表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/21

19話:子供たちと留学先での旅行

 そして正一の携帯電話に連絡を入れると、わかったと言い、明日、朝10時にホテルへ行くと言った。そしてヒルトンに部屋を取り、ゆっくりして、夕食をとって部屋でビールを飲んで22時前に床に着いた。翌7月22日、朝8時に起きると素晴らしい海の景色に驚いた。とんでもなく長い陸橋が見えてアメリカらしい景色だった。近くのヨットマリーナを散歩して8時半から朝食をとり朝食を終えてフロントの前で待っていると9時半に正一と正二がやってきた。父がロサンゼルスからグレイハンドでここまで来たと話すと驚いていた。それなら、今晩は大学近くのラホーヤに宿泊して、明日、アナハイムまで送るか、または今日アナハイムかロサンゼルスまで送ろうかというので、やはり、ロサンゼルスまで送って欲しいなと言うとわかったと言い、チェックアウトしてきてと言われた。


 父がチェックアウトしてすると正一が、とりあえず、UCSD「カリフォルニア大学サンディエゴ校」へ行こうと言った。10時前に大学について大学構内の多くの建物を回ってくれ、僕たちはアパートを借りて4週間後に帰ることになっていると説明した。その後10時半に大学出て海辺をひた走り、12時にアナハイムに到着した。ディズニーランドは見たから良いねと聞いたのでもちろんと言い、昼食をとろうと言うことになり近くのレストランに入った。その後、ロサンゼルスはどこを観光したのとい言うのでクルーズターミナルというと、ロングビーチも行ったねと聞き、あとはサンタモニカとビバリーヒルズとハリウッド位かと言った。そこはまだ行ってないと父が答えた。今日と明日大学休みだからロサンゼルスに泊まって明日帰ると正一と正二が言うので、父、重光が空港近くの昨晩泊まったウエスティン・ロサンゼルス・エアポートへ泊まろうと言いうと、レンタカーのモニターを見てさがして、アナハイムから50分ほどでウエスティンに到着した。


そう、ここに泊まったと父が言い車を降りるとフロントの人が覚えていてサンディゴから帰って来たのかいと声をかけてくれた。そこで2部屋とって欲しいというと了解と言い、チェックインして部屋のキーを渡してくれた。その後、どうせだから今日サンタモニカとビバーリーヒルズとハリウッドを観光しようと言い、車で出かけて行った。サンタモニカまで10分で行くと、素晴らしいビーチではなく、さっと見て、終了し、ビバリーヒルズも、ここら辺のことと言ったが、たいしたことがなく、車内から見ただけで、終了した。ハリウッドも全く、たいしたことなかった。そこで、正一が、それなら、夕食こそは、美味し所へ行こうと言い、ベニースビーチの入り江のマリーナデルレイへ向かい25分程で、ヨットハーバーを一望できる入り江の突端のシーフードの店に入り、魚フライとパン、小エビとトマトのパスタ、スペアリブ、オイスターフライをたらふく食べたが意外に安く驚いた。


 その後、ウエスティンホテルに入って、重光と正一と正二がビールを飲みながら将来の話をして、22時頃に床についた。翌、2017年7月23日、朝起きて、臼井重光と和子と留学してる正一と正二人と奥さんの5人で朝食と食べて、母が、正一と正二にくれぐれも体に気をつけて帰って来るのよと言い、間に涙を浮かべ、別れるときには1人ずつ抱きしめて、ハンカチでは涙をふいた。そして、駐車場から出て、遠くなる子供たちの車が見えなくなるまで、ずっと手をふった。そして10時にホテルをチェックアウトして、昼食をとって、送迎バスでロサンゼルス空港のシンガポール空港カウンターで搭乗手続きをとり飛行機に乗り込み15時前の便に乗り飛び立った。


 その後、12時間近いフライトで7月24日19時半に成田空港に到着し、父の重光が車を駐車場からだし、1時間ほどで木更津の家に帰った。少しすると9月になり、和子が7時に起きて君津商業高校に通う日々が始まり、直ぐに夏休みとなった。今年の夏も暑くてエアコンの前から離れられずにいた。それもお盆が過ぎ、朝晩、少し涼しくなったと思うと、8月21日になり正一と正二がサンディエゴから帰って来て、実家に10日間滞在し、夜釣りにいったりプールに出かけたりして過ごして8月30日に東京へ帰っていった。


 2017年9月12日、最長老の臼井富蔵85歳が一緒に住んでいた子供夫婦の家でなくなったと連絡があった。急性心不全で、朝、子供の奥さんがおこしに行くと冷たくなっていたそうだ。これで80歳以上の老人は2人となった。そして10月、11月になり急に寒くなって来て、11月20日過ぎに近くの小学校、中学校、幼稚園でインフルエンザが流行りだして学級閉鎖が出ていた11月23日、臼井トメさん81歳とその旦那さんの臼井貯蔵さん82歳が高熱を出して千葉の大きな病院の隔離病棟に入院知らせがあった、その家は6人家族で、孫2人の1人がインフルエンザにかかって治療を受けていた様だ。そして入院後5日目に死亡したと連絡が入った。これにより長老がいなくなって農家を引き継いでいるのが1人になってしまい畑と農地をやる人間がいなくなった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