2_03.第二次ドムヴァル戦
「何もかにもが貴様等の思い通りになっていたのも此処までだ」
オラテアの陸軍総司令官イストラティ大将は眼前に広がるブオランカ盆地を見下ろして、自らの決意を吐き出した。
既にブオランカ盆地中央部はオラテア軍によって再度の陣地化が行われ、緻密に計算された網目の様な塹壕が念入りに偽装を施して構築されていた。同盟軍の主力は前線から下げた場所で待機状態となり、数十の歩兵師団が塹壕の中で待機状態となっている。突進するヴァルネク軍の機甲兵力をこの塹壕地帯によって足止め、そして周辺からの砲撃によって撃滅する。そして戦線を押し上げる為に同盟軍主力の機甲部隊が最後に突進を開始する。それが為に、前線に配備された歩兵師団でも最前線の囮となる部隊は、攻撃された場合に被害を可能な限り抑えて後退する事を命令されていた。
同盟軍は休戦が明ける二か月の間にドムヴァル東部からサライの間に縦深陣地を構築した。そして主戦場をドムヴァル中央のブオランカ盆地に設定した上で、この盆地からサライまでの100kmの空間にヴァルネク主力を引き込み、徹底して出血を強いる作戦とした。
その最前線北翼にはオストルスキ陸軍二個軍、中央にはオラテア陸軍二個軍、南翼にはロジュミタール陸軍一個軍がそれぞれ配置され、その後詰の予備戦力としてドムヴァル陸軍とサライ陸軍をサライ国内に配置、陸軍だけでも総兵力80万を数える大兵力を同盟は集中させた。この数によってヴァルネク連合の侵攻戦力とも拮抗するだろうと期待されていた。そして数的な状況は、同盟軍の度重なる偵察によって概ね正確な物と判断していた。つまりは、数的に拮抗した戦場で防衛戦を行う同盟側が今度こそは有利になるだろう、と楽観的な予測が為されたのだ。
この戦いは同盟軍側にとって、ほぼ全ての戦力を以てヴァルネクに一矢報いた上でヴァルネクを退かせ、押し戻す為の戦力を蓄える為の当座の時間を稼ぐ事を目的としていたのだ。これはヴァルネクの目的が、敵対する同盟軍の人的資源を人造魔導結晶石と化する事を目的としている事が判明した事から、同盟諸国としては敵国が自分達を絶滅させる為の戦闘という総力戦の位置づけとなったからである。もう一つ望むのなら、このブオランカ盆地に全ての戦力を集結させて背水の陣と誤認させたかったのである。
「現在0800、休戦の効力切れを確認!」
「よし、最初の1発は撃つな。相手が押し気味に来る様に弱気を装え」
「来るなら来やがれヴァルネクのクソ野郎ども、挽肉にしてやるぜ」
「勿論だ、貴様等。だがいいか? 抵抗後後退だ。無理するなよ」
「了解です、小隊長殿」
ブオランカ盆地最前線を守るオラテアの血気盛んな小部隊は、旺盛な戦闘意欲を持ちつつも塹壕の裏側でヴァルネクの侵攻を待ち続けた。だが果たして第二次ドムヴァル戦は、万全の体勢を整えたと思わるドムヴァルのブオランカ盆地方面を守備するオラテア陸軍への強襲で始まった。そしてこれは同盟軍にとって予定通りだったのである。しかし、侵攻してきたのは陸軍の砲撃でも無くヴァルネク連合側の浮遊機による空襲からだった。
同盟側は浮遊機からの襲撃に備えて念入りに偽装を施していたが、第一波の空襲はあまり激しい物では無く威力偵察染みた程度に過ぎなかったが、第二波は同盟軍主戦力撃滅を企画した大規模な物となった。これはヴァルネク側の魔導探知によって同盟軍主戦力が後方に温存されている事が判明し、前線を守る同盟軍兵力が分散配置されている事が確認された為だった。
アロスワフ率いるヴァルネク航空浮遊軍を中核としたヴァルネク連合の浮遊機部隊は、航空優勢を確保すべく空中戦特化型の浮遊機を大量に投入し、しかもその波は途切れる事無く続いた。これはヴァルネクがこれまでの戦闘に投入した浮遊機の数を大きく上回る戦力であったが、そのカラクリは浮遊軍を中央戦区のみに集中運用したからである。つまり、南翼と北翼にはヴァルネク連合は必要最低限の浮遊機しか残して居なかったのだ。
この浮遊機の集中運用により、当初三戦区に分散配備していた同盟の浮遊機は中央戦区でヴァルネク側に航空優勢をもぎ取られ、そして数日間のヴァルネク側浮遊機による蹂躙を許してしまった。だが、ヴァルネクはそれでも陸軍の前進を行わず、引き続き浮遊機による対地攻撃を続けた事から、当初予定していた偽装による後退では無く本当に潰走状態となって中央戦区の同盟軍は後退した。
・・・
「中央戦区、予定通り空襲続行中です、グジェゴシェク閣下」
「分かった。こちらも引き続き待機だ。敵浮遊軍の動きはどうなっている?」
「偵察のみですね。こちらに浮遊機が無い事はバレていない様です」
ヴァルネク第二軍のグジェゴシェクは第四軍のフランチシェクと相談の上、航空浮遊軍のアロスワフを呼び出した上で当初の陸軍による強襲では無く、中央戦区に全ての浮遊軍を集めた上で中央の戦力を浮遊軍によって或る程度磨り潰す提案を行った。これが中央戦区担当のシルヴェルテル将軍が提案した場合であれば、他の戦線を担当する者が文句を言い出しそうなものだったが、北翼のグジェゴシェク提案だった事から、中央戦区のシルヴェルテルからも異議は出ず、寧ろ自分の被害が少なくなりそうな提案だった事から、もろ手を上げて賛成した。
南翼戦区の海岸線は二線級とも言える部隊が守っているが、ヴァルネクの艦隊が防空網を構築しており、浮遊軍による侵入も敵陸軍の侵攻もどちらも艦隊側で対処が可能と思われた。では北翼の戦区はどうなるか?
