忘れ物
さあ、今日から一人暮らし! とは言っても、実家と大した距離はない。だから最低限の荷物だけを持って来て、後から時間がある時にいろいろ追加させる予定。
ご飯を食べ終え一息ついていると、スマホが鳴る。表示されているのは『自宅』の文字。
ったく、心配性なんだから。絶対お母さんからで、片付けが無事に終わったのか確認をしてきたに違いない。手伝いを断ったのは、ただ友人に手伝ってもらったからだけではない。見られたくない本があったから。薄い大切な本だけど、親に見られてはマズい本。見つかった日には、家族内処刑をくらう。ある意味、死刑宣告だ。
「は~い」
無愛想な声で電話に出ると……。
「忘れ物があるよ?」
小学生くらいの女の子の声に言われ、電話は切れた。
「……え?」
我が家に女の子は私だけ。お兄ちゃんもすでに一人暮らしをしていて……。親戚に女の子、しかも小学生くらいの子なんていたっけ? それに忘れ物って? 特に思い当たらないけれど……。
気になりお母さんに電話をかける。
「あ、お母さん? うん、片付けなら終わったよ。って、そういう話じゃなくて! 今! うちに誰が来ているの? は? 誰も来ていない? 嘘よ、だってさっき家から電話があって女の子が……。え? 本当に? なら確かめてよ! リダイヤル機能で!」
一度切ると、すぐにまた画面へ『自宅』と表示されながらスマホが鳴る。
「嫌だわ、本当にあんたにかけている……。お父さんは滅多に電話を使わないし。私が昨日、姉さんと電話して……」
お互いに黙る。
両親しかいない家。それなのに女の子が私のスマホへ電話をかけてきた。しかも誰か分からない女の子。
また一旦電話を切ると、慌てて両親は家中を探したが、女の子の姿は見つからなかった。
その報告を聞き、気持ち悪かった。誰かが電話を使った形跡はあるのに、その誰かが分からないなんて、両親も気味が悪いのだろう。眠るのが怖いと言っていた。
ベッドへ横になっても寝つけず、何度も寝返りを打つ。そうしていると、なんだか暗闇が怖くなり起き上がるとアロマを焚く。ランプ機能も働かせ、淡いオレンジ色で部屋を照らす。
大好きな香り。柔らかい光。だけどちっとも落ちつかない。
あの電話は忘れ物があると言っていた。引っ越しをした私へ向けた言葉に間違いないだろう。本当に私はなにか忘れてきたの? 忘れているとしたら、それをどうして見ず知らずの女の子が知り得て、電話をしてきたの? それも家に入りこんでまで。ううん、必要な物は運んでいるはず。実家に残しているのは、必要が生じたら取りに行けばいいくらいの物ばかり。
ああ嫌だ、分からないことだらけ。だから気持ち悪い。早く忘れよう。こんな気持ち悪いことは……。
引っ越しを終え、本当なら新生活に浮かれて出勤する予定だった私の顔を見て、同期のアカネが寝不足なのかと尋ねてきた。
「そんなにクマが酷い?」
「酷いわよ。新居に慣れていないから、寝れていないの?」
「多分……」
あんな話を聞かせても信じてくれないだろう。そういうことにしておいた。
「そのうち慣れるわよ。今日はばりばり仕事して疲れて帰って、お酒でも飲めばぐっすり寝られるって」
別にアカネの言葉を信じた訳ではないが、帰り道、コンビニで桃味のチューハイを一缶買った。お酒は好む方ではないが、仕事の疲れと酒の力があれば、すぐに眠れそうな気がする。おつまみは……。ちょっとお高い、缶詰の貝にした。
一人での宅飲み。オイルのまとった貝を口に入れる。貝の味がしっかりして美味しい。貝にまとっていた油が口内にもつくが、そこにチューハイを口にすれば、炭酸がシュワシュワと油を落とすように弾け、すっきりする。
「は~! たまにはいいかも!」
お酒を飲まないとやってられない。そう言う人の気持ちが、今なら分かる。
ほろ酔い好きな映画を観る。なんが贅沢に思えて楽しい。
途中スマホが鳴った。ご機嫌な私は画面を確認せず電話に出た。
「もしもし~?」
我ながら酔っていると分かる声で、それだけで笑いそうになる。酒を飲んでいるとバレバレでも構うものか。そんな晩もあると相手も分かってくれるはず。
「忘れ物があるよ?」
聞こえてきた女の子の声に微酔していた頭は晴れ、条件反射のように電話を切る。
震えながら息が乱れるのは酒のせいではない。同じ声、同じ言葉。まさかそんな……。二度も……? 震える手で操作し確認すると、またも自宅からかかってきた電話だった。
それから半ば泣きながら母親に電話し、同じ電話があったと話す。慌てて両親は家中を見て回ったものの、今回も声の主を探し当てることはできなかった。
「鍵、変えようかしらねえ……」
どこかで合鍵を作られたかもしれないと心配した両親は翌日、早速鍵を変えた。
私は私でその晩、一人ベッドの中で震えていた。
なんで? どうしてこんな目に合うの? 一人暮らしを始めたから? 誰かの嫌がらせ? それとも幽霊? なんでこんな目に合うの? 分からない、どうして? なんで?
