076 バレてしまっても正直に白状するわけにはいかない
料理も片付き香りのよいお茶を楽しんでいると、リューパス伯は給仕人たちをすべて下がらせた。俺たちと伯爵の家族だけになる。
「アラタは治癒魔法が使えるそうだな。ランバジで親子を助けたであろう」
なるほど、調べはついているのか。
あの開拓村では冒険者として名乗ってもいるしな。
「いいえ。治癒魔法そのものは使えません。――俺のは、怪我人の体内の魔力を動かして治癒の効率を上げているだけです。時間も手間もかかります」
「アラタの正体はアウディトの聖者ではないのか? なぜ冒険者をやっておるのだ?」
聖者? どこから聖者が出てきた?
アウディト教はこの大陸最大の宗教だけど、教会に入ったことすらない。
「違いますよ。そもそも聖者というのがどんな方なのか知りませんし。俺は冒険者でしかありません」
伯爵は真っ直ぐに俺の目を見る。
「だが、アントラム迷宮で聖者として振舞ったのではないのか? アラタは、モールサーペントの群れを一掃し、騎士団の危機を救い、余の娘シルテアを死から蘇らせたと聞いておる」
な、なんだってー!?
バレてるし。
シルテアって、あのときの女騎士、というか美少女騎士かよ!
鎧女子だったのか。雰囲気違い過ぎだろ。ピカピカの鎧しか覚えてないよ。
でも死んじゃいなかったよな、確か。
これは不味いな。
魔法や魔力のことはいい。めずらしい使い手ということで。
けれど〈神力〉はダメだ。レティネの〈ポケット〉と同じく、知られるわけにはいかない。
――とくに権力者には。
死にかけの兵士を瞬時に復活させたり、巨大な岩山を城や砦に落とすことができるのだ。そんなヤツが市井で気楽に過ごしてるなんて、絶対見過ごせないだろう。
誤摩化す以外の選択肢はないな。
「誰にも見られていないはずですが、どうしてご存知なのです?」
「騎士の一人、ラオリーが耐魔法術、つまり魔法防御にとくに優れていたのだ。突然身体の自由を失ったが、意識は保っておったようだ。――あわや全滅というところに、光輝くアウディト神のシンボルを戴く黒髪の少年が現れ、奇跡を起こしたとな」
そうか。全員気絶させたと思い込んでいた。あの〈威圧〉に抵抗できた騎士がいたとは驚いた。
「まず、俺がアウディトの聖者、というのは誤解です」
俺は実演してみせる。
「おお!」「まあ!?」「!」
「パパぴかぴかー」
俺が光っているのではない。〈光の輪〉を頭上に浮かべたのだ。
それを天井まで移動させたり、回転させたり、拡大したりしてから消す。
「これはただの光を操る魔法です。あくまで明かりです。この形が作りやすいというだけで、とくに神聖なものではありません」
「ほう。器用なものだな」
そうそう。欲しいのはそのリアクション。
「四頭のモールサーペントは〈魔力弾〉を何度も撃ち込んで倒しました。先ほど中庭でお見せしたものより強い魔力を込めました」
「いったいどれほどの魔力があるというのだ。とてもそうは見えぬのが不思議よ」
「そして――」
俺はシルテアを見る。
「シルテア様を治療したのは確かに俺ですが、それほど危険な状態ではありませんでした。――みなさん混乱しておいでだったのでは? 命を落とされた騎士様もいらっしゃいましたし」
