1_51.テネファの港、ノードル
テネファはラヴェンシア大陸の中央部分に位置し、東西に広がる大陸の南側にある最古の国であり、レフール教が発祥した聖地でもあった。過去にテネファは大陸を統一する程の勢力を誇っていたが、徐々にその勢力は衰え、今やラヴェンシア大陸中央南方で最大の勢力を持つ程度に縮小していたが、その頃にはヴァルネクの様な野心を持った存在では無かった。
そしてレフール教が生まれた土地としてヴァルネクもテネファに対して一定の敬意を払っていた事から、今戦争時においてテネファの中立宣言を尊重し、そのテネファに付き従う南方諸国の中立宣言をヴァルネクは受け入れた。此度の戦争に於いてもヴァルネクの戦争理由はレフール教布教拡大による異教徒をレフール教化し、まつろわぬ民を救うという題目を掲げての事だったが、そもそもレフールの聖地たるテネファではヴァルネクの原理主義的な行動を良しとせず、一定の距離を保ったまま戦争参加の要請も中立を理由に拒否していたのだ。
ヴァルネク教化第二艦隊旗艦だった戦艦オルシュテインは、随伴の駆逐艦二隻のみを引き連れ中立国テネファに到着した。
だが、そんなテネファの港にヴァルネクの戦艦が突然に寄港した事から、テネファの港ノードルは大混乱に陥っていた。ノードル港の市民達は、遂にヴァルネクが攻めて来たと大騒ぎになったが、テネファ政府は直ぐに港の市民達に対し、ヴァルネクは外交交渉の為にテネファを選んだ事、今回の寄港目的はそれだけである事を布告し、ノードル市民の混乱は比較的早期に収束した。
既にヴァルネク政府から来訪要請を受けていたテネファの政府は、この時期に訪れたヴァルネクの艦隊に多大な疑念を抱きつつもテネファで一番大きな港ノードルに受け入れた。だが、テネファの外交担当官シュリニクの疑念はテネファ北方国境近くのドムヴァル領域で行われている大規模な戦闘が行われていた事であり、そんな時期にその当事国であるヴァルネクが言うには正体不明の国ニッポンとやらと国交を開く為の会合場所としてテネファに打診をしてきた事が腑に落ちなかった。だが、昨今のヴァルネクの動きからこれを拒否する事は不可能だろうとテネファの協議会は判断し、受け入れる事とした。その際にはこのヴァルネクの使節から中立である事の再確認と、正体不明の国ニッポンが如何なる国なのかを探る為に、警戒しつつも受け入れたのだった。
「ようこそお越しくださいました、私はテネファ協議会から派遣された外交担当のシュリニクと申します。どうぞよろしくお願いいたします。大変申し訳ありませんが、皆さま乗組員全ての上陸を許可する事は出来ません。貴国ヴァルネク外交担当者様5名までとさせて頂きますが構いませんね?」
「私はヴァルネク法国外交部長官ツェザリと申します。この度は急な要請を承諾頂き感謝の極みです。我々は勿論5名で構いません。私以外は外交官1名、そして戦艦オルシュテインの艦長ステパン中将と護衛の2名の計5名となります」
シュリニクは戦艦から降りて来て直ぐに、にこやかにシュリニクに挨拶をした男の正体に動揺した。
ツェザリと言えば、ヴァルネク法国外交部のトップだ。その外交部のトップであるツェザリ長官が態々ここテネファまで来るという事は、相手の国はヴァルネクにとって対等な一等国扱いという事だ。だが、ニッポン等という国の事は聞いた事が無い。いや、そもそも対等な一等国であるという事はヴァルネクか、それともヴァルネクと関連ある国で会合するだろう。だが、会合に選んだのは我々テネファだ。……とするならば、相手国のニッポンとやらはヴァルネクに対して好意的では無い?