「また眠れなかったの? ねえ、時間給を取って午後から帰りなよ。普通じゃないよ、その顔」
アカネが心配してくれる。
「……怖いのよ」
「え? なにが?」
「ヘンな電話がかかってきて……」
抱えきれなくなり語り出した話を、アカネは笑わずに最後まで聞いてくれた。
「確かにヘンな電話だね。じゃあさあ、実家に帰って本当に忘れ物がないか確認してみたら? 引っ越しで持って行くはずだった物が残っているかもよ? 電話の主が誰かは分からないけれど、それが見つかればそんな電話がかかってこなくなるかもしれないし。案外忘れ物の付喪神からの電話だったりして」
最後のアカネの冗談に、弱いけれど笑って返した。
今日はパートが休みのお母さんが出迎えてくれる。寝不足の私を見て酷く驚いていたが、お母さんも似たような顔だった。聞けばお父さんもとのこと。当然か、見知らぬ女の子が家を勝手に出入りしているかもしれないのだから、安心して寝られる訳がない。
「防犯カメラも取り付けたのよ。電話がある位置が撮れるように、ほら」
「……ただの家庭用カメラじゃない」
「ないよりましでしょう? あと、ほら。気がついた? ドアベルも付けたの」
気がついたけれどさ、と苦笑する。
でもドアベルか、いいかもしれない。これなら誰かが出入りすれば、音で分かるもの。
数日前に別れたばかりの部屋へ向かう。ざっと見回しても、やはりなにか忘れ物があるとは思えない。
「これは、捨てる……」
ついでだから、数日前に一度やったはずの部屋の整理を始める。新居に運んでいない物は、やはり今すぐ必要としない物や、要らない物ばかり。今回も捨てるか悩むものは、まだ捨てずに部屋へ残しておこう。
「これ……」
そんな中、押入れの奥から出てきたのは、小さな箱。中には何枚もの写真とぬいぐるみ付きのストラップが入っていた。
「カノンちゃん……」
撫でるように触れる一枚の写真には、お揃いのぬいぐるみストラップを持ち、カノンちゃんと写っている笑顔の私がいた。
カノンちゃんは小学生時代の親友だった。近所に住んでおり、毎日のように二人で遊んでいた。このストラップは、カノンちゃんが夏休みの旅行のお土産だと贈ってくれたもの。お揃いだと喜んだ記憶がよみがえる。同時にこれまで思い出さないように蓋をしていた記憶が、よみがえる。
カノンちゃんは……。
あの日、交通事故で亡くなった。
突然だった。人って前触れもなく亡くなるのだと、その時に知った。ぼんやりと何日も過ごした。カノンちゃんが死んだとは信じられなかった。どこかに隠れていて、会いたがっている私を見て笑っている気がした。カノンちゃんの家に行けば、また笑顔で名前を呼んでくれる気がした。
だけどそんなことはなく……。
中学生になっても思い出すカノンちゃんは、昔のまま。だけど私は成長し、身長も離れていき……。本当にカノンちゃんは亡くなり、もう一緒に過ごせないのだと、事あるごとに思い知らされた。
だからカノンちゃんを忘れたく、写真とストラップを小箱へ封印するように入れ、押入れに隠した。引っ越し前はどうせ押入れの中はガラクタばかりだろうからと、整理しなかったので小箱を見つけられなかった。
「……あの電話、カノンちゃんだったの……?」
写真を見つめる。
今はもう、親友だったカノンちゃんの声を忘れてしまった。この写真を撮った時、一生の友だちだと言い合ったのに、声を忘れるなんて……。私は……。なんて薄情者だろう……。