死んだ騎士のことを引き合いに出すと、伯爵とシルテアの顔が曇る。
「では、なぜ立ち去った? せっかく倒した魔物を置いて。冒険者なのだろう?」
「面倒を避けたかった、ではご納得いただけませんか? 迷宮での実入りはすでに十分でしたし、帰りを急いでいたこともあります。騎士様方のご事情に首を突っ込むわけにはいきませんし」
真顔で頷く俺を、伯爵が見つめる。
落ち着け、俺。押し通せ。目力に負けるな。
「そうか――」
伯爵が立ちあがると、クレス夫人とシルテアも続く。
「冒険者アラタ。こたびの貴殿の助力尽力に辺境伯家として、そして一人の父として感謝する」
なんと伯爵が頭を下げた。夫人とシルテアも倣う。
「騎士隊のみならず娘シルテアの命を救った貴殿にぜひ報いたい。何か希望があるなら述べよ」
「それは、――考えてもいませんでした」
「余に仕えるなら騎士爵をやろう。実力も問題あるまい。金子でも構わぬ。望みを申してみよ」
どうしようか。
何もいらないから、ほっといてくれ、なんて言ったら失礼かな。礼金でももらって帰るのが無難だけど。
賭けてみるか。
こんな機会はもうないだろう。
居づらくなったら余所の領地にでも行けばいい。マヤさんも連れてこう。
「では、ここにいるレティネと、エルフのヤマダを、後見していただきたいです」
「貴族としての正式な後見人となることはできぬが、それでも構わぬか?」
「この二人はこの国に寄る辺がありません。もしものときの後ろ盾が欲しいのです。もちろん、不始末をかばっていただくようなことは望んでいません。そんなときは見捨てていただいて結構です」
「分かった。余が、アラタ、レティネ、ヤマダの後見となろう。たった今、この時よりな」
え? 俺も?
「アラタは寄る辺があると申すか?」
ないけどさ。
「感謝いたします」
「座るがよい」
「――はい」
俺は館の上階にある執務室にいた。書斎風なので私的な比重の大きな部屋なのかな。落ち着いた雰囲気だが、俺は全然落ち着かない。
小さなグラスに手ずから蒸留酒を注いでくれる伯爵に、ロタム氏に転移者と見抜かれた夜のことを思い出す。おっさんと二人きり。このパターンは不安しかないな。
レティネとヤマダは夫人と三女シルテアが相手をしている。そっちも心配だ。二人がやらかしませんように。レティネはそろそろおネムのはずだし。ヤマダに保護者はムリだし。
伯爵はライティングデスクの引き出しを開け、小封筒を取り出す。そして、その中身を俺に手渡した。
「これに見覚えはあるか?」
金の指輪だった。
女物かな。辺境伯家の紋章と古代文字のようなものが彫り込まれている。
「いい――はい、シルテア様がこのような指輪をされていたかと」
会食のテーブルで見たような。
「左様。それはシルテアの指輪だ。当家では婚姻前の者が身に着けることになっておる。ただひとつだけの、シルテアの印だ」
伯爵が厳しい表情になる。何かを思い出しているようだ。
「ひとつしかないはずの指輪がもうひとつ。――アラタ。これがどこにあったか分かるか?」
「――いいえ」
「モールサーペントの口の中だ。シルテアの左手首と一緒にな」
――!!!――
しまった。迂闊だった!
