008 地平の彼方っていうとロマンだけどリアルにめざすのは
飛竜の鞍は首の付け根にある幅広のチョーカーに、木枠を革で覆った座席がついているだけだ。細かな鱗があるから爬虫類の革だろう。
鐙がないけど太腿を固定できる革帯の輪が一対ある。
飛竜が伏せてくれないと乗れない。
レティネを抱え上げて乗せ、俺はその後ろにくっついて座る。
手綱がない。鞍の前部にある取っ手というか手すりをつかむのかな。飛竜への指示は足か声、それと鞍の後部に括られている鞭を使うみたいだ。
革袋からシーツを出して俺とレティネの腰に8の字に巻きつけ、紐で縛って補強する。鞍から垂れているフック付きの帯はシートベルトのはず。たぶん。
帯を俺の腰に固定する。正しい使い方はさっぱりだが、これで準備は完了だ。とにかく振り落とされなければいい。
「ハイヨー、○ルバー!」
うん。まあ、仕方ないよね。
飛竜のジョーロも、もちろんレティネも、ぴくりともしない。
完全なるスルー。異世界のネタではダメらしい。しかも古いし。
――ウキウゲルギグルグググウウゲケ――
マズい。塔の上から俺たちを見つけて喚いてるヤツがいる。痩せた猟犬のような顔をした小柄な魔物だ。こいつの言葉はさっぱり分からないな。
もう試してる暇はない。俺はジョーロの首の付け根を両側から足で蹴った。
――ゴルルルルルルルルルウル――
ジョーロは首をもたげ、両翼をいっぱいに広げながら後ろ脚で体を起こす。
おお。これはもしや伝説の、荒ぶる鷹のポーズか。
「おおおおおおおー!」
「パパだめー」
「あっ、――ごめん」
ジョーロは一転、ぺしゃりと音がしそうな伏せポーズだ。ぷるぷる震えている。
いきなり、ぐーんと視点が高くなったので取り乱してしまった。ちょっと怖かったし。思わず力んじゃったよ。魔力がダダっと漏れちゃった。とにかく落ち着かないと。深呼吸しんこきゅう。怖がったり興奮するとダメなようだ。
幸いジョーロも残量ゼロだったようで三度目はなかった。よかった。
鎧を着込んだ魔物たちが城壁の上で動けなくなっている。
今漏れ出た俺の魔力のせいかな。まるで実感はないんだが。
ご迷惑をお掛けしております。
この魔力って〈玉座〉の間で受けた威圧と同じものなんだろうか。
手を伸ばして首をさすってやると、なんとか落ち着いたジョーロが再び身体を起こした。
大きな翼が広がる。ばっさばっさと羽ばたく。強大な筋肉が脈動する。
風が撹拌されて湿っぽい砂が巻きあがる。
とっさに息を止め目を閉じる。
ワザとかジョーロ、ワザとなのか?
助走距離が不安だったが、わずか数歩でジョーロの巨体は浮かび上がった。城壁の上をなぞるように飛ぶ。
(ぉぉぉぉぉぉぉぉ)
こ、これは凄い!
俺は平静を保ちながら興奮していた。
この上なく器用に感動していた。じゃないとジョーロが落ちちゃうし。
さらに蹴って高度を上げさせる。ようやく城壁の魔物たちが騒ぎだしたが、もう戻るつもりはない。
飛竜に乗って飛ぶなんて危険なだけのバカな行為だと思っていたが、実際は爽快だった。その力に直接触れながら身体を預ける。なんともいえない安心感がある。羽ばたくたびに大波のように上下するのも気持ちいいくらいだ。
ジョーロが実はヘタレなのは忘れておこう。
舵の取り方で少しもたついたが、右を蹴ると左に、左を蹴ると右に向きを変えることが分かった。迷わず魔王城に背を向け、灰色の大地へと飛びたった。
魔王城は急峻な山脈を背負い、不毛な大地のどん詰まりにあった。
岩壁を利用した難攻な要塞だった。
しかし度が過ぎている。
あれでは物資の補給や兵員の移動なども至難のはずだ。飛竜部隊を編成して運ばせるにしても効率が悪そう。何か他の輸送手段があるのかな。
「レティネ、怖くないかい?」
「だいじょうぶだよパパ」
「えーと。――レティネはさ、俺のゆらゆらは平気だったの?」
魔物が動けなくなるほどの魔力がダダ漏れだったのに、レティネはよく耐えられたな。
「へーきだよ」
「そっか」
「だってパパだもん」
人間には効果がないのかな。
幼女を威圧とか、マジ外道だしな。影響がないならいいか。
追い風に乗っているせいか、あまり大声を出さなくても会話ができた。
こんな残念な景色なのにレティネは眺めを楽しんでいるみたいだ。
――グルル、グッ、グッ、グッ、ググッグ――
ジョーロが短く区切るように唸る。
周囲を見渡して異変に気付く。
後方から三頭の飛竜が急接近していた!
まさかの追っ手か?!
