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生きるための理由死ぬための理由

作者: 天雨 無衣

あなたは生きてたい?それとも死にたい?


この題材にある生きるための理由を最初に話そう。

人それぞれに持つ、生きるための理由、それは無意識に持ったりするものでもある。

理性的な面で言えば様々ある。例えば、カラオケに行って歌を歌うや、友達と駄べる、好きなことに没頭するなど理由は人それぞれにある。

しかし考えてみて欲しい、何故そうしたいのか?それがなぜ生きがいになるのか?私はそこに着目して、生きる理由を探した。


生きるための理由は結論から言えば、自己の欲求を満たす為である。

楽しむ事もそうだし、苦しむこと、興奮すること、悲しむこと等の感情を豊かにさせるために、本能がそれを求めて、あらゆる手を施して生きるための理由にする。

私もかつてはあった。人を好きになるという欲求を求めて、色々な人と交流を深めた。

しかし、相手にまたは、その物に裏切られたり、その希望を踏みにじられたり、はたまた願っていたものと違った場合どうだろうか?

理由が山のようにあるのなら些細なことだろうが、たった一つの物が消えたのならば、その生きるための理由が消えたと言っていいだろう。では、生きるための理由が消えたら人は死ぬのか?否。そうではない。例え生きる理由がその時消えたとしても、人は本能で他の生きるための理由を見つけだす。


そしてここで問題が生じる。生きるための理由が分からず、ただのうのうと時間をむさぼって生きているのは、生きるための理由になるのだろうか?

無論それも生きるための理由なのである。何故ならば、人は生きるために食したり、運動をしたり、脳を使ったり、歩いたり、排泄物を出したり、性を満たしたりする。

それらどれかを行っている時点で生きるための理由は、完成されているのだ。

何かをするという無自覚的な本能は、何かをしないという理性的な考えを鈍らす事が出来、睡眠欲、食欲、更には性欲までも本能がままに抑えれば抑えるほど、暴走する。


そう、生きるための理由には、理性的な面と本能的な面の2つが存在する。

だが現代では、その本能的な部分を抑制する理性的な部分が多くなっているのだ。

性的なことを必要とせずに生きることや、本能的に睡眠を取ろうとする意志を、理性的な面で生きるための理由があるからと、そのやりがいに没頭する行為など、今の人間はその本能的な部分を殺してしまっている。

本能的な面は、人が、体の"生きる"に欠かすことの出来ないものを、生命的に優先し、欲する事であるが、理性的な面は、人が、生きるための理由に必要な要素として心の"生きる"を優先している。


何故、二つに分かれてしまったのだろうか?

それは、感情を豊かにするという人間の進化が影響を及ぼしていると言っていいだろう。

我々人は実は進化をしている。それは学習的な面であっても進化を遂げている。例えば、勉強ができなくてスポーツもできなくて人と話せなくて好きなことがなくて得意な事がなくて何も取り柄のない人間であっても、心の中が人間の進化によって強化され、その対称的な人間に対して殺意や憧れを抱くなどもある。

だがしかし、一昔前であれば、出来ないのは仕方がない。むしろあいつは出来過ぎているだけで自分は普通だと誤認してしまう。


先程も言ったように人は進化をしている。どこら辺が進化したの?なんも変わらないじゃん。と思ったそこのあなたに問おう。

憧れや殺意は、自分に持たぬものを持っているという考えが生み出す感情だが、昔は自分が一番だと思い込むことで、自分を確立させようとしていたのだ。

つまり他を認めず己も認めず。

現代は他を認め己を認める。


無論進化していない人間もいる。それは、生活区域によって変わってきてしまう場合がある。


では何故、時代が変わったことで心の進化を遂げたのだろうか、今から遡ること1872年に、初の電話機と言われるものが登場して以来、様々な進化を遂げた通信機器。そして今現代に、スマートフォンが発売され、人間は有効活用をした。だがその副次結果として、人間は、思考能力の低下、及び人との関わり合いの時の距離感を失った。

それは、ここ日本だけにとどまらず、世界各国に影響を及ぼしている。しかし、私はそうは思っていない。

ネットワークという通信手段が、出てきた事で、そういうような人が目立つだけで、何も変わってはいないのだと。


話を戻すと、人は、人との接触が多くなってはいるものの、その接し方が分からないことによる、理性的な面で生きるための理由が、欠如している。だが、ネットの普及により、娯楽に関しては理性的な面の生きがいを異様に普及させた事により、本能的な面の生きるための理由が、失われてきているのだ。


