2_22.ソルノク潜入
ヴァルネク第一軍率いるシルベステル将軍はオラテア国境を目指してゆっくりと前進していた。
シルベステル将軍は、既に同盟軍による正体不明の攻撃はもう物資の枯渇により追加の攻撃は無いと見ていたが、現場レベルでは正体不明の爆発を目の当たりにしていた事からその前進の速度が鈍らざるを得ず、シルベステルが思ったよりも遥かに低速な進軍速度しか出ていない事に苛立ちを感じていた。
「ウーラム大佐、あれから被害報告はあるか?」
「いえ、以降被害報告は上がっておりません」
「そうか……やはり、な」
やはり自分の考えは正しかった。
だからと言って「もうすでに連中が抵抗する力を失った」という訳ではない。
あの筒は踏めば爆発する厄介なシロモノだ。それだけで進軍の足は止まる。
通常で数日で着く筈のオラテア国境への距離が何倍にも感じていた。
「避難民どもは未だ生き残っているか?」
「はっ、我が軍の数キロ前方でオラテア国境を目指して歩かせています」
「そうか……連中が生き残っているのであれば、我軍に被害は無かろうが……遅いな……」
「はっ、致し方ない事かと」
避難民を先行させて正体不明の攻撃の的にするという案は、同時に彼らの足をも縛っていたのだ。
つまり避難民の歩く速度に合わせて軍の進軍を行っているのだ。
確かに軍への被害は激減したが、シルベステルの忍耐にも限界が訪れつつあった。
・・・
144実験浮遊機中隊はシルヴェステル将軍の第一軍に合わせて前進基地を転々としていた。
だが同盟軍主力のオラテア後退と共にサライ領内での抵抗も散発的となり、戦闘の機会そのものが無くなりつつあった為に、通常の偵察や上空警戒任務のローテーションからは外され、新たな指令を受け取った。
「スカルスキー大尉、ヴィンツェンティ博士の新式装備を受領せよとの指令が来ております」
「新式装備だと? どんなモンなんだ?」
「分かりません。ただ今回は現地改修では済まないそうで、一旦正式整備が可能な工場に入れる必要があると。指令の詳細に関してはアロスワフ将軍自らが説明するので、直ちに出頭せよ、との事です」
「アロスワフ将軍閣下か、了解した。直ぐに向かう」
こうしてスカルスキー大尉はサライ国境近くにあるヴァルネクの浮遊機前進基地に居たアロスワフ将軍への面会を申し出て、簡単に会う事が出来た。
「よく来たスカルスキー大尉。既に指令は聞いているであろうが、同盟軍の活動低下に伴って既にサライ国内は我等の空だ。このまま連中が終わるとは思えんが、万が一もある。が、故に万全を期して、貴様らの乗る機に例のヴォートラン機探知装置の量産品が全機に取り付けられる事となった。今の所は少数の試作品で動作不安定な状況だが、これを解消する」
「ああ、あの探知装置でありますか……量産品?」
「まあ量産品というのは言い過ぎかもしれんが、ヴィンツエンティ博士曰く量産品相当に性能向上品と言っておった。何れにせよ、今の所はヴォートランの連中は鳴りを潜めておるし、同盟の浮遊機も殆ど活動が低下しておる。今がその改修の機会であろう」
「確かに左様に。それでは我々144実験中隊は全機後方に?」
「うむ、ここサライ前線基地では設備が整っておらんそうだ。可及的速やかに装備更新を行うには一度本国まで戻る必要があるという。だが貴様らのヤスクゥーカは足が短いので都度補給を行う必要がある。ドムヴァルやロジャイネで補給を受けて一旦本国まで戻れ」
「了解しました、アロスワフ将軍。しかし……」
「なんだ、スカルスキー大尉」
「いくら魔道結晶石が枯渇して出撃出来ないとしても、同盟軍にはあの例の十字の浮遊機がおります。我々が前線を引く事を察知した同盟軍が何らかの対応を行う可能性はありませんでしょうか?」
「貴官が気にする事は無い。例え例の浮遊機部隊が出たとしても連中の保有する機数は圧倒的に少ない。恐らくは3、40機程度は持っているだろうが、この戦場でその程度の数では戦争の帰趨に影響せん。可及的速やかに装備を更新して前線に戻れ」
