1_49.東部司令部ウルマス中将の死
ドムヴァル東部イメド防衛線はブオランカ盆地東方120kmに位置している。南東ドムヴァルとサライの間に回廊を形成しており、その回廊西側入口を塞ぐ形で防衛線が引かれていた。この回廊の南東には突出部があり、この突出部分は中立国であるテネファとム-ラに国境を接していた。つまりはこのイメド回廊を突破された場合、中立国テネファとムーラは固く国境を閉ざしている事から、後退する場所はサライ王国しか無ない。つまりイメド防衛線を守るドムヴァルの兵にとっては背水の陣となっていた。
この防衛線を守るのは、ドムヴァル陸軍の第七魔導自走砲師団を要する機甲軍団を中核とした同盟陸軍の最精鋭である。そして更にブオランカ盆地で敗走した同盟軍を吸収した結果として、かつてない程の陸軍戦力を保有している状況だった。だがここ要害であっても浮遊機が払拭していた事に変わりはなく、防空体制は全く心許ない状況だったのだ。
だが直近に配備されたトマシュ大佐肝いりの新型浮遊機部隊の配備は、ヴァルネク軍の攻撃を目前にした前線の兵にとって明るいニュースだった。東部に配備された同盟軍の兵達は、要衝であるここ南東ドムヴァルのイメド防衛線に立て籠もり、ようやくやって来た浮遊部隊の援護も期待出来る事から、来るべきヴァルネクの進撃をも食い止める事が可能だと自信を取り戻していた。
そして遂にヴァルネク側からの攻撃が開始された。
ヴァルネク軍は当初、今迄の様に長距離魔導砲による準備砲撃を開始したかに見えた。
敵ヴァルネク軍の集結情報が偵察によって断片的に把握していたドムヴァル東部の前線司令部では、遂にその日がやってきたかと緊張が走った。ヴァルネク軍の突進を警戒し、東部では防御態勢を整え万全とも言えるドムヴァル陸軍を主力とする同盟陸軍は、最前線を突破してくるであろうヴァルネク軍を迎撃する為に、前線より後方の数キロに渡って分散配備されていた。しかも分散して配備されているのは、今迄の様に大隊規模ではなく大隊守備範囲と目される防衛線に対して数個大隊規模で守るという恐ろしく密度の高い防衛線を構築していたのだ。
だが、ヴァルネクの砲撃はそんな前線の兵達の淡い希望を打ち砕く事となった。
『東部司令部!東部司令部!こちら東部哨戒E25、現在猛烈なヴァルネクの砲撃を受けている!大至急、反撃を要請する!』
『東部司令部!こちら東部哨戒C18、ヴァルネク軍からの砲撃に晒されている。後退の許可を!!』
『緊急!緊急!東部哨戒B11、現在ヴァルネクの攻撃が止まない!至急救援を!!』
「ウルマス司令!東部防衛線の各哨戒線から攻撃を受けているとの報告が相次いでおります!」
「奴等気でも狂ったか。ドムヴァルで最も厚い防衛線を誇るイメドに本気で攻めてくるとはな。奴等に眼に物をみせてくれるぞ! 情報を集めろ! 敵の主攻撃目標を探れ? どこを目標にしている?」
「現時点では恐らく準備砲撃の段階だと思われますが……」
「思われるが、何だ?」
「今迄のヴァルネク軍の準備砲撃と比べて投射量が違います。まるで持てる全弾を全て撃ち込んでいる様な状況です!」
「ふん、防衛陣地の縦深は十分にある。前線の機動部隊を5km後退させろ。奴等が前に出てきたら即対応可能なようにしておけよ。」
「司令……今度の射撃範囲は、我々の防衛線の前方を幅150kmに渡って砲撃を行っております。この攻撃は当初の砲撃地点から徐々に伸びてきており、未だ止まる気配がありません」
「ふむ……この砲撃は我々の防衛線を完全に破壊する事を目的としているのかもしれんな。やれるものならやってみろだ。やつらが掘り返した防衛線を直ぐに立て直す工兵を安全な位置に退避させろ。砲撃が止み次第、陣地を再構築する。砲が潜んでいる防御陣地に多少の被害はあるだろうが、連中が来るまでには再構築可能だろう。反撃用途の魔導自走砲師団に被害は無いな?」
「今の所、被害の報告は出ておりません」
「よし、恐らくこの砲撃終了後、敵地上部隊は前線を開始するだろうが、その前には浮遊機による攻撃がある筈だ。残敵掃討の積りで出てきたヴァルネクの浮遊機群を叩いた上で、前進してきた地上部隊を叩くぞ。浮遊機部隊と連絡を取れ。上空待機して進出してくる敵浮遊機群の迎撃準備だ」
「了解です」
だが、ヴァルネクの砲撃は半日経っても一向に止む気配は無かった。それどころか同量の砲撃は止む事無く厚みを持って同盟軍イメド防衛線前方を食い散らかし続けていた。そしてこの砲撃の雨は徐々にイメド防衛線を守る兵達の精神を蝕んでいった。
「ウルマス司令! ドムヴァル第三軍東部哨戒第22防衛大隊ヴェイニ少佐から通信が入っています!」
「代わる。ウルマス中将だ。なに事だ、ヴェイニ少佐?」
『ウルマス閣下!このままでは我々は何もせぬままに磨り減らされて行くだけです!なんとか反撃の機会を作って頂きたい。我々はただただ砲撃に晒され、土に埋もれつつあります!』
