1_43.柊の判断
ボルダーチュクはステパン中将からの通信を聞き進むにつれ、担当の魔導通信士を人払いした上で親衛軍のマキシミリアノ大将を同席させ情報を共有させた。彼ら二人はステパン中将が語る日本の情報を俄かには信じられなかった。だが、ボルダーチュクはステパンの話を聞いた上で、自らの信念に基づいて対応した。
「ステパン、そのニッポンの情報はどこまで確信を持っているのだ。貴公の判断で良い。」
『少なくとも、マルギタ海軍への攻撃は全て命中しておりました。ニッポン軍の艦艇は恐らくは全速に近い機動をしているにも関わらず、移動しながら射撃を行った上で我々が見る限り射撃の殆どが命中しておりました。しかも彼らニッポン人から聞く所によると、彼らは対艦攻撃における主攻撃方法を使用しては居なかった、と。彼ら曰く、加減して戦った、と。これらを見知った私としては、ニッポン国が持つ能力は彼らが言う程度には最低限或るのだろうと判断しております。』
「それは彼らニッポン国の海戦能力が高い事を証明出来るであろうが、だが単にそれだけに過ぎん。しかも我々ヴァルネクとは友好的になどと抜かしておる。我々と事を構えるには奴等ニッポン国にその覚悟が無いのだとも言える。何故ならば彼らにそれだけの力があるとするならば、この様な面倒な力を誇示する方法を取らず、問答無用で我々を火の海にするだろうよ。それが出来ぬ何等かの理由があるに違いない。ステパン、貴様はニッポン国の外交官から更なる情報を探れ。ニッポン国が何が足りて何が足りないのか、何が弱点となり得るのかをだ。単独で完全な国など無いのだ。そして戦争とは何も正面の戦いばかりでは無い事を奴等ニッポンに教えてやろう。」
『はっ、仰せの通りに。猊下、私はニッポン国の外交官と対峙した際に、私では手に余ると判断した上で彼らの問いに即答を避ける為に、自分には外交権が無い事を表明しております。行く行くは外交交渉なりを行わなければならないと思いますが……』
「それは考えずとも良い。彼らに本当にそれだけの能力があれば勝手に乗り込んで来るだろう。それよりも気にかかる事があるのだ。マキシミリアノも聞け。私が気にかかる事はジグムント大佐の特務艦隊、そして貴様の連合艦隊で再び起きた命令違反の件だ。これはヴァルネクに敵対する何等かの工作と読んでいる。ステパン中将、マルギタのマスラエフ少将に命令違反を予見させる何かがあったか?」
『いえ、直前までマスラエフ少将の態度及び行動は全く持って問題の無い物でした。』
「うむ、そうであろう。ジグムント大佐の件もどうにも理解出来ぬ何かが起きた物と判断しておる。だがこの起きた事象は同盟の連中とは関係無い様に思えるのだ。何故ならば調べた結果、同盟の行動や活動とは全く関係性が見受けられぬのだ。ステパン、貴様に任せた艦隊は以降絶対に交戦を避けよ。その上で艦隊内の何等かの工作の気配を探れ。もしかすると我々が知らぬ敵が存在するやもしれん。」
「猊下、それでは私に命じたあの件は、つまり……」
「そういう事だ、マキシミリアノ。既に我々の艦隊に潜まされていたと考えるならば、我等の近くにも既に入り込まれているのかもしれん。つまりは早急に敵が何者なのかを確定させんと、我々は勝利の祝杯を上げている最中に後ろから刺されるかもしれんのだ。」
「承知致しました、猊下。既に我々親衛軍の手で再度法国内の調査を行っておりますが、同盟各国にも調査の手を伸ばします。」
「うむ、怪しい者が居ても暫くは泳がせよ。その背後がどこかを掴みたい。同盟でも無ければロドーニアでも無い。ましてやニッポンとやらでも無いのであろう可能性が高い。もしやヴァルネク連合内のどこかという事は無いと思うが、一刻も早くこの違和感を解消したいのだ、マキシミリアノ。」
「承知しております、ボルダーチュク猊下。早急に調査を進めます。」
「そうだ、ステパン。ニッポン国との交渉の件、長引かせろ。奴等の要求に従うようにして土壇場でひっくり返せ。最悪、ニッポンとは敵対しないだけで最上の結果となる筈だ。その間に、我等はラヴェンシア大陸統一を進め既成事実を積み上げる。どうせ、飲まれた国の連中は人造魔導石に変わるのだ。そうなれば国を返せという者など一人も居らなくなる。そうなった場合のニッポンの言い草が楽しみだ。良いな、ステパン。ニッポンとの交渉は長引かせろ。」
『命令のままに、猊下。』
通信を切り、人払いをしたボルダーチュクは考えていた。
ここ数日懸念していたヴァルネク連合内に潜む敵の存在がいよいよ顕在化してきた事を実感しつつも、その目的が全く理解出来なかったのだ。恐らくはヴァルネクにとって良い事では無い。簡単な敵は起きた事象を利害で推し量れる。自らが得をする為に敵を誘導するのだ。それが故に起きた事象を詳しく調べたのなら、どこの国の工作かは浮かび上がる筈なのだ。だが、今回の工作はその手法もさる事ながら、その目的が要として知れない。何を目的として、ラビアーノとマルギタ海軍の暴発が起きたのか。ラビアーノ海軍は兎も角、あれ程に規律が厳しいマルギタ海軍、ましてや海軍の中でも名声高いマスラエフ少将が突然に暴発するのは考え辛い。とするならば、マスラエフ少将が抗い辛い脅迫を受けていたか。それであればマスラエフ少将の周辺を探ればそういった情報が出てくる筈だが、そういった情報はこれまで全く出ては来ていない。という事は、別の手法で動かせている事を意味している。だが、自らの名声を地に落とし、しかも死ぬ可能性が高い事を人に強制する事は可能だろうか……?