「はっ、了解致しました、アロスワフ閣下」
・・・
高田達は魔獣の森は僅か8時間で突破し、目的地ソルノクの北端に到達した。
高田達のオフロードバイクは、事前の偵察からバイクが通り易い道を選定し、その道をただ只管走破したのだった。可能な限り魔獣との戦闘を避ける様に考えていた高田にとって幸いな事に、魔獣は森を移動する部隊の移動速度が比較的早かった事から、森の魔獣が集まる様な事にはならず、通り過ぎる際に散発的に多少寄ってくる程度で問題は無かった。
これは魔獣の森が氾濫した事により、一時的に魔獣の密度が低下していた事が原因だったのだ。
それでも人の足で森を歩けば当然に危険もあったが、バイクの速度はその危険を無効化していたのだった。
唯一、上半身は別の体を持ち下半身は虫の様な多脚を持つ魔獣ヴァオラだけはバイクの速度に追いすがる事が可能だったが、そもそも遠目に確認出来るような大型の魔獣の類はこちらには近づいて来ず、森の中で動きやすそうな小さいタイプは接近した端から撃ち抜かれ、レルティシアが考えていたような近接戦闘による危険な状況は発生しなかった。
そして森を抜ける手前で数機のドローンを飛ばして周辺調査を開始し、安全を確認した上で森を抜けてソルノク領内にベースキャンプを設営し始めた。
「レルティシア様、今後どう致しましょう……」
傍らでエウグスト人達は、設営テントを展開した上で一見すると上空からは見えない様な網を被せていた。その作業を行っている傍らで、神聖士団の三人は固まって相談していた。
「こんな簡単に魔獣の森を突破する事が可能だとは……どういう事だと思う、アールフレド?」
「分かりません……しかしここ迄あっさりと来れたのは、あのバイクとかいう乗り物の成果でしょう。あの荒れた道をあの速度で通り抜けられたら、恐らく足の早い数種の魔獣以外はあの速度に追いつけはしないでしょう」
「ですが、彼らはあの軽装で一体何をする積りなんでしょうか。重装備の数々は船に置いてきてますし、背負える程度の荷しか彼らは装備していないのに、この敵国の真ん中に乗り込んで一体何を……?」
「手持ちの武器しか持っていないのだ。それほど大した事が出来るとは思えん。それなのに一体何をこの者達は行うのだろうか……」
あれこれ悩む神聖士団の前に高田が現れ話しかけた。
「どうも、神聖士団の皆さま方。無事にソルノクまで到着出来て何よりです。ここから先は我々だけで行動しますので、神聖士団の方々はここのベースキャンプで数日待機していて貰えますか?」
「む、貴方方だけで? 一体何をする積りだ?」
「我々はこれから空輸を受けてヴァルネク後方での攪乱工作に出撃します。で、これに同行するのは貴方方にも大変危険が伴いますので、このベースキャンプに潜んでいて貰いたいんですよね」
「なっ、馬鹿な! ここまで来たのだ、我々も同行する!」
「いやテネファはヴァルネク連合と対立関係に無いので、ここでもし貴方方が捕まってしまうと外交問題に発展する可能性が高いんですよね。それなので、せめて捕まった場合であっても、ここのキャンプに居るだけであれば一応魔獣の森への調査に同行した体で説明可能なんですが、破壊工作チームと同行してしまうと言い逃れが出来ないといいますか……」
「……タカダさんが言う事も理解出来る。分かった、同行は私一人で行こう。他の二人はここに置いてゆく。それならば構わないだろう、タカダさん」
「れ、レルティシア様! 我々も同行します!!」
「話を聞いていたのか、エルーラ。我々が捕まった場合には面倒な事になるのだ。私一人であれば仮に捕まったとしても何とでも逃れようもある。良いな?」
「一人か……それならば良いでしょう。ですが我々の指示には従って貰いますよ、レルティシアさん」
「……分かっている」
「ありがとうございます、レルティシアさん。ただ、今直ぐには移動しません。こちらは諸々の準備がありますので完了までは寛いでいて下さい。」
