1_50.イメド防衛線の放棄
二日間に渡って同盟軍のイメド防衛線への砲撃を行った際に、偵察していたヴァルネク浮遊偵察部隊は、空爆を警戒する同盟軍浮遊機部隊の数からイメド防衛線に配備された同盟軍浮遊機の総数を概ね把握しつつあった。そしてこれまでの同盟軍の浮遊機の性能から、恐らくは自分が持つ浮遊機部隊の総戦力で押し切れると判断し、三日目にアロスワフ少将は同盟軍東部司令部に満を持しての総攻撃を命じた。だが、このヴァルネク浮遊機部隊の攻撃結果はアロスワフ少将の予想とは違う状況となった。
「こちらリェカ王国隊、全機攻撃準備が整った」
「こちらサダル隊、こちらも準備完了だ」
「こちらオクニツア隊。こちらも攻撃準備完了。ようやく俺達の出番だ。奴等を生かして帰すなよ」
「当たり前だ。ヴァルネクの連中にたっぷりこいつを喰らわせてやる。いくぞ!!」
「全機注目、こちら迎撃部隊リーダーだ。敵は直ぐにやってくるぞ。高度5,000まで上昇し敵を迎え撃つ。会敵後自由戦闘。自機のエネルギー残量に注意しつつ戦闘せよ。エネルギーが切れた機は直ぐに後方に後退しろ。生き残れ!」
トマシュ大佐が派遣した同盟軍浮遊機部隊は、現在占領されているリェカ王国、サダル国、オクニツア国の三か国の亡命操縦士達で構成され、トマシュ大佐によって新型機への転換と慣熟訓練をみっちりと行っていた。この新型浮遊機は、これまでの浮遊機の様な円形をベースにした物では無く涙滴型をしており、前面の魔導装甲を厚めにしつつ後方の装甲を取り払い、しかも魔導機関出力を大幅に引き上げ、瞬間出力を今迄の物よりも倍近い出力を誇った。だが、その代償として航続距離や滞空時間が極端に短い物となってしまった。だが、これは迎撃専用として考えた場合、別段支障もない事から防空浮遊機として生産と配備が進められたのだ。
だが、新型機の出力特性から、非常にピーキーなこの浮遊機は慣熟訓練を経ていないと事故が多発する恐れがあるとトマシュ大佐が強硬に主張し、実際に配備された前線から墜落事故が相次いだ事もあって、止むを得ず司令部もトマシュ大佐の意見に従っていた。だが、東部ドムヴァルの戦況にトマシュ大佐によって鍛えられた浮遊機部隊を急遽派遣する事となった。この三か国亡命操縦士達の部隊は、総勢60機でヴァルネク浮遊機部隊350機に襲い掛かった。
「前方に敵同盟軍浮遊機! 各機十分に注意せよ!」
「連中、やけくそになったか? 高々5、60機でこの大編隊に襲い掛かるとはな」
「奴等の方が高度が高いが、連中の浮遊機なら問題ないな」
「……あれは……今迄の連中の機と違うぞ。新型だ! 早いぞ、地上攻撃部隊は低空を行け! 制空部隊、被られるな、散開!」
ヴァルネクの制空浮遊機部隊は、初めて見る同盟軍新型浮遊機を警戒しつつも数の優勢からこれまで通りの戦闘で問題無く戦えると踏んでいた。だが、最初のすれ違い時の一撃はヴァルネク側に一方的な被害が発生し、同盟軍の新型浮遊機に被害は全く無かったのだ。
「なんだ!? 誰がやられた?」
「24番機、33番機の二機! オダーとカウスキーがやられました!」
「奴等の新型は正面が固い! 回り込んで後ろを……何っ?」
「同盟の新型が……早いぞ、もう後ろに……振り切れない、があっ!」
「ベールス! ちっ、連中の新型は各段に性能が上だな。各機、編隊を組んで数で追い込め!」
空戦途中でヴァルネク浮遊機部隊隊長のボーは、制空浮遊機の性能が明らかに相手が一段上である事を認識した。その為、直ぐに同盟軍機を低空に引き込んだ上で乱戦状態から数を頼みに押し潰そうと画策した。だが、同盟軍は低空に引き込まれずに一定の高度以上で戦闘を継続し、結局そこから下に向かって攻撃する為にヴァルネク軍浮遊機部隊は完全に劣勢に追い込まれていた。
同盟軍浮遊機部隊は完全にイメド防衛線の空を支配していた。
だが、同盟軍浮遊機部隊の制していた空の支配権は直ぐにヴァルネクへと傾いていった。新型の浮遊機部隊は勝ちながらもエネルギー切れを起こし、次々と基地へと戻らざるを得なかった。こうして徐々にイメド防衛線の空を支配し始めたヴァルネク軍は、予定通りに同盟軍東部司令部を急襲し、短期間で司令部とその周辺を徹底的に廃墟に変えた。そして当初の作戦行動を終えて帰投したヴァルネク軍浮遊機部隊は、戻り次第直ぐにミーティングに入っていた。
