2_24.コルダビアに迫る火
ウーラ中尉は悩んでいた。
国境守備隊隊長だったあの時、トルロフ大佐を城内に引き入れた事で魔獣による惨事を招き、軍機違反の廉により二階級降格処分となった。が、そのトルロフによって辺境守備である閑職から、花形であるヴァルネク第三軍への編入となった事だ。
未だ戦争が続く東方制圧戦争は、ヴァルネクの圧倒的勝利により今や敵である同盟軍は風前の灯だ。つまりこの先には勝ち戦しか存在しない。この勝ち戦で華々しく活躍するのは侵攻主力である陸軍なのだ。ここに所属する事は、ヴァルネクの軍人として名誉であって、あんな辺境の守備隊で軍歴を積んでも意味の無い事だ。そういった意味では、第三軍への転属は喜ばしい事だった。
だが軍法会議により降格処分を受け入れ、中尉になったウーラが第三軍トルロフ旅団でトルロフ大佐の下に配置されるという事は、ウーラの生殺与奪を握った大佐によって、どんな事を命じられても不思議ではない。
しかもトルロフ大佐は、魔獣が跋扈する平野を横断して脱出に成功した剛の者なのだ。
個人で武勇を誇る有能な軍人の下では部下は全員無事か、乃至は部下が先に死んでゆくかどちらかなのだ。
ウーラは先には死ぬ気は無かった。
暫くはヴァルネク本国での再編を命じられたトルロフ大佐は、原隊が壊滅して休養中の部隊や士官学校などに政治力を駆使して旅団の再編をゆったりとだが精力的に行っていた。だがコルダビアの反乱によって戦力派遣の急先鋒としてトルロフ旅団に白羽の矢が立った事から、戦力補充は最優先事項となり、急速に戦力の回復が図られた。
ウーラ中尉も旅団の司令部付属としてトルロフの参謀としての地位が与えられた。
だがコルダビアの反乱を行っているコルダビア第二軍は総数4万を超えるだろうと推測される。そして対するトルロフ旅団は完全充足で7千人強なのだ。守る方が強いであろう場所に僅か六分の一程度の戦力で攻め込むのだ。
幾ら海軍と浮遊軍の協力があるとはいえ、1対6の戦力差で戦う馬鹿は居ない。
……いや、おったわ、トルロフ大佐だわ。
果たしてこの旅団に居て、俺は大丈夫なのか?
大体、ここヴァルネクには法王府を守るマキシミリアノ将軍の親衛軍が居るのだ。
にもかかわらず、俺達を派遣するという事は、もし仮に俺達が失敗しても敵反乱軍の戦力を減らした上で、親衛軍が出張ってコルダビア反乱軍を平定した上で手柄は親衛軍が独り占めって寸法、ってのが裏で握られてんじゃないのか?
ウーラ中尉の悩みは続く。
・・・
日本はラヴェンシア大陸魔獣反乱に対するPKF活動として、魔獣の森監視を理由としたグローバルホークを含む部隊と装備一式をロドーニアに派遣した。
日本が移転以降、石油資源をヴォートランただ一国に頼る現状でヴォートランの安全保障は日本にとって最も重要な守るべき生命線の一つとなっていた。既にヴァルネクがヴォートランとの交戦状況が発生した事により、日本としては本格的な介入を行って、戦争終結による事態の収拾を図りたい、もしくは同盟への徹底的な関与を行いたい所であった。
しかし隣国ガルディシア帝国の内乱からの帝国崩壊、そして日本周辺の三国が安定した事により、戦争や紛争に介入するよりも今後はこの平和な状況を維持する事に尽力した方が良いのではないか?との勢力が伸張し、国民の大半がその意見に同調しつつあった。しかもヴァルネク連合との接触以降、ヴァルネクは表向きであるが日本に対して交戦の意思は無い事を表明しているのだ。この表明を受けて、平和を錦の御旗に標榜する支持団体に支えられた某政党の発言力は、国会内で勢力を増しつつあった。
結果としてヴァルネクの危険性を感じていた日本政府は国民の意思に反しての戦争介入の手段が制限されていた。
いわゆるPKF(国際連合平和維持軍)という形でしか介入方法が無かったのだ。そこで日本はヴォートラン、そしてガルディシア帝国から分離独立したエウグストの協力をもとに民間軍事会社を設立して、表向き日本とは関係無い環境を作って介入を行っていた。つまりは日本の真の目的は、ヴァルネク連合の侵略に対抗する事なのだ。
日本の無人偵察機グローバルホークの情報はロドーニアを通じて16ヶ国同盟にも報告された。
だが、同盟各国の首脳はこの情報を受けても事態が好転したとは見做さなかった。
