1_40.マルギタ艦隊の突進
指定海域4に到達した段階でヴァルネク教化第二艦隊を中心とした連合艦隊は、それぞれの担当する哨戒海域で探査を続けていた。中心に位置するのはヴァルネク教化第二艦隊、そしてその両隣にエストーノ艦隊とコルダビア艦隊、そして教化第二艦隊前方にマルギタ艦隊での陣容で、日本のヘリSH-60を最初に発見したのもマルギタ艦隊だった。
だがヘリを発見した後に、発進元である日本の艦艇8隻を確認した瞬間から、マルギタ艦隊司令マスラエフ少将には異変が訪れていたのだ。所々、自分の思考に霞が掛かったように集中が途切れてしまう。仕切りに目を擦り、頭を振って意識を艦隊に向けようとするも、まるで眠りに落ちる瞬間のように思考が散逸してしまう。
「カレルギー大佐! いや。誰でも良い! 気付けになる物を持って来い。」
「マスラエフ司令、如何致しましたか? 気付けの薬をお持ちしましたが……」
「大した事は無いのだが……、そこに置いてくれ。後で飲む。」
「軍医殿を呼びましょうか?」
「いや、大事無い。下がって良し。」
マスラエフ少将は、気付けを飲む前に再び日本の艦艇への対応をする命令を発しようする為に一瞬瞼を瞑った。だが、思考の霞は晴れない。一体どういう変調なのだ、これは。自分の指揮能力に関わる何等かの病であれば、誰か別の者を立て……ねば……いや、これは私の任務なのだ。あの敵を殲滅する為に、遥々この嵐の海の領域までやって来たのだ。そうだ、敵を殲滅するのだ。妙に頭がすっきりする。あの敵を殲滅する為に来ているのに、躊躇は危険だ。直ぐに行動に移さなければ。あの敵は危険なのだ。一瞬の時も躊躇してはいけないのだ。そうと決めたならば、即行動だ。ああ、頭がすっきりする。素晴らしい。
「マルギタの全艦隊に告ぐ。私は艦隊司令マスラエフだ。これより我が艦隊は前方40kmに接近中の敵艦隊を攻撃する。三日月陣で全速前進、対艦戦闘用意。射程に入り次第、各自砲撃せよ!」
マスラエフ少将が乗る巡洋艦ビストリツァを中心に魔導砲艦21隻が逆V字型に展開し、日本が派遣した8隻の護衛艦に向かって行く。
「まっ、待ってくださいマスラエフ司令! こ、これは一体どういう事ですか!?」
「カレルギー大佐、どういう事かね?」
「ヴァルネクのステパン中将から交戦を避けよときつく命ぜられている筈です! これは連合規約違反行為となってしまいます! どうか艦隊を下げて下さい! お願いです、マスラエフ司令!!」
「私には君が何を言っているのかが分からん。前方に居るのは敵だ。しかも大層危険な敵なのだ。そんな敵を目前にしているにも関わらず何も行動を起こさないで指を咥えて眺めているのは、逆に我らがレフールの神と我が国の国民達への反逆行為だ。」
「い、一体どうしてしまったのですか、マスラエフ司令!? …ともかくもあの艦隊への攻撃を停止する積りは…ありませんね?」
「当たり前だ、大佐。敵は攻撃し、殲滅する。ごく当たり前の行動に過ぎん。」
マスラエフ少将の副官カレルギー大佐は静かに銃を引き抜いた。
「衛兵! マスラエフ司令は連合規約対桿によりたった今、艦隊指揮権を喪失した。マスラエフ少将を逮捕拘禁しろ。代りに副官である私、カレルギー大佐が当艦隊の指揮を行う!」
衛兵達が数人ほど艦橋に集まっては来たが、マスラエフ少将とカレルギー大佐が睨み合った状況に誰もが直ぐに判断がつかない。だが、銃を突き付けられているマスラエフ少将の方が状況的に不利であったのだが、カレルギー大佐に向かって叫んだ。
「カレルギー大佐、君は売国奴か? 目の前に敵が居るのに何もしないのか?」
「お前達、何をしているっ!! マスラエフ少将は錯乱した。早く拘禁しろ!!」
「いえ、ですが……あ、ヴァルタン衛兵長!」
「どうした、これは何事だ? 早く拘禁しろ。カレルギー大佐を反乱の疑いで逮捕拘禁だ!」
「なっ、なんだと!? おい、ちょっと待て! 違う、マスラエフ少将の方だ! マスラエフ少将を…」
こうして副官のカレルギー大佐はタイミング良く艦橋に来たヴァルタン衛兵長によって逮捕拘禁されてしまった。カレルギーが艦橋を衛兵達によって強制的に退去させられた後に、衛兵長はマスラエフ少将と顔を合わせ、何も言わずにお互い頷いた。そう、二重精神操作の対象一人目は巡洋艦ビストリツァの衛兵長だったのだ。こうしてマルギタ海軍はマスラエフ少将の指揮の元、日本の艦隊に向かっていったのだ。
・・・
ヴァルネクの戦艦オルシュテイン艦橋では大混乱に陥っていた。
「未だ巡洋艦ビストリツァと連絡は付かんのかっ!!」
「……ビストリツァは通信を切っています。応答ありません。」
「一体全体どういう事なのだ、これは……ビストリツァに必ず連絡を付けろ! 何をする気だ、マスラエフ……」
兎も角も連絡が付けられない事にはどうにもならない。だが、ここでステパン中将はふとジグムント大佐に起きた事態を思い出した。あの時も勝手にラビアーノ艦隊が先走った攻撃を行ったと聞いた。このままマルギタ海軍を放置すると、恐らくあれは日本の艦隊に攻撃を仕掛けるだろう。だが、まさか日本にはそういった精神的な攻撃方法が存在するのか? だとすると、何故自らを攻撃させる手法を取るのだ? ……全く分からんが、分っている事は二度も同じように味方から造反者が出た挙句に、艦隊が日本に撃沈されるか、味方同士で撃ち合う事になった事だ。もしここで我々がマルギタ軍を攻撃しなかった場合はどうなるのだろうか?
