2_26.ロドーニア海上補給路
法王ボルダーチュクは焦燥とも言える気持ちに支配されていた。
今、正にラヴェンシア大陸の殆どを掌握しつつあった東方侵攻に浴びせかけられた冷や水。
後背に起きたコルダビアの軍事クーデター。
そしてソルノクへの攻撃による兵站線の切断。
更にはロドーニアへのヴォートランの介入。
既に大勢が決しつつあるとは言え、決して油断はならない。
ヴァルネクにとって幸いな事に、得体の知れない新興国家ニッポンに動きは見られない。
これは例のロドーニア不介入宣言によってニッポンの動きをある程度牽制出来た、とボルダーチュクは判断していた。だが、その宣言によってロドーニアが如何に16ヶ国同盟と関わっても、ヴァルネクは積極的な行動が取れない自縄自縛の状態ともなっている。だが、この正体不明の国が我々に介入してくる前に、我々の大陸平定は必須条件だ。
このボルダーチュクの焦燥は、ヴァルネク聖都レフリアへの各国代表と諸将への緊急招集という形で現れた。
そしてここ聖都レフリアには急遽各国の代表と軍の諸将が集められていた。
彼ら居並ぶ彼らの前に立つボルダーチュクの顔は心とは裏腹に優れない顔を一切見せてはいない。
居並ぶ各軍の諸将を前にボルダーチュクは声を張り上げた。
「急遽呼び出してすまぬが、各将の皆には現状を理解していると思うが、理解しておらぬ者は居らぬな?
既に聞き及ぶ通り、我が軍は正体不明の敵から攻撃を受け、ソルノクにある補給基地が壊滅する事態に直面している。この補給基地の壊滅は、前線の我等ヴァルネク連合軍主力への兵站が滞る事を意味している。これと平行して我がヴァルネクの友邦コルダビアは軍事クーデターにより連合脱落の危険を孕んでおるのだ」
既に予め事態の報告を受けていた各国代表、そして各国の諸将はボルダーチュクの言葉に動揺する事も無く聞き入っていた。
だが、そこにコルダビアの代表の姿は無い。
「然るに我々が現在危機的状況にあると言えば否であろう。我等は既にラヴェンシアの東端を残して平定しつつあり、遍く我等レフールの教えが、ラヴェンシアの隅々まで広がりつつある事は、これ即ち神の意思に他ならない」
(うむ、そうだ)
(違いない…)
(だが、コルダビアは……?)
ボルダーチュクの言葉に殆どが賛同を示すが、一部には危惧感を払拭出来ずに居る者も居た。
「コルダビア……諸将の中には危機感を持つ者も居ろう。だが、これは既に終わった事態として捉えていても過言ではない。既に我が軍はコルダビア王位継承者の救出に向けて、精鋭旅団を送り込んでおる。これと共に教化第一艦隊分遣隊及び精鋭浮遊機部隊が共同で作戦に当たる。係る事態に我が友邦国コルダビアが、この連合より脱落するという事態にならぬ事は、この法王ボルダーチュクの言を以って保証しよう」
エストーノ代表団は、この法王の発言を注意深く聞いていた。
「既にヴァルネクはコルダビアに対し軍事介入を行っていると宣言したな。精鋭旅団とは……一体どこの旅団だ? 探れるか? 恐らくはこの後に訪れるコルダビアの悲劇は、首都のコルダビア軍による制圧とクーデターに関わった軍人の処断だ。その後に、傀儡となるのは年端も行かぬ王位継承者だろう。となればコルダビアは完全なヴァルネクの衛星国化は免れないだろうが、同時に国力低下も否めないだろう。この機に我等は復権を狙うぞ」
エストーノはマゾビエスキ王国の西方リェカの殲滅戦で地上軍に大打撃を受け、そしてザラウ沖の戦いで海軍が重大な損害を受けており、その戦闘能力の大幅低下によってヴァルネク内の地位は、コルダビアに準じた立場からマルギタ国以下へと低下していたのだ。だが、ここに来て降ってわいた復権のチャンスを見逃す手は無い。