「……はい、それでは我々の方でヴァルネク法国様とニッポン国様との会合場所を用意して御座います。そちらの方まで浮遊機にてご案内しましょう」
「はい、どうぞ宜しくお願いします。ところでニッポン国の使者の方は未だお見えにならないのでしょうかね?」
「ええ、まだノードルには見えてませんね。半径1,000km以内に魔導探知にも反応が無いと聞いておりますが」
ツェザリもまたテネファの魔導探知能力の高さに驚いた。探知範囲が半径1,000kmだと? しかも事も無げに言ってのけた。という事はつまり1,000kmは限界性能では無いという事か? 辺境国に落ちぶれたとは言え、未だその能力は高い。もしテネファと事を構える事になった場合は注意が必要だな。だが、ボルダーチュク法王猊下も流石に聖地に攻める事はしないだろうが…ああ、そうだ。ニッポンの船は魔導探査に引っ掛からん事を言っておかねばな。
「ああ、シュリニク殿。ニッポンの船は魔導探査には引っ掛からんのですよ。目視確認でないと接近は確認出来ません」
「え、魔導探査には引っ掛からない? どういう事ですか?」
「彼らの動力機関は機械文明が基本でしてな。魔導結晶石を動力源とした機関が存在しないのですよ。それが故に、我等が使う魔導探査機には彼らの物が何一つ反応しないのです」
「それは……随分と後進的なのでは?」
「そうですね。これだけを聞くならば私もそう判断せざるを得ないのですがね。ああ、そうそう今回は我々と彼らニッポン国の使者との会合が第一の目的となりますが、貴国テネファとニッポン国との国交の橋渡しも行いたいと思いましてね。テネファの皆さまが宜しければなのですが」
「いや、そうですね。それは彼らと接触した後に評議会側で検討するかと思います。ささ、どうぞ浮遊機に」
シュリニクは、機械文明という遅れた世界の国に対して対等扱いをしようとするヴァルネクの思惑がさっぱり理解出来なかった。彼が知る機械文明もまた蒸気機関によるシステムをベースにした物だったからだ。それが故に、シュリニクはニッポンという国を数段低く見積もっていた。また、そんな国を大事に扱おうとするヴァルネクが、今回の戦争によって相当被害が大きく、例え三流国であっても協力を必要とする状況なのかとも訝しんだ。だが、既にヴァルネクの快進撃はドムヴァルをも飲み込もうとしており、恐らくは近いうちに北方ラヴェンシア大陸を統べるだろう。これ程の快進撃を続けているヴァルネクが協力を必要とするか? 何かがおかしい……
何か腑に落ちない気持ちを抱えたテネファの外交官シュリニクを先頭に、ヴァルネクのツェザリ長官とステパン中将以下3名を乗せた浮遊機は会合を行う為の立派な施設前に彼らを運んでいった。この立派な施設に入る手前でシュリニクから施設の中から迎え出た担当の者に案内が代り、シュリニクはそのまま"一旦中座致します。後程また参ります"との台詞を残してノードルの港にとんぼ返りしていった。
シュリニクの推理は浮遊機で港に戻る間も続いていた。
同盟軍にロドーニャ王国が援軍として参加したという情報は得ている。数か月前にロドーニャ王国の大船団がテネファの領海外を往復していった事は確認していたが、その後の情報で同盟諸国の最南端であるオクニツアが陥落し、同盟軍はロドーニアの船で脱出したという事だった。つまりはロドーニアの参戦は、今の段階では、この度の戦争に於いてそれほど同盟の役に立ってはいないと見て良いだろう。更にはドムヴァルを攻め落とそうとしている今、ヴァルネクの勝利の戦いに漁夫の利を得ようとする有象無象の周辺諸国が現れるであろう事は間違いない動きだ。だが、ニッポンという国は今迄誰も知らない国であり、その能力も国家規模も不明だ。そんな国にヴァルネクが最恵国待遇での外交交渉を行うだろうか? いや、そんな事は絶対に無い。彼らの連合の勢いがあれば小さい国々など、片手で攻め滅ぼす事も可能だ。
……そうだ。彼らヴァルネク連合にとってニッポン国に対して下出に出る必要も理由が無い。
だが、だが現実に彼らヴァルネクの対応はニッポンに対して相当に気を使っている事が分かる。彼らとニッポンの間で何かあったに違いないが……まさか、あの件か?
