1_52.テネファの外交官シュリニク
ヴァルネク法国の外交部長官ツェザリとステパン中将ら5名はテネファが用意した施設で日本の外交団を待っている間、もう幾度目かとなる対日交渉に関する再確認をしていた。だが、一応中立国とはいえ盗聴の恐れもある事から全て隠語での会話をしていた所、護衛として帯同していたヴィーナー大尉の元に通信が入った。発信元は戦艦オルシュテインからだったか、その内容はドムヴァル戦線に関する情報だった。
『クレベル至急連絡乞う。こちらディーター。繰り返す、クレベル至急連絡乞う』
「ディーター、こちらクレベル。認識番号55-759643、確認されたし」
『クレベルの認識番号を確認。至急信入電、鹿は峡谷に集まった。猟師二人は今夜獣道で野営、以上」
「クレベル了解。以上」
「どうしたヴィーナー大尉?」
「どうやらドムヴァル東方イメド防衛線の決着が着きそうとの事です。守備の同盟軍はサライ脱出に失敗、東部の国境線三角地帯に閉じ込められ、イメド回廊は既に我が第二軍の手に落ちた模様です」
「ふむ……そうか。とするならば、ニッポンとの交渉を長引かせるのもあと少しという事だな。同盟国の全てを平定してしまえば、あとはゆっくりとニッポンなりロドーニアなりと交渉という手もある。だが、まだ今の段階でニッポンが我々に介入してくるのは厄介な問題となるだろう」
そして、今回の日本の介入を防ぐ懐柔策としてはロドーニアとは敵対しない、と交渉時に日本に対して明言する事だった。それを日本との交渉で宣言する事により、日本と友好国であるヴォートランに連なるロドーニア、そしてロドーニアとの交渉を開始した日本を牽制し、大陸への干渉を一時的にでも防ぐ事が可能と考えていたのだ。
ツェザリが考える今後の交渉では、日本との交渉がロドーニアとの敵対解消を宣言した上で今後の交渉が長引いているうちに大陸の戦争を同盟軍の全滅という形で終わらせる積りだった。そして彼の想定通りに日本との本格的外交交渉がこうして始まる前にドムヴァルを占領しつつあるという連絡は朗報だった。今後、何度かの日本との交渉が続くだろうが、その間にヴァルネクは残りの同盟国であるサライとオラテア、そしてロジュミタールとオストルスキの四か国のみを相手にするだけなのだ。今迄の経緯を考えた場合、それを行うのは容易いと見ていたのだ。外交部長官ツェザリにとっての課題は、如何にこちらの真意を悟られる事無く日本との交渉を続け、日本が気が付いた時にはこの戦争が終わっている状況を作り上げる事だった。
「この戦争が終わればこの大陸も平和になるだろう。そうすればニッポンも交渉条件を変えずには居られまい。彼らと関係を持つ国は現在の所はロドーニアしか無い。とするならば、ロドーニアに対して我等が単独の一方的停戦を宣言したならば、同盟の連中はロドーニアに対して猜疑の目を向ける事にもなるだろう。これで同盟軍に楔を打ち込んでしまえる上に、ニッポンも牽制出来るとなればな」
「それは……長官の発案でありますか? それとも……?」
「勿論私の案では無いよ。ボルダーチュク猊下からの指示だ。ただ、この提案を出すタイミングに関しては私に一任されているがね。今後の交渉に関して一定の引き延ばしが無理と判断された場合の隠し玉だ。彼等が早々に我々が交渉の引き延ばしをしている事に気が付くだろう事を想定して、交渉の終わりには土産物が必要となる段階で提案すれば良いだろう」
「それなのですが、彼等が強硬策に出た場合は如何致しますか? 例えば、我々に対して前回一方的に要求を突き付けてきた様に、同盟軍側に加勢を宣言した上で、我々に攻撃をしてきた場合は?」
「そうなった場合は仕方が無いだろうな。その際には先程のロドーニアへの一方的な停戦を宣言して同盟内に不和が起きる事を祈るだけであろうかな。それに例の新型兵器もあったろう。魔導潜航艦か。あれを只今大量生産中だ。それに乗組員達は全員丘に上がっていたお陰で被害が無かったからな。艦が出来れば、直ぐに魔導潜航艦隊が再建される筈だ」