他にも飛竜が残っていたのか。
振り切るのは無理だ。
こちらはなんとか飛行しているだけで加速の仕方すら分からないのだ。空中戦とかありえない。やりすごす方法を見つけないと。
とにかく落ち着かないとな。レティネを不安にさせたくない。テンパって、うっかり魔力を放出したらジョーロが墜落だ。
三頭の飛竜は俺たちに追いつくと、二頭が後方上空に待機、一番大きな一頭が俺たちの右側、互いの翼が触れないぎりぎりの距離に並んだ。
山羊角の生えた漆黒の鬼が乗っている。
長さ四メートルはある馬上槍、いや竜上槍か、を携えている。飛竜もジョーロより一回り大きい。ジョーロが動揺して頭を左右に揺らしているのに、姿勢を崩すことなく悠然と飛んでいる。なんか格が違う。
「吾は真魔将第四席飛竜将コルヴス。率爾ながら訊ねたい。貴殿は人族の勇者であるか? そして、クランカルヴ陛下を討ったのは貴殿か? あるいは陛下が何処におわすかご存知か?」
なんか凄いのが来てしまった。
真魔将とか、どこの地獄の軍勢だよ!
心臓が痛いくらいバクバクだ。これで落ち着けとかムリ。せめて魔力を抑えないと。
相手がムダにでかい声なので聞こえないフリもできない。
「お、俺はア、あ、アラタ。た、確かに人族だが、勇者ではない。その資格も力もない。――あんたが、陛下と呼ぶ方については、知らない」
えらく噛んでしまったが、なんとか答える。
「ふむ。貴殿が城より出立しことは承知しておる。そこに連れしは陛下ご執心の童に相違あるまい。吾が護り届けたゆえ見知っておる。城内の騒動の経緯も尋ねたき故、ぜひご同道願いたい」
こいつがレティネを城に連れて行ったのか。
レティネはじっと前を向いたままだ。飛竜将コルヴスのほうを見もしない。さっきまでキョロキョロと楽しそうだったのに。
レティネの小さな背中が震えているのに気付いたおかげで、俺はいくらか平静を取り戻した。――いや、違うな。むしろ腹が立ってきた。
「断る! 魔王のことなど知るか。あんなところへ戻る気はない!」
コルヴスは一瞬目を見張ったが、すぐに嬉しそうな顔になる。
「わはははは、吾の〈威圧〉にも平然としておるとは。只人ではあるまい。その身の内に秘めた魔力も尋常ではないな。やはり陛下を討ちし真の勇者殿とお見受けする」
「人を勝手に勇者にするな!」
話し掛けてきたからといって会話する気があるとは限らない、というやつか。こちらの言うことなど聞いてはいない。
「陛下ならびに真魔将の方々を消し去りし驚くべき大魔法。されど斯様な空の上、さらに童を護りながらでは、いかに法外な武技といえどいたずらに発動できまい」
「何を言ってる?」
「わっははは。吾もこれほど早く頭領の階に手が届くとは思わなんだ。クランカルヴ陛下の仇討ちとして真の勇者殿を屠り、魔族の新たな名代として凱旋といこうかの。――いざ、参る!」
どいつもこいつも勇者扱いしやがって。
仇討ちとか言われても骸骨魔王さん、ただの自滅だし。文句があるなら女神様に言え。
コルヴスは騎竜を強く羽ばたかせ、高度を上げて距離を取る。
俺たちの右前方に位置取るつもりらしい。
後方の二頭は見届けに徹するのか動きがない。
ジョーロに落ち着きがないので、わざと魔力を少しだけ放出して喝を入れる。ジョーロは一瞬びくっとしたが体勢は安定した。
勝算はない。こちらには武装がないので回避一択である。それも、上昇と左右転回しかできない。相手を倒せるとしたら魔力全放出による騎竜の無力化だが、これはもちろん共倒れ狙いの自爆だ。俺とレティネの墜落死は避けられない。ジョーロは知らんけど。
レティネの命は賭けられない。
コルヴスの騎竜が右前方でくるりと回頭した。そしてコルヴスが竜上槍をまっすぐに構える。
翼を水平に広げたまま突っ込んできた。
すっと翼を畳み、さらに加速する。
狙いはジョーロではなく俺だ。
俺の胸元。レティネも巻き込むつもりか?
――コルヴスはレティネを連れ戻す気がないのか?!
ジョーロの首元を連続して蹴る。小刻みに魔力も放出する。
ジョーロは電気が流れたような機敏さで急上昇。身体がぐっと鞍に押しつけられる。
コルヴスは体勢を変えず、そのまま交差して遠ざかる。
ギリギリでかわすことができた。あれだけの速度だととっさには針路修正できないのだろう。けれど飛び過ぎざまにジョーロの腹に槍を刺すくらいはできたはず。
まだ様子見のつもりなのか。
「――パパ?」
「だいじょうぶだよ。揺れるからしっかりつかまってて。ね」
頭巾ごしにレティネの頭を撫で、片手でお腹を抱きしめた。伝わるレティネの体温が守るものの在処を教えてくれる。
さて、ジョーロがどこまで頑張れるか。
ごめんなヘタレ飛竜。お前だけが頼りだ。空元気全開でいこう。
さっきより高い位置にコルヴスはいた。ただし今度は正面だ。
悠然と羽ばたきをくり返すと、最初から翼を畳んで突撃してきた。
速い! 赤い光も纏っている。
「なっ!!!」
魔法で加速した?!
急旋回と急上昇を組み合わせようとしていた俺は愕然とした。
旋回のためジョーロが体勢を傾けたとき、すでにコルヴスの騎竜は眼前だった。
――回避が間に合わない!
コルヴスの長い槍が、俺とレティネをまとめて串刺しにする光景を幻視する。
「パパっ!?」
「レティネー!」
必死にレティネを抱え、鞍から身体をずらして避ける。
無理な体勢に背中が悲鳴を上げるが、槍の穂先から視線を外せない。
そのときだった。
――揺らぎが見えた。
蜃気楼のような揺らぎが、音もなく、視野いっぱいに――