「……全艦隊停止。一切の行動を停止せよ。私の命令がある迄は何もするな。」
ステパン中将は、マルギタ海軍に対しての行動は通信を送る事だけに止め、教化第二艦隊とその他の艦隊全ての行動を止めた。そして直ぐに貴賓室に向かった。
「一つお伺いしたい。今起きている事態を理解しておられるか?」
「ん? 一体何が起きているのですか? ここに案内されて以降は我々も外部の情報の一切を入手しておりませんので、ご説明頂きたいのですが?」
「そういう芝居は沢山だ。ヒイラギ、だったな。前回のジグムント大佐が率いた特務艦艇をラビアーノが突然造反した挙句に、ニッポンに攻撃して沈められた。攻撃されたが故に反撃したとの理由は納得出来る事だ。だが、何故突然に我々の友邦国が事前の協議も無く、許可も得ず、常識に照らし合わせても理解出来ない攻撃をニッポンに対して行ったのだろうか? 今回もマルギタ海軍が突然我々の事前に定められた協議内容から逸脱して、戦闘行動を開始している。それの意味する所は一体何だ?」
「いえ、ステパン閣下。我々はあなたが何を言っているのか皆目見当もつかないのですが? いや、それよりもマルギタ海軍が戦闘行動を開始している、ですと?」
「まだそんな芝居を。大体我々に対しての要求も全く意味が分からない。そんな要求をする権利も貴方方ニッポンには無い筈だ。我々は当初から貴国に対しては友好的に接している。にも関わらず、貴国の要求は余りにも理不尽に過ぎる。それは、貴国が何等かの方法により、我々の精神的な何かを操作しようとしているのだ。精神的な操作と無理な要求で、我々が正常な判断が出来ない状態に陥れようとしているのだろう!?」
「……何を言っているのかさっぱり分からないんですが、一応念のため申し上げますよ。あなたの艦隊を狙う槍は瞬時に貴方方の艦隊を沈める事が可能です。日本に攻撃を仕掛けようとした時点でね。我々の乗るこの戦艦には攻撃はしませんが、戦闘能力があると判断した船は、そちらが攻撃の兆候を見せた瞬間に沈む事になると思いますよ。お疑いならやってみると良い。」
「いや、疑ってはいないが……つまりは、精神的な操作と強力な攻撃能力を使って我々を屈服させようという事か。」
「精神的な操作と言われる事が何の事か本当に分からないんですが、それを理由にこういう事態であるならば一応は釈明の機会も頂きたいですね。そもそも、催眠術とかその辺りの事を言っているのですか? 荒唐無稽過ぎて訳が分からないですよ、ステパン中将。」
戦艦オルシュテイン貴賓室では、艦隊司令のステパン中将と日本からの使者が喧々囂々と遣り合っていたが、そもそもは日本の戦略としては、生き残る事がまず最優先であり、戦闘及び戦争行為を長期間する事は絶対に避けなければならない。であるならば綺麗事を吐きながら衰退し滅びゆくよりは、どんなに汚い真似をしてでも生き残る方法をガルディシア帝国で学んだ。その為、日本としては多少無理筋であっても譲れない場所は譲れない。そして、このヴァルネク連合によるラヴェンシア大陸戦争は、やがて日本の生命線たるヴォートラン王国を脅かす事になるに違いない。そこまでヴァルネク連合を成長させる理由も無い。邪魔になるであろう国家は今のうちに潰して置かなければならないのだ。その行動原則に従って、柊は多少どころか相当に無茶な要求をする事も許可されていた。
「では……では一体何故にこうも我々の側からばかり、こんな事態が……いや、取り乱して申し訳無かった、ヒイラギさん。出来るならば、忘れて頂きたいのだが……。」
「そうですね。貴方方ヴァルネク連合以外、そして同盟も含むその手の手法に長けた国の可能性というのはありませんか?」
「分からん。だが、人の精神を操作するような事が出来る国など……あっ? すまない、皆さん、一旦離席する。」
マルギタ海軍は自らの持つ砲の射程ギリギリまで鶴翼の陣形のまま接近し、日本の護衛艦隊に近づきつつあった。