・・・
ボルダーチュクとの通信を終えたステパン中将は、直ぐに日本人達の元へと向かった。
だが、果たしてどうやって日本人との交渉を長引かせるのか。何れにせよ、我々は日本とは敵対してはいけないという事は、これまでの路線と全く同様だ。であるならば、この路線に従いつつも交渉を長引かせるのであれば、或る程度の話を進めた上で話をひっくり返した上で、どこか別の場所で交渉を再開するという方法となるだろう。だが、この戦争と無関係な国は……中立国のテネファあたりが適当だろう。ラヴェンシア大陸内の中立国では最大の国であり、我々にも同盟にも無関心の国だ。そうと決まれば早速……
「途中の中座、大変申し訳ない。続きを行っても宜しいですか、ヒイラギさん。」
「はい、構いませんよ、ステパン中将。」
「さて。我々としては貴国の立場や要求を改めて公式ルートで申し入れて頂きたい。その上で、我々は改めて回答したく思う。だが、先だっての要求は明らかに受け入れ難いのは事実だ。もし、我々が貴国の要求に従わない場合、一体如何なる行動を取られる御積りかな?」
「……ほう、雰囲気が変わりましたね、ステパン中将。ともあれお答えしましょう。我々の要求はあくまでも我々日本にとって最大限の要求であり、貴国との交渉の中でお互いの落しどころを確認し、双方が納得する状況が構築されたなら、その内容もそれに合わせて変更される物ではないかな、と思いますが。」
「とすると、あの要求内容も変更される可能性がある、と?」
「ええ、勿論です。双方が納得したならば。」
「なるほど……それは我々にとっても貴国との交渉に熱が入りますな。一つお伺いしたい。貴国の要求の中で、現行我らが行っているラヴェンシア大陸戦争の即時停止に関してなのだが、如何なる権限によって貴国は我等ヴァルネク連合に即時停止を要求しているのかをお尋ねしたい。」
「ほう、それを聞きますか。では逆にこちらからもお伺いしますが、貴方方が行っている戦争行為について、如何なる権限で他国に侵入し占領を行い、他国の権利を蹂躙しているのですか?」
「ふむ、そう来るであろうな。そこら辺りはお互いが話を進めても並行線になる予感がするが、何れにせよ我々ヴァルネクは貴国ニッポンと敵対する意志は毛頭無い。そこだけは貴国政府にしっかりと伝えて頂きたい。」
「ええ、勿論貴方方が我々に敵意が無い事はあなたから伝わっては来ておりますよ。そこは漏らす事無く我々日本国政府に報告致します。ですが、我々の要求に対する回答は今回は頂けない様ですね。」
「え? いや、ヒイラギさん、どういう意味ですか?」
「言葉通りですよ、ステパン中将。我々は一旦戻ります。ですが近いうちに再度の交渉の場を持ちたい。そしてお互いの意見を交換する場を持ちたいのですが、我々としてはロドーニアを貴国との次なる交渉の場と考えています。何かご提案はありますか?」
「ロドーニアか……我々としては戦争当事国のロドーニアは交渉の場として相応しくないと判断している。外交交渉権の無い私が言う事である故、確約は出来ないのだが、中立国テネファは如何であろうか?」
「テネファ? 残念な事に、我々はテネファとの国交を持っては居りませんが。」
「いや、それは我々の方でテネファに話を通した上で、貴国とテネファとの国交を取り持つ事もしよう。如何だろうか?」
「それは我々の方も協議した上で、回答いたしましょう。それで宜しいですか? それと貴国との連絡方法ですが、我々の通信機器を貸し出しましょう。ただし、この通信機器の通信範囲は比較的短い物である上に、電源が必要なのですが……」
「電源? 電源とはなんだ?」
「ああ、そうですよね、分かりました。1週間後にこの海域に再び参りますので、その時に改めて接触という形で宜しいでしょうかね? 尚、我々と接触する際には、この旗を掲げて下さい。」
こうしてステパン中将は何枚かの信号旗を渡された。
ステパン中将は、取り合えず日本との交渉に関しては1週間の猶予を作り出したと判断し、今後の交渉においても外交関係者と協議の上での引き延ばし工作を行えば良いと判断していたのだ。
そして柊の判断は……
途中でステパン中将の雰囲気が変わった事で、離席していた最中のステパン中将とボルダーチュク法王との通信によって、何等かの方針が定められた事を確信していた。それは日本と敵対しないままで交渉を長引かせようとしていると推測した事から、直ぐにこの交渉を打ち切った上で、次なる場を定めるまでに次の手を打たなければならない、という決断だったのだ。
つまり日本のヴァルネク連合への圧力は失敗に終わった、と柊は判断したのだった。