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水元が氷の声で言う。
「お嬢様を悲しませるとは、万死に値します。
残念ですよ、戸山さま。私は、あなたが嫌いではありませんでした。しかしながら、事情は変わりました。お嬢様を泣かせた罪は償っていただきます。
よって私は心を鬼にし、あなたを埋めねばなりません」
なに埋めるって!
とにかく喉を掴まれているため、まともに発声もできない。
「ですが最後にチャンスを与えましょう。お嬢様の家庭教師におなりなさい。それだけが生存ルートです」
ここでようやく、水元が手を離した。
俺は激しくせき込む。
なんてメイドだ。
「い、いいか──俺は脅されたからって、麻倉の家庭教師にはならない。とっくに決めたんだ。誰の家庭教師にもならないと」
「しかし、あなたはお嬢様の家庭教師です」
「俺のスパルタ方式には反対だったんだろ?」
「ええ。ですが、お嬢さまが良い点数を取られたのは、あなたのおかげです。それは認めないわけはいきません」
「赤点を取っちゃう麻倉が、可愛いんじゃなかったのか?」
「私は気づかされました。テストで良い点数を取るお嬢様も、また可愛らしいのだということを!」
それ、どんな麻倉でも可愛いんじゃないか。
「……え、もしかして水元って、百合?」
「私は、お嬢様を愛しております。それ以外の人間は、眼中にありません」
「あ、そう。とにかく、俺はもう家庭教師はやらん」
「戸山さま。いつまで裏切られた過去を引きずるおつもりですか? お嬢様は決して、あなたを裏切るようなことはなさいません。それは、あなたもご存じでしょう?」
「それは分かっているが……」
「お嬢様には、あなたが必要なのです」
それだけ言うと、水元は立ち去った。
△△△
放課後。
俺は帰宅したが、どうにも落ち着かない。
水元の言葉が、脳内でリフレインしている。
『お嬢様には、あなたが必要なのです』か。
必要とされるのは悪くない。
それに麻倉は、小内たちとは違う。
教え子として、麻倉のことを誇りに思える。
なら家庭教師になってやってもいいじゃないか。
俺は家を出、麻倉家に向かった。
到着したころには、すっかり陽が暮れていた。
この時間なら、麻倉も補習を終えて帰宅しているだろう。
チャイムを鳴らし訪問を告げると、水元が出てきた。
「水元、お前の言葉をよく考えてみた。やはり、俺は麻倉の家庭教師になろうと思う」
しかし、水元はなぜか厳しい顔だ。
「どうかしたのか?」
「ええ。少々、ややこしいことになりまして」
「ややこしいこと?」
「こちらへ」
水元と共に邸内に入ると、そこには女がいた。
20代で、長身。
美人だが、鋭い眼光をしている。
学生時代は剣道をしていたイメージ。
「水元、どちらさんだ?」
「ご紹介いたします、戸山さま。彼女は、旦那様の秘書を務める國重です。先日は旦那様のご出張に同行したため、不在でした」
どうりで、勉強会の時にはいなかったわけだ。
「はじめまして、俺は戸──」
俺の自己紹介を遮って、國重が事務的に言った。
「帰りなさい。君はもう用なしだ」
俺は唖然とした。
用なし、だと?
俺は水元に言った。
「なんなんだ、一体? 俺がいなくて、誰が麻倉の家庭教師をするんだ?」
そのとき、ある可能性に気づいた。
「まさか、國重とかいう秘書が連れて来たのか?」
水元が苦々しそうに言う。
「ご推察のとおりです。國重が独自の判断で、お嬢さまの家庭教師を選んでしまいました。はた迷惑な話ですが」
どうやら水元も、國重を嫌っている様子だ。
「麻倉は、國重が連れて来た家庭教師を受け入れたのか?」
「いいえ。お嬢様には、まだ伝えておりません」
「なら麻倉に教えてやれよ。麻倉が俺を選べば問題解決だろ?」
選ばれる自信はあるぞ。
ところが──
「いえ、そう単純ではありません。
國重が単身で帰還したのには、理由があります。國重は旦那様より、お嬢さまに関わる全権を委ねられたのです。
よって現在、お嬢様のご意向は通りづらい状況にあります」
「じゃ俺は、家庭教師から──」
「申し上げにくいのですが──言うなれば追放されました」
小内どもから追放されたと思ったら、今度は麻倉家からの追放だと?
クソみたいな歴史は繰り返されるのか。
ふざけるなよ。
「俺は受け入れないぞ。いま俺を追放できる人間は、世界でただ一人。麻倉彩葉だけだ! 麻倉を出せ、麻倉を!」
こうなったら何が何でも、麻倉の家庭教師になってやる。