「分かっている少佐。だが敵の砲撃が何れ止む。その時こそが反撃の機会だ」
『その砲撃が止まぬのではありませんか! 既に我が大隊は二個中隊規模まで戦力が低下しており、このままだとこの戦区を守る術が無くなります! 負傷者の後送も間断無い砲撃に晒され満足に行えません! 我が軍の砲兵部隊で敵砲撃地点を狙うなり浮遊機なり何なりで敵砲兵陣地を攻撃する事は出来ないのですか!?』
「その浮遊機だが、迎撃専門機であり地上攻撃に仕えぬ機しか配備されておらんのだ。しかも我が軍よりも長射程である為、敵の砲撃地点を特定出来ん。今暫くは耐えてくれ。敵の砲撃は必ず止む。その時こそが反撃の時なのだ、少佐」
『その砲撃が止む頃には自分の部隊が存在するかどうか確約出来ませんが。ともあれ了解しました、通信終わり』
この前線を守っていたヴェイニ少佐からの通信はこれが最後となった。そしてヴァルネクの砲撃は依然として止む事無くイメド防衛線に降り注ぎ続け、ヴェイニ少佐と同様の要請が前線を守る部隊から悲鳴の様に上がり続けた。だが、ウルマス中将はヴァルネクの砲撃を直接攻撃する手段を持たない今、ただ只管砲撃が止む事を祈り続けるしかなかったのだ。こうして砲撃初日が終わる頃、迎撃の浮遊機は何ら成果を上げる事無く基地に帰投し、イメド防衛線後方には同盟軍最精鋭とも謳われた機甲軍団が徐々に集結しつつあった。だが、二日目の朝を迎える頃には、再びヴァルネク軍の砲撃が開始され、一向に敵地上部隊は前進を開始しなかったのだ。
同盟軍のイメド防衛線前線配備された兵の中には、既に陣地が崩壊した為に勝手に後退する兵や部隊が続出した。だが、前線配備された部隊はあくまでも歩兵戦力であった為、同盟軍全体の防衛計画の中ではそれほど破綻はしていなかった。だが、三日目に再び砲撃から始まった事から、同盟軍は前線配置の部隊を完全に後退させる事を決意した。ウルマス中将は、この砲撃は嫌がらせであり、敵がこの防衛線に直接的な侵攻を行う意図が無い可能性が高い物と判断したのだ。それには、偵察任務から辛くも生き残った偵察機から齎された情報により、集結していたヴァルネク軍が指向する攻撃目標は中央防衛線を突破した上で、イメド回廊の側面から中立国国境をも利用した東部同盟軍の孤立を企画したもの、と正確に看破していた。
「なるほどな。良く考えた物よ。敵ヴァルネク第二軍の指揮官はグジェゴシェクと言ったな。これが成功したなら我々はドムヴァル東部と中立国の間の巨大な三角形のポケットの中に押し込まれる事になる。だが、そう連中の思い通りに上手く事が運ぶかどうかは別問題だ。我が軍の意地の見せ所だぞ。我らが守る東部防衛線と中央防衛線の切れ目に敵は雪崩込んで来るぞ。だが、それを押し止める戦力を回すには時間が無い。既に粗方がここに集まっているからな。早急に機甲軍団は一部イメド防衛の為の戦力を引き抜いた上でサライ国境付近に向け移動を開始だ。中央を抜かれたら、我々はここに包囲されポケットに押し込まれる。だが、その前に脱出迂回した上で反撃を行う。上手くいけば、このサライ回廊の防衛線との挟撃が可能かもしれん」
同盟軍にとって不運な事は、ウルマス中将が正確に事態を把握した上で有効な作戦を立てたが、その作戦内容がどこにも伝わらなかった事だった。
予定通り三日目にヴァルネク航空浮遊軍アロスワフ少将率いる地上攻撃用の浮遊機部隊と、それを守る対空浮遊機の大部隊が同盟軍東部司令部への攻撃を実施した。折しも、この空襲時に同盟軍司令部ではウルマス中将と参謀達が集まり、今後の対策を協議していた所だった。まさかのヴァルネク軍の空襲にも関わらず、同盟軍浮遊機部隊は連日の空振りの鬱憤を晴らすかのようにヴァルネク浮遊機の群れに襲いかかり、今までに無い程のキルレートでヴァルネクの浮遊機を落としていったのだ。
同盟軍に配備された新型の迎撃専用浮遊機は対空戦闘に特化しており、魔導結晶石の消耗は激しい物のヴァルネクの攻撃型浮遊機と同等の速度と上昇能力を備えていた。しかもトマシュ大佐が鍛えに鍛え上げた結果、新型浮遊機の慣熟飛行訓練が終わる頃には、同盟軍の最精鋭とも呼べる実力を持つ集団へと育っていた。
だが、それほどの能力を持つ浮遊機部隊ではあったが、魔導結晶石の激しい消耗具合から継続戦闘時間が著しく低くなった事により、次々と魔導結晶石切れを起こして基地に引き上げて行かざるを得なかった。そして損耗を上回る戦力を投入していたヴァルネク浮遊機部隊は、同盟軍浮遊機部隊が引き上げた空を散々に飛び回り同盟軍東部司令部を攻撃し続けたのだ。
こうして東部イメド防衛線への砲撃開始より三日目。
同盟軍東部司令部は甚大な被害を受けていた。何より一番大きな被害は、事態を正確に把握していたであろう同盟軍ドムヴァル第三軍ウルマス中将がこの空襲により戦死した事だった




