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泉 鏡花「薬草取」現代語勝手訳   作者: 秋月しろう
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泉 鏡花「薬草取」現代語勝手訳 三

 三


「御免なさいまし」と、花売(はなうり)は、(たもと)に掛かっていた花片(はなびら)を惜しくもはらはらと散らせながら、袖を胸に引き合わせ、身を細くして高坂の身体を横様(よこざま)に擦り抜けたが、その片足も雑草の中である。(みち)はそれほど狭いのである。

 五尺ほど前にすらりと、立ち直る後ろ姿。()(すそ)を籠めた草の茂り、近くに緑、遠くに浅葱(あさぎ)と、日の色を(くま)()るのはただそれだけで、長く影を引く木など一本もない。

 高坂が背後(うしろ)から声を掛けた。

「大分草深くなりますな」

「段々、(いただき)が近いんですよ。やがてこの生え方が人の背丈くらいになって、私の姿が見えませんようになりますと、それを(くぐ)って出ます所が、もう花の(はら)でございます」

 撫で肩の優しい上へ、笠の紐弛(ひもゆる)く、(べに)のような唇をつけて、横顔で振り向いたが、その(すず)しい目許(めもと)に笑みを浮かべて、

「どうして貴方(あなた)はそんなにまあ、(から)天竺(てんじく)とやらへでもお()で遊ばすように遠い所とお思いなさるのでございましょう」

 高坂は手にある杖を荒く()いて土を騒がすこともせず、慎んで後に続き、

「随分前のことです。大体、誰でも昔のことは、遠く隔たったように思うものですから、事柄と一緒に(みち)までも遥かだったと考えるのかも知れません。そう、(みんな)夢みたいにね。けれども、これは全部(すべて)事実で。

 私が以前美女ヶ原で薬草を採ったのは、もう二十年も前。十年を一昔(ひとむかし)と言いますから、ざっと(ふた)(むかし)にも前になるです。九つの歳の夏のこと」

「まあ、そんなにお(ちいさ)い時」

「もっとも一人じゃなかったです。さる人に連れられて来たですが、はじめ家を迷って出た時は、東西も(わきま)えない、ほんの九歳の小児(こども)でした。人は高坂の(みい)、私の名ですね。光坊(みいぼう)が魔に()られたのだと言いました。よくこの地で言う、あの、天狗に(さら)われたという、それです。また、実際そうかも知れんが、幼心(おさなごころ)で、自分じゃ一端(いっぱし)親を思ったつもりで。まだ両親(ふたおや)ともあったんです。母親が大病で、暑くなる頃にはもう、医者が見放したので、どうにかしてそれを(なお)したい一心で、薬を探しに来たんですな」

 高坂は少時(しばらく)黙った。

「こう言うと、何か、さも孝行を吹聴するようで、どうも聞こえが悪いですが、姉さん、貴女(あなた)だけだから話をする。

 今でこそ、立派な医者もあり、病院もできたけれど、どうして、城下(じょうか)が二里四方に開けていたって、北国(ほっこく)の山の中、医者らしい医者もない。その頃、まあ、土地で一番という先生まで(さじ)を投げてしまいました。父はきちんと打ち明けて、私たちに聞かせるくれることもしない。母様(おっかさん)病気(きいきい)が悪いから、大人しくしろよ、くらいにしてあったんですが、何となく、人の出入り、(うち)の者の起居挙動(たちいふるまい)で大病だというのは分かる。

 それに、その名医というのが、五十ぐらいで、頭の頂上(てっぺん)()げているくせに、髪の黒い、そして、色の白い、ぞろりとした優形(やさがた)親仁(おやじ)で、脈を取るにも、蛇の目の傘を差すにも、小指を()らして、三本の指で横笛を吹くか、女郎(じょろう)煙管(きせる)を持つような手付きをする、()かない奴。

 近所だから、私がちょこちょこ()け出しては薬を取りに行くのでしたが、また薬局というのが、その先生の甥とかいう、ぺろりと長い顔の、(ひたい)から(べに)が流れたかと思うくらいに鼻の(さき)の赤い男。(くすり)箪笥(だんす)小抽斗(こひきだし)を抜いては、机の上に紙を並べて調合するのですが、まずその(さじ)加減(かげん)がいかにも怪しい。

 それなりに流行(はや)っていて、薬を取りに来るのも多いですから、手間取るのが()れったく、いつもよく行っているので、見覚えて、私がその抽斗(ひきだし)を抜いて、五つも六つも薬局の机に並べてやる。(しま)いには、先方(さき)の手を待たないで、自分で調合して持って帰りました。私のする方が、(かえ)って目方(めかた)が揃うくらい。大病だって何だって、そんな覚束ない薬で()くなるとは思えんじゃありませんか。

