11話:木更津の臼井家を訪問。
2009年3月10土曜の暖かい頃に車で臼井重光の家族4人で木更津の臼井家を訪ねると。長男、信一が久しぶりと声をかけてきた。そしてソニーを退社した事を話すと、随分、早く代謝したんだねと言われ会社の健康診断でうつ病と心身症の可能性が高いと言われて、金もできたので退職したと言うと羨ましいと笑いながら言った。そして、もし私が木更津に帰ってと言った場合、使ってない土地はないかと聞くと、使ってない土地は、ほとんど借家を建築して、本家と分家の一部に庭としてあるが、広い土地はほとんどないと言った。しかし、最初にアパートを建てた岩根の1DKのアパートが築20年で改修工事にお金がかるが1DKの需要が少なくて、12室あるのに、3室しか現在入っていないと教えた。
更地にして2LDKか3DKマンションを6階建て12軒、建てると言われたが、建築費用が1億円以上かかるといわれて、どうしようか思案中だと言い、そこなら現状渡しで、路線価、2千万円でゆずると言ってくれた。敷地が100坪331平米で建ぺい率60%、容積率200%の土地だと聞かされた。そこでアパートをこわす費用を地元の建設会社に聞くと木造2階建て500から600万円と言い、もし家を建てるなら安くしておくと言った。その話を奥さんの路子さんに伝えると一度見に行きたいわと言うので一度見たいというので3月20,21日に出かける事にした。東京のマンションを車で子供2人をのせて、首都高速、湾岸線で羽田空港の先から東京アクアラインで20分足らずで袖が浦インターチェンジを出て小堰川を渡るとめざすアパートが見えた。
実家から長男の臼井信一さんが来ていて久しぶりですと挨拶した。そして近くのカフェに入り話をした。こここから川崎、橫浜まで25分、品川30分と便利が良いと告げた。また、イオンモール木更津。三井アウトレットパーク木更津へ車で10分と買い物にも便利。そして木更津高校も名門で東大にも合格者を輩出している。子供達は潮干狩り場もあり釣りもできて富津灯台、マザー牧場、外房も近いと恵まれてる場所だと言った。明日、実家へ久しぶりに親戚に顔出ししたら良いと言うので、昼過ぎにお邪魔すると伝えて別れた。まだ午後14時なので三井アウトレットパークへ行くと休日で多く客でにぎわっていたが、ブランド品がアウトレット価格でそろうと言うことで橫浜、川崎、品川、東京から多くの人が来ているようだった。奥さんは自分の洋服や子供達の服、下着をじっくり見て、さっそく大きな買い物袋を下げていた。
そして17時過ぎに早めの夕食と明日の朝の菓子パンと飲み物を買った。その後、旅籠屋という駐車場付きのホテルにチェックインした。そして風呂に入って、早めに床についた。翌朝6時半に起きて、チェクアウトして空いている道を一路、富津岬へ出かけると、富津公園に入り、そのまま直進した所に駐車場があり、コンクリートで大きな屋根のようになって、いくつもの階段が見えて、早速、早足でその施設へ向かい上へ上がった。すると東京湾が一望でき千葉の海の近く2つの山がある小さな島が見えた。海の向こうには川崎あたりの京浜工業地帯の工場が見えた。そして遠くに富士山が見えたときには感動した。そして三浦半島の方まで見えた。地図で調べて見ると近い所で7kmと全体にも房総半島から三浦半島まで10kmと想像以上に近く感じた。
景色を見終えたあと菓子パンと飲み物で潮風に吹かれての朝食となった。その後も、多くの写真を撮って楽しんだ。その後、海岸線を北上すると左側に新日鉄の君津製鉄所の大きな工場が見えた。10分程、進むと鳥居浜海浜公園、ここは、歩いてで渡れる橋があり、それを渡ると別の埋めたて地で大きな駐車場があった。途中に男女のハートマークのパンダの石碑があって可愛いので思わず写真を撮った。高くを散歩していた老夫婦に話を聞くと夏に盛大な花火大会が開かれて多くの人が集まり、にぎやかになるようだ。その後、携帯電話で長男の臼井信一さんへ電話し10時頃につくと連絡した。そして畑の真ん中に大きな集落があり、この周辺が臼井一族と武田、山下姓の集落が固まっていた。その中でも大きな家が臼井家の本宅だった。
道から入るとコの字型に大きな家が建ち並び、蔵が一つ建っていた。中にはいつ庭も広く、無造作に5台の車が庭と納屋の前に置いてあった。車を降りると臼井信一さんと信二が久しぶりだなと、にこやかな顔で家から出て来た。そして、臼井重光と奥さんの路子さんと小学生の双子の女の子、臼井和子、次子が出てくると可愛い子ができたぞ声があがった。そして手招きしてくれ土間を上がりリビングに2人の老人を含む4人の大人が待っていた。そして、お茶のみ話が始まって臼井重光が、おじんさんに可愛がられた話や株での儲けて最後におじいさんが負けた話などを、懐かしそうに話した。その中の分家の100歳近い長老が1946年の財産税の時に、なぜか、前もって知っていた臼井重蔵さんが金や宝石など小さく目につきにくい物をビニール袋に入れて大小の麻袋に入れて、木の下や1里塚の近くなど、忘れない場所
にうめた。
それを1960年以降、みんな忘れた頃に夜遅く掘り返した。その手伝いをさせられたので死ぬまで忘れられないと懐かしそうに話してくれた。そして昼食の時間になって、田舎うどんを出してくれ、懐かしい味で、旨かった。その後、臼井重光さん、こっちに住むのかと聞かれ、まだ決まってませんが、検討中で、家族で周辺の環境を見に来たと言うと、来てくれると、次世代の小さな子供が来てくれれば、うれしいと100歳近いさっき話をした、臼井真蔵さんが言った。そうして15時になり、家を出て、東京湾アクアラインが混む前に帰って行った。