エストーノ国王パルディスキは鼻息荒く側近と軍将校に捲し立てた。
「陛下、未だ法王猊下の貴いお言葉が……」
「う、うむ。すまぬ、逸ったようだ…」
・・・
コルダビア軍のパヴェル大佐は、このヴァルネクの緊急会議に参加出来ずに室外待機となっていた。
室内に続々と入って行ったヴァルネク連合各国の代表と軍の代表者達。
室外で入れずに居る自分達を見る各国の代表達の表情は、皆一様に哀れみと侮蔑と優越だった。
今までヴァルネク連合でもNo.2の地位に居たコルダビアはこれで凋落するだろう。彼らの表情は戦後の駆け引きを見据えて、コルダビアの凋落によって空いた席を巡り、他国を退けその地位になり替わる算段と策謀を開始するだろう。またその地位にあった彼らコルダビアの軍人が室外に待たされ呆然として佇んでいる姿を見て同情しつつも、自分達がこの緊急会議でどうのし上がるかに集中して直ぐに目線を外して去っていった。
そんな視線を後目にパヴェルは自分の国コルダビアがこの先どうなって行くのか、自分自身のこの先は一体どうなってしまうのか、この会議が終われば直々に、ここに待機する我々コルダビアの面々が呼ばれ糾弾されるだろうか、などと思案に耽っていた。そしてどんな運命が待ち受けるのか全く見えないコルダビアの未来について、隣に座るコルダビア海軍のラヴォチェク少将にそっと問いかけた。
「閣下、我がコルダビアは一体どうなるのでしょうか?」
「知らぬ。……首都バーラに御座します王家は絶望的だろうな」
「絶望的……」
「アンゼルム将軍……いや反乱軍の将アンゼルムが首都をクーデターで掌握したとなれば、フランシェク国王陛下を生かしておく事はしないだろう。奴の性格なら完璧に敵対の目を潰すだろうな。だがその手が伸びるのも首都周辺のみだろう。高々数万の兵力で、しかも海軍の協力も無しで国家を掌握する事など出来はしない」
「それでは……連合諸国によるコルダビア包囲網と攻撃によって!?」
「そうはならんだろう。ヴァルネクも馬鹿ではない。恐らくは既に手は打っているだろうが、最小の兵力による介入程度に済ませ、要はヴァルネク連合からの脱落で無ければ、クーデターによって出来たコルダビアの後釜政権とも宜しく付き合ってくれるだろうよ。ヴァルネクの立場から見た場合、コルダビアを誰が支配してもどうでも良い、連合から脱落さえせねば、という事だな」
「では、現在のアンゼルム将軍と交渉する、と?」
「それは無い。アンゼルムの首を切らぬと民衆が収まらんだろう。だが、アンゼルムもそれを理解していた筈だ。一体全体何故こんな事をアンゼルムは……確かに陛下にも問題はあったが……」
ラヴォチェク少将は言い終えると、深い悲しみの表情から黙り込んだ。
それ以上を問えなかったパヴェルは、かつての上官アンゼルム将軍が首都に戻る際の違和感を思い出していた。
だが、何度繰り返しても答えは出なかった。
・・・
各国の代表は既に退出し、この会議室に残るのはヴァルネク軍諸将と法王ボルダーチュクのみであった。
「一体どうなっている、マキシミリアノ」
「はっ、現在コルダビアへの軍事的な介入とコルダビア王家の継承権を持つ王族の捜索を行っております」
「コルダビアの件ではない。ソルノクの正体不明の敵の事だ。あれは魔獣の森方面からの攻撃と聞く。浮遊機は魔獣の森を越える事は出来ぬが、これは一体どこから現れたのだ? どの国が魔獣の森を越える浮遊機を?」
「これに関しましては、ソルノクの各補給基地の生き残りが、大型の十字型浮遊機を確認しております。また小型の十字型浮遊機が浮遊機駐機場を攻撃していた事を証言しております。つまりはヴォートランの浮遊機が魔獣の森を越えてソルノクの攻撃を行った物と」
「ヴォートランか……あと一歩という所で厄介な事だな。貴様はどう見る、マキシミリアノ?」