 その頃、父は小立野(こだつの)という所の霊力のある薬師を信心していて、毎日参詣(さんけい)するので、私もちょいちょい連れられて行ったです。

 (のち)は、自分だけ、乳母(うば)に手を()かれてお詣りをしましたっけ。別に(おが)みようも分からないので、ただ、母親の病気が()くなるようにと、手を合わせる。それも遊び半分みたいなもの。

 六月の十五日は、私の誕生日で、その日、月代(さかやき)(*額から頭頂部にかけて頭髪を剃りあげる髪型)を剃って、湯に入ってから、(もん)(つき)の袖の長いのを着せてもらいました。

 私がと言ったら、可笑(おか)しいでしょう。裾模様の五つ紋、熨斗目(のしめ)(*男子の祝着で、(かみしも)などの下に着た)の派手な、この頃聞けば加賀(かが)(ぞめ)とかいう、菊だの、(はぎ)だの、桜だの、花束が紋になっている。季節に構わず、種々(いろいろ)の花を染め交ぜてあります。今時そんな(もん)(つき)を着る者はない。他国(よそ)にはもちろんないですね。 

 恐らく、この医王山に四季の花が一時に開く、その景勝を誇るために、加賀だけで染めるのだそうですな。

 まあ、その(もん)(つき)を着たんですね、博多織(はかたおり)の、緋色(ひいろ)一本(いっぽん)独鈷(どっこ)(*仏具の独鈷(とっこ)に似た文様を一筋織り出したもの)の小児帯(こどもおび)などで。

『坊やは綺麗になりました』と、母も後れ毛を掻き上げて、そして手や顔を綺麗に洗い清めた後、乳母(うば)が背後から羽織らせた(もん)(つき)に手を通して、胸に水色の(した)()めを巻いたんだが、それを自分で帯を取って(しめ)ようとするその時、いきなり力が抜けて、膝を()いたのです。乳母が慌ててしっかり抱くと、直ぐに天鵞絨(びろーど)(くく)り枕(*そば殻・茶殻などを入れ、両端を括った枕)に鳩尾(みぞおち)(おさ)えて、その上へ胸を伏せたですよ。

 産んでくださった礼を言うのに、ただご機嫌ようとさえ言えばいいと、父から言われて、枕頭(まくらもと)に手を()いたんです、そこへ。顔を上げた私と、枕に(もた)れながら、(じっ)と眺めた母と、顔が合うと、『坊や、もう(なお)るよ』と言って、弱々しく涙をはらはら流して、差し(うつむ)きました。父が肩を抱いて、そっと横に寝かせましたが、乳母が掻巻(かいまき)を着せ掛けると、襟に手を掛けて、向こうを向いてしまいました。

 台所から、中の()から、玄関辺りから、ばたばたと人の行き交う音。と言うのも帯を締めようとして、濃いお納戸(なんど)(*緑色を帯びた深い青色)の(もん)(つき)に下締めの(なり)で倒れた時、乳母が大声で人を呼んだです。

 やがて、医者(せんせい)が袴の裾を、ずるずるとやって駈け込んだ。私には戸外(そと)へ出て遊んで来いと、乳母が言ったもんだから、庭から出たです。今も忘れない。何とも言いようのない悲しい心細い思いがしましたな」

 花売(はなうり)は声細く、

「ごもっともでございますねぇ。そして、母様(おっかさん)はその後()くおなりなさましたの」

「お聞きなさい、それからです。小児(こども)はせめて仏の袖に(すが)ろうと思ったでしょう。小立野(こだつの)というのは少し離れた所です。まず、小さな山くらいはある高台の、草の茂った空き地の多い、人通りのない所にある、さっき父に連れられたと話した薬師堂、それへ参ったですが。

 朝の(うち)月代(さかやき)沐浴(ゆあみ)なんかして、家を出たのは正午(ひる)過ぎだったけれども、何時頃薬師堂へ参詣(さんけい)して、何処(どこ)を歩いたのか、そして、どうやって寝たのか。

 翌朝(よくあさ)はその小立野(こだつの)から、八坂(はっさか)と言う、八段に黒い瀧の落ちるような、真暗な坂を降りて、川端(かわばた)へ出ていた。川は(すず)()という村の入り口で、流れも急だし、瀬の色も凄いです。

 橋は雨や雪で(しら)っちゃけて、長いのが所々、鱗の落ちた形に中弛(なかだる)みがして、のらのらと架かっている、その橋の上で茫然(ぼんやり)としていた。

 後になって考えてみれば、翌朝(あくるあさ)なんですが、その時は夜を何処(どこ)で明かしたか分からないほどですから、小児(こども)晩方(ばんがた)だと思いました。この医王山の(いただき)真白(まっしろ)な月が出ていたから。