グジェゴシェク自ら侵攻すべきドムヴァル北翼戦区にとっては賭けだったのだ。これは敵同盟軍側があからさまな防御態勢をとっている事から出た賭けだったのである。つまり敵は当初は出て来ない、と。そして彼等同盟軍の取るべき手は、ヴァルネク連合を引き返せない程に引き込んだ上での砲撃による殲滅。グジェゴシェクはこう読んでいた。その為に、陸軍戦力の強襲から浮遊機による徹底的な空襲に切り替えたのだ。そして浮遊戦力を中央戦区に集中する事により、中央戦区での航空優勢は確保された。それが成った場合、同盟軍は中央戦区での航空優勢奪取に向けて、戦闘の無い両区の戦力を引き抜き、中央に集中させる手段を取るだろうと予想したグジェゴシェクの読み通り、同盟軍は慌てて中央戦区への浮遊軍投入の為に浮遊機を引き抜き始めた。それも偵察機を飛ばせられる最低限の浮遊機を残して。
「まあ、この戦場は古式ゆかしい戦法が幅を利かす事となるだろう。そろそろ砲兵の出番だ」
「はっ、既に各砲兵部隊は準備整っており、閣下の号令待ちです」
「そうか。……それでは北翼戦線も仕事にかかるぞ。これから暫くは砲兵の時間だ。魔導探知で引っ掛かる大物以外は狙うな。敵を徹底的に殲滅せよ。各砲兵部隊に伝達、砲撃開始」
「了解しました。各砲兵部隊、砲撃開始せよ」
こうして事前に偵察した情報と、魔導探知による魔導反応の大きな目標に向かってヴァルネク第二軍と第四軍は前方北翼を守る同盟軍ロジュミタール陸軍への攻撃を開始した。だが、程無くしてグジェゴシェクの元に緊急通信が入った。
「何事だ! 今は戦闘中だ!」
「閣下、ボルダーチェク猊下よりの緊急入電です!」
「何だと? 一体どんな用件だ? ……"猊下、グジェゴシェクです"」
『グジェゴシェク。貴様の状況は分かっておる。だが緊急なのだ、許せよ』
「"猊下、既に戦闘は始まっております故、手短に"」
『うむ、直ちにロジュミタールへの戦闘を停止せよ。直ちにだ』
「"…猊下!? 何を仰られたのですか? はっきりと聞こえなかったのですが…?」
『直ちにロジュミタールへの戦闘を停止せよ。彼等は連合に恭順する』
「"な、なんですと!?"」
『だが、時機を見計らっておる。ロジュミタールが反旗を翻した事により最大限に威力を発揮する時期をな。良いな、直ちに戦闘を停止だ。分かったな、グジェゴシェク』
グジェゴシェクは、漸く理解した。
一見無謀とも思える第一次ドムヴァル戦と同様の力押しの命令。だが、同盟軍がその全ての戦力を前線に並べて戦っている最中に北翼を守るロジュミタールが反旗を翻すのだ。戦略的に最も有効なタイミングを図った上で、ロジュミタールが反旗を翻した場合、同盟軍が完全に瓦解する可能性も高い。
「……各砲兵部隊に伝達。砲撃停止、直ちにだ!」
そしてグジェゴシェクは一言「政治か……」と呟くと、渋い表情で椅子に座り込んだ。