「ボー隊長、連中の新型浮遊機ですが……相当強力ですね。あれが数を揃えられたらかなり危険ですよ」
「そうだな。今回の空中戦で俺達が一方的に落とされたのは今度の戦争で初めてだ。何機落とされた?」
「制空浮遊機が33機、地上攻撃浮遊機が24機が未帰還です。ここまでの被害は本当に初めてですね、隊長」
「なんと……60機弱か。これまで俺達が新型の撃墜を確認しているのは7機だけだ。恐らく重複もあるだろうから、これより少ない可能性も高い。今後の対応を考えなくてはな。幾らあの新型の足が短いと言っても、数を揃えられると厄介な事になるぞ」
「しかも前面装甲でこちらの魔導弾を弾いてました。正面への攻撃方法も考えた方が良いかもしれませんね」
「弾数は減るが魔導砲の出力を上げて再設定が可能かどうか整備班に聞いてみるか。あの新型機を1機でも鹵獲出来れば良いんだが……」
「撃墜した奴を鹵獲可能であれば、ですね。後で陸軍の方にも打診してみましょう」
「おう、そうだな。ともあれあの新型との1対1での戦闘は危険だ。足が短いならば相応の対応方法もあるだろう。まずは全浮遊部隊に新型の情報を回す様に頼めるか?」
「了解しました。直ぐに回します」
「さて、明日から新型と遭遇した場合どうやって戦うかな?」
こうしてヴァルネクのイメド防衛線攻撃浮遊部隊は今後の同盟軍新型浮遊機の対抗手段を深夜まで話し合った。だが、ヴァルネクの浮遊機劣勢の状況は当面は数で押すしか対抗手段が無かったのだ。つまり同数同士で会敵した場合、ヴァルネクはその空域から慌てて退避する事が暫く続いたのである。
・・・
ドムヴァル東部戦域でのイメド防衛線の戦いでドムヴァル東部司令部が空襲により壊滅し、防衛線を守るウルマス少将が戦死したとの速報を受けた同盟軍司令部では誰も口を開く事が出来なかった。既にドムヴァル軍にはヴァルネクを押し止める為の戦力はあっても、指揮を取れる者が居ない状況だったのだ。当面の指揮を次席の物にと思っていた司令部は、ドムヴァル東部司令部に詰めていたのはウルマス少将を始めとした東部イメド防衛線のほぼ全ての高級将校が全て集まった状態でヴァルネクに攻撃された事が判明した時点で、完全にイメド防衛線の指揮系統が崩壊した事を知った。しかも、その全貌を把握出来たのは、ヴァルネクがイメド防衛線右端の中央戦線を突破して雪崩れ込んできた後だった。
「イメド防衛線の戦力はどうなっている?」
「魔導砲自走部隊等の機甲部隊は健在です。前線に張り付いていた部隊は相当に被害を受けています。またヴァルネク第二軍の主攻は、イメド防衛線正面では無くイメド防衛線右端と中央戦線の狭間を目指している模様ですが、そこには全く間に合いません」
「イメド防衛線正面への砲撃は陽動か……だが、正面に戦力を集めたドムヴァル東部軍の戦力は完全に無力化しているという事か。ウルマス少将はどう動こうとしていたのか。状況から判断するに機甲部隊を動かそうとした先は……サライ国境だな。だが今から動かすにはもう遅すぎる。このままだと、ドムヴァル東部の三角地帯に押し込められる」
「それだとサライ軍とドムヴァル軍でヴァルネク第二軍を挟撃可能ではありませんか?」
「駄目だろう。既にヴァルネク第二軍は中央戦域を突破しつつある。サライ国境に今更回ったとしても恐らくは陣地を固められたヴァルネク第二軍への強襲となる。それにイメド防衛線の守備部隊は敵中に孤立する事を避ける為にはサライに脱出しなければならん。今やドムヴァル東部三角地帯からの脱出が焦眉の急だ。急ぎ、後退を伝えろ。イメド回廊を抜けサライに後退だ。守備部隊は機甲部隊と共に脱出を急がせろ。浮遊機部隊も全て後退だ」
「了解しました。……イメド防衛線は放棄ですね?」
「仕方が無い。今、精鋭の軍を失う訳にはいかん。兎も角連絡回復を急がせろ!」
だが幸運にも、ヴァルネク軍浮遊機部隊の動きは鈍く、ヴァルネク第二軍のエアカバー程度の動きしかしていなかった。それは、同盟軍の新型浮遊機を警戒しての事だったが、その為にヴァルネク第二軍の突進速度もまた遅くなっていた。そしてサライに脱出を開始した同盟軍と、それを妨害して包囲を完成しようとするヴァルネク第二軍との時間との戦いとなっていた。