 しかし、それは残月だったんです。なぜかと言うと、その日の正午(ひる)頃、ずっと上流の怪しげな(わたし)を、綱に掴まって、宙に吊されるようにして渡った時は、顔が(かっ)とする晃々(きらきら)と烈しい日当たりだったですから。

 こう言うと、何だか明け方だか晩方だか、まるで夢のように聞こえるけれども、(わたし)は確かに渡ったですよ。

 今回、山路(やまじ)は一日がかりと覚悟をして、来るには麓で一泊したですが、昨日、ちょうど前の時と同じ時刻の正午(ひる)頃、岩も水も真白(まっしろ)な日当たりの中、あの(わたし)を渡ってみると、二十年の昔と変わらず、船着きの岩も、船出の松も、確かに覚えがありました。

 しかし、九歳(ここのつ)で越した時は、爺さんの船頭がいて、船を扱いましたっけ。

 昨日はただ綱を手繰(たぐ)って一人で越したです。他には誰もいなかった。

 ご存じのように、烈しい流れで、(さお)の立つような瀬は無いですから、綱は二筋、染物を伸子(しんし)張(*布や反物を洗い張りにする時の方法)にしたように、隙間なく手がかりが出来ている。船は小さく、胴の間(*船の中央部分)に突っ立って、釣り下がり、互い違いに手を掛けて行って、川幅三十(けん)ばかりを小半時(こはんとき)、何度もハッと思っては、危なさに自然(ひとりで)に目を塞ぐ。その目を開ける時、もし、あの丈の伸びた菜種(なたね)の花が断崖(がけ)巌越(いわご)しに、ばらばら見えなかったら、到底(とても)この世のことだとは思われなかったろうと考えます。

 十里四方には人らしい者もないように、船を(もや)った(綱でつないだ)大木の松の幹に立て札がしてあり、『渡船(わたし)(せん)三文(もん)』とある。

 話が前後(あとさき)になりました。

 そこで小児(こども)は、鈴見の橋に(たたず)んで、前方(むこう)を見ると、正面の中空(なかぞら)へ、仏の(てのひら)を開いたように、五本の指が並んだ形で、すくすく立ったのが戸室の石山で、(もや)か、霧か、それが後ろを包んでいて、年に二、三度よく晴れた時でないと、(あお)(あらわ)れて見えないのが、すなわちこの医王山です。

 そこにこの山があるくらいは、かねて聞いて、小児(こども)(ごころ)にも方角を知っていた。そして、迷子になったか、魔に()られたか、知れもしないのに、(ちいさ)な者は暢気(のんき)じゃありませんか。

 それがすでに気が変になっていたからであったかも知れんが、お腹が空かないだけに一向に苦にならず、壊れた竹の欄干に掴まって、月の懸かった雲の中の、あれが医王山だと見ている内に、橋板をことこと踏んで、

『向こうの山に、猿が三匹住みやる。中の小猿が、()(もの)饒舌(しゃべ)る。何と小児(こども)(ども)(はな)()りに()くまいか。今日の寒いに何の花折りに。牡丹、芍薬、菊の花折りに。一本折っては笠に挿し、二本折っては(みの)に挿し、三枝(みえだ)四枝(よえだ)に日が暮れて……』と、ふと唄いながら。……

 何となく心に浮かんだのは、ああ、あの向こうの山から、月の光に照らされても、色の(あか)い花を採って来て、それを母親の髪に挿したら、きっと病気が(なお)るに違いないということでした。また、母はその花を(かんざし)にしても似合うくらい若かったですな」

 高坂はもと来た方を顧みたが、草の(ほか)は何もない。一歩前(ひとあしさき)にいる花売(はなうり)の女はいかにも身に染みて聞いているように(うつむ)いて行くのであった。

「そして、確かに、それが薬師のお告げであると信じたですね。さあ、思い立ったら矢も(たて)(たま)らない。渡り懸けた橋を取って返して、堤防(どて)(づた)いに川上へ。 

 後でまた、(わたし)を越えなければならない(みち)ですがね、橋から見ると山の位置(ありか)は月の()る方へ傾いて、(かえ)ってここから言うと、向こう岸の行き止まりの雲の上らしく見えますから、小児(こども)(ごころ)に取って返したのが、ちょうど幸いと、橋から渡場(わたしば)まで行く間の、あの、岩淵の岩は、人を隔てる医王山の(いち)(とりで)と言っても()い。戸室(とむろ)の石山の麓が直ぐに流れに迫る所で、重なり合った岩石だから、路はそこで切れるですものね。

 岩淵をこちらに見て、多分裸足(はだし)だったでしょう。すたすた五里も十里も辿った(つもり)で、正午(ひる)頃に着いたのが、鳴子(なるこ)(わたし)で」


つづく

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