8話:ソニーバンクのその後
ソニーバンクは2001年6月にサービスサイト「MONEYKit」を開設し、取り扱い商品は円普通預金、円定期預金、投資信託、カードローン、MS銀行のATM「現金自動預け払い機」と接続開始。2001年9月には外貨預金の取り扱い開始。スタンダード&プアーズ「S&P」より格付けを取得。2001年サービスサイト「MONEYKit」をバージョンアップして「MoneyKit-PostPet」のサービス開始。
2002年1月に全国郵便局「現:ゆうちょ銀行」のATM「現金自動預け払い機」と接続開始。2002年住宅ローンの取り扱い開始。ソニー生命を引受保険会社とする団体信用生命保険の取り扱い開始。 2002年6月に目的別ローンの取り扱い開始。2003年12月に日本最大の銀行グループTMB銀行のATM「現金自動預け払い機」と接続開始。2004年4月にソニーフィナンシャル
ホールディングス設立しソニー生命、ソニー損害とともにソニーフィナンシャルグループの一員となるソニー生命ができた。
そのきっかけは約31年前に1976年に米国プルデンシャルのマクノートン会長が来日したことにある。当時米国プルデンシャルはソニーの株式を大量に保有していた経緯もあり、ソニーを訪れたマクノートンは旧知の盛田昭夫に米国プルデンシャルの日本進出について漏らしたという。これが盛田昭夫の金融部門進出という悲願達成へのスタートとなった。当時の日本の生命保険の世帯加入率は90%以上という激戦だった。
その中で生命保険のあるべき姿の追求と高度な知識と販売技術を持ったプロフェッショナルのセールスマンによる必要なセールスの実践に絶対の自信と情熱を持ち会社の基本を作ったのが米国プルデンシャルの代表として設立時の副社長となった坂口陽史とソニー代表として参画した設立時の常務の安藤国威である。この2人を中心としたメンバーにより1979年の8月10日に旧大蔵省の認可をもとに「ソニー・プルーデンシャル生命保険株式会社」として設立した。
、2年後の1981年4月に「ソニー・プルデンシャル生命保険株式会社」と名称を改め営業を開始することになった。しかし1987年米国プルデンシャルの世界戦略の変更から合併を解消し、ソニーとプルデンシャルはそれぞれの道を歩みだした。当時の行政方針によりこの時点でソニー100%というわけにはいかず、いったんソニー50%のままとし米国プルデンシャル50%のうち30%をその子会社のプルコへ移し社名を「ソニー・プルコ生命保険株式会社」とした。
ちなみに日本での単独経営を望んだ米国プルデンシャルにも営業認可がおり、当時ソニー・プルデンシャル生命の社長であった坂口陽史はプルデンシャル生命の社長として転出した。その後1991年に社名を念願の「ソニー生命保険株式会社」とし1996年にはソニー100%となったのである。ソニー・プルデンシャル生命の存在意義は先に触れた
「生命保険のあるべき姿の追求と高度な知識と販売技術を持ったプロフェッショナルのセールスパーマンによる必要なセールスの実践」であった。
そのためにも従来の生命保険外務員のイメージを排した、全く新しい専門職にしなければならないと坂口陽史と安藤国威は考えていた。そういう経緯のもとそのプロフェッショナルのセールスパーマンには厳選採用であること徹底した研修を行うと共に呼称を「ライフプランナー」とすることが決定
された。現在では「ライフプランナー」が一般名称のごとく使用されることもある程、一般的になってきた名称であるが実際はソニー生命とプルデンシャル生命が持つ登録商標である。
創業時のライフプランナーは27名からスタートしている。当初は男性のみでスタートしたが現在では女性も採用している。2004年にソニー損害保険とソニー銀行とともにソニーグループの金融持株会社のソニーフィナンシャルホールディングス株式会社の傘下に入ることにより同金融持株会社が100%の親会社となる。これによりグループ内に生保、損保、銀行を持つ金融グループとしてそれぞれの事業を有効に活かした成長戦略を描けるようになった。また2007年10月には親会社のソニーフィナンシャルホールディングス株式会社が東証一部上場を果たしている。
ソニーバンクは一応、完成できたと思い2004年4月に34歳にソニー生命保険に移動して、アメリカの生命保険会社の事業形態を勉強して、日本に取り入れるという、新しい仕事に取りかかる事を決めて移動してソニー生命保険の営業部長に抜擢された。その理由にライフプランナーという呼称、ライフプランナーとは、日本語に直せば、人生の設計者、何て素晴らしい仕事だろうと、感じたためであった。それから、全く違う生命保険で、技術畑から営業畑へ移動し、家に買って猛勉強の日々が続いた。
その後、同じ大学卒業というパイプを使い多くの大手生命保険会社の友人に生命保険外交のイロハからおしえてもらった。しかし、翌年2005年に発覚した明治安田生命保険による死亡保険金の不適切な不払いが発端となり生命保険業界全体で信頼を失墜する事件が起きた。この時、ソニー生命でも不払いの調査が行われ、日本銀行金融記者クラブでの調査報告会見等での謝罪が行われた。2007年10月にソニー生命で確認された最終的な事象件数は1756件の7億4千万円となったが、これは他の大手中堅生保と比べると相対的に少なかった。