では、生きるための理由を求めて、色んなことをすればいいのか?その為には金が必要だ。だが、金を手に入れるために必要な労力を使いたくない。

そういう人間は少なくないのではないだろうか?私もそうである。

しかし、何かを成さぬ者は何も成し得ぬ者であり、何か成せるものは、何でも成し得るものである。結局は、この希望的観測や、憶測では語れぬほどの無数の変数が齎す、悪循環。

こうなればいいなという夢物語は、希望的観測論に基づく、ただの希望であり、理想とは程遠い。

だからこそ、人は生きるための理由を見失いがちでもある。


そこで死ぬための理由だ。

ただ辛いから、苦しいから死ぬ。そんなことは許されない。「そんな事で」なんて言われてしまうのだ。きっと死にたい人間は、「あんたになんて分からない!」と思うだろう。

分かるはずがない。私達は、他人は君ではないし、君も他人ではない。だが、ひとつ言おう。「あんたになんて分からない!」かもしれないが、「あんた以上に苦しい人間はいる」のだ。

死ぬのは、ただ一時、その一時の逃げである。

その苦しみから逃げたいという欲求が生み出す、死ぬための理由。


しかしそれは、理性的な面での死ぬための理由だ。結局その波を乗りこえてしまえば、不思議と身が軽くなる。

私も理性的な面で死にたいと思ったことがある。

それは、何をやっても成果は出ず、何を言っても聞いてもらえず、友人にも裏切られ、家族との約束に対して嘘をついて、その嘘が、自分を蝕んでいる。

そして、それを無かったことにしようとしていた自分が許せず、でもどうにもならない状況で唯一の道は死ぬ事のみ。と考えていた。

しかしどうだろう?私は生きている。それは、別の方法で、何らかの方法でその道を抜け出せないかと、生きるための理由を探したからだ。


結論から言おう。勇気を振り絞って嘘をついていたことを白状した。成果が出ないことも口に明かした。すると思い詰めていたものが全て吐き出されたように心が軽くなった。当然、親は怒った。しかし、その怒りは、裏切られたなどという怒りではない。何故そこまでして思い詰めていたのか?という怒りだった。

私は、恵まれていたのかもしれない。もしあの時そうしていなければ、ここに私はいなかったかもしれない。

これを聞いても君は理性的な面で死ぬための理由を探し続けるのだろうか?無論それもいいだろう。しかし、少し立ち止まって考えて欲しい。その時本当の理由が見つかるはずだ。


ここまでは理性的な面で死ぬための理由だが、本能的な面で死ぬための理由が存在する。それは死にたいという欲求ではなく、生きることに執着がなく、特に生きたい訳でもない場合のみに限定される。

例えば、生きるためにバイトをして、家賃を払い、食事をし、友達と話し、好きなことをする。何不自由なさそうなこの生活だが、このまま生きていても本当に楽しいことがなさそうだとか思った時になんの躊躇もなく死ぬことを考える。


死にたいと口に漏らすよりも先に、行動に現れる。それが本能的に死ぬための理由である。


こうなってしまうと末期と言っていいだろう。止める理由も止められる要素もないのだ。

「楽しいことがあるよきっと!」と声をかけても、「いや、別に今この世界で楽しいことなさそうだし」と言われたりするだろう。

「未来にきっと楽しいことがあるよ!」なんて言ったって、「それまで金を無駄に浪費して、無意味な生活を繰り返すより、ここで死んでしまった方が、臓器の提供とか色々できる。」と言われてしまえばもう何も言い返す言葉が出ない。


それが本能的に死ぬための理由だ。

これらを考えずに、本能がそう察してしまったのが本能的に死ぬための理由なのだが、これを見て、死ぬための理由はこれにすればいいのか!なんて考えている時点で、理性的な面での死ぬための理由である。


死ぬための理由は、生きるための理由と、対照的ではあるが関係していて、生きるための理由が見つからない、もしくは、生きるための理由を必要としていないと死ぬための理由が、生きるための理由より重要になる。


そうなると人は生命を維持できなくなり、その思想はやがて身体を蝕み、あらゆる病気などを発現させてしまう要因にもなるので、悪循環はとても簡単に生まれてしまう。


人は結局、生きるための理由も、死ぬための理由も不確かなまま生きて死んでいく。

だが、努力や情熱などでは語れない数々の心の迷いが、人には降りかかる。特に、14~18歳までは、心が不安定だからこそ、我々大人が、必死にカバーしなくてはならないのだ。

文の構成や、言っていることがわからない部分がありましたら何なりとコメント欄にて、報告お願い致します。

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