「確かに。あの部隊が再建されたならば、恐らくドムヴァルから先の海戦では我らが海軍の圧倒的有利な状況となりますな。ニッポンの海軍が水面下からの不意打ち攻撃をどう対処するのかは見物ですな、長官」
護衛のヴィーナー大尉の同意に満足そうに頷くと、ツェザリはステパンにも同意を求めた。
「君もそう思うだろう、ステパン中将」
「はっ……いや、私には彼等の実力の底が未だ見えておりません。彼等の装備や能力がどれ程なのか。もしや彼等もまた我々と同様の兵器を持っていると想定した方が寧ろ納得出来ます。恐らく同様の兵器が彼等ニッポン軍に有ると仮定するならば、恐らくはそれに対抗する兵器もまた存在するのではないかと……」
「君はどうにも心配性だな。ともあれニッポンの使者がそろそろ来るだろう。出迎える用意をしておくか」
ちょうどヴァルネクの外交団が浮遊機によって運ばれた場所に、今度は日本の外交団がやって来ていた。
そのままテネファの外交官シュリニクに連れられた日本の外交官山本を筆頭とする5名はそのまま、ヴァルネクとは正対する反対側の建物に案内されていった。そしてヴァルネクと日本との会談前に、日本はテネファとの交渉に入っていった様だった。
・・・
シュリニクには未だ判断が付かなかった。
彼等の日本国とは、どれ程の能力を持つ国なのか。だが、ヴァルネクは日本を東方の機械文明の国であると通告してきた。確かに東方には嵐の海を隔てて機械文明の領域が広がっているとは聞いていた。そして我等魔導科学文明と比較して著しく立ち遅れた国家という認識であったのだ。それ故に、テネファの評議会からも、ヴァルネクに対しては慎重に行動するように言われていたものの、日本に対しては極簡単に、"対応は君に任せる"というぞんざいな扱いだったのだ。
恐らくテネファの協議会にはヴァルネクは日本の情報を殆ど何も渡してはいないのだろう。多分、嵐の海の向こう側にある機械文明の新興国家である程度の話しか伝えていないに違いない。それが故に今回両国の対応を私程度でも任されたのだ。だが、この飛ぶ鳥を落とす勢いのヴァルネク連合が、態々ツェザリ長官というヴァルネク外交の重鎮を日本国への対応に当てるという事が何を意味しているのか、分からぬ訳でもあるまい。だが、何度評議会に問い合わせても、一向に返事は同じだ。飽く迄も当初の予定のままヴァルネクに可能な限りの便宜を図れとしか言わないのだ。何か自分の知らないヴァルネクと評議会の間に密約でもあるのだろうか。もし、この協議が失敗したとしても我々は場所を提供しただけに過ぎないので、こちらが責任を問われる事は無いだろうが腑に落ちない。
現状の判断としては評議会はヴァルネクを最重要視しているのだろう。
だが、シュリニクはヴァルネク自体が危険な存在として見ていた。このテネファが中立を保っていられるのも、テネファがレフール教の聖地だという事だけに過ぎない。恐らくは大陸を制覇した後には難癖をつけてテネファ自体を併合するに違いない。今の段階でそれを行わないのはレフール教を国教として頂いていない、しかもヴァルネクに敵対的な諸国が存在するからだ。だがそれらの国も、あと数か国に過ぎず近いうちには恐らく全ての敵対国を滅ぼすだろう。もしそうなった場合、テネファが対抗する術など何一つ無い。その時になってテネファに手を差し伸ばしてくれる国は、恐らくごく限られる。
日本という国に対して慎重なヴァルネクの態度と、嵐の海でマルギタ艦隊に起きた事を考えると日本という国はヴァルネクからの盾となる可能性が非常に高い。評議会は日本の事について何も知らない様だが、もしかすると今後テネファの行く末に重要な鍵を握る国となるかもしれないのだ。これは思った以上に重要で、且つ面白い状況の立場に立たされた。
「面白い。これは面白い局面に居合わせたのかもしれない。テネファの、いやラヴェンシア大陸の行く末を握る状況なのかもしれないな……」
そしてテネファの外交官シュリニクの考えは程無くして確信に変わるのだった。