エンメルスは部隊を二つに分け、片側を残置部隊として何かが起きた場合は単独で来た魔獣の森への道を引き返し、湖に残してきた輸送船コスタ・レイに回収してもらう様に手配した。その中には神聖士団のアールフレドとエルーラ、ロドーニアのヨナスとキレも含まれていた。そしてもう片方の部隊の高田とエンメルス、ベール達を含む15人程がベースキャンプを後して出かけていった。
・・・
急造されたロドーニアのトーン空港にはヴォートランの国旗が表示されたC-130Hの姿があった。
このC-130Hは、先にロドーニアに大量の補給物資を運んできた機をそのままヴォートランに貸与された物で、更に一度ヴォートランに戻って様々なコンテナを積み込んで再びロドーニアにやって来ていたのだ。
そして現時点で滑走路には今回使用する機材を満載したC-130Hがタキシングをしていた。
C-130Hのパイロットは日本から航空自衛官がヴォートランのパイロット教習目的で派遣されており、派遣されたパイロットは物料投下の実技を行うという名目で、魔獣の森を抜けてソルノク領域に設置される予定の誘導ビーコンを目指して魔獣の森上空を飛ぶ予定だったのだ。先に魔獣の森に潜入した部隊からの誘導ビーコンを受け取り、指定ポイントまでの補給物資を空輸投下し、そしてそのままロドーニアに引き返すという任務を受けていた。
更には同行するヴォートラン第二空中艦隊は、この行程の全てを中隊全機を投入してC-130Hの護衛を行うという任務だったのだ。
この任務は魔獣の森上空を飛行する為に純然と魔道機関を必要とする航空機以外、つまりヴォートランの内燃機関の航空機のみで構成された部隊を派遣する事となり、ヴォートラン第二空中艦隊は全機を以ってC-130Hの護衛にあたるのだ。
こうしてエンメルス達が仕掛けたビーコンの信号を確認した時点で、トーン空港は各機の離陸に備えてバタバタと慌ただしい状況となった。C-130Hの離陸をきっかけに、ヴォートランの各機も上空に上がり、C-130Hの後上空を維持しながら目標に向かって飛んでいった。
魔獣も森上空では当然のことながら魔道機関は動作しない。
その為、連邦も同盟も浮遊機の類は魔獣の森上空を飛べない。
ヴォートランの空中艦隊とC-130Hは、敵浮遊機に遭遇する事無く安全に魔獣の森上空を抜けてやってきた。
「おっ。時間通りだね、ニッポン人は律儀なモンだ」
「ところで投下した物とかヴァルネクに見つかりませんかね?」
「分からん……先ほどドローンで確認する限りでは周辺に敵は居なかった。だが、空中に投下された物資に関しては結構な距離から見られるかもしれんし、回収は手早くやらねば危険だろう」
「っと、投下が始まったぜ、ベールさん」
「おお、早速回収に向かおうぜ、タカダさん」
「そうですね……現時点で接近する物も、動く物もありませんねぇ……ヴァルネクの浮遊機も飛んで来ない、と。これは引き続きツイてますよ、我々は。さあ急ぎましょう」
C-130Hは機首を上げてコンテナを投下を終え、そのまま大きく旋回して魔獣の森上空に戻っていった。空には巨大なパラシュートが展開した荷物が複数投下され、ゆっくりと降下しながらソルノクの大地に降り立った。エンメルス達エウグスト部隊は、これで部隊の移動手段として数台の汎用軽機動車と様々な装備や燃料と食料を回収し、再びベースキャンプに戻っていった。
・・・
ちょうど同じ頃に、ヴァルネク本国に激震が走った。コルダビアで反乱が発生したのだ。
第一打撃軍司令のアンゼルム将軍が反乱を主導し、しかも第二打撃軍リュートスキ大佐を巻き込み古参の兵達も同調し、新任の第二打撃軍司令のジレテンスキー中将を拘束した上で国内の報道関係と警察機構を同時襲撃した上で、第二打撃軍主力が国王フランシェクの国王府を攻撃するという念の入った物だった。
そしてコルダビアの実権は、臨時政府代表を名乗る第一打撃軍のアンゼルム将軍の物となった。
だが、コルダビア臨時政府はこの戦争の継続を表明していない。
ヴァルネク法国は急遽、前線とは真逆の方向、しかも隣国であるコルダビアの反乱という事態に襲われたのだった。