何故ならば、依然ヴァルネク主力の第一軍はその歩みを止める事も無くオラテア国境へと進んでいたからだ。
しかもコルダビアの政変が起きたとしても、直ぐにヴァルネク軍によって介入鎮圧されると思っていたのだ。
次に日本から齎された情報では、既にヴァルネクから旅団規模の戦闘集団がコルダビアに向かい、マルギタ国からはマルギタ海軍がコルダビアの首都バーラに向けて移動中である事が確認されたのだ。
これらの事から、推測されるのはコルダビア陸軍のみのクーデターであって、海軍や浮遊軍が関与しているようには見えず、事実コルダビア海軍も浮遊軍も事態の推移を見守る静観を維持していたからだ。
何れにせよ、敵軍が何かの失態を犯しつつあったとしても同盟軍にはここに突き入る戦力は無い。
正確にいうと、戦力を動かす魔道結晶石が無い。
その魔道結晶石は、今やロドーニアの採掘場からしか供給されず、その供給量も微々たる物なのだ。
そしてこの会議で決まった事は、同盟首脳会議を次回よりオストルスキ共和国からロドーニアに移して開催する事となっただけだった。同盟の首脳会議で最も興味を引いた話題は、ヴォートランがサライから撤退した際に使用した地雷だった。だが防衛的な性格を持つこの手の兵器は、相手がそれと注意していない戦場では抜群の効果を誇ったが、既にヴァルネクは捕虜の民間人を地雷を散布した地帯を歩かせる事によってその対抗手段を得ていた以上、遅滞効果以上の何かを見出す事も出来ず、戦局の打開を図る兵器では無い事から直ぐに興味を失った。そして自らの安全を確保する手段として見られたロドーニアへの首脳会議の移転は、最前線たるオラテアに残る同盟軍将兵達に少なからず不審の種が蒔かれた事となる。
・・・
首都制圧部隊を担当したリュートスキ大佐は政府公官庁施設の占拠と同時に魔道結晶石製造施設も抑えてる動きをとった。
だが首都バーラとその周辺に魔獣結晶石製造施設は少なく、コルダビア国内でも辺境に位置する場所に大部分が作られていた為に、首都制圧部隊に供給される魔道結晶石は、軍が必要とするであろう量の確保には程遠かった。そこで必要量を確保する為に、バーラの港にある海軍艦艇の魔道結晶石集積場を接収した上で、首都制圧部隊へ供給する積りだったのだ。
だが、この魔道結晶製造工場そして海軍艦艇用魔道結晶石集積所も厳重な防備に固められていた。
それはコルダビア軍海軍陸戦隊とヴァルネク辺境軍分遣部隊による共同守備体制が取られており、これら施設を守る部隊に圧力を加えて無血による奪取を試みたリュートスキ大佐は、頑強な守備隊の抵抗により予定外の戦力投入を強いられた。
そしてこれらの戦闘に費やす人員を古参の兵に頼った事により、重大な問題が生じていたのだ。
首都制圧部隊、言い換えるとコルダビア第二打撃軍は自走魔道砲を主力とした機甲部隊でありクーデターを行うには圧倒的に駒が足りない。この古参の将兵が占める主力部隊は、この魔道結晶石確保の為の戦闘に投入された。
そして再編された部隊には新兵が大量に補充されており、彼らはこのクーデターを理解賛同して参加している訳では無かったのだ。この部隊の中核である古参のコルダビア軍将校達は、脱出をするヴァルネク軍の囮として残置され魔獣の森で壊滅寸前にまで陥り、敵である同盟軍の協力によって脱出に成功した過去を持つ。そういった訳で古参将校はクーデターに完全に賛同していたが、新兵達はこの経験を共有していなかった。
そこでリュートスキは一計を案じた。
新兵達を従わせる方法として、「首都バーラ防衛演習」を計画し、これをジレテンスキー中将に提出、認可を得ていた。
新任のジレテンスキー中将は、二度の壊滅から再び立ち直りつつある第二打撃軍が急速な兵の補充による練度の低下に苦悩していたであろう事を理解して即座に認可を出していたが、その演習によって演習開始当初に拘束された。新兵達は当初疑問を持つ事無く、首都バーラ防衛演習計画に従って、演習発動と共に予め決められた行動を行った。
古参の将兵達によって構成される中核戦力は魔道結晶石確保の為に実際の武力衝突が起きた場合の要員として、港や工場地帯へと派遣された。つまり首都制圧部隊を占めていたのは圧倒的に新兵が多かったのだ。
そして演習に参加した新兵達から見た光景は当然に古参兵とは違っていた。