そうだ、ニッポンの船に対しては魔導探知が出来ないと言っていたな。数日前にヴァルネク教化第二艦隊と連合諸国の合同艦隊が嵐の海に向かっていたのを確認していたが、突然その中のマルギタ艦隊と思われる船が突然何隻も沈んだのを確認していた。何かの不具合なのか、ロドーニアからの未知の攻撃なのか、と思っていたが……まさかそれがニッポンの仕業なのだろうか。だが、魔導探知出来ないという事は仮にニッポン側に被害が発生したとしても、その状況を確認するには目視しか無いだろう。恐らくは、ヴァルネク艦隊が引くほどの行動をとったと言う事は、それなりにニッポンも大艦隊を用意した上でヴァルネクを引かせた、という事か。つまり、ニッポンという国は連合の艦隊を撃滅する能力を持つ大艦隊を有する国、と見て間違いないだろう。と、考えるならヴァルネクが下出に出ている理由も分かる。だが、そんな国は当然危険な国に決まっているだろう。とするならば、我々は引き続き中立を宣言した上で、今まで通りある程度距離を保ちながら、我が国に被害や損害が出ぬように立ち回らなければならないという事だろう。
シュリニクの推理が彼自身が納得する結論に達しつつある頃、浮遊機はノードルに到着した。すぐにノードル港沖を一望出来るノードル港の監視塔に確認を取ると、あと数時間のうちにニッポンの船がノードル港に入港出来るという事から、直ぐに港の方へと移動した。そして平たい甲板を持つ妙な船が入港して来るのが見えた。
全面的に平たい甲板だと? …この船は武装はしていないのか? 恐らくはこの船は浮遊機運搬用の船なのだろうが、浮遊機の類は全く見当たらない。そういえばヴァルネクの戦艦オルシュテインも後部が甲板状態だったが、あれにはみっしりと浮遊機が積載されていた。どういう用途の船なのだ? 外交交渉を行うのに武装をしていない船など必要無いという事だろうか?
だが、あの平たい船が港に入って来るにつれ大きさが実感出来た。凡そ200m程に達しようとする船体は、戦艦オルシュテインの2/3程度の大きさだ。だが、この大きさを魔導探知出来ないというのは問題だ。魔導機関を搭載せずにこの大きさでこの船足ともなると、蒸気機関とやらも相当な出力を捻り出す様だが、不思議な事に蒸気機関特有のあの大きな煙突の姿が見当たらない。こいつは一体どうやって動いているのだ?
ともあれ甲板があるのは便利な事もある。一向にこちらが呼びかける魔導通信には全く返答が無いが、ヴァルネク側からはニッポンの船は魔導通信に反応が無い場合があるので、その際にはニッポンの船の甲板に浮遊機によって乗り込んで欲しいとニッポン側から要請があった事を既に聞いている。このノードル港に来る前には彼らニッポンの船とヴァルネクの船は洋上で会合し、その際にヴァルネクは先行してノードルに入港したが、ニッポンの船はこの辺りの海図を作りながら入港したいので若干入港が遅くなるともヴァルネク側が連絡を受けていたのだ。勿論ヴァルネク側からシュリニクも聞いている。
そしてシュリニクは急いで浮遊機に乗り込み、この船の甲板に向かう様に操縦士に命令した。
テネファの外交官シュリニクを乗せた浮遊機が日本の護衛艦ひゅうがの甲板上に着陸した。既に甲板上には日本側の外交官山本、内閣諜報室の柊、護衛艦ひゅうが艦長の寺岡一佐が待ち受けていた。
「日本国海上自衛隊所属の護衛艦ひゅうがにようこそ。私は当艦艦長の寺岡と申します。こちらは日本国外務省の山本、そして日本国政府関係者の柊です。この度は急な要請にも関わらずご対応頂き、日本政府を代表して感謝致します」
「ああ、これはご丁寧にありがとうございます。私はテネファ協議会から派遣されました外交担当のシュリニクと申します。どうぞこれから宜しくお願いいたします。それにしても……随分と変わった船ですね……とても広い……」
「そうですね。本来は外交交渉を行う為の船では無いのですが、何分にも当艦はヴァルネクの戦艦オルシュテインとは多少ご縁がありましてね」
ああ、そうだ。やはりそうなのだ。シュリニクは、先程の自分の推理の中で"ニッポンの船がマルギタの艦隊を全滅させた"という仮設に確信を持った。この船の能力は外観上からは判断出来ないが、やはりこれ以外に強大な戦闘力を持つ船を何隻も持っている国に違いない。今回は外交交渉の為に、比較的武装の目立たない輸送任務の船を持ってきたと言う事だろう。それに蒸気機関か、それに準じた能力を持つ機関を持つ船なのだろうが、なんとも不思議な外観を持つ船だ。あの無粋な煙を吐く事無く動くとは、そこは洗練されている事を認めざるを得ない。
シュリニクは日本に対して興味を持ち始めた。
9/12 16時。後半追加しました
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19時までに書いた分を投入。
後日、後半を書き足したい(間に合わなかった)