「はっ……ここにきて魔獣の森を越える浮遊機の存在、言わば我々が侵入出来ぬ場所からの攻撃は、今後の柔らかな下腹が常時攻撃の危険から晒されている事を表しております。つまりは東に伸びたこの戦線全てが襲撃される可能性を秘めており、その全てに張り付ける戦力がある訳も無く、重点的な箇所に戦力を張り付ける必要が、、」
「マクシミリアノ、全てを守ろうとした者は全てを失う。どうせ魔獣の森を超えたとしても出来る事は高が知れている。ソルノク辺りなら未だしも、それ以上には踏み込む事は出来ぬだろう。魔獣の森に近い南方領域は補給路から外せ。海上輸送でも兵站線は繋がる。より北方海岸線と占領した港を有効に活用せよ」
「は、それでは南方の防御は……?」
「その時は、氾濫を起こさぬ程度に魔獣の森を焼き払え。仮に魔獣の森を越えて来る連中が居たとしても、魔獣が始末をつけてくれるだろうよ。それと、だ。ヴァインベック中将、ここに」
「ヴァインベック中将、参りました」
「うむ、貴様の教化第一艦隊分遣隊はロドーニアとヴォートランの中間地点で遊弋せよ。ロドーニアの船には手を出さぬとも、ヴォートランの船はそうは行かん。死の海が無くなった途端にロドーニア西海域を我が物顔でヴォートランに荒らされては、幾ら同盟諸国を追い詰めてもロドーニアが希望の光となる。まずはロドーニアへの補給を断つ為に、ヴォートランの船を狩れ。その際は再建した新生魔道潜水艦部隊を中心に行え」
「はっ、御心のままに」
「あくまでも我等の手段と悟られるな。海上船は友好的に振舞え。ヴォートランの連中もまさか海中からの攻撃までは予測はすまい。そして第一教化艦隊主力はコルダビア圧迫を行え」
「あの、猊下…!?」
その時、おずおずと手を上げる者が居た。
「なんだ、ジグムント?」
「ヴォートランは確かニッポンと安全保障を結んでいた筈です。それに私がニッポンの軍港マイヅルに連れ去られた際に見学した兵器に潜水艦が居りました。これは我が魔道潜水艦に非常に良く似た兵器であります。ただ、見学は途中で切り上げられた為、詳細の確認は出来なかったのですが……」
「それは海中に潜航して敵を攻撃する兵器という事か?」
「左様に。彼らの主兵装は誘導弾という名の追尾能力を持つ兵器です。恐らくは海中に於いても誘導能力を持つ可能性があるかと」
「ふん。見つかればな。海中に潜み、海中から攻撃するのだ。誘導能力を持つと言うが、それらが我等の遊弋する海域に来る頃には去った後だ。証拠は何も残らん。そもそも輸送船団など船足など高が知れておる標的を撃って逃げるのにどれ程の時間がかかる?」
「つまり一撃を加えて直ぐに去り、を繰り返すと」
「そういう事だ。恐らくはニッポンの潜水艦とやらも似たような用途で運用しておるのだろう。それを逆手に海上では空く迄も友好的に振舞え。決して海の上では敵対するな」
「成程、流石猊下…」
「話は終わったな、ジグムント。貴様は引き続き第二教化艦隊を率いてラヴェンシア東方の同盟艦隊を牽制せよ。未だオラテアとオストルスキが健在で、そこには同盟の残存艦隊が残っている。だが、未だ牽制だけで良いぞ。うっかり殲滅せぬようにな」
笑うボルダーチュクを前に、ジグムント少将は表面上感服した振りをして引き下がった。
だがニッポンの兵器が海中に居る我等の魔道潜水艦が探知出来ない、なんて事があるだろうか。
我等の知らない技術を以って海中の兵器を探る方法を持っている可能性がある。
それを今ここでボルダーチュクに警告した所で、不興を買うだけだ。
ジグムントは退室した後に、メーシェ兵器局を訪ねてみる事にした。
インフルB型、39.5℃まで体温上昇しやがりました。
ようやく復活、更新も復活。タミフルは神。