忘れることで前へ進み生きてきた。だけどカノンちゃんはどうだろう。死んだ時のまま、新しい思い出も友人を作ることもできず……。忘れられ……。
ぽたり。涙が零れる。
「ごめんね、カノンちゃん……」
これが電話の相手が言う忘れ物かは分からない。だけどなにかを取り戻した気はする。
小箱を持ち、新居へ帰った。
写真を帰り道で買った額に入れ、飾る。ぬいぐるみは……。どうしよう。
私は生きている。だからいつまでも亡くなった人の思い出に浸り、そこに留まることはできない。だって、世界が違うのだから。
「確か神社かお寺で、人形供養できるって聞いたことがあるような……」
今度そこへ持って行こう。ネットで調べ、供養料も必要だと知り、県内の受け入れているお寺も分かった。
供養が押入れに閉じこめ、忘れた私の罪滅ぼしにもなるだろう。今度の休み、訪ねると決める。
その晩、カノンちゃんと写真を撮った日のことを夢が再現していた。
「ミサちゃん、あたしたちずっと友だちよ」
「うん、カノンちゃん」
「ね、××××たちも」
「あたしたち四人、ずっと友だちよ、死ぬまで一緒」
「約束ね、ずっと友だちだからね」
そこで急に目が覚めた。
「ミサちゃん」
声が聞こえてきた。まだ夢の中にいるの? これは現実? 私しかいない部屋の中で声がするなんて、あり得ない……。しかもこの声、電話の……? 体が震え始める。
「あたしたち、ずっと友だちだって約束したじゃない、死ぬまで一緒って」
声は枕元から聞こえる。
今夜もアロマポットの淡い光が部屋を包んでいる。それを頼りに、恐る恐るそちらへ顔を動かすと……。
ぬいぐるみストラップが立っていた。
……そうだ、お互いぬいぐるみに名前を……。カノンちゃんは××××という名前をつけ、ぬいぐるみを人格化させ親友四人グループだと、ぬいぐるみごっこに興じていた……。私は……。このぬいぐるみに、なんて名前をつけただろう。そんなことを考える。
「置いて行くなんて、忘れていたなんて、酷いじゃない」
「……っ」
ひゅっと息を吸う。
電話の主はカノンちゃんじゃない! このぬいぐるみだ! 瞬時に理解した。
「死ぬまで友だちって言ったよねえ? それなのに、捨てるのお⁉」
ぬいぐるみが怒りの声をあげる。
私は開いた口を震わせ、なにも言えなかった。
「約束を破る悪い子には、お仕置きが必要だよねえ」
可愛い声は怒りを含めている。ぬいぐるみは跳躍すると、私の首元に移動する。
「ひ……っ」
ウサギのぬいぐるみ。口は弧を描き笑顔のはずなのに、ライトをバックにしている為、顔がハッキリと見えない。それが不気味だった。本当に私の知っている顔をしているのだろうか。一歩。また一歩と、柔らかい足で顔に近づいて来る。体が強張り、動けない。
「約束を破らないようにしてあげるね」
ぬいぐるみは跳躍すると私の口の中に入りこみ、喉を塞ぐ。
「ん~~~~~‼」
「これで死ぬまで一緒だね、あははははっ」
喉の奥でぬいぐるみが明るい声で笑う。
ぬいぐるみを引っ張り出そうとするのに、まるで喉に引っ付いたように動かない。
苦しい、苦しい……っ。息ができない……っ。気道が……っ。
「カノンちゃんと××××も待っているよ? また四人で一緒に遊べるね」
……ああ、そうだ。私はこの子に……。
もがきながら、やっとこの子につけた名前を思い出した。
同時に忘れていたはずの××××の声真似をするカノンちゃんと、カノンちゃん本人の笑い声が聞こえてきた気がし……。
なにも考えられなくなった。