俺は知っていたのに。
串刺しにした魔族の女オドランを再生したとき、俺が切り落とした手首はそのまま残っていた。全身が再生されても手首が消えてしまうわけではない。ちゃんと気付くべきだった。
「ひしゃげたグリーブと両足も、口の中にそのままあったそうだ。手首は騎士ラオリーが、シルテアに知られぬよう持ち帰りおった。このことは妻のクレスも知らぬ」
俺は言葉もない。
「アラタよ。力を知られたくないのであろう。そのことはよい。アラタが望まぬなら訊かぬ。――だがこれだけは教えてくれ。シルテアは本当に回復しているのか? これから、なんらかの代償を払わねばならぬのか? シルテアは運命から逃れられたのか? ――これほどの治癒魔法など例がないのだ」
伯爵の瞳に初めて不安の色を見た。
「大丈夫です。シルテア様は完全に回復されています。今後も不都合なことが起きることはありません」
「そうか。今のシルテアは幻ではないのだな? ――そうか。うむ、――よかった」
伯爵は目を閉じ、自らに言葉を染み込ませる。
どうして領主ほどの大貴族が一介の冒険者の俺に拘っていたのか、ようやく分かった。
「でも、シルテア様はどうして騎士として迷宮に潜られたんですか? 失礼ながら無謀としか思えないのですが」
しんみりしてしまったので、指輪を返しながら聞いてみる。
「余が成人する前の話だが、余の兄があの迷宮に挑んで命を落としたのだ。そのとき家宝のひとつだったミスリルの剣を失った。それを探しに行きおったのだ。騎士隊の訓練に同行する形でな。――知っておろう? 迷宮では宝物が湧き出すことがあると。シルテアは己の力を示したかったのであろう。本気で騎士になりたいようなのでな。――しかし蛮勇だったことは否めない。今はシルテアを謹慎させておるのだ。魔物との遭遇は偶然だったとはいえ、騎士隊に犠牲が出たのでな」
ミスリルの剣って、あれかな。
地底湖で見つけた剣に辺境伯家の紋章が入ったのがあったような。
納まるところがあるなら手放したい。わざわざ探しに行ったシルテアには悪いが。
「これをお前たち皆で持っておれ」
伯爵から渡されたのは、短いリボンのついた三つのメダルだった。紋章と、持ち主に便宜を図るようにとの文字がいくつかの言語で刻まれている。
「これを持つ者を裁可したり処分することは、余を通さぬ限り出来ぬ。これを示せば領内で理不尽な扱いを受けることはない。領外でもそれなりの効果を持つであろう」
レティネたちは食堂から応接室に移動していた。
部屋の真ん中で、ヤマダが直立でホールドアップしている。クレス夫人とシルテアがヤマダに取り付いている。レティネはくたびれ顔でソファに沈んでいた。
何の遊び?
イジメの現場なのかな。見てはならない女子会の実態とか?
ただのファッションチェックだったようだ。レティネは先に犠牲になったらしい。〈ユリ・クロ〉をアピールできたかな。貴族向けの店じゃないけど。
夫人とシルテアが俺に近付く。
まさか、俺もやるの?
「アラタ様。この身をお助けいただき心より感謝いたします。ヤマダ様とレティネ様にうかがいましたが大変な強者であられるとか。ぜひ一度ご教導願いたく思います」
騎士を目指すだけあって凛とした態度だ。瞳も活き活きと輝いている。
レティネがどれだけ、パパすごいアゲをしたか気になる。
「いけませんよ、シルテア。お父さまにお許しいただかないと。またお叱りを受けますよ」
「光栄です」
俺は適当な返事をしつつ、レティネに耳打ちする。
「わかったー」
「これから一振りの剣を取り出します。ご許可願います」
部屋の様子を感慨深げに眺めている伯爵に許しをもらう。領主の前でいきなり真剣は出せないしね。
「――うむ、構わぬ。だが、何をする気だ?」
俺は収納の腕輪を操作する。
突き出した俺の左手に、ミスリルの長剣がこつ然と現れる。
もちろんレティネの〈ポケット〉から出した。もう息もピッタリだ。
両手で剣を捧げ持ち、伯爵に差し出す。
「こちらをお納めください。アントラム迷宮の深部の湖で見つけた剣です。閣下ゆかりの剣ではないかと。――残念ながら鞘は失われておりました」
「なんと。正にこれは、余の兄ウィルクとともに失われた剣。驚きだ。まさか戻ることがあるとは」
「お父さま、では――それが?」
ミスリルの長剣はめずらしい気もするけれど、これは片手でも両手でも扱える長さだ。刀身のゆるやかなラインが美しく輝く。
「本当に綺麗です。まったく古びてもいないなんて。不思議です」
あ、シルテアさん。そこは突っ込まないで。
「さすが、宝剣ですねー(棒)」




