を突破してサライに脱出する為の前哨としてイメド回廊出口方向に向かって何度か強硬偵察をしていたが、ヴァルネク第二軍の包囲は厚かった。そこで、可能な限りこの三角地帯で耐えつつ友軍の助けを待つという方針にしたが、同盟軍司令部からは"必ず救援を送る"という言葉だけで、具体的な内容は何一つ帰って来なかった。だが、この包囲にも直ぐに変化が訪れた。
包囲していたヴァルネク第二軍に代わってコルダビア第二打撃軍と思しき兵が防衛線前縁に散見され始め、現時点で包囲を行っているのはヴァルネクでは無くコルダビア軍である事が、バリンストフ少佐の強硬偵察部隊によって判明したのだ。
「諸君、現在敵は未だ我々を包囲しているだけに過ぎない。恐らくそれは無駄に余計な戦いをする事なく、主力同士の決戦を指向しているからだ。だが、その包囲をしていたヴァルネク軍に代りコルダビア軍、しかも第二打撃軍と思しき連中と入れ替わっているのが確認された。バリンストフ少佐、説明を頼む」
「はい。我々の強硬偵察により現在我々を包囲しているのはコルダビア第二打撃軍と判明しております。彼等はサルヴァシュの戦いで一度壊滅的被害を受けた所までは確認しておりますが、恐らくは本国で再編されて出て来た物かと。つまりは大多数は新兵の集りではないかと推測します。この第二打撃軍の特徴は、魔導自走部隊による突進力に優れている点であり、現在の我々の装備では彼等装甲兵力の突進を留める事は非常に難しい物と思われます」
「うむ、それは以前のボレスワフ将軍の第二打撃軍の事であろうよ。今目の前に居る第二打撃軍は新兵の集りなのであろう? それに前の戦いでボレスワフは戦死した。今は代りの指揮官なのだろうが、恐らくは似たような戦術で来るに違いない」
「いえ、ゲーブルト大佐。楽観視は如何かと。そもそも我々には縦深が無く、背後には魔獣の森です。一定の距離を後背で取らないと、森から何が出てくるか知れた物ではありません。単純にコルダビア第二打撃軍が砲撃主体の攻撃を行えば、我々は壊滅必至です」
「ではどうする? 我々には包囲を突破する機動力も火力も無い。あるのは人員だけだ」
「確かにテネファの国境には魔獣の森があり、それはムーラまで広がっていますが……ムーラの森は密度が薄い。ムーラの国境を突破してサライに逃げ込むという策しか、既に我々には残されておりません」
「だが……中立国を侵犯するとなると、如何に非常時であっても責は免れんぞ。それに密度が薄いとはいえ魔獣の森は魔獣の森だ。どんな危険な魔獣が来るか知れたものではない。それに我々の手持ちの武器では魔獣に対抗は出来んだろう」
「大佐。それは目の前の第二打撃軍にも言える事です。更に言えば、魔獣は出会わなけば被害はありませんが、目の前のコルダビア軍は必ず我々を押し潰しに来るでしょう」」
「ううむ、それはそうだが……」
「大佐! こうしている間にもコルダビア軍が準備を整えつつあります。一縷の望みであっても、ムーラの国境を突破した上でサライに脱出しましょう! 対ムーラの心象が悪くなろうが、8万の兵の全滅よりは酷い事はありません!」
「皆はどうなのだ?」
既にここドムヴァルの三角地帯に追い込まれた時点で、諦め気味だった他の将兵達は脱出の可能性があるならと飛びついた。ほぼ全員一致でムーラの魔獣の森を抜けてサライに脱出するという事で話は纏まり、その為の偽装工作を開始した。勿論同盟軍司令部には長期持久を伝えた上で、救助の要請を重ねて行った。だが、司令部からの返信内容は相変わらず、"必ず援軍を送るので持久して耐えよ"であった事から、ゲーブルト大佐の腹も決まった。
そしてい秘かにムーラ国境に広がる魔獣の森への脱出作戦が始まった。