この公官庁制圧任務の大部分を占める第二打撃軍の新兵達は「首都バーラ防衛演習」として出撃し、首都が占拠された状況からの反乱軍制圧、という演習に出ている積りだったのだ。
「演習」であった筈なのに、何故かよく知る公官庁施設を封鎖した上で、我々が首都を制圧した上で公的な放送で現国王フランシェクを退位を宣言させた。そしてコルダビア臨時政府を打ち立ててアンゼルム将軍が臨時政府首班を宣言したのだ。更に空位となった王位には王位継承権第三位である国王の叔父であるファーネルスを据えた。傍から見るとファーネルスがアンゼルム将軍と結託して王位簒奪を行い、それを我々コルダビア第二打撃軍が幇助した形に見えたのだ。
この演習「首都バーラ防衛演習」の名目そのものが何かの悪い冗談のようだった。
「なあ、おい。なんかこれオカしくねえか?」
「ああ……俺達は既に3日もここ公官庁を監視している。幾ら演習とは言え、流石にこれは変だ」
「そもそも魔道銃の出力指定が殺傷以上になっているからな……これで撃ったら何が起こるか分かりそうなモンだ。明らかに演習じゃねえ。俺達ぁ国王簒奪の片棒を担いでる事になってるぜ」
「やっぱりそうか……何にせよ、何時迄ここを監視せにゃならんのかな」
「俺達は開く迄も軍人だ。与えられた命令を出した奴の責任だ。責任を問われるのは別の奴らだろうが、俺達じゃねえよ。俺達は単なる命令を下された道具に過ぎんからな。別の命令が下るまでは監視続行だ」
「……善かれ悪しかれ、これがクーデターなら、実行した俺達は縛り首だぜ」
「何を馬鹿な。上官の命令に従っただけだぞ。命令不服従なら懲罰房行だ」
「それによ……友達があそこに勤めてんだよ……そいつにゃ銃は向けられねえよ」
「そうか。……そうだが、俺達は軍人だ。例え友人であっても命令あらば引き金を引くのに躊躇は無い」
「ほうほう、ノール上等兵殿はお偉いこって」
無駄口を叩きあい他愛もない会話に興じる兵達だったが、その心中は穏やかではなかった。
新兵達は状況が長引くにつれ自分達が当初思っていた状況と現状の違いに動揺が広がっていったのだ。
それは公官庁を占拠する新兵達の心に深く静かに毒の様に広がっていた。
・・・
「猊下……本当に宜しいのですか?」
「何がだ、マキシミリアノ?」
「いえ、あのコルダビアの反乱鎮圧としてトルロフ旅団の派遣ですが、我等親衛軍は動かなくても?」
「ふむ……マキシミリアノ。ここで我等が貴公ら親衛軍を動かしたとしよう。この親衛軍を見てコルダビアの連中はどう思う?」
「どう、と……正直申し上げまして、我がヴァルネク法国のその後背地たるコルダビアの反乱は連合を揺るがす事態かと」
「そう、揺るがす事態となるであろうな、貴公ら親衛軍が動いたとするならば」
「我等が、ですか…!?」
「で、あるからこその旅団程度の派遣なのだ。大した問題では無いと、内外に示す必要がある。隣国の反乱程度で、ヴァルネクは秘匿していた親衛軍を直ぐ出した、と詰られる事になるであろうよ。そもそも、あのコルダビア第二打撃軍は例の魔獣の森で一旦は壊滅寸前に追い込まれた。それが故にあの集団には相当数の新兵が入っておるのだ」
「……確かに」
「そして、コルダビアは我が国と同様に敬虔なレフール教徒の信徒達の国だ。当然にレフール教法府の神父達もまた多い。言いたい事は分かるな?」
「そ、それでは……法王直属の信仰部が既に!?」
「うむ、軍の手足は兵だ。軍の主役である兵がこの事態に疑問を持ち、彼らの命令系統とは別のレフール教の神父達が彼らと直接会話を行えば、彼らの考えもまた変わるだろう。それが故に儂は旅団程度の軍派遣で十分だと考えておる。そこで貴公ら親衛軍を動かしたとなれば、我がヴァルネクの鼎の軽重を問われよう」
「ですが、万が一の事もあります、猊下」
「諄いぞ、マキシミリアノ。貴公らはヴァルネクの守護神としての存在なのだ。軽々しく動こうとするな」
「承知致しました……」
ヴァルネク法国のレフール教会ネットワークは既に法王ボルダーチュクの指示を受けていた。
そこにヴァルネク本国から、レフール教法王直属の信仰部の人員が派遣される事になる。
彼らはレフール教の敵を交渉で落とすプロフェッショナル達であった。
そして彼らは、派遣されるトルロフ旅団よりも先にコルダビアの首都バーラを目指していた。
ガルディシア帝国の興亡への誤字脱字報告大感謝です。
二年越し位のクリティカルヒットががが。